年末が近づくと、多くの企業で翌年の昇給予算の検討が始まります。アメリカでは、昇給率の設定は経営者と従業員の双方にとって非常に重要な意思決定と考えられています。なぜなら、それは自社が競争の激しい労働市場の中でどのような立場を取るかを決定することになるからです。
アメリカ企業の昇給率の決定プロセスは、日系企業よりも多面的であるかもしれません。例えば、アメリカ企業では、CPI(消費者物価指数) や特定のベンチマークをもとに、一律の昇給率を設定するという方法はあまり一般的ではなく、CPI(消費者物価指数)・経営データ・市場データ・社内戦略を統合的に分析して昇給率を決定しているからです。
この記事では、アメリカでの昇給率の考え方を整理し、そのポイントを解説します。
財務の現実から始まるトップダウン型昇給予算
多くの企業では、まず経営陣や財務部門が「どれだけの昇給原資を確保できるか」を決定します。たとえば「給与総額の3.5%を昇給原資とする」といった形です。
この数値は、収益予測・利益率・コスト構造・キャッシュフローなどの経営データをもとに算出されます。その上で人事・報酬部門が限られた予算の配分を設計します。
この「トップダウン+ボトムインフォームド(bottom informed:現場情報を踏まえたトップ主導)」の考え方は、業績変動に左右されない持続的昇給を実現するために不可欠とされます。また、単純にインフレ率や本社方針に合わせるよりも、経営の現実を反映した判断と考えられます。
市場データを活用した給与動向の把握
次に確認するべきことは、「市場での給与の動き」です。アメリカでは、報酬調査データを活用して市場の給与動向を把握します。代表的な調査会社として、Mercer、Willis Towers Watson、WorldatWork などがあります。
これらのデータをもとに、業界・地域・職種ごとの平均昇給率を分析します。近年の調査では、アメリカ企業の平均昇給率は約3.5〜4.0%です。これは政府発表の統計ではなく、実際の企業データに基づく数値です。自社の昇給率をこれらと照合し、競争力を維持できるかを確認します。
内部戦略と報酬配分の優先順位
アメリカ企業では、昇給原資を全社員に一律で配分することは少なく、成果や役割に応じた戦略的配分を行います。主な方針は次の通りです。アメリカで一般的な昇給の考え方は、次のとおりです。
- 高い成果を上げた社員には5〜6%、平均的な社員には3%程度を配分します。
- 離職リスクの高い重要職種(エンジニアや営業など)を重点的に引き上げます。
- 一部の予算を昇進・昇格や市場調整のために確保します。
このように、アメリカでは「平等」ではなく「戦略的公平性」を重視しています。成果や役割に応じた報酬の差別化が、モチベーション維持と人材定着の鍵となります。
シナリオ分析による昇給率シミュレーション
昇給率を最終決定する前に、報酬担当者は複数のシナリオをシミュレーションします。
たとえば、「昇給率を3.0%から3.5%に上げた場合、コストはどれほど増加するか」「特定部門を重点的に引き上げた場合、全体への影響はどうか」といった検証を行います。
このようなシミュレーションにより、経営層はコストと競争力のバランスを判断できます。
日系企業ではこうした検証プロセスにあまりなじみがないかもしれませんが、シナリオ分析を加えることで、昇給率の根拠がより明確になります。
マネジャー間の調整と従業員への透明性
昇給率が決定した後、アメリカ企業ではマネジャー間の調整と従業員への説明に力を入れます。人事部門が昇給基準や評価ガイドラインを提示し、部署間で差異が出ないようにミーティングを行います。
また、マネジャーは個々の従業員に対し、「なぜこの昇給率なのか」を丁寧に説明します。この透明性の高い運用が従業員の納得感を高め、エンゲージメントの向上につながります。
柔軟な見直しと継続的な調整
アメリカでは、昇給計画を「年1回決めて終わり」とせず、業績や市場状況、法改正(たとえば給与透明化法)に応じて、期中でも見直しができる仕組みを持つ企業が増えています。
報酬を「固定費」ではなく「経営ツール」として捉え、変化する市場環境に合わせて常に最適化することが重要です。
CPIだけに頼らない多面的な判断
CPI(消費者物価指数)は重要な経済指標ですが、昇給率を決定するための数値ではありません。CPIが示すのは「物価上昇率」であり、「労働市場の競争状況」ではないからです。
インフレ率が落ち着いていても、エンジニアや営業、バイリンガルなど市場での需要が高い人材には、相応の昇給が必要です。逆に、景気が後退して企業収益が落ち込んでいる時期には、たとえインフレ率が高くても昇給に回せる余力がない場合があります。
つまり、昇給率の決定には「経済データ」だけでなく、「市場データ」や「社内戦略」も組み合わせた総合的な経営判断が求められるのです。
単にインフレ率や一部で公開されている平均昇給率の数値だけを参考にして決定しても、優秀な人材を確保し定着させることは難しいでしょう。
不確実性が高まる現在の環境では、経営の持続性、外部市場との競争力、成果に応じた報酬、そして社内の公平性を総合的に考慮した「戦略的な昇給設計」が求められています。
総合人事商社クレオコンサルティング
経営・人事コンサルタント 永岡卓さん
2004年、オハイオ州シンシナティで創業。北米での人事に関わる情報をお伝えします。企業の人事コンサルティング、人材派遣、人材教育、通訳・翻訳、北米進出企業のサポートに関しては、直接ご相談ください。
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