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健康寿命の延伸を支えるテクノロジー

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テクノロジーの進歩により、人間はこれまで以上に健康に年を重ねることが可能になっています。しかし、社会学や生物学の視点から見ると、死生観や老い、そして死の役割について考える重要性もますます高まっているように感じます。

今回の Seattle Watch では、Peak 65Silver Tsunami と呼ばれる高齢化現象の中で、ニーズが高まっている健康寿命の延伸を支援するテクノロジーを紹介します。

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高齢化社会について語る際、日本は特に注目を集めがちですが、米国でも歴史的な高齢化の波を迎えています。

ベビーブーム世代(1946年から1964年)が続々と退職年齢を迎える現象は、「Peak 65」や「Silver Tsunami」と呼ばれています。過去10年間は1日あたり1万人が65歳に達していましたが、現在ではその数字が1万1,200人を超えており、2027年まで毎年約410万人以上が65歳に達すると予測されています。

このトレンドの中で、問題になっているのは不健康期間(平均寿命と健康寿命の差)です。WHOのデータ(2021年)によると、米国人の平均寿命は約76.4歳で、健康寿命(健康上の問題で日常生活が制限されない期間)は約63.9歳に留まっています。 つまり、約12.5年の不健康期間があり、個人のウェルビーイングの低下、医療費や介護費用の増大による社会的・経済的負担の増加といった問題が深刻化しています。

実際、米国では、医療費の約90%が高齢関連疾患に充てられ、総額は3兆ドルを超えています。高齢関連疾患の根本的な原因は、老化そのもののメカニズムに起因しています。そのため、高齢者の健康寿命の延伸に対するニーズが高まっており、遺伝子治療による老化の抑制や予防医療が大きなトレンドになっています。

ちなみに、日本では、健康寿命は「未病」や「フレイル」という考え方とともによく議論されています。未病の段階で適切に介入することが健康寿命の延伸に不可欠で、未病を放置してしまうと身体機能や認知機能の低下が進み、フレイル(虚弱)へと移行しやすくなるという考え方です。

  • 未病:健康と病気を二分論の概念で捉えるのではなく、心身の状態は健康と病気の間を連続的に変化するものとして捉え、この全ての変化の過程を表す概念
  • フレイル:英語のFrailty(虚弱)から生まれた言葉で、加齢により心身が衰えた状態を指す。「健康」と「要介護状態」の中間にある状態がフレイルであり、身体の虚弱を指す「身体的フレイル」だけでなく、「社会的フレイル」「精神・心理的フレイル」の3つの要素がある

Webrainでは、2021年に発行した「Longevity Economy: New Normal for Seniors」というレポートで、「老化を科学する企業」として、老化疾患を治療する老化細胞除去薬を開発するUNITY Biotechnologyや、老化に伴うさまざまな疾患を逆転・予防する細胞の若返り療法を研究しているLife Biosciencesについて紹介しました。

最近では生成AIの登場や、京都大学の山中伸弥教授らが発見した山中因子(細胞の初期化を誘導する4つの遺伝子)の研究が進む中で、この領域のスタートアップの動きが活発化しています。

山中因子:京都大学iPS細胞研究所名誉所長・教授の山中伸弥教授が発見した、細胞の初期化を誘導する4つの遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、C-Myc)のことで、iPS細胞(人工多能性幹細胞)とも呼ばれる。再生医療の分野以外だけでなく、老化研究の分野でも、細胞の若返りや老化の抑制の役割を果たす遺伝子として注目を集めている。山中因子は、特定のタンパク質群であり、人間の皮膚細胞に加えることで、それを若々しい幹細胞(体内のあらゆる細胞組織を生成する能力をもつ)へと変化させるリプログラミング(細胞初期化)という現象を引き起こす。

OpenAI の CEO である Sam Altman 氏が投資している Retro Biosciences は、人間の平均寿命を10年延ばすことを目指すスタートアップで、造血幹細胞を骨髄移植によって置き換えたり、血漿交換による若返りを追求したりする研究を行っています。2025年1月、同社は OpenAI と共同でタンパク質設計に特化した AI モデル「GPT-4b micro」を開発しています。このモデルは、山中因子を組み換えてその機能を高める方法を提案するように訓練されており、山中因子のリプログラミング効率を50倍以上向上させています。実際、Retro Biosciencesの研究者らは、「Few-shotプロンプティング」(プロンプトの中に質問と回答の例を入れることで質の高い回答を引き出す手法)でGPT-4b microと対話することで、山中因子の最適化を行っています。

日本でも、東京大学発バイオテクノロジースタートアップのTAZが、「不老長寿をすべての人に」という目標を掲げて、抗老化テック関連の創薬研究・商品企画開発を行っています。同社は、老化細胞除去成分を用いた商品企画開発、加齢に伴う疾患のバイオマーカー開発とそれらの疾患に対する創薬研究などを行っています。TAZでは、代謝過程で過剰に生成されるアンモニアが老化細胞の恒常性を支えるメカニズムに着目し、安全な食品成分を用いてアンモニアの排出を促進し、老化細胞を効果的に除去する方法を開発しています。

予防医療の分野でも、ユニークなスタートアップが登場しています。スウェーデンのストックホルムに拠点を置く Neko Health は、心血管疾患のリスク、心臓の状態、代謝の問題、糖尿病などを検出し、基礎疾患の早期発見や予測を可能にするAI搭載の全身スキャナーを開発しています。同製品による全身スキャンは約10分で完了し、70個以上のセンサーを使用して、5,000万点のデータポイントと15ギガバイト以上のデータを数分で収集します。その後、スキャン結果とともに、同社の医師や専門家チームによるコンサルテーションとアドバイスが提供されます。2025年1月、同社はシリーズBラウンドで2億6,000万ドルの資金を調達し、現在は米国市場への進出を計画しています。

Smplicare は、健康に年を重ねること(Healthy Aging)を促進するAI主導のコーチング・プラットフォームを開発しています。同製品は、予測分析と臨床的アルゴリズムを使用して、ユーザーのAgeWell Indexという指標を算出して、ケアをパーソナライズし、おすすめのマルチメディアコンテンツを提案してくれます。また、転倒などの健康リスクを85%の精度で予測し、ユーザーがより長く健康的な生活を送れるよう支援します。(World Economic Forum

少し話は変わりますが、社会学や生物学の観点から、健康寿命の延伸について捉え直してみたいと思います。従来、日本人の理想の死は「ピンピンコロリ(PPK)」だと言われてきました。これは、病気に苦しむことなく元気に長生きし、最終的に自然死を迎えることを意味する言葉であり、健康寿命の延伸の究極の形とも言えます。しかし、PPKが理想的な死であるという考えが社会に浸透しすぎると、「要介護状態」や「認知症」を抱える人が、まるで社会のお荷物のように見なされてしまう恐れがあります。その結果、そうした人々が生きづらさを感じる社会になりかねません。本来、理想の死のあり方は多様であり、個々の価値観に基づいて自由であるべきです。テクノロジーの進歩によって健康寿命の延伸が可能になった今こそ、「死生観」についての議論を深め、多様な生き方と死のあり方を受け入れる社会を目指すことが重要だと感じます。

生物学者の小林武彦氏(著書『生物はなぜ死ぬのか』)によると、生物にはDNAを壊れやすくしたり、寿命を短くしたりする遺伝子が存在するそうです。この「死のプログラム」は世代交代を早める役割を持ちます。それは、子が親よりも多様性を備えており、この多様性こそが、自然界の変化や弱肉強食の環境において生存に有利に働くためです。つまり、進化し続けるのは「死ぬ生物」だけであり、生き残るためには死が不可欠であるということになります。生物学的な視点から見ると、ヒトを含むすべての生き物が死を迎えることには、極めて重要な意味があるのです。そのため、老化に抗うことは、ある意味で自然の摂理に反する行為とも言えるかもしれません。もしこの考えをさらに発展させると、人間の知能をはるかに超えるAI(ASI:Artificial Super Intelligence)が登場した場合、生物としてのヒトの進化を促し、ヒトの存在を守るためにはAIの存在が妨げになると判断し、AIは自らを破壊するという選択を下す未来も考えられるかもしれません。

提供:Webrain Think Tank 社
【メール】 contact@webrainthinktank.com
【公式サイト】 https://ja.webrainthinktank.com/

田中秀弥:Webrain Think Tank社プロジェクトマネージャー。最先端のテクノロジーやビジネストレンドの調査を担当するとともに、新規事業創出の支援を目的としたBoot Camp Serviceや、グローバル人材の輩出を目的としたExecutive Retreat Serviceのプロジェクトマネジメントを行っている。著書に『図解ポケット 次世代インターネット Web3がよくわかる本』と『図解ポケット 画像生成AIがよくわかる本』(秀和システム)がある。


岩崎マサ:Webrain Think Tank 社 共同創業者。1999年にシアトルで創業。北米のテックトレンドや新しい市場動向調査、グローバル人材のトレーニングのほか、北米市場の調査、進出支援、マーケティング支援、PMI支援などを提供しています。企業のグローバル人材トレーニングや北米進出企業のサポートに関しては、直接ご相談ください。

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