11月8日、ロサンゼルスのピーコック・シアターでロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)入り式典が行われ、シアトル発の「サウンドガーデン」がついに殿堂入りを果たしました。1984年に結成され、シアトル発のグランジ・ムーブメントを牽引したバンドのひとつであるサウンドガーデンが、ついにその名を音楽史に刻みました。
この記事では、サウンドガーデンの功績に加え、創設メンバーのヒロ・ヤマモト、シアトル出身でロックの殿堂入りを果たしているアーティストやバンド、そしてロックの殿堂についてもご紹介します。
サウンドガーデンとは? グランジ黎明期を支えた伝説的バンド

DENVER – JULY 18: Vocalist/Guitarist Chris Cornell of the Heavy Metal band Soundgarden performs in concert
July 18, 2011 at Red Rocks Amphitheater in Denver, CO.
サウンドガーデンは、1984年に日系アメリカ人ベーシストのヒロ・ヤマモト、ギタリストのキム・セイル、そして4オクターブの声域を持つボーカリストのクリス・コーネルによって、シアトルで結成されたグランジバンドです。
1986年には、伝説的なコンピレーションアルバム『Deep Six』に参加し、当時のグランジシーンの注目を集めます。その後、ドラマーのマット・キャメロンが加入し、シアトルのインディーズレーベル『Sub Pop(サブ・ポップ)』からデビューEP『Screaming Life』をリリース。この作品はサブ・ポップにとっても記念すべき2作目のスタジオリリースとなり、シアトルの音楽シーンを象徴する存在へと成長していきました。
1989年のアルバム『Louder Than Love』では、グランジバンドとして初めてメジャーレーベル『A&M Records』から作品を発表。ヒロ・ヤマモトが離脱した後、1990年にはベン・シェパードが加入し、続く『Badmotorfinger』(1991年)、600万枚以上を売り上げた『Superunknown』(1994年)、『Down on the Upside』(1996年)をリリース。「Black Hole Sun」「Rusty Cage」「Outshined」「Spoonman」「Fell on Black Days」などの代表曲は、今も聴きつがれています。

©︎Jie Liu
サウンドガーデンは1997年に一度解散しましたが、2010年に再結成。2012年に新作アルバム『King Animal』(2012年)をリリースしました。しかし、2017年5月18日にボーカリストのクリス・コーネルが急逝し、サウンドガーデンは事実上その活動に終止符を打つこととなりました。
ロックの殿堂:「サウンドガーデンが築いたメインストリームへの道は、ニルヴァーナ、パール・ジャム、その他多くのグランジバンドにとって道を開くものとなり、さらにブリットポップ、インダストリアル、ライオット・ガールといった多様なオルタナティブサウンドがメジャーシーンに進出する土壌を作った。彼らがハードロックやメタルの新世代に与えた影響は計り知れず、その遺産は今も世代を超えて響き続けている」
ロックの殿堂入りメンバー
- マット・キャメロン(Matt Cameron)
- クリス・コーネル(Chris Cornell)
- ベン・シェパード(Ben Shepherd)
- キム・セイル(Kim Thayil)
- ヒロ・ヤマモト(Hiro Yamamoto)
創設メンバー、ヒロ・ヤマモトの歩みと情熱
サウンドガーデンの初期を支えたヒロ・ヤマモト氏は、1984年から1989年までベース演奏や作曲、時にはリードボーカルも担当し、バンドの音楽性を形作る重要な存在でした。
しかし、商業的成功を収める中で音楽業界の「製品化」に疑問を抱き、脱退を決断。「音楽がジャンルに縛られ、個性が薄れていくことに違和感を感じた」と、2022年にアジア系アメリカ人の功績をたたえる『Asian Hall of Fame(アジア系アメリカ人の殿堂)』入りを果たした際に受けたKING5とのインタビューで語っています。
脱退後、ウエスタン・ワシントン大学で化学工学を学び、現在は飲料水の分析を行う企業で有機化学主任として活躍。科学や数学、量子力学への情熱を持ち続け、「変わったことを数学で表現するのが好き」と話すヤマモト氏は、音楽活動も続けており、2016年にはサーフロックトリオ「Stereo Donkey」を結成。2018年にはEPをリリースするなど、音楽活動も継続しています。
ロックの殿堂とは? 歴史と意義
ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)は、音楽に革新と影響をもたらしたアーティスト、プロデューサー、業界関係者を顕彰するため、1983年に設立されました。候補者はデビューから25年以上経過していることが条件で、選考は専門家や音楽ジャーナリスト、業界関係者の投票により行われます。
殿堂の本拠地はオハイオ州クリーブランドにあり、館内にはジミ・ヘンドリックス、ザ・ビートルズ、マイケル・ジャクソンなどの展示も並び、世界中の音楽ファンが訪れる聖地となっています。
2025年 ロックの殿堂入りアーティスト一覧
パフォーマー部門:
サウンドガーデン、バッド・カンパニー、チャビー・チェッカー、ジョー・コッカー、シンディ・ローパー、アウトキャスト、ザ・ホワイト・ストライプス
音楽的影響賞: ソルト・ン・ペパ、ウォーレン・ジヴォン
音楽的卓越賞: トム・ベル、ニッキー・ホプキンス、キャロル・ケイ
業界功労者賞(アーメット・アーティガン賞): レニー・ワロンカー
2025年11月8日にロサンゼルスで開催された式典は、Disney+でライブ配信、その後、ABCとHuluでも放送予定。
ロックの殿堂入りを果たしたシアトル出身のバンド&アーティスト
ジミ・ヘンドリックス(The Jimi Hendrix Experience)|1992年殿堂入り
シアトル出身のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスは、エレクトリックギターの演奏を革新し、ロック史に大きな影響を与えました。『Are You Experienced』『Electric Ladyland』などの名盤で知られ、独自の音響表現と演奏スタイルは今も多くのアーティストに影響を与え続けています。
ハート(Heart)|2013年殿堂入り
シアトルで結成されたロックバンド、ハートは、姉妹のアンとナンシー・ウィルソンを中心に活動。『Barracuda』『Alone』などのヒット曲で知られ、ハードロックとフォークを融合した独自のサウンドを確立しました。女性ロックバンドの先駆けとしても評価されています。
クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)|2013年殿堂入り
シアトル育ちの音楽プロデューサークインシー・ジョーンズは、ジャズからポップスまで幅広く活躍。マイケル・ジャクソンの『Thriller』をはじめ数々の名盤を手がけ、グラミー賞を28回受賞しています。音楽業界を代表する巨匠としてその功績が称えられています。
ニルヴァーナ(Nirvana)|2014年殿堂入り
カート・コバーン率いるニルヴァーナは、1991年のアルバム『Nevermind』でグランジを世界的ムーブメントに押し上げました。代表曲「Smells Like Teen Spirit」は時代を象徴する一曲。シアトル発のサウンドが世界に広がるきっかけを作ったバンドです。
パール・ジャム(Pearl Jam)|2017年殿堂入り
1990年にシアトルで結成されたパール・ジャムは、社会的メッセージを込めたロックで知られるバンド。デビュー作『Ten』が世界的ヒットとなり、グランジの象徴に。長年にわたり人権や環境問題にも積極的に取り組んでいます。
サウンドガーデン(Soundgarden)|2025年殿堂入り
1984年にシアトルで結成されたサウンドガーデンは、グランジ黎明期を支えた伝説的バンド。『Superunknown』『Black Hole Sun』などの名曲で知られ、ハードロックとオルタナティブの橋渡しを担いました。2025年にロックの殿堂入りを果たしました。
アリス・イン・チェインズ(Alice in Chains)は、 2025年現在、殿堂入りはしていませんが、グランジの “Big Four”(Nirvana、Pearl Jam、Soundgarden、Alice in Chains)の一角として非常に高く評価されています。今後のノミネートが期待されています。
グランジを育てたシアトルのライブハウス・劇場
シアトルのグランジムーブメントは、小さなライブハウスを中心に育まれました。代表的なライブハウス・劇場は以下の通りです。
- The Crocodile(クロコダイル):グランジの聖地として知られ、ニルヴァーナやパール・ジャムも初期に出演。
- The Showbox(ショーボックス):シアトル中心部にあり、サウンドガーデンなどもライブを開催。
- Moore Theatre(ムーア・シアター):多くのグランジバンドが飛躍するきっかけとなった場所。
グランジムーブメントを最初に支えたラジオ局:KEXP(旧KCMU)

注:2025年現在、KEXPの局内ツアーは催行されていません。
また、サウンドガーデンやニルヴァーナの楽曲をいち早くオンエアしたのが、シアトルの非営利ラジオ局KCMU(現KEXP)です。KCMUはワシントン大学のキャンパスラジオ局としてスタートし、メインストリームに乗らないインディーロックやグランジを積極的に紹介していました。当時のKCMUのスタッフがサウンドガーデンのデモテープを取り上げたことが、地元シーンの広がりに大きな影響を与えたと言われています。
KEXP は、シアトル・センターの一角に拠点を移した後も独立精神を貫いており、オルタナティブミュージックファンに支持されています。
まとめ
サウンドガーデンのロックの殿堂入りは、シアトルから生まれたグランジが世界の音楽に与えた影響の大きさを改めて示すものとなりました。そのサウンドはさまざまなアーティストにも影響を与え、ソーシャルメディアなどを通して今の若い世代にも受け継がれています。

