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日本育ちネパール人エンジニア、夫婦でシアトル生活をSNSで発信中 アカス・ロハニさん × 千賀さんインタビュー

アカスさんと千賀さん
(本人提供)
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国境を越えて見つけた「自分たちらしい暮らし」と発信のかたち

ネパール生まれ、日本育ち。現在はシアトルでソフトウェアエンジニアとして働くアカス・ロハニさんと、オペアをきっかけにシアトルに滞在し、アカスさんとの出会い・結婚を機に移住した千賀さん

日本とネパールという複数の文化を背景に持つ新婚さんのお二人に、国際結婚、英語への不安、義両親との関係、そしてSNS発信について、率直に語っていただきました。

目次

シアトルに来るまで

アカスさん:ネパール生まれ、日本の神戸育ち、そしてアメリカへ

生まれはネパールで、2歳から神戸で育ち、大阪で大学を卒業するまで日本で暮らしました。大学院進学をきっかけにアメリカに来て、最初はテキサス州へ。その後、仕事が決まって2020年にシアトルに来ました。なので、シアトルは5年半くらいで、アメリカ自体は7年くらいになります。

僕はハーフでもクォーターでもなく、ただのネパール人(笑)。でも、日本ではずっと日本語で生活していたので、自分の中では「外国人」という感覚はあまりないんです。ただ、見た目でそう見られることは多かった。そんな日本社会で育ったからこそ感じてきた違和感や発見は、今のSNS発信の大きな軸になっています。

千賀さん:オペアがつないだシアトルとの縁

私はオペアでシアトルに来ました。ホストファミリーの家に住みながら、子どもたちのお世話をするプログラムです。

2年間シアトルにいて、その間に友人を通じてアカスと出会いました。オペアが終わって一度日本に帰国してからは、1年半くらい遠距離恋愛をして、結婚。今年の6月末にシアトルに来たので、まだ半年くらいです。

出会いと遠距離恋愛、結婚まで

「次、いつ会えるか分からない」のが一番つらかった

千賀:遠距離は正直しんどかったです。彼が日本に来てくれることが多くて、3〜4カ月に1回くらいは会えていました。

アカス:そうですね、僕ができるだけ日本に行くようにしたのですが、何せ僕は日本人ではないので、コロナ禍の時は日本入国が大変でした。

千賀:私も1回だけ、夏にシアトルに来ました。8月のお盆休みだったので、本当に短くて、5日か1週間くらいだったでしょうか。ギリギリに決まって、フライトもすごく高くて、「ESTAどうしよう」「間に合うかな」と思いながら申請して取れたので行けた、という感じでした。

コロナ禍のシアトルへ

「シアトルに働きに来たのに、誰とも出会えない」

アカス:シアトルに来たのが2020年だったので、完全にコロナ禍の時期でした。働き始めたのに、リモートで誰とも会えない。

千賀:友達もできなかったよね。

アカス:そうこれは結構しんどかった。アメリカで働きたいと思って来たのに、「今、自分はどこにいるんだろう」と思うこともありました。なので、オフィスが再開された時に、やっと「ここに来た意味」を感じました。

SNS発信を始めた理由

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