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SUSHI KASHIBA 加柴司郎さん、「日本食普及の親善大使」に就任

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加柴司郎

1966年からシアトルで寿司職人として活躍し続けている加柴司郎さんが農林水産省より「日本食普及の親善大使」に任命されたことを祝う式典とレセプションが、在シアトル日本国総領事公邸で20日に開催されました。

日本食普及の親善大使の任命は2015年に始まったもので、今年任命された日本・アメリカ・中国・オーストラリア・香港・ブラジル・イタリア・ドイツ・アラブ首長国連邦で活躍するシェフ17人は、農林水産省が実施する日本食・食文化の普及事業への協力、自らの活動や出演するメディアでの日本食・食文化に関する情報発信、プロの視点に立って日本料理関係者等への助言などを通じて、国内外への日本食・食文化の普及に協力していきます。

加柴司郎

加柴司郎さん(左)と、2016年度の日本食普及の親善大使に任命された末次毅行さん(右)

挨拶に立った山田洋一郎・在シアトル日本国総領事は、「パシフィック・ノースウエスト(米国の太平洋岸北西部)では、地元の豊かな食材、特に海産物が、日本食レストランや食品加工産業を支えており、日本食はシアトルの食文化の一部となっている」と述べ、約130年前に日本からの移民が移住し、1904年に日本食レストラン 『まねき』が開店し、1966年に加柴さんが日本から移住し、その 『まねき』 でシアトル初の寿司職人として働き始めたという歴史を紹介しました。

また、2013年に和食がユネスコによって無形文化遺産に登録され、世界で独自の発展を遂げていることに触れ、日本食普及の親善大使はシェフとしてのスキルだけでなく、日本食を広げるというコミュニティでの役割があるとして、2016年度にワシントン州初の「日本食普及の親善大使」となり10人のシェフを育成するなどしてきた末次毅行さんの多大な貢献も称えました。

山田総領事から任命状を受け取り、笑顔を見せた加柴さんは、「77年と10ヶ月の人生で最良の日」と挨拶。1966年12月1日に日本からシアトルに到着してすぐに働き始め、地元の旬の食材で作るという江戸前寿司の伝統にならって食材を探した当時を振り返り、「ここには、サーモン、オヒョウ、ダンジネスクラブ、鯛、タラ、ウニ、オイスター、スメルト、甘エビ、イカ、タコ、レーザークラム、マニラクラム、ニシン、アルバコアツナ、海草、マツタケなどがある。私たちはとても幸運」と語りました。

加柴さんがシアトルで初めて出会ったノースウエストを代表する食材は、当時はまったく人気のなかったグイダック(geoduck)。「初めて新鮮なグイダックを見た時はその大きさと新鮮さに驚き、生で食べてみてその味のすばらしさにまた驚きました。寿司と刺身に完璧だと思ったのです」。その後、最初のグイダックの寿司を "とても勇敢なお客様" にお出ししたところ、とても喜んでもらうことができ、彼らの満足気な顔を今でも覚えているそうです。今やその90%が外国に輸出されてしまう高級食材となったグイダックですが、シアトルで食べられ始めたのは加柴さんの寿司が最初だったようです。

加柴司郎

加柴司郎さん(中央)と、加柴さんが一緒に仕事をし、かつて指導したこともある寿司職人たち

「日本の伝統的な食文化は地元の旬の食材を味わうこと。残りの人生を、日本の食文化を皆さんと楽しみながら過ごしたいと思っています」と、加柴さん。「グイダックをはじめとする地元の海産物を知り、シアトルスタイルの江戸前寿司を出すことができて、私はとても幸せでラッキー。そして、次の世代のたくさんの若手の日本人オーナーやシェフやマネジャーが助けてくれます。私たちは今、とてもいい状況にある。アメリカ合衆国で日本食文化を育んでいけるという自信があります」と締めくくり、会場から大きな拍手が沸き起こりました。

加柴司郎

レセプションでは、小林純さん(Shiro’s)、石倉正昭さん(Miyabi Sushi)、北村太一さん(Sushi Kappo Tamura)、汲田航太郎さん(Sushi Wataru)、俵裕和さん(wa’z)、そしてはるばるニューヨークから参加した中澤大祐さん(Sushi Nakazawa)らがずらりと並び、シアトルのシェファリ・ランガナサン副市長やシャロン・トミコ・サントス州下院議員ら約150人の招待客は新鮮な地元の海産物を使った寿司に舌鼓を打ちました。

この催しには、加柴さんと一緒に働いた寿司職人のみならず、シアトル市内近郊の日本食レストランのオーナーシェフやエグゼクティブシェフなど20人以上が出席しました。何代にもわたって住んでいる住民や諸外国から来た人たちが大半を占めるシアトルという街で、日々、日本食を作る彼らも日本の食文化の大使であると言えます。加柴さんを先頭に、外国での独立起業・就職という道を選んだシェフたちの努力と活躍を通して、日本の食文化がますます広がることに期待がかかります。

かしば・しろう/1966年に渡米し、シアトルの和食レストラン 『まねき』 で働き始め、1971年に 『日光』 を開店。同店を売却後、全米的に有名となる寿司の名店 『しろう寿司(Shiro’s)』 を1994年に開店した。2014年4月に惜しまれながら引退するが、多くのファンの声に押され、2015年11月、『Sushi Kashiba』 をオープン。シアトル内外の寿司好きから高い評価を得ている。

掲載:2019年5月



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