広島で2歳のときに被爆し、10年後に白血病を発症して12歳で亡くなった佐々木禎子さんは、回復を願いながら折り鶴を折り続けた少女として世界的に知られています。
シアトルでも、1990年に禎子さんをモデルとした銅像「Sadako Sasaki – Peace Child(ピース・チャイルド)」が制作され、ピース・パークに設置されて以来、平和の象徴として親しまれ、折り鶴が捧げられてきました。しかし2024年7月、ピース・パークに設置されていた像が足首の上から切断され、何者かにより盗まれるという事件が発生し、地域に衝撃が走りました。
この出来事をきっかけに、市民団体が主導する寄付プロジェクトが始まり、新たな禎子像の再建プロジェクトが少しずつ前進しています。とはいえ、必要な資金33万ドルのうち、現在までに集まっているのは約4万5千ドルにとどまっており、プロジェクトの実現にはさらなる募金活動の拡大と、市民の協力が不可欠です。
2025年6月8日にシアトルで開催されたキックオフイベントでは、日系アメリカ人アーティストであるサヤ・モリヤスさんが新しい禎子像のデザインを発表し、今後の寄付活動に向けた説明も行われました。
「ピース・パーク」と禎子像

©︎ CIty of Seattle
ピース・パークは、ワシントン大学のキャンパス近くにあるとても小さなスペースで、公園とはいえベンチもなく、日中は交通量の多い道路に面しています。
この土地はもともと荒れて放置されていましたが、平和活動家として知られるフロイド・シュモー博士が1988年に受賞した「広島平和賞」の賞金を投じ、地域住民とクエーカー教徒たちが数年かけて整備し、1990年8月6日(広島原爆の日)に開園しました。
その中心に設置された禎子像は、右手で折り鶴を掲げ、優しい目をしています。設置以来、折り鶴がほぼ絶えず捧げられてきました。
盗まれた禎子像:平和の象徴に起きた悲劇

2024年7月撮影
2024年7月12日、シアトル・ピースパークに設置されていた佐々木禎子さんの銅像が、足首の上で切断され盗まれているのが発見されました。警察は窃盗の疑いで捜査を進め、地域団体も金属買取業者に連絡するなど、対応に追われました。
背景には、銅の国際価格の高騰による金属盗難の増加があります。シアトルでは、電線やEV車の充電ケーブル、銅像などが盗まれる事件が続発しており、今回の事件もその一環と見られています。
禎子さんの像は2003年にも左腕を切断される被害を受けており、そのときは市民の寄付により修復されました。今回の被害はそれ以来の深刻なものであり、多くの市民から「とても悲しい」「早く戻してほしい」という声が寄せられました。

キックオフイベントの開催:再建に向けた新たな一歩

今回の再建プロジェクトで新しい禎子像を手がけるのは、シアトルを拠点に活動するアーティスト、サヤ・モリヤス(Saya Moriyasu)さん。日本出身の父親と、オレゴン州の農場で育ったアメリカ人の母親を持ち、その文化的背景の交差が創作の原点になっているというモリヤスさんは、セラミック、木、ブロンズ、コンクリート、光などを用い、多様な素材を組み合わせた温かみのある作品が特徴で、アニミズム、アメリカーナ、装飾芸術、神道、ユーモアなどをモチーフに、鑑賞者と感情的なつながりを築くような作品世界を展開しています。
新しい禎子像のデザインは、禎子さんが両腕を広げて飛び立つような姿で、高さは実物大の約137cm。着物と下駄姿で、現在も残っている旧・禎子像の足元部分も活用される予定です。周囲には、広島で被爆しながらも翌年には新芽を出したことで知られるイチョウの葉をかたどった照明、折り鶴を掛けられるフックやベンチも設置され、訪れる人が穏やかな時間を過ごせる空間が構想されています。
資金調達と今後の展開
このプロジェクトは、市や企業ではなく、コミュニティ主導の取り組みです。これまでに約45,000ドルの寄付が集まっていますが、最終的な目標額の33万ドルを募るため、寄付活動が続けられています。
University Friends Meeting が寄付の窓口となっており、PayPalを通じて「SADAKO」と明記のうえ寄付する方法が案内されています。今後はさらに広範な募金活動が予定されており、財団や助成金の申請も進められています。
新しい禎子像の除幕式は、広島原爆の日にあたる2026年8月6日に予定されています。また、地域向けワークショップや説明会も今後開催される予定です。
高校生の募金活動:スミス日菜乃さんの取り組み

(本人提供)
このプロジェクトには、シアトル出身で広島の高校に通う日系アメリカ人の高校生、スミス日菜乃さんも募金活動を行い、貢献しています。今回、メールで日菜乃さんにお話を伺うことができました。
インタビューはQ&A形式で行いましたが、ここでは小見出しを追加し、内容はできるだけそのままに、読みやすく編集しています。
広島で学んだ禎子さんのこと シアトルでの再会
広島に住むようになってから、原爆について学校で勉強したり家族と話をする機会が多くなりました。その中でも、佐々木禎子さんの話は、小学生の私にとって原爆がどんなに恐ろしく、悲しいものであったかということを想像する助けになり、とても印象に残りました。シアトルに住んでいた時は銅像を見たことはあったのですが、当時は原爆の話を聞いておらず、幼かったため何も感じていませんでした。けれども、昨年の夏にシアトルで禎子さんの銅像を見たときは、自分のホームタウンであるシアトルにも広島を象徴するものがあること、そして禎子さんの平和への願いが広島以外の場所でも大切にされているということに、とても感動しました。
像の盗難を知ったときの衝撃と怒り
その後、禎子さんの銅像が切断され盗まれるという事件が発生し、日本とアメリカの両方で大きく報じられました。この事件について知ったとき、私はホームタウンである広島とシアトルをつなぐシンボルとして見ていた禎子さんの銅像が盗まれたことに大きなショックを受け、そのシンボルの片方が失われたような絶望感を感じました。また、平和を願って設置された大切な銅像が切り取られて盗まれるという行為に、強い怒りも覚えました。
新聞部として始めた寄付活動の取り組み
私は学校でニュースレター(新聞部)を発行するチームを自分で立ち上げ、部長を務めています。月に一度、オンラインで学校のニュースやコラム、意見などを掲載しています。新学期が始まった直後の9月号では、シアトルの禎子像が盗まれた事件と、私が学校に募金箱を設置するという告知を掲載しました。その後すぐに募金箱を作って設置しようとしましたが、保安上の理由で長期間置くことができず、思うように活動が進みませんでした。そこで、4月の学園祭の機会を活用しようと準備を始めました。学校の規模が小さいため募金箱だけでは十分な資金が集まらないと思い、オリジナルポストカードの制作やアロマソープの販売(母の趣味)、さらにガレージセール用に物品を集めるなど、工夫を凝らしました。そして、学園祭当日にはブースを設置し、募金箱への寄付とグッズ販売で支援を募りました。

(本人提供)
集まった寄付と心に残った出会い
募金活動では、約18万円の寄付が集まりました。学園祭は一般の方も入場可能だったため、生徒や保護者のほか、多くの来場者から募金をいただくことができました。前日に地元新聞で私たちの活動を取り上げていただいたこともあり、それを見て募金をしに来てくださった方々も多く、非常に感動しました。中でも、佐々木禎子さんの小学校の同級生であり被爆者でもある川野登美子さんという女性が来場され、禎子さんのことについて直接お話をうかがうことができました。被爆者の方々が高齢になっている中、川野さんは原爆の記憶を若い世代に引き継いでいかなくてはならないと強い危機感を持っていると感じました。また、「シュモーに学ぶ会」の代表である西村宏子さんにも募金していただき、シアトルの禎子像建立に尽力したフロイド・シュモー氏についてお話を伺いました。さらに、当日来場できなかったけれど「どうしても募金したい」と申し出てくださった高校生が、学校に直接寄付金を届けてくださったこともありました。その高校生はかつてシアトルに短期留学していたそうで、とても嬉しく思いました。寄付してくださった多くの方からは、「シアトルにも禎子さんの像があったんだね」といった驚きの声や、銅像が盗まれたことに対する怒りの声が多く寄せられました。
平和をつなぐ未来の活動に向けて
今後も、シアトルと広島、あるいは日本とアメリカをつなぐような活動を続けていきたいと考えています。今回の禎子さんの像の再建に向けた募金活動や、広島での平和学習を通して、私にとっての「平和」とは、立場や人種、性別の違いがあっても互いを認め合い、誰もが自分らしくいられる社会であることだと感じました。これからも、人を認め、大切にするというメッセージを伝える活動に取り組んでいきたいです。将来は、大学で心理学を学び、子どもや若者のためのカウンセラーやセラピストになりたいと思っています。