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Jenn さん 「バイリンガルへの夢」貫いたキュートなプロ雀士

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Jenn
もくじ

「バイリンガルになる」という夢が開いた、日本でのマルチ活動への扉

麻雀卓を囲むと一瞬で「勝負師」の顔に

見た目は笑顔が素敵な米国人女性。しかしひとたび麻雀卓を囲めば、鋭い視線で牌を見つめる勝負師に変身する。麻雀だけでなく、流ちょうな日本語を操ってテレビタレントから書籍の翻訳まで多彩な能力を発揮する Jenn さん。子どもの頃から抱いていた「バイリンガルになる」という夢が、異国でのマルチな活動への扉を開いた。

小さいころから「日本」に触れて暮らしていました。隣に住む家族が日本人留学生を受け入れるホストファミリーで、私はその家の2人の子と仲良しだったので、日本からの留学生ともしばしば遊んだ記憶があります。通っていた小学校では、教師のアシスタントを務める日本人が来たこともあり、日本の文化や習慣を教えてくれました。

高校時代は体操に打ち込み、地元紙に紹介されたことも

シアトルの土地柄から、日系や韓国系、ベトナム系の人たちと多く触れ合う機会があった Jenn さん。英語以外の言語を話す人々の姿を見て、「私もバイリンガルになりたい」と夢を持った。

中学に進学して外国語の授業を履修する際、親しい友人が日本語を勉強していたので私も同じクラスに入りました。父親がベネズエラ出身、母親が日本出身というアメリカ人の先生が、自作の台本を用意して、生徒たちと寸劇風に日本語を練習する授業が印象に残っています。実際に畳を持ってきて、あがるときに「くつを脱いでください」、畳の上で「お茶はいかがですか」という具合に。実践的で、クラスメートと楽しく学べましたね。

福岡のホームステイ先で仲良くなった女の子がシアトルに遊びに来た時のショット。マウント・レーニアで

私の初めての海外はもちろん、日本。16歳の時、長崎県での6週間のサマー・キャンプに参加し、福岡県の家庭にホームステイもしました。ホストファミリーの同世代の女の子と意気投合して、「授業では学べない日本語」をいろいろと教わったり、一緒にプリクラを撮ったりしました。彼女は今も仲の良い友人です。

高校卒業後はハワイ大学に進学し、在学中に関西外国語大学に留学。いったん戻りますが、今度は上智大学に編入しました。「バイリンガルになる」という目標達成のため、また留学のための両親の援助を無駄にしないために、在学中は自分に「英語禁止」を義務付けて日本語しか話しませんでした。通学の電車内では毎日漢字の単語帳とにらめっこ。徹底して語学力の向上にエネルギーを注ぎました。

Jenn

いくら勉強しても終わりがないのが麻雀の魅力

麻雀との出会いは学生時代だった。「ギャンブル仲間」が誘ってくれたのがきっかけだ。自ら入門書を読み、ルールを覚えた。「勝負師 Jenn」の誕生だ。

シアトルに住んでいた時、スカイウェイパーク・ボウルなど18歳以下でも入れるカジノで、よくブラックジャックをやっていました。日本の大学に入った後は、近所に住む日本人の友人たちの影響でパチスロに通うようになったのですが(笑)、麻雀を勧められて興味をもちました。でも誰も教えてくれないので、最初はルールと「役」を覚えようと、自作の単語帳を作りました。インターネット上で麻雀サークルを見つけて入会し、練習を重ねたのです。おかげですっかりのめりこみ、パチスロはやらなくなりました(笑)。

Jenn さんの著作
『Reach Mahjong: The Only Way to Play』

実は大学卒業後に一度は就職したのですが、事情があって退職しました。同じころに麻雀のプロテストを受けて合格し、雀士として、プロのリーグ戦や大会に出る「権利」を得たのです。現在は麻雀のみで生計を立てるのは難しいですが、大会に優勝して実績を残せば仕事のチャンスが増えます。私の場合は、英語の麻雀本を出版したり、海外の大会に出場したり、テレビ番組に出演したりと活動の幅を広げられました。実は本の執筆は、出版のあてなどなく始めたのです。その頃ポーカーの仕事もしていて海外に行く機会が多く、その都度「本を書いているのですが出版社が決まっていないんです」とアピールするうちに版元を紹介してもらえました。文章だけでなく使用する画像は私自身が作り、表紙の撮影もプロデュースしたんですよ。

麻雀は、いくら勉強しても終わりがないのが魅力。相手の特徴はさまざまですから、打ち方のバリエーションが豊富でないと勝てません。相手の手を「読む」力も重要です。そもそも打ち方の流行は時代によって変わっていきます。対戦のたびに勉強を重ねて、勝っても負けても常に「反省会」をしています。

勝負の世界は厳しい。Jennさんも、これまでに勝利の喜びだけでなく敗北の悔しさを何度も味わってきた。

「日本プロ麻雀連盟チャンネル」の大会でのことです。第1ラウンドから参戦して決勝まで勝ち上がりました。対戦の中で、「面前清一色」(注1)でテンパイ(注2)にこぎつけたのです。上がる可能性を高めるために「待ち」を広げる手もあったのですが、そうしませんでした。結局、上がれずに優勝を逃し、結果は4位。(自分の判断ミスに)悔しくて眠れない日が続きました。その一方で、決勝まではすべて1位通過できたという成果には満足しています。自分の手の進め方や相手に対する読みは納得の出来で、うれしかったですね。

(注1)「面前」とは、他のプレーヤーの捨て牌を利用せず、自前でそろえた牌だけで役をつくること。「清一色」は麻雀の役の一種で、3種類の数牌(萬子、筒子、索子)のうちどれか1種類だけで構成するもの。
(注2)あと1枚必要な牌が手に入ればあがれる状態のこと。

麻雀を軸にもっと日本で活動の幅を広げたい

Jenn

今の生活は麻雀一色。昼間は麻雀を打ったり雀荘で営業活動したりして、夜はインターネットで麻雀の勉強、そして週末は大会に出場です。7月には、パリで開かれる「リーチ麻雀世界大会」に行きます。初めての日本式リーチ麻雀の大会で、欧米から参加者が集います。一方で、時間があるときは翻訳の仕事やタレント活動をしています。以前は 『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系、2011年終了)にも出演していました。今もテレビ番組にはしばしばオファーが届きます。2012年には、プロ雀士で友人のガース、ジェマと一緒にインターネット生放送 『何モノだ SHOW』 を始めました。ここでは麻雀トークは一切なし。私自身をもっと多くの人に知ってもらいたい、自分のありのままを伝えられればと考えています。

以前と比べれば日本語も上達して、「バイリンガルになりたい」という目標はある程度達成したかもしれません。でも次は、麻雀を軸とした日本での活動をもっと増やしたいという新たな目標ができました。シアトルには年に1度は帰りますが、今や私の拠点は日本と言えそうです。実家に帰っても、自分の居場所がない気がするんですよ(笑)。

シアトルのお気に入りスポット

Jenn

年に1度はシアトルに里帰りするという Jenn さんは、日本に留学する前に家族や友人と一緒に訪れた場所に今も足を運ぶ。そのひとつが、人気バーガー・チェーン 『Dick’s Drive-In』 のクイーン・アン店。免許取りたての頃、仲間たちとよく行ったそう。シアトル・センターのパシフィック・サイエンス・センターでレーザー・ショーを楽しんだり、恐竜の展示を見たりしてから Dick’s へ、というのがお気に入りのルートだったという。

子どもの頃、クリスマスシーズンになると家族と一緒にシアトル市内で馬車に乗ったのが深く記憶に刻まれており、今も帰省した際には乗りに行く。ベルビューでは 『鼎泰豊』 の点心に舌鼓を打ち、ベルビュー・スクエアで買い物を満喫。

最後に「もう10年以上行っていませんが」と前置きしてから、ぜひ訪れたいイベントとして、毎年レーバー・デーの週末に開催されるシアトル最大の芸術祭 Bumbershoot と、家族で楽しめるピュアラップ市恒例のフェスティバル Puyallup Fair を挙げてくれた。「もしシアトルに暮らしていたら、絶対毎年行っていると思います」

取材・文:船橋ヒトシ
撮影協力:麻雀ぷろす(東京・赤坂)

ジェン/シアトル出身。高校時代は体操とチアリーディング、日本語学習に没頭した。ハワイ大学在学中に関西外国語大学に留学し、さらに上智大学へ編入。学生時代に麻雀と出会い、プロテストに合格。現在はプロ雀士として大会に出場しながらタレント活動もこなす。
【公式サイト】 Beauty Gambler Jenn メン・ピン・フルハウス(ブログ)
【ニコ動サイト】 何モノだ SHOW

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