MENU

エンジェル投資家 石塚亮さん「日本人が外国で勉強すること・働くことを “普通のこと” にしたい」

  • URLをコピーしました!
エンジェル投資家 石塚亮さん

共同創業者として大成功を収めたメルカリから2019年はじめに完全に離れ、エンジェル投資家として活動し始めた石塚亮さん。中学生だった14歳で家族とともに渡米し、そのまま中学・高校を終え、ジョンズ・ホプキンズ大学で政治経済専攻で卒業後、日本のウェブ広告会社勤務を経て、再び渡米しました。それが、スタートアップでの勤務、その時に開発した機能を使って起業した会社の成功、そしてその経験から山田進太郎氏・富島寛氏とメルカリを創業するという展開につながりました。2013年にローンチしたアプリも急成長し、翌年にはアメリカでメルカリUSを立ち上げ、CEO に就任するというスピード展開。でも、なぜエンジェル投資家に!?日米でスタートアップの起業と急成長を経験した石塚さんに、アメリカの教育制度、これから必要とされる人材、そしてエンジェル投資家としてやりたいことについてお話を伺いました。

もくじ

「好きなこと・できることを伸ばす」アメリカの教育制度

最初にアメリカに来たのは14歳、中学2年の時でした。親の転勤でボストンに行き、1年で帰る予定で現地の学校に編入しました。でも、アメリカの学校を気に入ったので残ることにしたのです。

気に入ったのはまず、生徒が弱いところを補うこともしつつ、強いところ・好きなことを伸ばしていくことを応援してくれたこと。「得意でない教科はそこまでがんばることはなく、得意な数学や理科をがんばって、もっと上のクラスを取っていいよ」という自由なところが自分にあっていました。

もうひとつはフレキシブルなこと。当時、理科の授業でトピック自体は理解していましたが、英語ができなかったので、理科の先生が現地にいた日本人の大学生を翻訳担当者として雇い、「宿題もテストも日本語で書いていいよ、その人が訳してくれるから」と言ってくれました。これはアメリカでも特別な方かと思いますし、そんな先生に行き当たったのも偶然でしょう。でも、日本ではまず考えられない自由さ、フレキシブルさに惹かれ、1年後に両親は日本に戻りましたが、私は寮のある高校に入学したのです。いったん日本に戻った親も、またアメリカに住みたくなって戻ってきましたけど(笑)。

その後、ジョンズ・ホプキンズ大学で政治経済学を専攻しました。政治家になって、国を動かしたいというような思いがあったからです。ですが、大学時代のルームメートがコンピュータサイエンス専攻で、プログラミングとか、当時シリコンバレーで起きていたスタートアップカルチャーについて教えられました。1997-1998年の頃ですから、ドットコムバブル絶頂期の時です。そういったのを聞いていて、面白いと思いました。

日本で最初の就職、アメリカで最初の起業

大学卒業後に日本に行ったのは、日本で一人暮らしをしてみたかったから。それまで一人で住んだことがなく、こちらで育った子供から見ると「日本は楽しいところ」という憧れがあります。

でも、1-2週間旅行に行くのと、実際に住んでみるのとでは違いますよね。2-3年してアメリカに戻ろうかなと考えていた時、前述の大学時代のルームメートから「自分が立ち上げメンバーの一人になった会社がエンジニアを探している。シリコンバレーに来ないか」と声がかかったのです。友人と一緒に働けるのは面白いと思ったので、二つ返事でOKしました。2005年のことです。

友人が立ち上げメンバーとなっていた会社は、ブラウザにプラグインをインストールさせ、そのプラグインを使って何かをさせるという技術を開発していた会社でした。そして、とにかくユーザを集めるため、元ルームメートと僕が、「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を使って口コミを使えば、効率的にどんどんユーザを集めることができる」と提案しました。

でも、そんな方法は誰も言ってなかった時代だったので、創業者の理解を得られなかった。それならそういったことが本当にできると証明してやろうと、その後で起業する『Rock You』 の前身のようなものを作ったのです。当時Myspaceが一番大きなSNSでしたので、そこで口コミでユーザを集めて証明したのですね。そして創業者に見せたのですが、結局そちらの方向には行かないことが決まったので、それならこれを会社にしようと決めて、2006年に『Rock You』 として立ち上げたのです。『Rock You 』の立ち上げを通じて、シリコンバレーらしい典型的なスタートアップのやり方を肌で感じたことはとても大きな意味がありました。

典型的なスタートアップとは「短期決戦で市場制圧」

スモールビジネスはまず利益が出るよう会社を成長させますが、投資家がついている典型的なスタートアップは「利益は後からついてくるから、まずは市場をいかに制圧するか。さらに言えば、市場がない場合は市場をいかに早く作り上げて、いかに早く制圧するか」という考えにもとづいています。なので、最初は収益よりも成長を優先させ、人をたくさん雇い、多額の投資をし、ユーザをたくさん集める、そういったことを短期間に成し遂げようとします。スモールビジネスとは経営の考え方やアプローチがまったく異なるのです。

シアトルとシリコンバレーを比べると、シリコンバレーでは人材の流動性がシアトルよりも激しいですね。同じ会社に2年以上いたら「結構長いね」と言われるほどなので、いろいろな会社のノウハウがすぐに他の会社にも行き渡る。例えば、グーグルで働いていた人がそこで思いついたアイデアを使って起業したり、スタートアップにグーグル流の経営の仕方を注入していくというように、成功した企業やスタートアップのベストプラクティスが他の会社に広がっていくのは面白いと思いますね。

メルカリの成長の理由、経営とマーケティングの戦略

当時シリコンバレーで急成長していた企業の日本人創業者は珍しかったので、共通の知り合いを通じて、山田進太郎さんから声をかけてくれました。

そこでよく聞かれるのは、「なぜメルカリはそんなに急成長できたのですか」ということです。その理由の一つは、3人の創業者全員がそれぞれ2回目、3回目の起業で、経験値が高かったことだと思います。以前の起業から、「こうするとまずいことが起きる」「こういったところに問題が出てくるかもしれない」と、事前にわかっていた部分があります。

メルカリを日本でローンチした2013年当時、似たようなアプリはたくさんありました。「メルカリのほうが使いやすい」「ユーザインターフェース(UI)がわかりやすい」「アプリがクラッシュせずに安定している」ということはあったと思いますが、基本的に誰でも物を売り買いできるということではどこも同じでした。
後発のメルカリと他社との大きな違いは、他社は大手テック企業の子会社としてやっていたとか、サイドプロジェクトとしてやっていたとか、独立したスタートアップがやっていても急成長ではなく収益性を重視していたとか、そういうところでした。そこに「100%このプロダクトに賭けています」「当面の収益性は度外視し、市場を取ることにフォーカスしています」というメルカリがやって来たのです。

例えば、メルカリはローンチから一年もしないうちにテレビ広告をやりました。それも、「市場を制圧するにはどうしたらいいか。一気に広告を打って勝負しよう。それならテレビ広告をやろう。それには何億円がかかる。それなら資金調達しよう」。そんなふうに逆算して何をすべきか決めていきました。そしてVCから資金を調達し、その大半をテレビ広告につぎ込み、それがうまくいって急成長を実現したのです。収益性を優先する考え方をしていたら、そういうことはしなかったでしょう。

メルカリのアメリカ進出「アメリカのスタートアップとして」 

メルカリは創業当初からグローバルでやっていこうとしている会社です。「グローバルになるには最大の市場であるアメリカに行くべきで、その時は亮がCEOになることにしよう」と、決めてありました。それが私がメルカリでやっていこうと決めた理由の一つでもあります。なので、「なぜアメリカなのだ」「なぜグローバルなのだ」という問いの答えは、それがこの会社の存在理由だからということになります。

そして、アメリカ進出においてまず決めていたのは、「アメリカのスタートアップとしてやっていく」ということです。日本のスタートアップの子会社ではなく、「あくまでもアメリカのスタートアップなんだぞ」という考え方です。

なぜかというと、アメリカで成功するためにはその市場をわかっている現地の優秀な人たちをたくさん採用し、どんどんまかせていくのが正解だと思っているから。日本で採用した人材をアメリカに連れてくるとなると、「アメリカの会社は日本の子会社で、決定権はすべて日本の親会社にあります」「いちおう現地でいろいろ決めることはできるけれども、ビジネスのやり方や慣習が日本的」となり、さらに、日本とのバランスを考えて決めた報酬では、アメリカで優秀な人材を雇うことはできません。なので、日本のことはそこまで考慮せず、「アメリカのスタートアップだったらどうするか」ということを考えて進めました。
手前味噌ですが、メルカリがすばらしかったと思うのは、「とにかくメルカリという会社はアメリカファーストの会社なのです」ということを経営陣が打ち出して、社員にも伝え、コンセンサスを取ることができたことです。ユーザ数も売り上げも日本のほうが圧倒的に多く、日本はかなり急成長していました。なので普通に考えれば日本にもっと投資をしたほうが費用対効果がいいはずです。「でも、メルカリは日本で成功したいという会社ではなく、グローバルで成功したい会社なのだ。それならITの本場アメリカで勝つ必要がある。なので、日本でうまくいっているが、日本よりアメリカで成功することを優先する」というメッセージを打ち出して、実際に当時のエンジニアのリソースの8割をアメリカに向けるということを実行しました。

アメリカに来て5年でそれなりの規模になってきてはいますが、まだまだ知名度は低いですし、ユーザも日本のように多くはありません。アメリカの方はまだまだ勝ちパターンが見えておらず、まだまだこれからですね。

アメリカでの会社の成長のために、自分の能力を見極める

メルカリUS では2018年秋までCEOとしてフルタイム勤務し、それ以降は2019年はじめまで在籍していましたが、今はまったく関わっていません。アメリカももうすでにある程度のステージまで成長したので、自分の役目は終わったなと思ったからです。

僕が楽しいと思うのは、スタートアップとして自分たちですべて考えてゼロからサービスや組織から作り上げ、社員数100人とか200人までの、社員がどういう人かわかっているぐらいの規模まで。それ以上に発展させるとなると求められる能力が違いますし、やらなくてはならないことが変わり、自分が面白いと思うことでもなく、また、自分にはそれに見合った能力はないと思っています。僕の後任にはとても優秀な人物(John Lagerling氏)が就任してくれたので安心です。

さらにもう一つ言うと、僕にシリコンバレーで会社を立ち上げた経験があったとはいえ、やはりメルカリUSにおいては「日本から来た、権限を持った人」だったので、本当にアメリカのスタートアップとしてやるのであれば、現地の人がCEOとして入るのがいいと最初から思っていました。立ち上げの時点では日本の共同創業者の一人である自分がアメリカで事業をまわす方が、日本にお伺いを立てなくても現地でどんどん進めていけるという利点がありましたが、ある程度の大きさになると、日本を考慮する必要もなくなってきます。アメリカでも人材が揃い、アプリとしてはそれぞれ別のものなので、本社から権限を持ってきている人がやっていく必要がなくなり、現地だけで決めていくことができます。

不確実性の高い社会で、必要とされる人材とは

今、社会全体が不確実性の高い状態になっています。テクノロジーの変化など、いろいろな社会的な要素が混ざって、できることがたくさん増えてきて選択肢が増えてきているので、何をやるべきか不透明になっています。昔、日本の製造業が海外に進出していった1960-1970年代は勝ちパターンがありました。でも今は、いろいろなところにおいて成功パターン、勝ちパターンがわからなくなってきています。それは今うまくいっていない日本の大企業のようなところでもそうですし、今アメリカで成功している大企業でもそう。「これをやれば成功する」とわかっている気になっているかもしれませんが、実際のところはわかっていないと思います。

日本においてもアメリカにおいても、成功するために必要とされる人材に違いはないでしょうね。不確実な状況や変化に対応できる人が必要ですが、今後はこれが問題だと見抜く力、その問題をどう解決すればいいかを考えつく力、そして考えついた解決策を実行に移せる力、その3つすべてを持つ人材がますます必要だと思うのです。そのうちどれかがあるという人はたくさんいます。でも、その3つがすべてできる人はなかなかいません。

そんな人材になるための明確な方法はありませんが、僕自身は、いろいろな失敗を経験すればいいと思っています。好きなことにチャレンジする、当然それはいいことではあるんです。でも、人がアクションを起こさない理由を考えると、「失敗したらどうしよう」「うまくいかなかったら今よりも悪いことになってしまうかもしれない」という負の環境がチャレンジすることを押しとどめていることがすごく多い。では、どうすればそんな負の環境を乗り越えてチャレンジできるようになるか。それには、いろいろ失敗をして、それを乗り越えていく経験が必要だと思うのです。失敗に慣れていくと、この失敗を乗り越えた自分はすごいと思えるようになってくることもあります(笑)。

海外進出は本気で。片手間では成功しない。

でも、海外への進出は本気でやらないといけないということを知ってもらいたいですね。本業は日本にあって、将来の布石のためにとりあえずやっておくという片手間感のある進出は結構見てきましたが、それでは何をやればその片手間にやっている事業が成功と言えるのかが見えません。

メルカリは日本での事業が潰れてもいいからアメリカで成功したいということで、8割のリソースをアメリカにつぎ込みました。極端かもしれませんが、そのぐらいの意気込みでやらなければアメリカ、海外での成功は難しいと思います。

会社として本気でやる。で、その本気でやっているというのを、本社の経営陣が明確に打ち出す。そうでないと結局、本社と海外の現場で軋轢が起こってしまいます。なので、本社のほうから今重要なのはこの新規事業海外事業なのです、だからそちらにリソースをまわします、うちはそういう会社なのですと言い切ってしまうことが重要ですね。

日本国外で勉強すること・働くことを「普通のこと」にしたい

バイアスがかかっているとは思うのですが、中学生の時からアメリカのすばらしい教育システムを経験し、その後のキャリアにおいてもその経験が大きな影響を及ぼしたことも考えてみると、それを多くの人に体験してもらいたいという思いがあります。それには自分が何ができるか?それはまだ考えているところです。

日本は観光するにはいい国だと思います。でも、正直言って、日本は今後どんどん衰退していくでしょう。人口が減り、市場が縮小していく。海外に打って出る産業も育たない。日本の物価は、アメリカとだけではなく、世界的に先進国といわれる国と比べて低いですよね。10年、20年昔であれば、日本から東南アジアへ行くと物価が低いと感じていましたし、日本にいるほうが稼げる状態でした。でも、今はそこまで違いがありません。それは日本の経済が成長していないからですが、これからさらに悪くなる可能性がある。だから日本だけに頼ることは、今後の人材育成やキャリアにおいてリスクが高いと思います。

なので、子供のころから日本国外に出て、アメリカに限らず、外の世界がどういうものか経験を通して知り、キャリアを築いていく段階で日本にいなくてはならないという無意識の呪縛を断ち切ってもらいたいと思っています。まず、「海外に行く」というアイデアがその人の中に生まれないと、個別の問題を解決しようと動くこともないですよね。なので、私としては、まずは留学するとか、海外で働くことは普通のことなんだということを、もっと広めることができたらと思います。

今後もスタートアップのエコシステムに関わっていたいですし、何か自分にできることがあるのであれば、これまでの経験をいかして企業に出資したりもしたいと考えています。日米にまたがって起業した経験がある人はあまり多くないので、日本からアメリカに進出したいと考えているスタートアップを応援したいですし、必要とされればノウハウや経験をシェアしていきたいと思っています。

聞き手:オオノタクミ

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ