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「より多くの子どもたちに、音楽体験を提供できるようになれたら」 ボストン交響楽団バイオリニスト・田口拓実さん

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今年2月にボストン・シンフォニー・オーケストラ(ボストン交響楽団)のオーディションに合格し、オーケストラの一員としてプロのバイオリニストの道を歩み始めた田口拓実さん。日本人の両親を持つ、シアトル育ちの21歳です。「幼い頃からバイオリニストを目指していたわけではなく、ただバイオリンが好きだったのです」と言う田口さんに、”バイオリンに対してもっと真剣になる、一番大きなきっかけになった” バイオリン合宿、尊敬する師との出会い、公立高校からの名門カーティス音楽院への入学など、さまざまな転機について振り返っていただきました。

― バイオリンを習い始めたきっかけについて教えてください。

僕は当時2歳ぐらいだったので覚えていませんが、両親が共働きだったので保育園に預けられていた時、バイオリンのおもちゃに僕がとても興味を抱いて遊んでいたそうです。

ある日、「本物のバイオリンを弾いてみたい」と言い出したらしく、「じゃあ、レッスンを受けてみるか」という感じで始まったとか。スポーツや絵を描くことなどと同じように、偶然始めたのが、今も続いているという感じです(笑)。

東京での初めてのリサイタルにて

― 日本とシアトルで、どのようにバイオリンを習い続けたのですか。

日本ではスズキメソッドで習い始めたので、6歳になる前に母の仕事の都合でシアトルに引っ越してきてからも、日本の先生に紹介を受けたスズキメソッドの平田美穂子先生に教えていただきました。

でも、最初の10年近くは真剣にやっていなかったんですよ。20~30人ぐらいのスタジオの生徒と月に1~2回合奏すること、一年に1~2回リサイタルで弾くことが楽しくて続けていましたが、家でちゃんと練習した覚えがないんです。ユース・オーケストラや室内楽などもやっていて、バイオリンを弾くことはいつも楽しかったのですが、プロになりたいから、とか、コンクールで勝ちたいから練習しないといけない、と考えたことはなく、その意味では真剣ではなかったですね。でも、スズキの先生方には、楽器の弾き方だけでなく、音楽を楽しむことや、曲を書いてくれた作曲家と、その音楽を伝えてくれた演奏家に感謝することなど、とても大切なことを教わりました。

12歳ぐらいになった頃にスズキの教則本が全部終わり、平田先生が「私はスズキ専門ですから、もうちょっと高いレベルに行きたかったら、違う先生を探しなさい」とおっしゃったので、当時シアトル・シンフォニーのアソシエート・コンサートマスターだったサイモン・ジェームス先生に習い始めました。

ジェームス先生は優秀な生徒たちを教えていて、バイオリニストになることを目指す人や、音楽大学に入学するレベルになりたい人を育てあげるのが専門です。それで僕のバイオリンに対するフォーカスが高まったのですが、ちょうどその頃、バイオリンに対してもっと真剣になる、一番大きなきっかけになったことがありました。それは、夏のバイオリン合宿に初めて参加して、13歳か14歳の、自分と同い年ぐらいの子たちがすごいレベルで弾いているのを初めて見たことです。

その合宿は、1940年代に有名なバイオリンの先生が始めたものでした。バイオリンのブートキャンプと呼ばれていて、僕が今年卒業したカーティス音楽院に12歳や13歳の時に入学したような子など、18歳未満の子ども達が、毎日5時間もバイオリンの練習をしているんです。

カーティス音楽院のアーロン・ロザンド先生と

僕の場合、幼い頃からバイオリニストになりたくて努力を積み重ねてきたという実感はないんです。バイオリンを弾くのが好きで、それが仕事にできたらいいなという気持ちはありましたが、絶対にバイオリンを仕事にしたいとか、バイオリニストになりたいとか、真剣に考えていた覚えはありません。でも、その合宿で、すごい人たちと寮で一緒に生活して、同じように練習しながら、「自分もあんなふうに弾けるようになったらいいな」「彼らと同じ学校に行ってみたいな」と思うようになりました。

その後、別のバイオリンの夏合宿でアーロン・ロザンド先生という方にお会いしたのが、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるカーティス音楽院のオーディションを受けるきっかけになりました。ロザンド先生は当時88歳ぐらいで、有名なバイオリニストであり、教授としてとても尊敬しています。僕はどうしてもそのロザンド先生に教えていただきたくなって、高校卒業までまだ1年ありましたが、カーティス音楽院のオーディションを受けて合格し、入学しました。

― 田口さんにとって、バイオリンの魅力とは。

子どもの頃からいつもそばにバイオリンがあるので、バイオリンの音が聴こえていないと不自然な気持ちになります。

昔からすごく好きだったのは、バイオリンの本体自体が芸術的であること。子どもの頃から、弦の替え方とか調整の仕方、バイオリンのパーツなどを、バイオリンショップで見るのが好きでした。

インディアナ州ブルーミングデールで行われた、インディアナ大学のサマーキャンプにて

また、バイオリンは自分一人で弾くのもいいですが、誰かと一緒に弾く時に、新しい発見があったり、新しい考えが出てきたりします。

バイオリンはいろいろな作曲家が曲を書いているので、本当にたくさんの曲がありますね。まだまだ知らない曲がたくさんあります。音楽大学でも音楽オタクと呼ばれていたぐらい、ずっと勉強してもまだまだ知らないことがあるのも、バイオリンの好きなところです。

でも、バイオリン以外のいろいろなことに興味があります。高校では、クリエイティブライティングやコンピュータはだめでしたけど(笑)、経済やサイエンス、数学などが好きでした。哲学にも興味があるので、また学校に入って学ぶチャンスは少ないかもしれませんが、勉強を続けたいと思っています。

― ボストン・シンフォニーのオーディションでは、どのような経験をされましたか。

一般的に、シンフォニーが空席となっているポジションの募集をかけ、演奏家はオーディションを受けることになります。すでに活躍している人をスカウトする場合もありますが、大半の楽員はオーディションを勝ち抜かなくてはなりません。

今回、ボストン・シンフォニーがバイオリニストのオーディションの広告を出したので、経験のために受けてみようと、レジュメを送りました。書類審査に合格したオーケストラ経験者やプロの演奏家はそのままオーディションに招待されますが、それ以外の演奏者は自分の演奏の録音ファイルを送るようにと言われます。オーケストラで弾く短いパートを5本ぐらい送ったところ、審査委員会の審査に合格し、ボストン・シンフォニーのホールでのオーディションに参加することになりました。今年2月の終わりのことです。

フィラデルフィアも東海岸の古い街ですが、ボストンはボストン・シンフォニーの周辺に音楽学校がたくさんありますし、街の音楽のインフラが整っていると感じました。友人の演奏家がたくさん住んでいるのですが、若手演奏家が集まっていますね。

オーディションには、プレリミナリー、セミファイナル、ファイナルがあり、その後にセカンドファイナルがあったりします。アメリカのオーディションでは演奏者と審査する側との間に幕がおろされているので、審査中は顔を合わせることはまったくありません。場所によってはカーペットを敷いてあり、足音や靴の音で演奏者の性別などがわからないようになっています。演奏者が審査委員に質問がある場合、オーディションを管理運営する担当者に小声で質問を言い、代わりに質問してもらいます。

僕にとっては初めてのオーディションだったので、もちろん真剣に練習していきましたが、そう緊張しませんでした。最初の日はプレリミナリーなので人数が多く、二日目にセミファイナル、ファイナル、セカンドファイナルのすべてのラウンドがあり、昼ぐらいから夜の午後10時半ぐらいまで、4回にわたり弾きました。

人がどんどん少なくなって、最後は数人になりましたが、自分の精神面を保つというより、「何が起きても、いつもの演奏と同じように弾けばいい、水分をとりながら、バナナをちょっと食べて続けよう」みたいな感じでした。でも、やはり疲れていたのでしょうね、最後に「あなたが合格です。審査委員とお会いになりますか」と言われた時は、ボーッとしてしまいました。そして、ようやく何を言われているか理解したのですが、「え、僕でいいの?」と、ビックリしたのです(笑)。両親には、「いい経験になるから、オーディションを受ける」という感じで話しただけだったので、「受かった」と電話すると、「え?ほんとに?」と驚いていましたが、すごく喜んでくれました。

今の僕はバイオリンを弾いていないと不自然で、弾いている方が自然という感じなのですが、演奏を仕事にするというのは、趣味とか、好きだから弾くということとは違って、生活しなくてはならないというストレスが入ってきます。でも、そういうことを現実的に考えて、自分のプライオリティを決めて進んで、こうなったという感じですね。音楽家として安定した収入を得られる仕事は本当に限られていますから、この年齢でこのポジションに就職できたことは、本当に恵まれていると思っています。

― 今後やりたいことを教えてください。

自分の演奏に満足しているということはまったくありません。入団してから一年はプロベーションといって、テニュア(終身雇用)を与えらた楽員とはレベルが違います。この一年でテニュアを与えられるかどうかが決まるので、それが今のプライオリティですね。また、シンフォニーの中でもランクがあり、舞台の前の方に座るためにはオーディションを受けなくてはなりませんから、それにも興味があります。

フィラデルフィアのキメル・センターで行われた
カーティス音楽院のカーティス・シンフォニー・オーケストラの公演では
コンサートマスターを務めた

オーケストラの外で興味があるのは、教育でしょうか。やはり幼い頃から自分で楽器を弾いて、自分で音楽をやることを体験することができれば、音楽に対する理解も違ってくるようです。僕も幼い頃からシアトル・シンフォニーを聴きに行っていたことがいい経験になりましたから、それを次の世代にも届けられるようにしたいですね。

アメリカを代表するバイオリニストの一人、ジェニファー・コー
ボストン・シンフォニー・オーケストラが2022年10月に共演
Photo © Aram Boghosian

これまでのことを考えてみても、僕は本当に運が良かったと思います。バイオリンを学べるリソースがあり、それに集中できる時間があるという、恵まれた環境にありました。そういったことにとても感謝しているので、より多くの人にそれを提供できるようになりたい。そして、将来は音楽大学で教えられたら、とも考えています。僕が先生方から学んだことは、誰かが伝えていかなければ消えていってしまう。教えられたことを僕がちゃんと身につけられているかはわかりませんが、僕がリスペクトしているものを次の世代に伝える必要があると思います。

本当に最近のことですが、「なぜ僕はバイオリンを弾いているのか」「自分にとって音楽はどういうものなのか」「音楽はコミュニティの中でどんな価値があるのか」といったことについて考えるようになりました。シンフォニーの中や外での活動を通して、その問いに少しでも答えが出せたらと思っています。

田口拓実(たぐち・たくみ)さん 略歴: 2001年、ノースカロライナ州生まれ。2歳から5歳まで横浜と東京で過ごし、スズキメソッドでバイオリンを習い始める。6歳になる前に母親の転勤でシアトルへ。平田美穂子、サイモン・ジェームズらに師事し、公立高校在学中にフィラデルフィアにある名門カーティス音楽院のオーディションに合格して入学。アーロン・ロザンド、シュムエル・アシュケナージ、五嶋みどりらに師事。2021-22年シーズンにカーティス交響楽団の共同コンサートマスターを務め、プリンストン交響楽団と共演したほか、シアトル・シンフォニーをはじめとするシアトルの多数のオーケストラともソロイストとして共演している。熱心な室内楽奏者でもあり、さまざまな四重奏団と共演し、幅広く指導を受ける。2022~2023シーズンからボストン交響楽団のバイオリニストに就任。
・ボストン交響楽団 公式サイトwww.bso.org
・カーティス音楽院 公式サイトwww.curtis.edu

取材・文:オオノタクミ

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