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「開業の地シアトルで面白いことをしたい」 ベーカリー『スイート』経営 渡辺匡太さん

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渡辺匡太さん

1913年にシアトルで創業し、現在は長野県松本市に基盤を置くベーカリー 『スイート(Sweet、スヰト)』 の4代目として、1972年同市に生まれる。中学校までを松本で過ごしたのち、高校は神戸のインターナショナルスクールに進学。大学時代に渡米し、ニューヨーク州のコーネル大学でホテル経営学を専攻する。卒業後、ニュージャージー州ショートヒルズのヒルトンホテルに就職。1998年に日本に帰国し、スヰトに入社。2003年より同社社長。現在、長野県内に5店舗を構える。2013年に創業100周年を迎えたことを機に、シアトルの地で再びビジネスを展開するためのプロジェクトが進行中。

【公式サイト】sweet-bakery.co.jp

高校でインターナショナル・スクールへ

長野県内に5店舗を構える 『スイート(スヰト)』 は、老舗のベーカリーだ。創業者は、松本市で菓子店の次男坊として生まれ、1906年に移民の一人としてシアトルに渡った渡辺宗七郎さん。1913年、シアトル市内にオープンした和菓子店 『開運堂』 が、スイートの1号店となった。1924年に日本へ帰国した宗七郎さんは、松本市内に洋菓子店 『開運スヰト』 を開業。そして現在、同店を切り盛りするのが、4代目社長の渡辺匡太さんだ。

渡辺匡太さん

シアトルで 『開運堂』 が創業した1913年当時の写真。
一番左が創業者の宗七郎さん

渡辺匡太さん

創業者の宗七郎さんが帰国後、
1924年に松本市縄手通りにオープンした本店

子どものころから、パンや洋菓子は身近な存在でした。週末に、朝食のパンケーキを焼きたいと自分から買って出た記憶があります。一方で、すごくやんちゃな子どもでもあったようです。幼稚園の卒園式で、園児が一人一言ずつあいさつをしたのですが、僕のせりふは「ケンカばかりしてごめんなさい」になっていた(笑)。店を継がなければというプレッシャーは感じたことがなく、自由にのびのびと育ちました。

母は、ロサンゼルス出身の日系アメリカ人です。父は、若いころに研修でアメリカに4か月滞在したことがあり、その帰りの船で母と出会ったそうです。父がアメリカの大学にあこがれていたこともあって、僕と姉は中学卒業後、親元を離れて神戸のインターナショナル・スクールに進学しました。いろいろな国籍の生徒たちがいて、共通語は英語。もともと、家で母の話す英語を聞くことには慣れていましたが、最初のうちは話す方で苦労しました。僕はスポーツが大好きだったので、シーズンごとにサッカー、バスケットボール、野球といろいろな部活に参加しました。そこで仲のいい友人がたくさんできて、勉強を教えてもらったりもしましたね。

経営の基礎を学んだヒルトン時代

高校卒業後の進学先は、アメリカと決めていた。サービス業やホスピタリティについて専門的に学びたいと考え、名門コーネル大学のホテル経営学部に入学。この時にはすでに、「いつかは日本に帰って店を継ぐかもしれない」と意識していたそうだ。

渡辺匡太さん

現在も縄手本店に飾られているランプは、シアトルの店から持ち帰ったもの

コーネル大学のホテル経営学部は、大学の敷地内にもホテルがあって、学生たちが運営に携わります。フロントやレストランでの業務を行うほか、マネジメント部門の会議に出席してアイデアを出すこともありました。ホスピタリティの基礎を実地で学べたのは、いい経験でしたね。ただ、実は、大学時代もスポーツの方に夢中になっていたんです(笑)。だから、本当の意味でサービス業について学んだのは、卒業後、ヒルトンホテルに就職してからです。マネジメント研修プログラムというものがあり、これに参加する形で、いろいろな部門のアシスタント・マネジャーの仕事を経験しました。

最初に配属されたのは、レストランのキッチンです。研修プログラムにはもともとなかったのですが、僕が強く希望して実現しました。レストランのマネジメントをすることになっても、キッチンの現場を何も知らなければ、スタッフを引っ張っていくことができないのではないかと思ったからです。実際、料理を作る側の気持ちや、作ることの大変さを学んでみて、その考えは間違っていなかったと思いました。スイートの社長になった今でも、毎日、厨房に入ってパンを焼いています。僕は「現場主義」なんですね。先代である父親は直接製造に携わるスタイルではなく、そのために苦労した姿も見ていたので、それを反面教師にしたところもあるかもしれません。

キッチンの後は、レストラン、バンケットホールなどのマネジメントを経験しました。アメリカ社会を凝縮するかのように多様性にあふれたホテルのスタッフとかかわる中で、人と仕事をすることの難しさを何度も実感しました。例えば、ファインダイニングのレストランで、お客からのチップをスタッフが個別に受け取るか、店全体でプールした上で皆に配分するかが議題に上ったことがありました。チームワークを大切にするために後者を採用しましたが、一部のスタッフからは、「たくさん仕事をした人とそうでない人のチップが同じであるのはおかしい」というクレームも出ました。経営というのは、結局、こうした小さな問題一つ一つの積み重ねだと思うんです。ヒルトンでの仕事を通じて、問題が起きたときにどう解決するかのトレーニングができたのは、とても大きかったですね。

スタッフに仕えるリーダーでありたい

そんな中、当時、スイートの社長を務めていた祖父・聡一郎さんが元気がなくなってきていると聞かされ、匡太さんは日本に戻ることを決意する。1998年に帰国後、スイートに入社。祖父が亡くなるまでの1年間、祖父・父・匡太さんの3代で一緒に働けたことは、いい思い出だ。匡太さんは2001年に副社長、2003年に社長に就任し、現在は5店舗を切り盛りする。

渡辺匡太さん

毎朝6時から厨房に入り、パンを焼く匡太さん。何も考えず作業に集中するうちに、心が穏やかになる

僕が社長になって、経営スタイルを変えた部分もあります。例えば、以前は学校給食や結婚式場などへの卸しが売り上げ全体の半分以上を占めていました。ただ、これだと、競合他社が出てきたときに価格を下げられてしまう可能性がある。卸しは価格が変動しやすいんです。僕としても商品を直接お客さんに届けたいという気持ちが強かったので、卸しは大幅に縮小し、現在は小売りを98パーセントにまで拡大しています。

家族経営の老舗ですから、ワンマン経営に陥りやすい面もあったと思います。でも、僕はスタッフに仕えるサーバント・リーダーでありたい。どうすれば店を良くすることができるかについて、正社員かパートタイマーかにかかわらず、スタッフ全員に自分の頭で考えてほしいんです。そのための取り組みの一つが、「おもてなし課」です。1年任期で各店舗から1~2名のパートさんたちに参加してもらい、毎月1回、ミーティングを開きます。どうすればおもてなしの質を高めることができるかを皆に考えてもらい、アイデアを出し合ってもらうことがねらいです。スイートでは、仕事への心構えや接客マニュアルなどをまとめた「おもてなし手帳」をスタッフ全員に配布しているのですが、これも、おもてなし課で出されたアイデアが形になったものです。

ヒルトン時代にも感じたように、人とかかわること、人を育てることは難しい。だからこそ、まずは経営者である僕自身が、スタッフ一人一人を家族のように感じて「おもてなし」するべきなのだと考えています。できるだけ現場に出て、スタッフに声を掛け、気になることがあれば個別に面談を行うようにしています。それから、お店やスタッフに対してアウトプットを行うためには、インプットも大事。ホスピタリティや経営にかかわる本を積極的に読み、特に心を打たれたものは、おもてなし課のメンバーにもプレゼントすることでシェアしています。

渡辺匡太さん

地元・松本市ではコミュニティ活動にも精力的に取り組む。
写真は年に数回開催している「親子パン教室」

シアトルと松本をつなげたい

2013年には、創業100年を記念して、匡太さん自身も何度かシアトルを訪れた。シアトルの街を知り、人々とふれ合う中で、次第に「開業の地シアトルで何かやりたい」という思いが膨らんでいったという。

渡辺匡太さん

(左写真)2013年の渡米時には、シアトルからも多数の日系人が収容された
マンザナー強制収容所跡も訪れた
(右写真)プライベートでは二女二男の父。
オフの日には家族で安曇野の自然を満喫している

シアトルで当時の様子を知る日系人の方々にお話を伺いながら、スイートの足跡をたどることができたのは、うれしかったですね。例えば、インターナショナル・ディストリクトにある Panama Hotelは、もともと日本からの移民のために建てられたホテルで、今でも館内に日系コミュニティの歴史を展示しています。当時の地図には、スイートの名前もありました。ワシントン大学の図書館でも、100年前の新聞広告に 『開運堂』 の文字を見つけました。それから、パイオニア・スクエアにある 『Good Bar』 というバーは、曾祖⽗が設⽴に携わった⽇本商業銀⾏の建物をリノベーションした店で、店内には今でも金庫が残っているんですよ。シアトルは、日本人とつながりの深い歴史を持ちながら、アマゾンやマイクロソフトのような最先端のIT企業もあって、面白い街ですね。

もちろん、シアトルのベーカリーも訪れましたよ。知人に「シアトルで一番のベーカリーはどこ?」と尋ねたら、『Bakery Nouveau』 だと教えてもらったんです。そこで、僕が直接店を訪ねていって、オーナーと話をするうちに仲良くなった。滞在中にクロワッサンの作り方も教えてもらって、帰国後、それをスイートのクロワッサンのレシピに反映させてもらいました。

渡辺匡太さん

『Bakery Noveau』 のオーナー、ウィリアム・リーマン氏と

100周年を記念して、スイートが再びシアトルの地に戻るのも面白いなと思っています。すでに現地法人は設立しているので、今は具体的にどう展開するべきかを考えているところです。東京よりもずっと遠いシアトルでビジネスをするというのは、単純に考えてリスクの方が大きい。ですから、事業を拡大したい、収益を上げたいというよりも、松本とシアトルをつなげるような面白いことができればという気持ちです。シアトルの人が松本に、松本の人がシアトルに行って、互いの地で研修するのもいい。人的交流、文化的交流を深めながら、いいパンを作り、ホスピタリティの質も高めていけたら最高ですね。

渡辺匡太さん

全国のベーカリーとも積極的に横のつながりを作るようにしている。
写真は年1回、泊まりがけで行われるパン職人の交流イベント
「キャンプブレッド」での一コマ

掲載:2016年9月 取材・文:いしもと あやこ 写真提供:渡辺さん



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