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第1回 シアトルの歴史的な看板と歴史を感じさせる看板

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筆者プロフィール:松原 博(まつばら・ひろし)
GM STUDIO INC.主宰。東京理科大学理工学部建築科、カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築大学院卒。清水建設設計本部、リチャード・マイヤー設計事務所、ジンマー・ガンスル・フラスカ設計事務所を経て、2000年8月から GM STUDIO INC. の共同経営者として活動を開始。主なサービスは、住宅の新・改築及び商業空間の設計、インテリア・デザイン。2000年4月の 『ぶらぼおな人』 もご覧ください。

MERCHANTS CAFE

写真1: MERCHANTS CAFE

1996年にロサンゼルスから引越してきて以来13年。東京という10年おきに古い建物が壊され新しい建物がたち街並みがかわってしまう街で生まれ育った私にとって、シアトルはいたるところに歴史が残っている魅力的な街だ。本業が建築設計ということもあり、シアトルにある歴史的な建物にはかなり注意したり、勉強したりしてきたが、この夏、地元新聞で見たある記事(注1)がきっかけで、街中に何気なくある商業看板が意外にもこの街の魅力の担い手であることに気がついた。

看板業大手であるナショナル・サインの社長ティム・ザンバリン氏によると、シアトルでもっとも古い商業看板はパイオニア・スクエアにあるマーチャンツ・カフェの表看板らしい(写真1)。その看板とは、創業120年の歴史を持つこのレストランの正面一杯にはステンドグラスの天窓と無数の豆電球がついたもの。この看板が19世紀末の暗い街の中で光々と輝いていた様子は、100年以上たった今でも容易に想像できる。

スーパー・グラフィック形式の看板

NP HOTEL

写真3: NP HOTEL

また、ダウンタウンやインターナショナル・ディストリクト周辺を歩いているとよく見かけるのが、建物の横全体、または上部にペンキで描かれたスーパー・グラフィック形式の看板だろう(写真2~5)。これら「ゴースト・サイン」と呼ばれるスーパー・グラフィックは19世紀末期から20世紀初頭にかけて描かれた看板類で、特にインターナショナル・ディストリクトでは歴史的な遺産としてとらえられている。インターナショナル・レビュー・ディストリクト役員のジョン・ビズビー氏によると、この地区協会の規制によって、建物のオーナーはこれらのスーパー・グラフィックを保存することが義務付けられており、変更もしくは解体する場合は地区協会の合意を得なければならないそうだ。

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ネオン・サイン

真空のガラス管の中に低圧の気体を注入し、高い電圧の放電にともなう発光現象を利用したネオン管は、ヨーロッパで19世紀末に発明された。その後開発が進み、1923年にロサンゼルスのパッカード自動車のディーラーの広告看板に使用されたのが米国初のネオンサインと言われている。1920年代当時、「液体状の火」と呼ばれ、見る人々を魅了したネオンサインは、今日でも90年前と同じようにひとつひとつ手作業で製作される。パイオニア・スクエア近くにある「一泊75セント」のネオンサイン(写真6)や、シアトルに住む人なら誰でも知っているパイク・プレース・マーケット入口にある 『PUBLIC MARKET CENTER』(写真7)などは、当時の面影をよく残している(ネオン管の寿命は50~60年であるため、おそらく一部、または全体が修理・改修されている可能性がある)。また、ダウンタウン東側で1926年以来イタリアン・リバイバル様式として親しまれている旧キャムリン・ホテル(現トレンド・ウェスト・リゾート)の屋上には3階建以上の高さの立派なネオンサインが今でも立派にそびえている(写真8)。

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その他のユニークな看板

DICK'S

写真11: DICK’S

今年、紙面がなくなり、オンライン版のみとなってしまったポスト・インテリジェンサー新聞社。オフィスのある建物の屋上に今でもその勇姿を見せる地球儀と社章をあわせた球体看板は1948年に作られたもので、なんと重さ18.5トン、周囲30フィートもある(写真9)。ザンバリン氏によると、シアトルでもっとも高価な看板だそうで、今もし同じ看板を作るとすれば300万ドルはかかるのではないかということだ。シアトル・センター近くで1951年以来活躍しているエレファント・カー・ウォッシュ(写真10)、ウォーリングフォードに1954年にできたディックス・ハンバーガー(写真11)、そして、バラードの東側、1953年からある 『ADD BARDAHL-ADD IT TO YOUR OIL』 と書かれた20フィート以上もあるバーダール・オイル社のネオンサイン(写真12)などは、50年以上たった今でも現役として活躍しながら、1950年代の自動車黄金時代のアメリカを思い起こさせる看板達だ。

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DICK'S

写真13: バラード・アベニュー

これらの歴史的な看板以外に、この街には無数のおもしろい店舗前吊看板がある。その中でバラードにあるバラード・アベニューは最近できた新しい店舗やレストランの吊看板が多く見られる興味深い通りだ(写真13)。この通りの中ほどに他の横文字の看板に混じって日本の伝統看板「やげん彫り看板」を思わせる木製看板を見つけた(写真14)。最近オープンした日本料理のレストラン「もしもし」のこの看板は、日本人にとってはうれしい驚きだ。商業看板は元来お客を店に引き込むことが第一の目的であるが、その看板が街並みに溶け込んだ時、看板達は単なる呼び込み役を超えて、街の付加価値になるようである(写真15~16)。ある時代を後世に伝える役目を果たす歴史的な看板達、また、新しいながらも歴史を感じさせる看板達、それらが街の中で見え隠れする時、その街の魅力がいっそう増すのではないだろうか。

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(注1)Seattle Times: “Ivar’s sign hoisted out of Puget Sound”
シアトル・タイムズ「アイバースの看板、ピュージェット湾から引き上げられる」
1950年半ば、シアトルのシーフード・レストランの老舗、アイバースの社長、ボブ・ダネガン氏は、ウォーターフロントで自身が所有するレストランに将来お客が潜水艦で自由に来店することを想定して、”Ivar’s Chowder. Worth surfacing for. 75¢ a cup.”(アイバーズのチャウダー。浮上する価値あり。一杯75セント。)と書いた高さ7フィート幅22フィートのステンレス製の看板をピュージェット湾の海底数ヵ所に設置したが、そのうちのひとつが今年の夏に引き上げられた。アイバース本社には、海軍に申請した水中看板設計図面と申請書類が残っているくらいだから、ダネガン氏は真剣に潜水艦で移動する未来を信じていたようだ。

掲載: 2009年10月



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