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「わさびは抜いても、真心は抜かない」『Fujiwara』オーナーシェフ 藤原盛次さん(ふじわら・せいじ)

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2023年秋、郊外のレントン市で、念願の独立を果たした藤原盛次さん。30歳になる手前で料理の道に入り、オレゴン州ポートランドを経てシアトルに落ち着き、さまざまな日本食レストランで経験を積んできました。「わさびは抜いても、真心は抜かない」を信条とする藤原さんに、お話を伺いました。

Fujiwara Omakase
509 South 3rd Street, Suite A, Renton, WA 98057
インスタグラム:@fujiwara_omakase
予約:(425) 633-5500

もくじ

米国での大学留学

高校時代は自分が何がやりたいかわからず、父からも「お前は何をやりたいんだ」と聞かれていました。でも、裕福な家庭でもなかったのに留学したければしたらいいと言ってくれたので、留学を決めました。

1986年当時はインターネットもなく、本一冊で、好きなスポーツがやれて、NCAAのD1にある大学で試合観戦もでき、学費が年間3000ドルと安く、近くに大きな街があるという条件で、ルイジアナ州のニューオリンズから約100マイル(約160km)のところにある、ミシシッピ州の大学に留学しました。南部の田舎町ですが、当時は何も知らなかったので、「アメリカはアメリカだろう」と思っていたんですね。日本人に出会うこともないようなところでしたが、ESLと合わせて5年と少しで卒業し、日本に帰国。地元の新聞社に入り、約10年にわたって記者として働きました。

30歳になる前に料理の道へ 寿司職人として再渡米

その後、結婚し、新聞記者としての仕事を楽しんでいましたが、当時の収入では家族を養っていくのは難しいと実感していました。バブルが弾けた後でしたし、これから生まれてくる子供に自分は何をしてあげられるか考えているうち、アメリカならいい体験をさせてあげられるのではないかと思うようになり、妻に「アメリカに行かないか」と聞いてみたところ、なんの迷いもなく「いいわよ」と言われ、決心しました。同じ岡山出身でオレゴン州で寿司屋を出している知人の会社に入社して修行し、2001年に、妻と生まれたばかりの長男と渡米しました。

そんなわけで、寿司を握り始めたのは他の寿司職人さんたちと比べると遅いのですが、店舗数を増やしながらその会社で魚の扱いから始めて、食材の仕入れまで関わらせていただき、とても勉強になりました。

そして、2004年にポートランドからシアトルに来て、シアトル市内のクイーンアン、東のレドモンド、南のサウスセンターまで店舗を増やした後、2008年に加柴司郎さんの『Shiro’s』へ。2年弱にわたってマネジャー兼職人としてお世話になり、また別のお店をいくつか転々としましたが、どこでもお客さんに「フジ」と呼ばれ、よくしていただきました。

故郷の岡山県から取り寄せた備前焼機の器。箸や湯呑みも岡山のもので揃えている。

夢見ていた独立を実現

2020年にCOVID-19のパンデミックが始まり、当時働いていた店の方向性の変更も重なって、仕事を辞めてゆっくりすることにしました。でも、寿司職人なら誰でも、自分の経験や知識をお客さんに伝えたい、美味しいものを出したいという気持ちがあり、「いつかは独立したい」と思っているでしょう。私もそうでした。

いよいよ独立しようと決めて店舗スペースを探したのですが、店舗スペースの家賃は手頃でも、内装工事がものすごく値上りしていて、僕の手が届く金額ではなくなっていました。

6席ぐらいのカウンターとテーブルを一つ置けるぐらいの小さな店でも、子どもが二人いて、次男がこれから大学なので、そこまで大きなリスクは背負えません。そんな時、以前にもお店をお手伝いしたことがあったレントン市の日本食レストラン『New Zen』のオーナーのユミコさんが、「うちの寿司バーだけをサブリースしたらどうか」とオファーしてくれたのです。そのおかげで、電気代もガス代も含めた家賃は僕の手の届く範囲で、初めて事業をする人間にとっては少ないリスクで、やりたかった6席の店ができることになりました。

松川カレイの握り
© Fujiwara Omakase

自分なりのおもてなし

自分でやってダメだったら、「自分がダメだったんだ」と納得できます。でも、今57歳の自分が雇った人が何かミスをして、お客様から苦情が出て事業が失敗するなんて後悔すらできません。そういう意味もあって、人件費を抑えた分を魚に使い、私が一人で仕込みをし、妻が夕方ぐらいから手伝いに来てくれるという形で営業しています。

お客様にお出しする器は故郷の岡山の備前焼き、箸や湯呑みも岡山のもので揃えています。とにかく岡山出身ということを生かしたい。そして、夫婦であたたかいおもてなしができるのが取り柄でしょうか。

水曜日は午後7時からのおまかせ一回転。木曜日から日曜日は午後5時半と午後7時半のおまかせ2回転となっています。ローカルや日本から旬のネタを使ったおまかせは12貫。でも、「今日はFujiの寿司を食べたいな」と思っていただいた方にも来ていただけるよう、水曜と木曜は午後5時に予約なしの来店もできるようにしています。そういうお客様には、握りのネタをたっぷり入れた海鮮丼がとても人気があります。これは、おまかせの12貫に使うネタが全て入っていて、さらにウニやトロも入っているので、とてもお得だと思いますよ。握り6貫と鉄火巻き、お刺身の盛り合わせ、どれも50ドル。

これから年末ぐらいまで、北海道からのブリ(Yellowtail)が美味しいですね。仕入れているウニは北海道産が多いですが、なるべく根室の北、有名な利尻昆布を食べて育ったウニを入れたい。ローカル産では、いくら、サーモン、マツタケなど。秋は本当にいろいろな食材がありますね。

長年のお客様とのつながりがあって、今がある

「わさびは抜いても、真心は抜かない」。それが僕の寿司道です。30前に寿司を握り始めた僕は、もっと早くからされている同年代の職人さんとは10年ぐらい差があるわけですから、技術や知識で同等まで行くのは難しい。そんな自分ができることは、一貫、一貫、真心をこめて握り、食べていただくということです。

これまでのお客様とはFacebookでつながっていて、開店する時に告知しました。おかげさまで、ずっとついてくださっているお客様がここにも来てくださいます。僕をここまで大きくしてくれたのはお客様ですから、とても嬉しいです。

今、日本に対する魅力を感じている人が多いですよね。寿司のおまかせを食べるような方はそういう方が多いとしても、今、日本はブームだと感じます。日本に旅行に行く方も多いですし、「本当に楽しかった」「とてもよくしてもらった」と話してくださる方も少なくありません。

これからアメリカで日本食レストランをやりたいと考えている方に僕ができるアドバイスは「勇気を持って動くこと」ですね。僕もずっと考えていたのに、なぜ動かなかったのだろうと思います。必ず成功するとは言えませんが、もしもこれが自分がやりたいことだと思うなら、挑戦してみてほしいですね。アメリカはいろいろな背景の方がいらっしゃいますが、ファンになってくれる人、喜んでくださる人が必ずいらっしゃるはずです。

藤原盛次さん 略歴:岡山県倉敷出身。1986年に米国ミシシッピ州の大学に留学。卒業後は日本に帰国し、地元の新聞社で記者として勤務するが、30歳になる前に料理の道に入り、2001年に回転寿司の店舗網拡大のため再び渡米してオレゴン州ポートランドへ。2004年にシアトル地域のディストリクト・マネジャーとして店舗拡大を担う。その後、『Shiro’s』などの店での勤務を経て、2023年7月に独立してレントン市に『Fujiwara』を開店。

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