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阪神・淡路大震災から30年 神戸の姉妹都市シアトルで追悼行事

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1995年1月17日(日本時間)に発生した阪神・淡路大震災から30年。冷たい霧雨が降る中、シアトル・センターにある『神戸の鐘』で追悼行事が行われ、参加者はシアトルの最初の姉妹都市・神戸に思いを馳せ、犠牲者の冥福を祈りました。

シアトル・センターの『神戸の鐘』で在シアトル日本国総領事の伊従誠氏

式典では、シアトルセンター・ディレクターのマーシャル・フォスター氏、在シアトル日本国総領事の伊従誠氏、シアトル市政府間関係局長のミナ・ハシェミ氏が追悼スピーチを行った後、神戸市の久本喜造市長からのメッセージが読み上げられました。シアトルと神戸は1956年に姉妹提携を結び、最も歴史のある姉妹都市として、現在も活発な交流を続けています。

犠牲者の冥福を祈り読経するシアトル高野山の山中太定住職

地震発生時刻の日本時間午前5時46分(シアトル時間午後12時46分)に出席者全員が黙とうし、神戸から寄贈された『神戸の鐘』をつきました。

兵庫県南部を震源地とし、マグニチュード7.3を記録した阪神・淡路大震災による犠牲者・行方不明者は6,437人、負傷者は43,792人、住宅被害は約64万棟にのぼり、当時で戦後最大の被害となりました。特に震源に近い神戸市を中心とした地域で住宅やインフラの崩壊、大規模な火災、ライフラインの停止が広範囲に及び、街は無残な姿に変わってしまいました。現在の神戸には被災地の面影は残っていませんが、震災の記憶は受け継がれています。

神戸から分灯した「1.17希望の灯り」

神戸市シアトル事務所 丸喜健史所長

昨年シアトルの神戸市シアトル事務所に赴任し、今年初めてこの追悼行事に出席した丸喜健史所長は、当時住んでいた名古屋でも揺れを感じたこと、神戸に住んでいた親戚などからも状況を聞き、「中学生なりに、”大変なことになった” と実感した」と当時を振り返りました。

– シアトルでも追悼行事が行われていることについて

「30年という年月が過ぎると記憶はどんどん薄れていきますが、神戸だけでなく海外でもこうして忘れないような取り組みを続け、思いをつないでいただけるのはありがたいこと。シアトルと神戸の関係を象徴しているものですね」

– 追悼行事を行うことの意義について

「あの震災でいろいろなことが変わりました。パンデミックと同じで、大切な人を失ったり、家や仕事を失ったり、いろいろなことが起こりうる時代です。防災という意味で忘れないのも大事ですが、人と人との助け合いやつながりを忘れないためにも、こうした行事は大切だと思います」

神戸市シアトル事務所:cityofkobe.org/ja/ktio/

シアトル神戸姉妹都市委員会 カーリン・ザーグ・ブラックさん

震災発生当時は神戸市役所の国際課で働いていたカーリン・ザーグ・ブラックさんは、震災発生直後から1週間にわたり通訳としてスイスからの救助隊と救助犬とともに1週間にわたり被害の大きかった東灘区や灘区で救助活動に従事したことが常に頭の中にあり、「あれから30年が経ったことが信じられないという思いです」と話してくれました。

– 阪神・淡路大震災から30年

「最初に心に浮かんだのは、あれから30年が経ったことが信じられないということです。みなさんのスピーチを聴きながら、あの時、救急車のサイレンの音ばかりが聞こえていたことや、水がなかったこと、トイレなどが流れなかったこと、友人の家が全壊したことなどを、いろいろ思い出していました。地震の話をすると、すべてが蘇ってきます。神戸のみなさんと同じく、忘れられません」

– 今日の行事を振り返って

「30年前のシアトル神戸姉妹都市委員会のリーダーたちが参加してくださり、感動しました。姉妹都市、姉妹港、姉妹州と、人と人とのつながりがすごく強いからこそ、雨の中でも集まってくださって、ありがたいです。神戸の人たちに、シアトルでも集まったことを伝えたいですね」

シアトル神戸姉妹都市委員会:www.seattlekobe.org

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