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「人生に無駄な時間はない」居酒屋 『Suika Seattle』オーナーシェフ 木本真さん

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Suika Seattle

木本真さん 略歴:
福井県小浜市育ち。若狭高校卒業後、名古屋外国語大学を中退し、カナダのホテル専門学校に入学。卒業後、東京目白のフォーシーズンズ・ホテルに就職するが、やはり飲食業界で働きたいと考え直し、ワーキングホリデーでカナダへ。その後、日本の飲食店での勤務を経て、正式にカナダの飲食店での就職を実現。10年後の2014年に独立し、シアトルのキャピトル・ヒルに居酒屋 『Suika Seattle』を開店。

Suika Seattle
【住所】 611 East Pine Street, Seattle(地図
【公式サイト】suikaseattle.com

「大好きなカナダで働く」 夢を10数年越しに実現

シアトルのキャピトル・ヒルでローカルにも日本人にも人気の居酒屋と言えば、やはり 『Suika Seattle』 の名前が挙がるだろう。ドアを開けた瞬間、店内のあちこちから「いらっしゃいませーっ!」と威勢のいい声がかかり、「ああ、居酒屋に来た!」と気分があがる人は少なくないはずだ。

オーナーシェフの木本真さんが、日本とカナダで経験を積んだ後、起業する場所として選んだのはシアトル。

「トロント、カルガリー、モントリオールなどを見に行きましたが、大好きなバンクーバー BC に近いシアトルを見に来て気に入りました」。そして、現在はジェネラル・マネジャーとして二人三脚で働く寺尾観(てらお・かん)さんと一緒に渡米することを決めた。

木本さんはもともと飲食業界を目指していたわけではない。名古屋外国語大学を中退して入学しなおしたのは、カナダのホテル専門学校。カナダで働きたいと思っていたが、卒業直後に起きたニューヨークの同時テロの影響でカナダでの就職難しくなり、友人の紹介で就職した東京のフォーシーズンズ・ホテル椿山荘で、ゲストサービス課にてサービス系を3年間にわたり担当する。

「いろいろなことをやらせていただき、とても勉強になりました。でも、やはりアルバイトで働いたことのあった飲食業界に入りたくなって。カナダにも戻りたかったですし」。

そこで、バンクーバー BC で展開している居酒屋の店長(当時)だった田丸実氏(現:田丸商店社長)に相談し、ワーキングホリデーでカナダの居酒屋で1年ほど働いた。しかし、当時も就労ビザの取得は簡単ではなく、また日本に戻って東京の居酒屋でさらに経験を積んだ。そんな時、カナダの田丸氏から連絡が入った。

「独立して金魚居酒屋を開店することになった。就労ビザを申請できるから、カナダに来るか?」

そうしてカナダの就労ビザを手にしたのは、木本さんが最初にカナダの地を踏んでから10年後だった。

「競争力をつけるためにも、若いうちは競争の激しい都会でやれ。」

それから、田丸氏の最初の店 『金魚』に入り、2号店の 『スイカ』、3号店の 『ラヂオ』 の立ち上げに携わり、さまざまな仕事を経験する。

「当時から将来は独立すると考えていたので、すべてが今につながってます」。

Suika Seattle

スイカの暖簾分けで独立する機会を得て、カナダで注目の街トロントをはじめ、モントリオール、カリガリー、いろいろな都市を見たが、「この土地でやろう」という確信が持てなかったという。

「社長からは、"競争力をつけるためにも、若いうちは都会でやれ" と言われていました。でも、今、田丸氏が4店舗を展開しているバンクーバー BC はオプションに考えていませんでした。国境を越えてアメリカに来ることは最初は全く考えていませんでしたが、カナダのスイカの店長時代に出会った寺尾が、"アメリカでやるにはお金がかかるけれども、店は自分が作りますよ" と言ってくれたんです」。

そして2人で何度もシアトルを見に来て気に入り、店舗を見つけ、会社を立ち上げ、暖簾分けとして独立することが現実となった。

カナダのバンクーバー BC とは大きく異なるアメリカでの飲食ビジネス

カナダで合計10年働いた木本さんも、アメリカに来て苦労したことがある。スタッフの人種もその一つだ。ワーキングホリデーや就労ビザの日本人が多く、取引業者もほぼ日本人のバンクーバー BC と異なり、シアトルで一緒に働いているのは日本食レストランで働いたことのなかったローカルのスタッフがほとんど。ちょっとした常識の違いもあり、当初はいろいろとストレスを感じたこともあったという。

「料理ももちろん大好きですが、料理だけではなく、内装、演出、遊び心など居酒屋という総合的な空間を作っていきたい」。

Suika Seattle

(後列左から)ジェネラル・マネジャーの寺尾観さん、木本真さん
キッチン・マネジャーの上野大輝さん、ラインクックのネイサンさん
(前列左から)ラインクックのポールさん、サーバーのケンタさん

日本食レストランで働いた経験がない、そして日本人でないスタッフに居酒屋の空気感を出すために、日本語で叫ばせて雰囲気作りをし、サービスを良くし、品数を多くすることなど、居酒屋として譲れないことを繰り返し伝え、チームを率いてきた。

アメリカでもカナダでも共通しているのは、「働きやすい環境の整備、仕事に応じたきちんとした給料、問題が起きた時のサポートと改善、そういったことをきちんとやっていれば、いい人は残ってくれる」ということ。これはカナダで上司だった田丸氏が常に言い聞かせ実践してくれたことで、その言葉のとおり実行していると、オープンして2年半がたった今でも開店当時からのスタッフがまだ10人近くも働いているという。最近では信頼できるキッチンマネジャーも見つかり、さらにチーム力が高まっている。

「人生に無駄な時間はない」

20代の頃から、目の前にあることを一生懸命にやっていたら将来役に立つと思ってやってきた。「ジェネラル・マネジャーの寺尾は長年にわたりずっとログハウスを建てる大工をやり、30代後半で飲食業界にポンと入りましたが、やっぱり今まで本気で一生懸命にやって来たことがすべて生きています」。今でも、手が空いていればスタッフ全員が皿洗いもし、時間を無駄にしていないという。

「ただの作業としてやるなら何も得るものはないものも、考えればいろいろ見えてくる。皿洗いひとつとっても、料理が戻って来たら、なぜ戻って来たのか考える。料理に問題があるのか、量が多すぎるのかなど、改善策を考える。だから何でも大事にしてもらいたいと思ってます」。

そんな木本さんが今も覚えているのは、昔の上司に言われた「人生に無駄な時間はない。人生は、誰と出会って、何にお金を使うかですべて変わる」という言葉だ。「やりたいことを探して、これじゃない、あれじゃない、といろんなことを試すのも大事ですが、そう言っているだけだと時間がもったいない。少ない給料でも食べ歩いてたくさんのものを見て、学んで、そしてプラスな空気を持つ人と一緒に過ごす時間を増やすこと」。愚痴を出すのも大事だが、そこから進化してこそ無駄のない動きができると考え続けている。

年内にキャピトル・ヒルに2号店を開店することも決まり、また新たな一歩を踏み出そうとしている木本さんが将来やりたいと考えていることは、活躍している同世代との交流を増やすこと。さまざまな国で居酒屋ビジネスを展開しているかつての上司や、北米やアジアの都市で独立したり店長をやっているかつての同僚と世界のあちこちで集まり、いろいろな店を一緒に見てみたいと目を輝かせる。

「そんなことができたらとても嬉しいです。それが一番のモチベーションですね」。

掲載:2017年7月 文・写真:編集部

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