青森・津軽地方に伝わる伝統工芸「こぎん刺し」。 虎谷理美(とらや・さとみ)さんがこの工芸と本格的に向き合うようになったのは、チェコへの交換留学を経て日本に戻ってからのことでした。
異文化の中で「日本のこと、青森のことをもっと知らなくては」と感じた経験。社会人になってから独学で始めたこぎん刺し。材料や道具を揃えることに苦労した経験や、海外イベントで出会った人々の率直な反応。 現在はシアトルで子育てをしながら制作と発信を続ける虎谷さんに、こぎん刺しとの出会いから、その背景にある歴史、そしてこれからについて伺いました。
「こぎん刺し」との出会い

私は青森で育ちましたが、子どもの頃に学校でこぎん刺しを学んだ経験はありませんでした。家庭科の授業で郷土文化に触れる時間はありましたが、記憶に残っているのは刺し子のようなもので、こぎん刺しという言葉自体、当時は知らずにいました。
大学進学を機に青森を離れ、在学中にチェコ共和国へ留学しました。チェコでは、手工芸が生活の中に自然にありました。友人の家にも刺繍やレース、木工の作品があり、それが特別なものではなく、日常の一部として存在していたのです。
その留学生活は、私にとって「外から日本を見る」時間でした。日本について聞かれるたびに、海外に興味を持っていた一方で、自分の国や故郷についてほとんど語れないことに気づかされました。「日本ではどうなの?」「青森ってどんなところ?」と聞かれても、うまく答えられない。そのもどかしさが、ずっと心に残っていました。

帰国後、実家に戻ったとき、引き出しの中に兄が学校の授業で作った小銭入れを見つけました。長い間家にあったものですが、改めて見るとかわいらしく、「これは何?」と母に聞いたところ、それがこぎん刺しで、青森のものだと教えてもらいました。そのとき初めて、故郷の伝統工芸がこんな身近なところにあったと知ったのです。
こぎん刺しの成り立ち ― 暮らしの中から生まれた工芸

こぎん刺しは、江戸時代の津軽地方で生まれた刺繍技法です。当時は倹約令があり、農民は麻の布しか使うことを許されていませんでした。青森は寒さの厳しい地域で、冬の暮らしは今とは比べものにならないほど過酷でしたから、麻布の隙間を糸で埋め、少しでも暖かくするための、生活の知恵として生まれたのです。
最初のこぎんには、模様と呼べるものはなかったそうです。ただ布の隙間を埋めるために糸を刺していたものが、少しずつひし形を中心とした幾何学模様へと発展していきました。合理的で、布目を埋めやすい形だったからこそ、自然と広がっていったのです。
古作と呼ばれる昔のこぎんを見ると、布目は細かく不均一で、模様も完全には揃っていません。当時は図案を書いてから刺すものでもなく、目の前にある布や、身近にあるこぎんを見ながら刺していたそうです。糸も時間も貴重で、間違えたからといってほどいてやり直す余裕はありませんでした。そのため、きっちりと整ったものばかりではなく、ずれや不揃いさが残っています。そこに、その人の暮らしや時間がそのまま刻まれているところが、私はとても魅力的だと感じています。
やがて、こぎん刺しは女性たちの仕事として受け継がれていきます。冬の間、農作業ができない時期に、女性たちが集まってこぎんを刺していたそうです。集まれば自然と会話が生まれ、「私はこんな模様を作った」「こんな刺し方をしてみた」といったやり取りの中で、模様の種類も増えていったのではないかと思います。
また、こぎん刺しは、嫁入り道具の一つとして作られることもありました。結婚前の女性が自分のためにこぎんの着物を刺し、その出来が、器用さや忍耐強さを示すものとして見られることもあったそうです。「こんなに細かい模様を、正確に刺せる女性は、きっと良い嫁になる」。そんな価値観もあったと知りました。
地域によって模様の傾向が違うのは、雪深く、交流が限られていた時代、それぞれの地域で独特の模様が育っていったのだと思います。
こぎん刺しと世の中の動き

一方で、こぎん刺しは必ずしも「良い思い出」だけと結びついてきたものではありません。農民の貧しさや厳しい生活の中で生まれた工芸であり、裕福な家の人たちは作らなかったものでもありました。そのため、後の時代になると、語られにくくなった面もあったと聞いています。物流が発達し、木綿の布が手に入るようになると、こぎん刺しは一度、生活の中から姿を消していきました。
さらに、こぎん刺しは何度も使い直されてきたものでもあります。着物として着られ、傷んできたら上から糸を足し、最後は藍染めで染め直す。津軽弁で「あば(おばあちゃん)」のこぎん、いわゆる「あばこぎん」と呼ばれるものもあります。戦争の時代には、ほどいて袋などに作り替えられたものもあったそうです。物を粗末にできない暮らしの中で、形を変えながら使われていたのですね。
そうした背景を知ると、今残っている古いこぎんが、とても貴重な存在だということがわかります。
始める難しさと、続けられた理由

兄の作ったこぎん刺しの小銭入りがかわいらしくて気に入ったので、「自分もできるかも」と思いましたが、最初に材料をそろえたとき、布と針は家にあり、糸を買えば始められる状態でした。でも、いざ刺そうとすると、どう始めればいいのかわからない。糸の扱い方や針の進め方など、基本的なところでつまずきました。
なので、実際に刺し始めたのは、それから数年後、社会人になってから。昼休みなどの短い時間に、少しずつ刺すようになりました。こぎん刺しは、布と針と糸があればどこでもできる。特別な道具がいらず、短い時間でも進められる。その手軽さが、私が長く続けてこられた理由だと思います。
また、当初は、ただの手芸の延長のような感覚でしたが、図案だけでなく歴史について書かれた本を読むようになり、津軽の暮らしや背景を知っていったのもその頃です。
そうこうするうちに、さまざまな材料を試してみて、メーカーによって刺しやすさがまったく違うことを知りました。初心者のときに扱いやすい材料に出会えていたら、スタートに時間がかからずに済んだかもしれない。そうした経験から、初心者が取りかかりやすい材料を選んだキットを作って販売するようになりました。
その後も毎年チェコの友人を訪ね、自分の作ったこぎん刺しをプレゼントすると、必ず質問をしてくれました。そのやり取りが、私自身の「もっと知りたい」という気持ちを育ててくれたと思っています。
基本から自由へ

こぎん刺しは、基本の模様を組み合わせていく工芸です。基本を覚えると、色や組み合わせを変えて、自分らしい表現ができるようになります。私は最初、伝統的な色使いを知らないまま、カラフルな糸で刺していましたが、その自由さが楽しかったのを覚えています。
金魚ねぶたをモチーフにした図案を発表したとき、地元・青森から多くの反応をいただき、地元の新聞にも紹介されました。それまでこぎん刺しのキットを販売しても青森からの注文はあまりなかったのですが、この金魚ねぶたのキットは青森からたくさんの注文をいただきました。伝統的なものに地域のモチーフを重ねることで、改めて喜んでもらえることがあるのだと感じた経験の一つです。
2019年に横浜市内の小学校で総合学習に関わったとき、子どもたちは伝統を大切にする子もいれば、自由にアレンジする子もいました。その姿を見て、伝統は関わり方次第で生き続けるものだとも思いました。
「間違い」は作品の記憶になる

こぎん刺しは、左右対称の模様が多いので、間違いが目立つ手仕事です。一度気づくと気になってしまい、直したくなる気持ちは自然だと思います。
でも、古いこぎんを見ると、間違いは珍しいものではありません。当時は糸も時間も貴重で、ほどいてやり直す余裕はなかったことが想像できるので、そんな間違いも含めて、その人の時間や気持ちが残るところに魅力を感じるようになりました。
もちろん、自分が作ったものの間違いを受け入れるのは簡単ではありません。私もそうです。でも、その間違いをした自分を受け入れ、その間違いさえも作品の中の自分の署名のようなものとして見られるようになったとき、作品への愛着がさらに深まることがわかりました。こぎん刺しには、そうした心のやり取りが自然に生まれるところがあると思っています。
海外でこぎん刺しを伝えるということ

こぎん刺しの実演をする虎谷さん
2019年にフランス・パリで開催されたJapan Expoに出店したとき、初めて「海外でこぎん刺しを見てもらう」という経験をしました。そのときに感じたのは、日本で出店した時と似たような距離感だったこと。ブースに来てくださる方は多かったのですが、どちらかというと「見る」ことが中心で、できるだけ触らない、近づきすぎない、話しかけないという空気がありました。
それに比べて、アメリカに来てから参加したイベントでは、反応の仕方がまったく違いました。2024年の夏にベルビューで開催されたジャパンフェアに初めて参加したのですが、「これは何?」「どうやって作るの?」と、最初からとても率直に声をかけてくださる方が多かったです。こぎん刺しとも、私自身とも、たくさんコミュニケーションを取ろうとしてくれて、距離感が近い。「触ってもいい?」と聞いて、実際に手に取ってくれたり、私と一緒に「これは何に見えますか?」「虫に見える」「動物みたい」「これは何の形かな?」と、想像を広げてくれるのが嬉しかったです。「クラスがあったら行きたい」「ワークショップがあったら参加したい」と言ってくださる方も多くいました。
また、昨年の秋にワシントン州文化会館(JCCCW)の『文化の日』イベントでブースを出したときも、私のブースで話を聞いてくださった方が、その後のこぎん刺しの実演も見に来てくださり、終わったあとにまたブースに戻ってきてくれたのです。その姿を見て、「社交辞令じゃなくて、本当にやりたいと思ってくれているんだ」と感じて、とても嬉しくなりましたし、自分自身のやる気にもつながりました。
そうしたイベントでは、日本人やアメリカ人の方だけでなく、他の国から来られている方々など、さまざまなバックグラウンドを持つ方が声をかけてくれますね。「家に飾りたい」「床に敷くものを作りたい」と、目的がはっきりしている方も多く、キットを購入してくださったり、「プライベートで教えてほしい」と連絡先を交換することもありました。まだ実際に教えるところまではできていませんが、たまに連絡をもらうたびに、その前のめりな気持ちが伝わってきます。
正直に言うと、アメリカに来た当初は、生活が楽しいと感じられない時期もありました。でも、イベントに参加させていただいて、こぎん刺しを通してたくさんの人と話し、優しく声をかけてもらい、「そういえばメキシコで似たような模様を見たことがある」など話題を広げてもらえたことで、「こんな人たちがこんなにたくさん住んでいるんだ」と感じるようになりました。あのイベントがなかったら、今とは違う気持ちでここにいたかもしれません。
海外でこぎん刺しを伝えるということは、日本の伝統を紹介するということに加えて、人と人の間に、会話や関係が生まれるきっかけを作ることなのかもと感じています。
これからの目標
これまで日本に関わるイベントが中心でしたが、これからは少し枠を越えて、新しい場にも挑戦してみたいと思っています。また、「教えてほしい」と言ってくださる方がいるので、ワークショップのような形で伝えることにも取り組んでみたいです。
まだ具体的な計画があるわけではありませんが、こぎん刺しの楽しさを、必要としてくれる人に届けていけたらと思っています。
虎谷理美(とらや・さとみ)さん
こぎん刺し作家/活動名:さとの坊
青森県出身。宇都宮大学国際学部で学び、在学中にチェコ共和国へ1年間留学。帰国後、社会人になってからこぎん刺しを始める。制作活動を本格化し、ハンドメイドマーケットで作家活動を開始。2019年、横浜市内小学校で総合学習として1年間こぎん刺しに関わる授業支援を行い、同年フランス・パリで開催されたJapan Expoに出店。伝統的な模様を尊重しながら、金魚ねぶたをモチーフにした図案など現代的な表現にも挑戦して話題に。2022年にシアトルへ。子育てもしながら、作品制作に取り組んでいる。
公式サイト:https://satonobou.com/
Instagram:@satonobou

