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第8回「着物は日本の家族と私を結ぶ大切な絆」 河村和美さん

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着物を着るならシアトルで!

河村和美(かわむら・かずみ)さん
兵庫県神戸市生まれ。日本の大学を卒業後、製造業での営業職を経て、シアトルに留学。就労ビザを取得し、シアトルの PR 会社に就職。現在は東レ・コンポジットマテリアルズアメリカ社に勤務。

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七五三で父親が着た大島紬も仕立て直して
河村さんの大島紬に

母方の祖母と叔母が美容関係の仕事に携わっておりましたので、幼い頃から来店されるお客様の成人式、卒業式、結婚式の着物の着付け、髪のセット、お化粧と身近に着物を感じられる環境におりました。

その祖母も叔母も着物が大好きで、また父方の祖母は着物を縫うことが得意で、幼少期は着物を縫ってもらい、その着物で七五三のお祝いをしました。夏には浴衣を着て地蔵盆、お祭りに行き、お正月は着物を着て新年を迎え、成人式には叔母の振袖を紫に染めなおし紋を入れ直しお祝いをしてもらいました。

今思うと贅沢ですが、着付けをし、髪をセットして、お化粧をしてもらうことは特別なことではなかったのです。時には、祖母と叔母が私を実験台に成人式の帯の結び方につき論議し、着物の話題は常に身近にありました。

日本で就職しましたが、数年後日本を離れ、アメリカに移住。結婚を機に着付けを覚えようと叔母に着付けを習い始めましたが、あまりの複雑さに挫折。その後、私が着物と再会したのは5年前、日本商工会の新年会の司会を依頼された時でした。司会など経験のなかった私は、その未熟さを隠すべく着物を着て司会を務めようと、叔母から以前譲り受けた着物をアメリカに送ってもらいました。着物での司会を関係者の皆様に喜んでいただいたので、その後4回、着物で司会を務めました。最初は着付けをしていただいたのですが、自分で着付けをしてみたいと思い、約3か月間、土曜日の朝に着付け教室に通ったのが3年前。苦労して覚えた着付けをすぐ忘れてしまわないよう、裏千家の茶道教室に通うようになり、毎週着物を着る機会に恵まれました。

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左:仕立て直した成人式の着物 右:家族で記念撮影

着物を自分で着付けられるようになると嬉しくてつい、新しい着物が欲しくなってしまいます。幸運にも叔母、母の着物を譲り受けたので着物、帯は数枚ありましたが、コーディネートを考えるうち、帯、帯締め、帯揚げ、草履と、欲しい小物がだんだん増えていきます。茶道では白襟、無地が基本ですが、私の好みは紬や、小紋など、着物でいう普段着。季節やイベントにあわせ、半襟や帯留などとのコーディネートを考えるだけでワクワクしてしまいます。今はリサイクルショップやオンラインで、未使用品でもお値段が随分リーズナブルに購入できるため、昔の「着物は高尚な趣味である」という先入観はなくなりました。日本人の体にあう着物はドレスよりも断然自分にあっていますし、パーティーでは周囲の方にもとても喜ばれます。

着物には従来たくさんの決まりごとがありますが、アメリカですのでいろいろ言われることはなく、気軽に着ることができます。シアトルの夏は日本に比べて涼しいですし、湿気もないので、着物の収納で困ることはありません。雨が多いシアトルですが、今は東レのシルックやシルジェリーなど、絹の風合いをもつ、ポリエステルの着物が販売されており、家でお洗濯できます。絹の着物でも移動は車ですので、運転に慣れれば雨の問題はありません。

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母親から譲り受けた訪問着

着物を通じてお仲間がたくさん出来て、それだけで十分幸せですが、一番嬉しいのは遠く離れている母、叔母に私の着物の写真を送るととても喜んでもらえることです。亡くなった父の大島紬は今私の大島紬に形を変え、大切な形見となりました。成人式の時に来た着物は袖を切って今でも着ています。祖母、母、叔母のお気に入りの着物を着ることで、少し家族孝行ができたような気もいたします。私がアメリカで嫁いだので、ほとんどの着物を処分してしまった(もったいない)という叔母は80代ですが、まだ半幅帯をしめ、お茶に通う粋な女性です。私も叔母のようにいくつになっても背筋を伸ばし、粋に着物を着る女性でありたいと思います。着物は私にとって日本に住む家族と私を結ぶ大切な絆なのです。

掲載:2018年11月 文・写真:河村和美



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