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朝見信也さん(Ecore Global, Inc. チーフ・エコロジー・オフィサー兼社長)

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もくじ

環境保護・改善を業務とする企業の立ち上げ

1997年に立ち上げたプラネット・フィクサー社と、今年に入って新しく立ち上げたルミナス・クリエーションズ社の基本的な趣旨は、一般家庭や、企業やレストランなど商業施設に、「サステナビリティを考えて環境にいいことをすると経済的にもメリットがある」という事実を伝えること。太陽光など自然エネルギーの導入や節電、節エネ、その他の環境配慮事業導入のためのアドバイスやシステムのデザイン・設置などを行っています。日本とアメリカを中心に、自然エネルギーやサステナビリティ関連企業の国際ビジネス開発のアドバイスとサポート、自社企画の環境グッズや技術開発をすることなども業務の一部です。プロの料理人を対象に、オーガニックやフェアトレードを基本にしたアジア食全般の教育やメニュー作成のアドバイスも提供しています。

また、情報提供の一環として、6月22日(金)に弊社で初めての「キャンドル・ナイト」と称し「自主停電イベント」(Voluntary Blackout Day)を開催しました。これは「夏至の日に自主的に電気の使用を中止しよう」と世界各地で行われているものです。各方面に開催の通知をしたら、たくさんの支持の声をいただいたんですが、3通ほど批判のメールもありました。その内容は、「キャンドルを燃やすと二酸化炭素が出る」。それをきっかけによく調べてみたら、確かに石油系のキャンドルには石油に化学物質にと、とにかくいろんな有害なものが入っていて、燃やすと体に悪いんじゃないかと。ですから、大豆油やビーズワックスなど自然素材のキャンドルを使う必要があります。しかし、そもそも「キャンドルを燃やす」ことがポイントなのではなく、「電気を使わない」ことがポイントなので、電気を使わなければ何をしててもいいんですよ。当日は約40人が参加してくれて、ネットワーキング、このイベントの開催でわかったことをまとめたプレゼンテーション、そしてピースボートに参加した日本人大学生たちによるショート・フィルムの上映をしてみました。日本でもこの自主停電は盛んで、「100万人のキャンドル・ナイト」として非常にたくさんのイベントが開催されてます。日本で初めてこれをやったのは、東京の府中にあるカフェスロー。大反響を受けて、今は年に2回開催しているらしいですね。また、環境省もバックアップしてるので、東京タワーやビーナス・ブリッジも照明を消すらしいですよ。今後はこのイベントを拡大していきたいと思ってます。

シアトル市・ワシントン州の現状

ワシントン州では、「2020年までに州内の全エネルギーの15%を大型水力発電を除く自然エネルギー(太陽光・風力・バイオマス・波力/潮力・水素など)でまかなうようにする」という自然エネルギー割当基準法を、昨年11月7日に制定しました。連邦政府議会に現在提出されている同様の法案は、「2020年までに国内の全エネルギーの20%を自然エネルギーにする」という内容です。シアトル市は進んでいる面もたくさんあります。今のニッケルズ市長になってからですが、環境重視の政策が増えたほか、地球温暖化対策においても彼がアメリカ中の市長をまとめて、連邦政府に働きかけています。現在のシアトル市のリサイクル率は35%。全国平均の24%を上回ってますが、シアトル市の過去最高は60%です。この減少の理由が何かというと、急に人口が増え始めて行政が追いつかなくなってるんですね。ここ数年の間に地球温暖化問題がもっと表面化して、今の市町村のリサイクル強化の意気込みもあって、また60%に上げようと目標を掲げてかなり意欲的ですよ。シアトル市とその周辺地域を比べてみると、ベルビュー市のリサイクル率は良くなってきてます。でも、シアトル市とベルビュー市から離れれば離れるほど、リサイクルやゴミに対する取り組みも徹底さが薄れて、住民の意識も低くなるんです。しかし、先日、環境関係のコンファレンスで行ったウェナチー市は進んでいました。シェラン郡の太陽光発電を利用する住民に対するインセンティブも良いですしね。シェラン郡では政府内にバイオディーゼルとか電気で走る車を開発している部署があって、シアトル市のスクールバスもそこで開発した電気式に代わっていくそうです。

日本と比べると、アメリカはリサイクルが徹底していないと考えられてるのも事実です。日本は昔から資源のない国ですから、リサイクルを徹底させるのは当然と言えば当然でしょう。また、国土の狭い日本では埋め立てることのできる量だって限られてますよね。ですから、燃やせるものは燃やすというわけで、ゴミとして出す場合も、燃えるもの・燃えないものを区別する必要があります。日本の焼却炉の技術は世界的に進んでいて、燃やしても有害物質を出さないようになりました。昔は僕の通っていた学校でもいろいろなものを焼却炉で燃やして黒い煙が出てましたが、そのような時代ではなくなっているようです。一方のアメリカは国土が広いので物を燃やさないで、どんどん埋めてしまう。どちらも一長一短ですが、リサイクルと一言で言っても、例えばプラスチックのリサイクルは、その分子構造によって処理が違ってきます。ほとんどのプラスチック製品には矢印が3つ組み合わさった中に数字が入った表示がついてますけど、それがプラスチックの種類による分別を示してるんですね。リサイクルをしなければ埋立地に山積みされるだけなんでリサイクルしたほうがいいんですが、リサイクルするたびにどんどんグレードが下がって、いつかは結局ゴミになってしまうでしょう。ゴミになったら埋立地行きですよね。そうなると、地熱もあるし、ゴミだからガスが発生したりして、プラスチックの分子をつなげる糊の役割をしている化学物質なんかが、何百年後かに溶け出して地面にしみこむんです。ですから、プラスチックを埋めてしまうのは時限爆弾を埋めているのと同じなんですよね。それが必ずその辺の地元の地域環境に悪影響を及ぼす日が来ます。でも人間がプラスチックを使い始めてまだ100年そこそこ。これだけ種類が増えてからは50年ぐらいですから、我々は結果を見るに至っていないけど、後世の人たちには負の遺産を残していることになるんです。

環境に敏感だった幼少時代

もともと環境のことが気になる性分だったようなんです。生まれ育った東京世田谷区にある多摩川は、僕の幼稚園や小学校時代は、網を投げて魚をとるぐらいきれいだったんですよ。でも、高度成長期の真っ只中で、日に日に多摩川の水が汚くなっていくのが子供なりにもわかりました。どうしていいかわからなかったんで、小学校高学年の時には図画の時間に「川を汚すな」というポスターを描いたんですよ。そしたらそれがすごく誉められて世田谷区の絵画展に出品されちゃった。何の賞にもならなかったけど、嬉しかったから覚えてます。中学校の時には「人間と自然の調和」というテーマで描いたポスターが、同じ絵画展で銀賞になった。それだけでなく、物を作ったり絵を描いたりすると、必ずと言っていいほどテーマは環境のこと。それ以外のテーマはほとんど興味がなかったんですよ。

渡米

特技だった絵を描くことを仕事にしようと、専門学校でデザインの勉強を修了してから、作曲家としてアメリカに住んでいた父を頼って渡米しました。渡米するきっかけになったのはやはり多摩川かな(笑)。僕が18、19歳になった頃の多摩川は、臭くて近寄れないほどでした。無理して近づいて見ると、川面は真っ黒で泡が立ち、ヘドロのようなものが表面を埋め尽くしていて・・・。そのような状態に耐えられなくて、また、人間の心もギスギスしてきたような気がして、「広いアメリカに行こう」と。高校在学中、バージニア州に住んでいた母方の叔母のところに遊びに行って、単純ですけどね、「広い国土で、のびのび暮らせる」という、いい印象を持ちました。

私がアメリカに来てからですね、日本が高度成長期を経験して日本全国で公害病が出てきて、日本全国の国民も狭い島国では環境を大事にしないと自分で自分の首を絞めているようなものだと気付き、対策を講じるようになってきたのは。でも、今の多摩川は一見きれいで、魚が住んでいるとは言え、昔のヘドロや泡よりもっと深刻な目には見えない環境ホルモンなどの川底の土壌などに残留しているという研究結果が出ていますよね。魚だって「戻ってきた」と言っても、だんだんとわかってきたのは環境ホルモンによる奇形が増えているということ。雄と雌の性別がなくなってきて両性具有のような生き物ができたり、メスが増えてオスが減ったりする現象が起きるようになっているんですよ。ですから残留化学物質の処理に真剣に取り組まないと、いつかまた、魚がいなくなってしまう時期が来るだろうと言われています。

こういった環境ホルモンのことでは、アメリカの環境活動家でレイチェル・カーソン(Rachel Carson)という方が書いた 『Silent Spring』(1962年出版)という本をぜひ読んでみてください。彼女は、ミシガン湖のある場所は毎年春になると卵からかえった鳥の雛たちのさえずりがうるさいぐらいだったのに、ある春に同じ場所に行ってみると、雛のさえずりがまったくなくてものすごく静かだったということにびっくりするんです。「こんなに静かでいいわけがない」と。

彼女が強く訴えたのは環境ホルモンです。一見きれいに見える水でも検査をしてみると、ものすごく恐ろしい何百という種類の化学物質が発見されたからです。環境ホルモンというのは基本的に有機化合物、つまり、もともと世の中に存在しないもので、人間が作り出したものでしょう。自然界は持ちつ持たれつの関係で成り立っているのに、人工物だからその中に絶対に入りこめないこの有機化合物は、当然、人間が食べても消化しませんし、自然界に放置しても永久に分解できず、そのままです。産業革命からこっち、人間がいろいろな物を作って開発して、既に使用が禁止されたDDT(有機塩素系の農薬)やPCB(ポリ塩化ビフェニル)も含め、そんな物質が現時点で9,400種類ぐらいあります。今もその種類は増え続けているんですよ。

最も身近ないい例はペットボトル。あれもプラスチックですが、あのプラスチックの分子と分子を結合する接着剤のようなものもまた、1つの環境ホルモンにあたります。水というのは非常に高度な機能を持ったものですが、ペットボトルの中に長期間にわたって保存したり、光とか熱とかがあたったりすると、その接着剤の成分が水の中に溶け込んでしまうんですよ。スウェーデンやノルウェー、日本の独立研究機関がフランス産の Avian などを調べてみると、そういう化学物質が溶け出しているのがわかったんです。国内の近所で作られたペットボトル入りの新しいドリンクを買ってすぐに飲むならいいんですよ。でも長期にわたって置いておいたり、飲んだ後のボトルを使いまわしたりしていると、有害物質が水の中にどんどん出てきますから、すぐにリサイクルに出すのがおすすめです。

商業デザイン業でのジレンマ

渡米してまず、当時ロサンゼルスに住んでいた父親のところに行き、コミュニティ・カレッジの英語学校に通いながら、商業関係のグラフィック作成に関わるアルバイトをしました。でも仕事では英語しか使わないですからそちらの方がおもしろくなり、半年後には学校をやめて、仕事一筋。その会社の副社長が独立した時にもついて行き、今度は同じような商業関係ですが、テクニカル・イラストレーションなどの仕事をするようになりました。しばらくしてから、デザインだけをやるためにフリーになると、ハリウッド関係の仕事をたくさん請け負っていた日本人のアート・ディレクターが仕事をたくさんまわしてくれるようになってね。それと同じころですが、やはりロサンゼルスという土地柄から、日本の電通や博報堂が事務所があり、その下請けの仕事もしたりするようになって、そこそこ仕事ができるようになってきました。でも、ある企業から来る仕事は嫌な仕事ばかりだったのが、考えを変えるきっかけになったと言えますね。

例えば、「日本のある飲料製造会社が、アメリカで新しい製品を出す」と。でも、それには着色料や保存料がどっさり入っていて、とにかく「”毒素100%で栄養価ゼロ” だけど、売れればいいよ」というようなものでした。僕はそのパンフレット製作などの下請けをすることになったんですが、商品を見るだけで疑問が湧いて仕方がない。「なぜ俺がこんなものを売る手伝いをしなくちゃならないんだ」と。「こんな飲み物を必要としている人は世の中に誰もいないし、逆にない方がいいようなものなのに、お金をもらっているとは言え、世の中に出す手伝いをするのは耐え難い」。これは1つの例ですけど、商業美術は物を売るための作業ということです。多額のお金が動いていますが、商業美術を使って売れたものが世の中にどういうふうに貢献し、どういうふうに影響しているのかを考えると、ない方がいいようなものの方が多い。人の心の中に欲望の種をポッと植え付けて、遠くからいろいろなメディアを使って、「大きくなれ、大きくなれ」と操作するわけです。そうすると、本当はそんなものは欲しくないのに、欲しくなってしまう。それを実現させる商業美術のあり方自体が、多摩川が汚染されるのに怒りを感じた自分の信条とあわなかったんです。

環境を考えたレストラン・雑貨店経営

そこで自分に何ができるかいろいろ模索しているうちに、食べることが好きでしたから、環境のことを考えたレストランを作ろうと思い立ちました。そして父に借金してサンタモニカに開店したのが 『Shambala Cafe』。” Shambala” というのはサンスクリット語でユートピアという意味です。オーガニック食材を使って、添加物を使わないベジタリアンにして時代を先取りしましたけど、そもそも僕の自己満足で開店したものでしたし、現実のビジネスは甘くなく、なかなか売り上げが伸びない。2年目に入ってダメだから辞めようかと思っていたら、常連になっていたお客さんに、「俺はベジタリアンだけど、ビジネスとして軌道に乗せるには、肉とかシーフードも入れた方がいいんじゃない?」と言われたんです。それでホルモンや抗生物質を打っていない鶏を探し回って、ようやく見つけた業者から直接仕入れるルートを作ってね。そしたら今度はロサンゼルスの中にオーガニックにこだわったカフェやレストランがポツポツと開店し始めて、セレブリティ・シェフでもオーガニックにこだわる人たちが増えてきたんで、レストラン経営者とかシェフとかが集まって、何度もミーティングを重ねてオーガニック食材の流通ルートを作ったんですよ。さらに、マグロをとるのにギルネットという網を使うとクジラやイルカが入ってしまうので、ギルネットを使ってとったマグロのツナ缶の使用はやめるなど、環境に負荷のない海産物の流通システムも作りました。今、そのシステムはエコフィッシュという会社になっていますよ。

そのようにして私の店も時代の流れに乗って繁盛し始め、それが新聞で誉められると、土地柄もあって、ジュリア・ロバーツやフォレスト・ウィッテカー、ベット・ミドラーなどのハリウッドのセレブリティが常連になりました。1988年に公開された映画 『Beaches』 で主演したベット・ミドラーは「この店の料理のおかげで痩せられた」と言ってくれたりして、そんなセレブリティのおかげでさらに人が来るようになると、今度は日本のテレビ局が取材に来た。「ハリウッドのセレブリティに人気の店」というわけで、「ジュリア・ロバーツがどこにいつもすわるのか」と聞いたと思ったら、適当に指差した椅子をジーッと撮影したりね(笑)。そうすると日本の観光客も来ますよね。そんなこんなで2年目の終わりぐらいから売り上げが伸びて、4年目になると、いよいよ自分の時間が持てるようになって、今度はまったく違う店を出しました。『Earth Beat Gallery』 といって、これも環境一筋。リサイクルしたものやリサイクルできるもの、または天然素材だけから作られた雑貨や手作りの一品物、オーガニック・コーヒーを使ったエスプレッソ・バーをあわせたものだけを扱ってたんですが、当時そういったコンセプトはなかったので、CNN や東京テレビ、LA Times でも取り上げられました。

ロサンゼルスからシアトルへ

でも、1992年4月29日にロドニー・キングに暴行したロサンゼルス市警の警官が無罪になったことで、ずっとたまってた鬱憤が爆発して大規模な暴動が起きたことが、シアトルに移るきっかけになりました。あの時は7日間ぐらいにわたって戒厳令が出て自宅から出られず、その後はロサンゼルスや西海岸が不景気になりましたよね。そんな状況で雑貨のような嗜好品は最初に節約の対象となってしまいますから、その影響をもろに受け、1993年に『Earth Beat Gallery』を閉店しました。まるで昔の多摩川のように、治安が目に見えて日に日に悪くなる。そんな頃、1992年の終わりでしたか、ビバリー・ヒルズのヘアサロンで働いていた知人の女性が帰宅しようと車に入ったところで複数の男に銃を突きつけられ、自宅まで乗り込まれて所持品をすべて盗まれた上にレイプされるという事件が起きたんです。その犯人はいまだに捕まっていません。僕ら夫婦はちょうど2人目の子供が生まれるところだったので、妻の幼馴染の住むシアトルに引っ越すことにしました。最初にシアトルを見に来た1992年の冬は大雪が降ってました。シアトルの人はたまったもんじゃないという感じでしたが、ロサンゼルスから来た僕にとっては雪の積もった町がとてもきれいで、「こんないいところはない」と思ったものです。

その当時でももう地球温暖化の話は出ていましたから、シアトルに来てからも環境を考えたレストランを数年にわたって経営しましたが、その時、エネルギー節約をしようと思ってアメリカでいろいろな商品を探して、太陽光発電の品物がすごく限られていることを知ったのが、本格的に環境問題に取り組む仕事をするきっかけになりました。当時は日本の SHARP が太陽光発電関係では世界最大の生産量を記録していたんですけど、アメリカには日本の製品はなかなか入ってきませんよね。でも、アメリカには小型の風力発電の機械みたいに日本にないものがあったりして、お互いにあるものないものがあるじゃないかと。そこで、そういったものの卸売りをしようと思い立ちました。でも、一般の関心がないんですね。環境関係の人たちの間では非常に盛り上がってますけど、一般の社会では誰もそんな話はしませんし、消費者の意識が非常に低いですね。そのおかげで利益をたくさん出すという面ではあまりいい仕事とは言えませんが、自分の信条にはすごくあっていますので、今も頼まれれば商品を探したりしています。

環境保護・改善はライフワーク

今の仕事もその延長線上にあります。基本的には一般家庭や、企業やレストランなど商業施設を対象に、サステナビリティという環境にいいことをすると経済的にもメリットがあるということを伝えるのが趣旨ですね。たいていの人は、「環境にいいことをするにはお金がかかる」と思いますよね。例えば「今、自分がある程度の利益を上げているとしたら、その利益を削らないとできないのが環境保護だ」という意識があります。確かに初期投資は必要ですが、長い目で見ると、必ずリターンがあります。今の日本もアメリカも他の国々も、ビジネスでは2-3年でのリターンを考えようとするから初期投資はネックなんですが、中にはもっと長いスパンで物事を見てくれる経営者もいるんで、そういう人たちを対象に「それにはこのような方法がある」とお伝えします。もちろん、その方法のすべてをやるのは難しいかもしれませんが、それだけのメリットがあなたにも環境にもありますということです。

これは実現しませんでしたが、日本のある太陽光発電の研究開発企業などのように、将来はアメリカにも拠点を持ちたいという企業のお手伝いなどもあります。これまでもワシントン州の経済開発局と仕事をする機会が何度かありましたが、ワシントン州は企業を誘致したいわけですから、いろいろな面で手伝ってくれたりします。また、ワシントン州は自然エネルギーに携わる企業に税制面で優遇措置を出しているんですよ。日本人が発明した自然エネルギー関係の技術も、そんなコネクションを通じて、去年からワシントン州での実用化を進めています。

個人の場合は主に節電・省エネによる支出の節約です。地球温暖化の問題はたくさんの人が関心があると思うのですが、アメリカが出している温暖化ガスのほぼ50%は家屋から出ているんです。自動車や交通関係から出るのは20%。ですから、家屋から出るものを減らすことによって貢献できるでしょう。太陽光や風力を発電に利用することもその1つです。太陽光発電や小型風力発電に関してのリベートは、連邦政府からは年間1,500ドルの所得税免除、ワシントン州からは消費税の免除と設置後の発電量に対して1KWあたり12セントから54セントのリベートが支払われます。ちなみに、電力会社から普通に購入する電力に関しては、一切のリベートもペイバックもなく、電気代は年々上がる一方です。電化製品をコンセントにつないだまま放置しておくと発生している待機電力(待機時消費電力)だって、アメリカにあるといわれる200万軒以上の一軒屋すべてがそれを止めたら、12基の原子力発電所が必要にならなくなると言われています。

やりたいことやアイデアは数えきれない程あります。ただ、現時点では時間も人材も資金も限られていますから、身近な所でできることを少しづつこなしている状況です。ただ、環境問題や状況は刻一刻と悪化していますから、私としては早く自分の持っているアイデアを実現(事業化)をできるよう努力しようと思ってます。これまでの経験から、そのアイデアの全てがビジネスとしても利益性の高いものだという自信があります。肝心なのは事業化するための人材探しと資金集め。ですから事業パートナー探しや資金集めに時間をかけるつもりです。

これからの5~10年間で最も実現させたいことは、今関わっている新エネルギー技術「磁力発電」を商業化し、世界のエネルギー・マップから化石燃料と原子力を消滅させること。世界の人々は、自然エネルギーの利用だけで現在の生活レベルを充分に維持できるという事実を知らされていません。この世の中には余りにも多くの「嘘」が氾濫していますが、「化石燃料や原子力が必要である」というのは、その中でも最大級の「嘘」です。温暖化問題も含めて、人々が本当に行動を起こすのは「真実を知ること」から始まると思いますので、「真実を伝えること」もこれからの自分の使命だと思っています。そのためにも、インターネットや印刷媒体をうまく利用してそれらの伝達活動を通して、「より多くの人に話をしたい」と心から願う次第です。 もっと身近な未来(1年以内)では、自宅に太陽光発電(フルスケール)を設置します。待ちに待ったワシントン州産のソーラー・パネルがついに発売されるので、それを一番乗りで利用します。これまでは60ワットの小規模太陽光発電でしたが、フルスケールになれば自宅の使用電力の全てが自然エネルギーに代わります。環境に良いだけでなく、経済的にも大幅に節約できるのが楽しみです。

朝見 信也(あさみ しんや)

1957年 東京生まれ
1978年 渡米、商業美術関係の仕事をこなす
1984年 サンタモニカにてオーガニック・レストラン開店
1989年 サンタモニカにて環境に優しい雑貨店を開店
1993年 シアトルへ引越し
1994年-1996年 レストラン経営
1997年 プラネット・フィクサー社設立
2007年 ルミナス・クリエーションズ社設立
※2009年に Ecore Global, Inc. を共同設立し、チーフ・エコロジー・オフィサー兼社長に就任。

Ecore Global, Inc.
【公式サイト】 www.ecoreglobal.com

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