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第4回:ピンチはチャンス!銭湯ツアーレギュラー化なるか?!

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パナマ・ホテル

パナマ・ホテル

日本人建築家・小笹三郎氏が設計を手掛けたホテル。1910年8月、日本から出稼ぎのため単身渡米した男性向け長期宿泊施設としてオープン。第二次世界大戦時に強制収容された日系アメリカ人の家財道具などを地下で保管し、ホテル1階に開店したカフェ『パナマ・ホテル・ティー&コーヒー』の床のガラス越しに、戦後になっても引き取り手が現れなかった荷物を見ることができる。パナマ・ホテルと日系人の強制収容を描いたジェイミー・フォードの小説『Hotel on the Corner of Bitter and Sweet(邦題:あの日パナマ・ホテルで)』(2009年出版)が、2010年にニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト入りし、その存在が米国で広く知られるようになった。2006年、米国史跡認定。2015年、米国国宝認定。2020年、日本政府より「令和二年度外務大臣表彰」受賞。

働き始めて約4カ月が経ったとき、新しいスタッフが採用され、私がカフェで働く時間が減ってしまいました。

仕事に大分慣れた頃だったこともあり、カフェに関わる機会が減って落ち込んでいましたが、かえってそれが良い機会となり、パナマ・ホテルの地下銭湯ツアーを本格的に復活させ、定期化するためのプランを練る時間に充てることにしました。

もともとパナマ・ホテルで働きたいと思った理由は、この場所をもっと魅力的にして、しっかりプロモーションを行い、現在もホテルとして稼働する「生きる博物館」として多くの方々に来てほしい、特に日本にいる人に知ってほしいと思ったからです。

その目標に向けていろいろ変えていこうと、最初の2~3ヵ月は、カフェで働きながらどんな課題があるのかを洗い出す期間としました。

でも、そこで最大の危機が訪れました!

改善した方がいいと思った点をマネジャーに伝えたところ怒らせてしまったのです・・・。

当時の私は、アメリカ人のコミュニケーションのポイントを誤解していて、伝えたいことをかなりストレートに伝えてしまいました。なるほど、10年以上働いてきた人に、働き始めて間もない人が、内情や彼が苦労してきたことも知らずに改善点を挙げたりすれば、腹が立つのも当たり前です。

後から、伝えるべきことはしっかり伝えてるとしても、やはり相手の感情にも配慮しながら伝えるべきだと気づきました。これは、アメリカだけでなく、たいていの国で共通することなのかもしれません。

そのツアーで得られた収益をホテルの保存維持の費用として充当したかったので、マネジャーともいろいろアイデアを出し合いました。日本語ツアーも新しく始めるべく、ジャンだけでなく私もツアコンになるために、ホテルや地下の銭湯の歴史について勉強したり、魅力的に説明する練習もしました。

ジャンの意向もあり、結局実現させることはできませんでしたが、この経験が後に姉と友人たちの協力を得て完成したパナマ・ホテルの公式ブックレットへと繋がったのでした。

(第5回へ続く)

文:疋田 弓莉(ひきた・ゆり)

東京出身。幼い頃から北米で生活してみたいという夢を抱く。日本で鉄道会社に勤務後、2018年から2020年の約2年間にわたり留学生としてシアトルに滞在。パナマ・ホテルと運命的な出逢いを果たし、1年にわたりOPTでパナマ・ホテル・ティー&コーヒーで働く。日本帰国後、東京のPR会社に就職。

掲載:2021年4月



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