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シアトルのウォーターフロント(Waterfront)

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シアトルのウォーターフロント

シアトルのウォーターフロント

シアトルのウォーターフロントは、ピュージェット湾内の島々を結ぶワシントン州フェリーや、シアトルとカナダのビクトリアを結ぶ高速船ビクトリア・クリッパー、シアトルとアラスカなどを結ぶ大型クルーズ船が発着する、海の玄関口。

主に観光客向けのエリアで、ピア50からピア70まで20の埠頭(ピア)にはギフトショップやレストラン、観覧車、公園、水族館、ホテルが並びます。地震で損傷した高架橋を撤去し、ダウンタウンやベルタウンなど隣接する地域とシームレスにつながるよう再開発が進められており、ピア62に完成した新しい公園ではさまざまなイベントが頻繁に開催されるようになりました。

屋外の彫刻公園や水族館、レストランやショップもずらり

ピア54: レストランやギフトショップ

PhotoSeattle Waterfront©Denise P. Lett
ピア54: レストランやギフトショップ

ピア50~52: ワシントン州フェリー&ウォータータクシー発着所
シアトルとベインブリッジ・アイランド、ブレマートン、キングストンなどを結ぶワシントン州フェリー、ヴァション・アイランドとウエスト・シアトルを結ぶウォータータクシーの発着所です。

ピア54: レストランやギフトショップ
シアトルの名物クラムチャウダーやフィッシュ&チップスが食べられる『Acres of Clams』『Ivar’s Fish Bar』、1899年に開店した名物的な存在の雑貨店『Ye Olde Curiosity Shop』、シアトルの土産物店『Simply Seattle』などがあります。

ピア55: 湾内の遊覧船アゴシー・クルーズ、先住民の芸術・食文化を知るブレイク島州立公園へのティリカム・エクスカーション(ツアー)の発着所、スターバックスなどがあります。

ピア56: シアトルの老舗でオイスターの品揃えが豊富なレストラン『Elliott’s Oyster House』などがあります。

ピア57: 大観覧車 『Seattle Great Wheel』、各種ツアーの発着所、カルーセル(メリーゴーランド)やレストラン、ゲームのアーケードなどが入った『Minors Landing』があります。

ピア58: ウォーターフロントパーク

シアトル水族館

シアトル水族館

ピア59&60: シアトル水族館では、ピュージェット・サウンドに生息する魚やカニが泳ぎまわる大型の水槽と水中ドーム、体長2メートルにもなる大ダコは必見。秋に入って水族館の餌に混ぜていた物質を海に流すときは、その匂いで水族館に戻ってくる鮭がフィッシュ・ラダー(海と水族館の間に設置されている階段のような場所)を通る様子を見ることができます。

ピア62: ウォーターフロントパーク

ピア66: 大型クルーズ船のターミナル、シーフードのレストラン『Anthony’s Pier 66』、カンファレンス・センターがあります。

ピア67: あのビートルズも宿泊して客室から釣り糸を垂れたことで知られる高級ホテル『The Edgewater Hotel』があります。

ピア69: シアトルとカナダのビクトリアを結ぶ高速船ビクトリア・クリッパーの発着所、シアトル港湾局のオフィスがあります。

オリンピック彫刻公園

Photo © Seattle Art Museum
オリンピック彫刻公園

ピア70: シーフードのレストラン『AQUA by El Gaucho』、シアトルの老舗カフェの一つ『Uptown Espresso』などがあります。この北側にはオリンピック彫刻公園があります(無料)。夕方にエリオット湾沿いに作られているトレイル『エリオット・ベイ・トレイル』を歩くと、西のオリンピック山脈に沈む夕日を見ることができます。

ウォーターフロントの海沿いには、ところどころに Historical Point of Interest という表示があります。説明を読むと、「アラスカのゴールド・ラッシュの始まりとなったかの有名な Ton of Gold の積荷が S.S. Portland という船から下ろされた地点」「4万マイルに及ぶ世界一周の旅を行った Great White Fleet が1908年に発着した地点」など、その場所で昔何が起こったのかがわかるようになっています。

先住民の居住地

白人が入植する前まで、現在のシアトル地域には先住民が住み、釣り・潮干狩り・狩猟をして暮らしていました。Historylink.org によると、最初にイギリス海軍のジョージ・バンクーバー船長が海からこの土地を観察したのは1792年5月で、1833年にハドソンズ・ベイ・カンパニーが現在の州都オリンピアの近くに砦を建設し、1841年にアメリカ合衆国海軍のチャールズ・ウィルクス中尉がシアトルの港となる地域を測量しています。

1851年には、南部から北上してきたアーサー・デニー率いる一行が、現在のウエスト・シアトルのアルカイ・ビーチに到達し、翌1952年に現在のパイオニア・スクエアにあたる地域に移住し、最初の白人の入植者となりました。先住民のドゥワミッシュ族の酋長に敬意を表し、村の名前は「シアトル」に決定。しかし、酋長シアトルを含む先住民の多くはアメリカ合衆国との1855年のエリオット条約により近くの先住民居留地に移住させられ、1856年には先住民と入植者の間で短期間の戦争が勃発。この戦争は「インディアン戦争」(Indian War)として記録されています。

開発が続くウォーターフロント

シアトルのウォーターフロント

シアトルのウォーターフロントのピア70の北側

ワシントン州がアメリカ合衆国の42番目の州となった1889年にはシアトルのパイオニア・スクエアでで大火災(Great Fire)が発生しましたが、街の再建が急ピッチで進められたと記録されています。その4年後の1893年、大陸横断鉄道のグレート・ノーザン鉄道がミネソタ州セントポールとワシントン州シアトルを結ぶ線路を完成し、シアトルに初めて鉄道の乗り入れが実現しました。これにより、シアトルは日本・中国・フィリピンとの貿易に重要な位置を占めるようになったほか、アラスカで金が発見されたことで1897年から1898年に起きたクロンダイク・ゴールドラッシュでアラスカへの玄関口となり、開発が加速しました。

1911年にはシアトル港湾局が創設され、ウォーターフロントを含むエリオット湾周辺地域の開発において公共の目的を優先することが前提となります。1917年にピュージェット・サウンドとレイク・ユニオン、そしてレイク・ワシントンの合流点となる水門レイク・ワシントン・シップ・カナル、通称チッテンデン・ロックスが完成。第1次世界大戦や大恐慌で開発は一時停滞しましたが、連邦政府からの補助金によって、1930年代にウォーターフロントに沿う道路(アラスカン・ウェイ)が完成しました。第2次世界大戦で貿易が活性化し、1960年代に入るとシアトル港は大きなコンテナを大量に扱うようになり、コンテナ貨物の受け入れを専門に行うハーバーランドが設置されました。

その後、1953年にウォーターフロント沿いに南北を結ぶシアトルの主要道路の一つとしてアラスカン・ウェイ高架橋ができましたが、これによってダウンタウンとウォーターフロントが分断された形になってしまいます。1970年代になると、パイオニア・スクエア及びパイク・プレース・マーケットの再開発が始まると同時に、ウォーターフロントでもレクリエーションを中心とした開発が始まりました。その結果、ピア57にウォーターフロント・パーク、ピア59に水族館、ピア70の北にマールトル・エドワーズ・パーク、ピア66に大型クルーズのターミナルが完成。シアトルのクルーズ産業は1999年の初年度から成長を続け、2022年は296隻の大型クルーズ船がシアトルに入港し、120万人の観光客、約9億ドルの経済効果が予想されています

シアトルで2001年に起きたニスカリー地震によって少し損傷を受けたアラスカン・ウェイ高架橋は、今後もし新たな地震が起きた場合に倒壊する可能性があるとされたことから、2021年に解体されました。現在は、今後のシアトルの成長を見据え、ダウンタウンとウォーターフロントが行き来しやすくなるよう、その跡地がオープンスペースの大型公園として開発が進められています。

更新:2022年6月

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