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「何かやるなら、200%の力でやっていく」ワシントン大学国際ビジネス認証プログラム&シアトル・カスケーズ選手 菅原浩大さん

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 © Daniel Borrelli

社会人留学生:菅原 浩大さん(すがはら・こうた)
1968年にアメリカのニュージャージー州で誕生したアルティメット(Ultimate)。現在、このスポーツは世界80カ国以上でプレーされ、競技人口は子どもから大人まで700万人以上に達しています(参考:USA Ultimate)。北米では2010年にプロリーグ『The American Ultimate Disc League(AUDL)』が設立され、シアトルのチーム『シアトル・カスケーズ』が西地区でプレーしています。

2023シーズンでは、日本代表として世界ジュニアアルティメット選手権大会に出場した経験を持つ菅原浩大さんがシアトル・カスケーズの一員として活躍しました。シアトル地域で子どもを対象としたアルティメットのキャンプでコーチも務めた菅原さんに、アルティメットの魅力について、そしてシアトルでの経験について伺いました。記事の最後には、キャンプ参加者のお子さんたちとその保護者から寄せられた質問への回答も掲載しています。

【公式サイト】  Seattle Cascades https://theaudl.com/cascades
【公式サイト】選手ページhttps://www.theaudl.com/league/players/ksugahara
【公式サイト】 菅原工芸硝子株式会社  https://www.sugahara.com/

もくじ

アルティメットとの出会い

大学入学時にもらった新入生歓迎のパンフレットを通して興味を持ち、グラウンドに足を運んでみたことがアルティメットについて知ったきっかけです。当初は野球サークルに入っていたものの全力でやらない野球をつまらないと感じてしまい、何か本気で取り組めるものを探していました。そんな中アルティメット部は上智大学で一番強い、個人としても日本代表を目指せる部活動であるという点に魅力を感じ、入部を決めました。

大学入学以前は11年間にわたり野球に集中していたので、初めてアルティメットをプレーした時はスポーツとしての仕組みの違いやフリスビーとボールの違いに戸惑い、順応するのに時間がかかりました。ただ、アルティメットの3大要素(走る、投げる、跳ぶ)のうちの一つ「投げる」ことに関しては野球の感覚と似通った部分があり、比較的すぐ上達できました。自分がシュートを通すことがチームの得点、ひいては勝利に直接繋がる喜びを覚えてからは、どんどんアルティメットにハマっていきました。

日本での練習環境

一言で言うと、過酷でした。僕の大学チームの練習時間は、授業期間中の平日はほぼコンクリートのような砂のグラウンドで毎日1〜3時間半、土曜日は江戸川のボコボコの河川敷で8時間ほど。授業期間外は週4日・1日8時間、こちらもボコボコの河川敷で練習していました。

特に1年生の時は場所取りといって、朝5時半にグラウンドに着いてチームが練習するコートを確保しなければなりませんでした。たまたま家が河川敷に近かった同期2人と一緒にその仕事をしていましたが、自分が寝坊したらチームが練習できなくなるので、毎回朝起きれるかビクビクしながら布団に入っていたことを覚えています。その上、競技の特性上、運動量が非常に多く、練習帰りの電車ではよく寝過ごしていました(笑)。

上記のようなフィジカル面の辛さ以外にも、精神的に辛いことも多かったです。日本一を目指していたこともあって、ミスをしたらすぐ怒鳴り声が飛んでくる厳しい環境でした。1年生の夏頃には同期が試合に出場し始める中、ディフェンスへの順応に苦戦していた自分だけ試合に出られず、明らかにこの競技に向いてないなと感じ、部活を辞めかけたこともありました(笑)。でも、先輩や同期の支えもあってなんとか持ち直し、死に物狂いの努力をした結果2年次になんとかレギュラーの座を掴むことができ、チームの全国3位獲得に貢献することができました。

2019年に日本代表に選出 WFDF世界ジュニアアルティメット選手権大会に出場

基本的に大学のチームに所属して練習していましたが、WFDF(世界フライングディスク連盟)の世界大会に出場する日本代表の選考に応募し、2017年12月から2018年2月にかけて3回の選考会を無事通過して代表に選ばれました。

世界大会ではいろいろな国の代表と対戦しましたが、まず明らかに違ったのは体格です。例えば、ベスト8決定戦で対戦したフィンランドの選手の身長はほとんどが190cm以上。僕らは平均175cmぐらいでしたから、僕らの手の届かないところでパスを回されて止めようがなく、ベスト8入りはかないませんでした。

また、技術面でも大きな差を感じました。他の国は若年層にアルティメットが普及していて、経験年数が長いのです。特にアメリカ代表の選手は幼い頃からフリスビーに触れて育ってきた選手が多く、走る・投げる・跳ぶ全ての局面において大きなレベルの差を感じました。このような事柄から結局日本は18チーム中12位となかなか厳しい結果に終わってしまいました。

僕個人としてはノーミスで2得点を記録し大会を終えることができ、自分の投げるテクニックは世界相手でも通用すると感じました。アルティメットの試合においては、相手が投げることを妨害する「マーカー(Marker)」がいます。マーカーの妨害を潜り抜けて投げる力(スルーザマーカー:through the marker)には自信がありましたが、その自信をより確かなものにすることができました。シアトルに来てプロのトライアウトを受けた時にもスルーザマーカーを最大の武器として自信を持ってアピールすることができたのは、この経験をしたことが大きかったですね。

シアトルでプロのチームに入団

© Melissa Levin

シントン大学のチームメートに誘われシアトル・カスケーズのトライアウトを受験し入団が決まりました。ただ、プロになるまで自分がプロになるなど想像すらしていなかった、というのが本音です。

実は大学アルティメットで燃え尽きてしまい、大学卒業後の1年間競技から離れていたのです。それまで日本一を目指して大学4年間全身全霊で努力をしていましたが、大学4年生の時にコロナのパンデミックにより大会が中止されたことがその理由です。

父が経営する会社を承継するにあたり、経営学を本気で学び直したいと考え進学した一橋大学MBAでは経営学の勉強に熱中し、フリスビーに触ることなく1年間を過ごしました。そして、経営学を学習する中で国際マーケティングの学習・経験が必要不可欠だと考えたので、2022年3月末にワシントン大学の国際ビジネス認証プログラムに留学しました。しかしアルティメットをやる気は全くなく、フリスビー以外で唯一アルティメットに必要なスパイクすら持ってきていなかったのです。

留学のもう一つの目的として、さまざまな価値観を持つ人と交流し、自分自身をアップデートすることがありました。ワシントン大学のプログラムは留学生クラスだったため、ネイティブのアメリカ人と交流する機会がありませんでした。そこで、英語ネイティブのアメリカ人がいるであろうアルティメットの大学チームの練習に飛び入り参加したら歓迎してもらえて、アルティメットを再開することになりました。

こちらでアルティメットをやってみて新鮮だったのは、いくらコンペティティブになっても、フリスビーを楽しむことを忘れていないということです。日本では勝利にこだわりすぎて仲間と怒鳴り合うことは日常茶飯事でしたし、いつしかアルティメットを楽しむ、なんていう気持ちは忘れていました。

米国でアルティメットを再開してみてさまざまなレベルのチームに所属しましたが、どのチームの選手もアルティメットを楽しむためにやっているという点が根底にあったように感じます。そんな仲間たちと出会い、アルティメットに対する情熱を取り戻すことができ、アルティメット漬けの留学生活を送りました。

アルティメットの楽しさを思い出させてくれた友人と受けに行ったトライアウトでは、自身の強みであるスルーザマーカーを存分にアピールすることができ、合格を勝ち取ることができました。

生活のすべてをアルティメットに捧げる

一番大きな変化は、生活の全てをアルティメットに捧げるようになったということです。入団が決まってからはお酒も一切飲まなくなり、トレーニングのみならず食事管理や睡眠時間の確保も徹底しました。インターンシップ先の仕事と両立するため、スマホなどで時間を浪費しないようスケジュール管理も徹底するようになりました。

2022年3月末に渡米し、2022年12月まで授業を受けて、ワシントン大学の国際ビジネス認証プログラムから認証を取得しました。認証取得後は学習した国際マーケティングの知識を実践に移すべく、マーケティングコンサルでフルタイムのインターンシップを始めました。

そして、新しい職場にやっと適応し始めた2023年2月中旬からコンサルタントとプロアスリートの二足の草鞋を履くことになったので、想像以上に大変になりました。でも、厳しい状況に陥った時は先輩にいただいた実業家の樋口泰行氏の名著「『愚直』論」を繰り返し読んだり、後輩の座右の銘「自分は自分ができることを知っている」を唱えたりして自分を鼓舞した結果、なんとか両立し切ることができました。

プロの選手として感じた、アルティメット環境の違い

© Melissa Levin

選手として感じたアルティメット環境の違いは、2つあります。1つ目は、練習時間の違いです。先述の通り、日本の大学チームの練習時間は非常に長かったですが、米国ではプロですら週2日、1日2〜3時間程度で、短時間集中で練習していました。これは効率性を重視する点に加えて、パートナーや友人、家族との時間を大切にする文化的背景によるところが大きいと感じました。

2点目は、ミスに対する態度の違いです。すでにお話ししたとおり、日本では誰かがミスをすると責め立てたり、怒鳴ったりすることがスポーツの種類・レベルに関係なく当たり前のように感じます。でも、米国ではミスをした選手に対してどうしたら改善できるか仲間のためにチームと一緒に考えるという文化があるように感じました。また、ミスをしてなくても仲間のプレーで改善できそうな点があれば助言を厭わない選手が多かったです。誰かがミスしたら責めるのではなく自分がカバーしてやる、勝利のために全員で戦うんだ、というマインドセットが全員の根底にあるように感じました。

ただ、振り返ってみるとカスケーズ過ごした1シーズンは、人生で一番精神的にしんどかった期間でした。トライアウトに合格して入団後、シーズンが始まる前に2ヶ月ほどの練習を通してコーチはどの選手をどのように起用するか判断します。でも、不幸にも僕はその時期にスランプに陥っていました。得意のスルーザマーカーでミスを多発し仲間からの信頼を失い、パスが回ってこなくなり、回ってきたらアピールのために焦って難しいスローを投げ、またミスして信頼を失う…という負のループに入ってしまっていました。当時は英語を流暢に話すことができず、グラウンドの外で信頼関係を構築することも難しく、八方手詰まりの状況に陥っていました。

焦ってもしょうがないので、できることを一つ一つ積み重ねていこう、と考え、自分の能力の向上、それをアピールすることに集中しました。1軍と2軍を行き来する前半戦を過ごす中で、ガラッと風向きが変わったのはシーズン前半戦最後のポートランド戦でした。

その日はポートランド・ナイトロの中野選手とプロリーグ史上初の日本人対決をすることが確定していて、”Story takeover”(試合当日に選手が公式インスタグラムのストーリーを乗っ取り、ファンからの質問等に答えたり、試合当日のリアルを配信したりする)を担当しました。そこでなかなかふざけた回答をしたことが「こいつは面白いやつだ」とチームメイトから認識され始めるきっかけになったのです。

さらに、試合本番でも努力が実り、シーズン初得点に加え、中野選手から直接のダイビングブロック(ディフェンス成功のこと)を記録することができたのです。そんな結果を出したことでコーチや仲間からグラウンド内外で信頼を構築することができ、後半戦での飛躍につながりました。

最終的には12試合中9試合に出場することができ、チーム4位のパス成功率(15パス以上の選手の中で)チーム7位のブロック、8位のパス成功数・スローイングヤードと結果を残すことができました。大きな逆境を乗り越えて、満足行く結果を残せたこの経験は、大きな自信になりました。

シアトルで得た、フリスビー以外での気づき

当然ですが人々の価値観の違いに加え、日本では当然のことでも海外では当たり前ではないということに気づきました。その一つは、治安の良さです。身近で射殺事件が起きたりして「死」が近くにありましたし、日中から麻薬でハイになっている人が大学の近くにもたくさんいて、お世辞にも治安がいい環境とは言えませんでした。その点、日本は治安の心配をせず生活できる点は本当に素晴らしいなと感じました。

日本人との価値観の違いはいろいろありますが、先ほどお話ししたように、パートナー・家族・友人をより大切にする人が多いと感じました。どんなに忙しくても必ず身の回りの人と過ごす時間を確保し、気持ちをオープンに伝える価値観は素敵だなと感じました。

また、文化によって流れてる時間軸が違うなとも感じたこともあります。ワシントン大学の留学生クラスでは、韓国、ミャンマー、インド、ホンデュラスなど、さまざまな国から来たクラスメートと一緒に勉学に励んでいました。日本人のクラスメートは締切を守り、高いクオリティで課題を提出する傾向がありましたが、他のクラスメートは文字だけのスライドを作ってきたり、ミーティングに30分は絶対に遅れて来たりする人もいました。いつも遊びの約束に遅れてくるインド人の親友が、自分の結婚式にも約2時間遅刻してきたのはカルチャーショックを受けましたね(笑)。

日本人に、シアトル・カスケーズの存在をもっと知ってもらいたい

© Jonathan Red

現状、日本だとアルティメットという競技自体を知っている人が少ないと思います。特にアメリカに来て課題だと感じたのは、日本のユース世代からの認知度の低さです。そもそもアメリカでは公園に行けば老若男女問わずフリスビーを投げている人を見つけることができますが、子ども向けのアルティメットのキャンプでも中学生20〜30人ぐらいのチームが作れるぐらいアルティメットがユース世代の間でメジャースポーツになっています。ユース世代の競技人口や認知度を上げていくためには体育の授業等でフリスビーに触れる機会を創出したり、気軽にアルティメットをできる環境を整備していくことが重要だと思います。

残念ながら僕自身がスター選手になって、日本人がアルティメットやカスケーズについて知ってもらうきっかけになることはできませんでした。でも、このインタビューを読んで少しでも気になっていただけたら、ぜひ少しでもアルティメットの動画などを見てもらえたらと思います。

アルティメット・フリスビーのキャンプに参加した子どもたちからの質問

ー ここからキャンプに参加した子どもたちからの質問です。9歳のお子さんから「なにをしたらもっとうまくなりますか」という質問がありました。

まだまだですが、僕がうまくなったのには、二つ要因があると考えています。一つは、うまい人の動きをよく見て、それを真似して練習して、自分のものに進化させたこと。これはどんなスポーツにも言えると思いますが、うまくなる近道ではないかなと思います。もう一つは、これとは真逆で非論理的なことを言うのですが、ひたすら時間を使うこと。僕が投げることに関して使った時間は世界一という自信があります。イチローさんも「遠回りが一番の近道」「無駄の中に本質がある」というようなことをおっしゃっていましたが、まさにそれです。

たくさん投げている間に気づいたことがたくさんあるのですが、その中には普通の人はなかなか気づかないこともあります。例えば、アルティメットでは、相手選手が投げづらいように妨害する「マーカー」がいて、普通の人はそのマーカーの手が届く範囲の外側から投げようとします。でも、専門的なことになりますが、マーカーは顔の横と脇の下のエリアは反応できないと気づいたんです。こちらでは普通に身長2mの人もいるので、身長166cmの僕がそんな背の高い人のリーチの外側から投げるのは不可能ですが、その「反応ができない部分」に気づいてから、自信を持って投げられるようになりました。すごく時間をかけてやっていくうちに気づいて、自分のものにできたんですね。

もう一つ、信じてくれる人の存在がなければ、僕はこのような結果を出すことは不可能だったと思います。特に感謝しているのは、大学時代の松本コーチ。当時の僕はスローを武器としてスタメン奪取を狙っていましたが、好不調の波が激しく起用するには運の要素が大きい選手でした。でも、松本コーチは僕と僕自身の努力する姿勢を信じて、どんなにミスをしても我慢して起用し続けてくださいました。プレッシャーの中で練習したことを実戦に移す経験を積ませてもらったことで大きく成長することができ、プロで活躍することができたと考えています。

ー 子ども達からの二つ目の質問です。「カスケーズの選手のみなさんは、他にも仕事をしていますか」。

残念ながら、カスケーズはプロフェッショナルチームですが、カスケーズから支払われるお給料だけで生活することは現状不可能です。なので、チームメイトの多くはフルタイムの仕事と掛け持ちしながらプレーしています。この地域を代表する大手IT企業のエンジニアの方々も結構いましたよ。

ー 最後の質問です。「将来の目標を教えてください」。

将来の目標は、曽祖父が創業し、現在は父が経営している菅原工芸硝子株式会社を承継して、職人さんの手作りにこだわった美しいガラス工芸品を世界中に広めることです。そのために、大学・大学院・留学先全てで一貫して経営学を勉強し、マーケティング・人事等の分野でインターンシップをしてきました。

僕は幼い頃から好きなことには熱中するタイプですが、限界を超えて努力することで目標を達成する経験を何度もしました。それと同時に何度も挫折を経験し、努力とはただがむしゃらに頑張ることではなく、目標を達成するために何をどのようにやらなければならないか考え抜きそれを全力で行うことだ、と考えるようになりました。

例えば、高校時代の野球部では死に物狂いの努力をしましたが、公式戦には一回も出場することすらできず終わりました。振り返ってみると試合に出るためには打てないといけなかったのに、守備により大きな課題があると考えていた僕はずっと守備練習をしてしまったのです。結果、「同期でで一番伸びた選手」と言われながらも最後まで試合に出ることはできなかったのです。この挫折経験からアルティメットではチームにどんな選手が必要なのか、どうすればそんな選手になれるのかと必死で考え努力したことで、徐々に結果を出せるようになりました。

僕はこれでアルティメットを引退し、日本に帰国して大学院に復学しつつ、10月からM&Aのコンサルティングを行う企業に就職します。大変な日常になりそうですが、将来の目標に向けて200%の力で努力していきたいと思っています。

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