食べ物は自分のルーツと今の暮らし、そしてコミュニティをつないでくれる。國宗剛志(くにむね・たけし)さんはそんな実感を胸に、アジアのいろいろな味や文化が自然に交わる場所『Mixed Pantry』を創業しました。日本の食品はもちろん、東南アジアやヨーロッパのお菓子やベーキング用品まで、すべての商品がアジア人によって作られたもの。そういった商品をハイライトした家族の食卓の “リアル” に沿って選んでいます。試して、好きになってから買える。そんな体験をベルタウンで日々届けている國宗さんにお話を伺いました。
立ち上げのきっかけ
コロナ禍で影響を受け、閉店が続いて寂しくなった地域を盛り上げようと、シアトル市が始めたスモールビジネス支援プログラム『Seattle Restored』に、ご近所さんと一緒に参加したのがきっかけです。その時はグローサリー兼フードストアのポップアップをやりました。
長期契約をする必要はなかったので、輸入商品中心でやってみたり、イベントにフォーカスしたり、スナックに振ってみたり、8〜9か月いろいろ試せました。その結果、月次のデータを見ると、「大儲けはしないけれど、成立はする」ということがわかったのです。怖さはありましたが、「楽しい」という感覚が勝って起業しました。
「Mixed」の意味

僕は日本人で、妻はクロアチア系やドイツ、アイルランドのルーツが混ざっているアメリカの白人。なので、子どもたちはミックス(ハーフ)です。そんなふうに、自分の家族のあり方そのものがミックスなので、食卓もそんな感じになりがちです。
でも、大型スーパーではアジア食がインターナショナルやエスニックの棚に分けて置かれがちですよね。スペシャルティフードはオリーブオイルやヨーロッパもの中心になり、アジア系クラフトブランドの居場所がない。さらに、大手ではスケールの壁があって、小さなブランドは入れないし、直販はお客さんの送料負担が大きい。
そこで、実際の商品を試食してもらいながら、お客さんが新しい味を発見したり、同じ好みの人たちと出会える場を自分で作ろうと思いました。
そんなわけで、『Mixed Pantry』では、日本のものが多いけれど、タイ、フィリピン、カンボジアなどの品や、アジア人が作っているヨーロッパのお菓子やベーキング用品も置いています。アジアの食をインターナショナルやエスニックに押し込めない世界を目指しています。
食とアイデンティティの原体験

高校卒業後にアメリカのオクラホマ州に留学した時、英語が話せず、友だちもいなくて、車もなくて、本当に辛かったです。もちろん、日本食もなく、寮の食事もあまり口に合わず、おかげで体重が40キロ台まで落ちました。
そんな時、祖母が日本から食べ物を送ってくれたのです。ラーメンとか、簡単に食べられるものでしたが、それを食べた時、「ここに来たことを後悔するわけではないけれど、日本の食べ物を食べて、自分の家や国、ルーツとつながれることがあるんだ」と初めて実感しました。
振り返ってみると、その影響はとても大きかったと思います。父が獣医なので、僕もアメリカに獣医になるための勉強をしに来たのですが、オレゴン州立大学に編入した時、食品科学の学部に転向して、ビールやホップの苦味、泡の研究をしました。センサリーラボでポテトサラダや卵の食べ比べなどの評価も経験した時は、育て方や飼料の配合で風味が変わるのが面白くてたまらなかったですね。
卒業後はオレゴン州のブルワリーに就職し、そこで製造の流れを深く理解するうちに、「商品がどのように企画され、世に出ていくのか」という仕組みに興味を持ち、ポートランド州立大学にて食品分野にフォーカスしたMBAを取得しました。
卒業後はカリフォルニアに移り、冷凍食品関連の仕事に就きました。食品の製造・品質管理・マーケティングといっ冷凍食品関連の仕事をしましたが、この頃には、自分がずっと“食の現場”に関わってきたことを実感していました。
僕は食べることが大好きで、祖父母の家で一緒にごはんを食べるのが何より楽しかった。子どものころは引越しが多くて、小学校も3つの学校に通いました。お金もなく、古着ばかりで笑われることもあったけれど、そういう時でも食べることだけは楽しみだった。だから「食べること」は、どんな時も人の生活の中心にあるものだと強く感じています。
人はどんな時も食べて生きていかないといけない。だからこそ、食べ物がどうやって自分たちの食卓に届くのか――それをずっと知りたかったんです。
テック業界での10年
その後、僕はシリコンバレーで約10年間、リリースエンジニアリングやオペレーションに関わっていました。きっかけは、2011年の東日本大震災。高校時代の友だちとソーシャルメディア(SNS)で再びつながったことに感動し、「人と人をつなぐ力」に惹かれて転職を決めました。僕は昔から人のつながりに興味があり、その会社はそれを実現できる場所だと思ったんです。
食品業界からテックというと遠い世界のようですが、僕にとっては「プロダクトを作って世に出す」という点でまったく同じだと感じました。物理的な商品であろうが、デジタルなプロダクトであろうが、プロセスのマネジメントは同じです。
けれども、長く働くうちにストレスも大きく、価値観も変わりました。そして、SNSが若い世代に与える影響などを目の当たりにし、「このままでは自分はここにいられない」と。
さらに、子どもができてからは特に、何をして生きたいかを考えるようになりました。僕はお金持ちではないし、派手に稼ぎたいわけでもない。やはり、食とコミュニティの現場に戻って、自分の手で人と人をつなげたい、子どもたちに誇れる仕事をしたいと思ったのです。
「試してから買う」センサリー体験

スーパーマーケットに行くと、だいたい買うものは決まっていますよね。いつもの商品を買えるのはとても良いことです。でも、実はもっといいもの、好みに合うものがあるかもしれません。チリペーストひとつでも産地や製法で風味は違います。
そこで、Mixed Pantryでは、まず味わってから好きなら買う仕組みを作りました。センサリーの知見を生かして、比較しながら世界が広がる買い物体験を作り出しているのです。
AAPIコミュニティをつなぐ

シアトルのAAPI(アジア系アメリカ人&太平洋諸島系アメリカ人)コミュニティは、地理的にも文化的にも少し断片化しているように感じます。
日本人や日系アメリカ人が「模範的少数派」(model minority)と見られがちな中で、僕はそこに安住せず、ベトナム系、タイ系、中華系など、それぞれの歴史や背景に敬意を持ちながら並走したいと思っています。アジア系の中にも差別やステレオタイプがありますが、同じAAPIとしてつながり直したい。日本人も、もっとオープンに他のアジア系と連帯していくべきだと思います。
そこで、2週間おきくらいでイベントを行い、アーティスト、クラフト、CPGブランド、DJなど多様な表現が交わる場を作っています。体力的に大変ですが、ボランティアの皆さんに助けられながら続けています。
今後の展開
ベルタウンは、シアトル市内でも治安の課題がよく指摘されますが、昔からの住民や小さなビジネスが息づく、キャラクターのあるエリアです。設計された街にはない、コミュニティが積み重ねてきた歴史があるんですね。だからこそ、この場所で、食を通じて文化的アイデンティティを探求し続けていきたいです。
アジアの食べ物に関する偏見は、最高の味と品質の体験で上書きできると思っています。最高においしいものを探して、混ざり合うアイデンティティが当たり前に尊重される未来を、子どもたちのために作りたい。
『Mixed Pantry』は、そのための小さな拠点であり続けます。コラボも大歓迎。いろいろな人が集まってワイワイしながら、それぞれの文化を尊重できる場を育てていきます。
國宗剛志(くにむね・たけし)さん略歴
日本生まれ。高校卒業後に単身でオクラホマ州へ留学し、異国での生活を通じて「食が人と人、そしてルーツをつなぐ力」を実感する。オレゴン州立大学で食品科学を専攻し、ビールやホップの研究やセンサリーラボでの官能評価に携わる。卒業後はオレゴン州のブルワリーに勤務した後、ポートランド州立大学で食品分野に特化したMBAを取得。カリフォルニア州で冷凍食品関連の仕事に従事したのち、シリコンバレーので約10年間、リリースエンジニアリングとオペレーションの分野に携わる。そして2023年、「人と人を食でつなぐ場所をつくりたい」という思いから、シアトル・ベルタウンにアジア系スペシャルティフードストア Mixed Pantry(ミクスドパントリー) を創業。現在はアジア・アメリカンコミュニティをつなぐ文化的拠点として、食とアイデンティティの探求を続けている。
公式サイト:https://mixedpantry.market/
公式インスタグラム:@mixed.pantry

