シアトルのダウンタウンから Pike Street を海に向かって歩いていくと、目の前に現れる『PUBLIC MARKET CENTER』の看板。これは、現存する公衆市場では全米で最も歴史のあるパイク・プレース・マーケットの入口です。この記事では、パイク・プレース・マーケットの見どころをご紹介します!
「魚投げ」で有名な魚屋
マーケットに入るとまず目につくのが、魚売場。サーモンやカニ、ロブスター、イカ、たこなどが店頭に所狭しと並び、たくさんの観光客が詰め掛けています。
店先に陣取った売り子が「今日の魚は!」と景気のいい声をはりあげ、客が注文をすると、氷をしきつめた中に寝かされている魚を、カウンターの向こうにポーンと放り投げ、パートナーがキャッチするのが見どころの一つ。この魚屋は世界各地の大企業などが採用し、日本では病院で採用されている「フィッシュ哲学」の生みの親。職場を楽しくて生産的な職場にするという哲学のとおり、店員は常に楽しそうで、客と真摯に向き合っています。
地元の食材を売るファーマーズ・マーケット
魚売場の隣は、色とりどりの新鮮な野菜や果物、花などが所狭しと並べられているファーマーズ・マーケット。ワシントン州は全米でも有数の農産物の産地で、いろいろな野菜や果物を見ることができます。旬の果物などを少し買って試してみるのもいいですね。お土産にできるドライフルーツなども売られているので、ぜひチェックしてみてください。
他にはなさそうな、変わった店
パイク・プレース・マーケットは、地階にも見所が詰まっています。アンティーク、ポスター、香、レコード、アクセサリ、書籍、手品専門店などがあり、すべての店を見てまわるには半日ほどかかります。
スターバックスの1号店
そしてファンなら見逃せないのは、スターバックスの1号店。1971年に開店したこの店舗は、当時使われていたロゴ(胸を露出した人魚の下半身の魚部分が左右に分かれているリアルな絵)を掲げています。座る場所はなく、ドリンクやお土産を買うだけですが、夏は特に観光客でいっぱいです。
特に、この店舗でしか販売されていない 『Pike Place Market』 の文字が入ったマグカップなどは土産物としても人気。店の前でミュージシャン(バスカー)によるパフォーマンスが楽しめることもあります。
ちなみに、マーケットに入る手前、1st Avenue と Pike Street の北東の角にもオリジナルのロゴをあしらったスターバックスがありますが、これは1号店ではないので要注意。
ここにしかないレストランやカフェ
もちろん、小売店だけでなく、カフェやレストランもいろいろあります。もうかなり古い映画となってしまいましたが、『Sleepless in Seattle(邦題:めぐり逢えたら)』 でトム・ハンクスが同僚と食事をするシーンに使われたアセニアン・イン『Athenian Inn』や、このマーケットで創業したクラフトビール『Pike Brewing』、長年にわたり営業しているイタリア料理のピンク・ドア『Pink Door』やフランス料理のカフェ・カンパーニュ『Cafe Campagne』『Le Pichet』など、よりどりみどりです。また、2016年にシアトルの伝説的寿司職人・加柴司郎さんが開店した寿司レストラン 『Sushi Kashiba』 は、全米からお客が来店する人気店となっています。
軽食で済ませたい場合は、ローカルの牛乳を使ってチーズを作る様子もガラス越しに見られるビーチャーズ(Beecher’s)、イタリア人が経営するイタリア料理の惣菜店デロレンティ(DeLaurenti:1435 1st Avenue)、フランス人とアメリカ人共同経営のベーカリー、ラ・パニエ(La Panier)などもおすすめ。すべてマーケットのストリート・レベルにあります。
新しい見所『マーケット・フロント』
マーケットは既存の外観を可能な限り保ちつつ、進化も続けています。2017年6月には、マーケットの海側に 『マーケットフロント』 と呼ばれる建物が完成。パイク・プレース・マーケットのダウンタウン側からも海側からもアクセスできるようになっており、エリオット湾を一望できる総面積1万フィートを超える店舗スペースでは、アートやクラフトを販売するショップ、ブルワリーやレストランなどが入っています。
『マーケットフロント』 の建設プロジェクトでは、180ドルの寄付で自分の名前や好きな言葉などを刻んだ「マーケット・チャーム」をこの 『マーケットフロント』 を囲む金属フェンスに取り付けてもらえるというキャンペーンが実施されました。ボランティアの手で数週間かけて取り付けられたチャームの数は6151個。
マーケットをサポートするキャンペーンはいろいろ開催されています。現在のプログラムはこちらで確認できます。
“世界一汚い観光スポット” 『ガムウォール』
正面入口の左側の坂を下ると、両側の壁には、噛んでなすりつけられたガムが・・・。
有名な 『ガムウォール』(gum wall)です。
1990年代にコメディシアターの開演を待つ人たちが噛んだガムをなすりつけたのが始まりで、いまや高さ約2.5メートル、横幅約15メートルになっています。2015年に一度清掃された時に除去されたガムは2350ポンド(1065kg)。2017年11月にも清掃されましたが、これからは年に一度清掃されるそうです。
パイク・プレース・マーケットのマスコット
パイク・プレース・マーケットのマスコットのレイチェル(Rachel)。
1985年に行われたアイランド・カウンティ・フェアで優勝した体重750ポンド(約340kg)の豚をモデルに、シアトル近郊の島、ウィッビー・アイランドの彫刻家ジョージア・ガーバーさんが等身大の銅像を制作し、1986年に正面入口に設置されました。
実はレイチェルは寄付金箱になっており、集まった寄付金は Pike Place Market Foundation による低所得者の住宅やチャイルドケアの運営などに充てられます。これまで集まった寄付金は20万ドル以上に達しています。
マーケットの記録の展示 日本からの移民が貢献
パイク・プレース・マーケットを歩くと、創業当時の写真など、貴重な記録が展示されているのが目につきます。
このマーケットは、食材の価格高騰に怒る市民の声と、仲介業者が農作物を低価格で買い取ることに怒る農家の声を受けて開設されました。
シアトル市によると、1907年8月17日に正式にオープンしてすぐに人気となり、1909年には1日平均64軒の農家が出店し、月間30万人が訪れるようになったそうです。
日本から移住して農業を営んでいた日本人とその子どもたちの日系アメリカ人も、マーケットに出店していました。しかし、農家が出店する場所を取り合うようになり、多くの日本人・日系アメリカ人は市場の中でもアクセスの悪いところに追いやられてしまいます。パイク・プレース・マーケット・ファンデーションによると、日本人・日系アメリカ人に対する差別は1920年代〜1930年代に入っても続きましたが、マーケットで販売されていた野菜や果物の75%は日本人・日系アメリカ人の店によるものだったそうです。
Historylink.org の Walt Crowley 氏によると、1941年12月7日(米国時間)に日本がハワイの真珠湾を攻撃したことで、その時点でマーケットの店の5分の4を占めていた日本人・日系アメリカ人の農家に対する不満が爆発。1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名・発令したことで、米国西海岸に住んでいた日本人や日系アメリカ人約12万人が、アメリカ西部の過疎地に設置された強制収容所に収容されてしまいました。
マーケットを支えていた日本人・日系アメリカ人の農家がいなくなると、マーケットの存続自体が危機に直面し、マーケットは廃れてしまいます。
そこで、マーケットを解体し、オフィスビルやアパートにするという再開発の案が出されました。しかし、1964年にマーケットの保存を実現するために Friends of the Market という団体が設立され、建築家ビクター・スタインブルック氏の指導のもと、マーケットの保存運動を開始。そして、1971年にパイク・プレース・マーケットを歴史地区として保存する条例が有権者投票によって可決され、Market Historical Commission という委員会が厳しく監督することになりました。
この保存と開発の決まりは現在も徹底して守られており、パイク・プレース・マーケットはシアトルを代表する観光スポットの一つとなっています。
パイク・プレース・マーケットの発展に貢献した日系人の歴史を伝えるために、正面入口の上部に設置されている切り絵の壁画『Song of the Earth』は必見です。
さまざまなイベント
パイク・プレース・マーケットでは、一年を通じてさまざまなイベントが開催されています。例えば、春には花農家が集まって季節の花を販売するフラワー・フェスティバル、夏には地元の農家が集まるファーマーズ・マーケットやハンドメイド作家の実演、秋にはディナーイベント、クリスマス前にはツリーのライトアップ、サンタクロースとの記念撮影などが開催されます。恒例イベントの詳細はこちら。