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第24回 西の彼女へ

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

Hi from Osaka。そんなタイトルでメールが届いた。宏美(仮名)からだ。「いろいろな事情があって」、長年アメリカに住んでいた彼女が、今では大阪にいるという。オオサカ? 脳裏で、鮮やかなネオンに彩られる道頓堀を背景に、彼女の笑顔を映してみる。だが、どうもしっくりこない。同じ都会とはいえ、銀座や表参道の喧騒の方が宏美には似つかわしいと思うのは、気のせいか。「猛暑の最中に引っ越して来ました。しばらく、こちらに住むことになりそうです。」彼女のアメリカ人の夫は、日本語を巧みに操る。大阪で職を見つけたのだろうか。私が東京からシアトルへと舞い戻った直後に、彼女は新生活を始めたことになる。関西人の私が東京へ、そして東京っ子の彼女が大阪へ。人生とは、わからないものだ。心で呟きつつ、思いがけない便りを読み返した。初秋の東京の匂いが蘇ったような気がして、遠い目をしながら。

水辺の風景が美しく、親子連れの姿が多く見られる江東区東雲

水辺の風景が美しく、親子連れの姿が多く見られる江東区東雲

頬を撫でる風がまだ夏の湿り気を帯びた9月の週末、東雲へ行った。有楽町線辰巳駅で電車を降り、ドラマの撮影にも使用される桜橋を渡り切れば、運河沿いに住宅街が拡がる。超高層マンションが並び、未来都市を彷彿とさせる街。だが、水のある風景が、コンクリートの街に安らぎの色を醸し出す。キラキラと光を放つクラゲの群れを橋から見下ろし、息子と娘が華やいだ声をあげる。水際のベンチで、若い夫婦がお弁当をひもとく。傍らで、坊やが得意げに三輪車を乗り回す。そんな光景が、土曜日の東雲にはよく似合う。この界隈に実家があると宏美から聞いたことを思い出した。「かわいらしいパン屋さんを見つけて、抹茶風味のマカロンを買いました。おいしかったよ。」帰宅後、1年以上も音信普通だった宏美に宛てて、メールを送った。女性で賑わうこの店に、ひょっとして彼女も足を運んだことがあるのだろうか。そんな風に思いながら。「びっくりした! 東京にいたのね。」折り返し、返事が届いた。シアトルで宏美と知り合ったのは、7、 8年前だ。やがてポートランドへと引っ越した彼女とは再会することもなく、時おり気の向くままに近況報告をし合うだけの仲となった。シアトルとポートランドなら日帰り旅行もできる距離ながら、お互いに会おうとは言い出すこともなく、友達と呼ぶには躊躇する淡白な関係が続いていた。そんな2人が、私の東京滞在を皮切りに、饒舌なメールを交換するようになったのだ。「銀座にはね、有名な生キャラメルの店があるの。ピンクのバスみたいで面白いよ。」「柴又はお薦めよ。フーテンの寅さんの記念館もあるし。」東京っ子振りを存分に発揮し、彼女は次々と情報を提供してくれる。私も、柴又への旅を契機に寅次郎ファンを名乗る息子のことを面白おかしく報告したりした。「いつか、東京で会えたらいいね。」それぞれに2児の母でもある。運河を見下ろす公園で、子供達を遊ばせながら、いろいろと話し込んでみたいな。そんな願いが実現することもないまま、いつしか宏美からの返事は途絶えた。東の空の下、さらさらと季節が流れていった。

「行く」場所。そして、「帰る」場所。それが、私にとっての東京だ。(ああ、旅が始まったんだ。)晩夏の夕陽に照らされるビル街を、成田空港を発ったシャトルバスの窓越しに眺めながら、自分に言い聞かせたのを思い出す。「今日は、半蔵門線で九段下まで行き、千代田区役所へ。」「明日は、南北線で市ヶ谷まで行って、保育園の見学。」おのぼりさんよろしく、メトロの地図と首っ引きで「勉強」に励む。少し歩いては疲労困憊したと口を尖らせ、挙句の果ては、「日本の駅って階段ばっかり!足が痛くなるから、シアトルに帰る!」と車社会を恋しがる子供達に根負けし、つい自動販売機のジュースに手を伸ばしもしながら。夏草が茂る清水谷公園から弁慶橋を渡り、赤阪見附の喧騒に身を沈めた時には、いっぱしの都会人のつもりでいた私も異邦人になった気がした。シアトル郊外での生活に馴れきった私の目に、巨大なネオンが渦巻く繁華街は奇異にさえ映った。だが、これが道頓堀や三宮あたりなら、違った想いを味わっただろう。「道頓堀は食い倒れの街って呼ばれててさ。そういえば、家族でご馳走を食べに来たっけ。ほら、あの大きなカニさんの店、見てごらん。」「神戸の学校に行ってた頃、友達と三宮の地下街をぶらつくのが好きでね。お小遣いを貯めては、レコード屋さんへ好きなロックグループのカセットテープとか買いに行ってたよ。」ひとつ、またひとつと思い出のかけらをポケットから取り出しては子供達の前で披露し、ほのかに懐かしさが漂う街並みで、過ぎた日が残した余韻に胸を熱くしたかもしれない。だが、東京に思い出の断片などある筈もない。いわば、家族全員が異邦人として同じスタート地点に立ったようなものだ。大都会の一角で、ゼロから積み重ねる作業を皆で始める。永田町を起点に、今週末は東雲へ、来週は自由が丘へと、徐々に行動範囲を膨らませる。人間関係もまたしかり。ホームパーティを開いたり、ランチに誘ったりで、一人、また一人と友達の輪を拡げていく。なにげない日常の積み重ねにより、「行く」場所だった東京が、「帰る」場所へと色を帯びていく。「ふるさと創り」の過程は、絵筆を片手に空白のキャンバスを埋めていくようでもあり、豊かな時間だった。帰国が迫る初夏の日、地域が一丸となって盛り上げる山王祭で、永田町・日枝神社を目ざし赤阪見附を駆け抜ける幾多のお神輿に声援を送り、現代的なビル街を満たす江戸の風情に酔いしれた。「ワッショイ、ワッショイ。」法被を羽織って子供神輿を担いだ息子と娘は、顔を汗で光らせながらも、誇らしげな笑みを浮かべ行進する。お囃子の音色をのせて永田町を吹き抜ける涼風の中、私たちの絵が完成したことを実感した夕暮れ時だった。

私たちの「ふるさと創り」に一役買った貴重な思い出、山王祭。赤阪見附のビルを背にお神輿を担ぎ、永田町へと歩を進める人たち。

私たちの「ふるさと創り」に一役買った貴重な思い出、山王祭。
赤阪見附のビルを背にお神輿を担ぎ、永田町へと歩を進める人たち。

「暑くて、暑くて、もう溶けてしまいそうよ。」帰国直後、東京の友人から届く声に、「でもね、カーディガンを羽織る夏なんてのも、どこか空しいよ。」駆け足で過ぎ去るシアトルの夏をうらめしく思いながら、心で呟いた。秋が深まり、陰鬱な空模様に覆われるシアトルで、精彩を欠く街を子供達がこぞって嘆きだした。「有楽町のビックカメラに行きたい。」「キッザニアでハイチューを作りたい。」「シアトルって、つまんない。」言いたい放題である。その反面、私は子供の順応性に目を見張った。東京っ子と化していた彼らは、瞬く間にアメリカの学校生活にも適応し、シアトルにふるさとを再構築した。英語を忘れた挙句、「カワイイじゃん」などと言っては、「じゃん」なる東京弁(横浜弁?)が苦手な私(これは、関西人の血だろうか)を当惑させた娘も、今やアメリカ人へと逆戻りだ。無造作に部屋の隅に置き去りにされた薄桃色のランドセルが、心なしか寂しそうである。東京もシアトルも、子供達にあっては同様に「帰る」場所なのだ。二つのふるさとの狭間でしなやかに生きていく彼らを頼もしく思うと同時に、取り残されたような気持ちも味わい、母は複雑な面持ちで2人の後姿を見つめる。

桜爛漫の季節に、グランドプリンスホテル赤阪から堪能する赤阪見附の景色

桜爛漫の季節に、グランドプリンスホテル赤阪から堪能する赤阪見附の景色

イースターの飾りに店先が活気づく早春のシアトルで、今一度、宏美のメールを噛み締めるように読む。行間から溜息が漏れてくるような気がしてならない。あれほど日本に住みたがっていた彼女だが、西の水に馴染めないのだろうか。「あんた、どないしたん。」そんな関西弁が耳に飛び込んだ瞬間、くるりと踵をかえし故郷の東京に舞い戻りたくなったと、知人のM 子が苦笑交じりに打ち明けた。夫の転勤にまつわる苦労話だが、いつしか大阪滞在もゆうに10年は超え、彼女自身も関西弁を駆使するまでとなった。M 子の背景には、ネオンに華やぐ道頓堀が映えるとひそかに思う。ふるさとはね、創るものでもあるんだよ。老婆心とは悟りつつ、少しばかり先輩風を吹かせ、そう宏美にささやいてみたい気がする。大阪が、「帰る」場所になりますように。あなたのふるさと創りの作業が楽しいものでありますように。東から帰った私が、西の彼女へと、PC のスクリーン越しに無言の声援を贈る。そして、それは私自身へのメッセージでもあるのだと気がつく。黄昏の色に染まる赤阪見附の交差点へ最初の一歩を踏み出した日へと、愛しい記憶を辿りながら。

掲載:2011年3月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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