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第25回 さ行の季節に

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

3月 X 日

東京・永田町。自宅近くの散歩道で。

東京・永田町。自宅近くの散歩道で。

薄桃色の妖精たちが、ひらひらと肩に舞い降りる。千鳥ヶ淵、靖国神社、目黒川沿い、飛鳥山公園。それぞれの地で愛でた花びらを思い描く。入学式を指折り数えて待つ娘のために買ったランドセルもまた、薄桃色だった。「わあ、このランドセル、うちのおちびちゃんには大き過ぎるような気もするけど、大丈夫でしょうかね。」高ぶった気分のあまり、デパートの店員を前に喋り過ぎた自分を思い出し、気恥ずかしくなる。

きらきら。この言葉の響きが似合う朝が訪れた。前日まで澱んだ空模様に覆われ肌寒くさえ感じた東京で、その朝は透明な光が溢れていた。美容院で髪を編み込みにしてもらった娘は、半袖の白いワンピースを着てスキップしながら歩く。さくら色のランドセルが背で揺れる。それは、世界で一番幸せな朝だったかもしれない。あの日の余韻は今も私の中で息づく。短編小説を繰り返しひもとくように、同じ風景を心に映し出す。あの日から季節がめぐり、もうじき一年になろうとしている。早春の声を聞こうというのに重いコートが手放せないシアトルの雨音を背景に、あの眩しい朝へと記憶を辿る。

3月 X 日

薄闇の中、駅へと歩を早める会社員。店先で品定めをする客。遮断機の前で停まる自転車。電車の轟音。家々から漏れる白い蒸気。青菜を刻む音。テレビドラマの主題歌。子供のはしゃぎ声。見慣れた街の佇まいを背景に、とりとめもなく繰り返される日常。突然、その温もりが消え、暗く冷たい街となった。

マスクで顔を覆ったお年寄りが、体育館の片隅でストーブに手をかざす。敷かれた毛布の上で、別のお年寄りが、足をさする。一列に並んだ婦人会のボランティアが、おにぎりを手早く丸めていく。小さな男の子が、そのひとつに手を伸ばす。人々が、消防署に開設された無料緊急電話の前で長蛇の列をなす。「奇跡だよ、奇跡。生きてるんだ。これは、奇跡だよ。」若い男性が、携帯電話を通して妻に語りかける。「何もかも、さらわれた。」幼子を3人亡くした父親が、呆然と立ちすくむ。別の父親が、息子の写真を胸に、中学校の卒業式に参列する。「これは、あの子が生まれる前、記念に植えた木。新芽が出てきたよ。」がれきの山を背に佇む女性が、行方不明の孫娘「ゆいちゃん」の写真をポケットから取り出し、全てが押し流された庭に育つ小さな梅の木を見つめる。

市民が積み重ねてきたささやかな日常を瞬時に略奪し、これでもか、これでもかと粉々に破壊する震災の怖ろしさ。穏やかな生活を一瞬にして根こそぎ揺るがした出来事に、口をつぐむしかない。インターネットのニュースをつけっ放しにする。帰れないのであれば、せめて、海の彼方で何が起こっているのか、映像を通して知りたい。いかに重くのしかかる現実であろうとも、目をそらしたくはない。

3月 X 日

ひとつ、またひとつとメールが舞い込む。東京の友人達からだ。「食材調達が困難で、学校給食も停止。お弁当持参で登校です。」「スーパーもコンビニも食べ物が売り切れ。店内は薄暗くて、棚は空っぽ。不気味な感じさえします。」「近所の九段会館では、天井が落下して、死傷者が出ました。」西日本や、ひいては海外へと「疎開」をした家族さえある。皇居と官公庁の所在地であるだけに恵まれていることでは日本屈指であろう千代田区でさえ、震災の影響を免れなかった。その一方で、こう書く人もいる。「被災者の方々のご苦労に比べたら、なんと楽をさせてもらっていることか。申し訳ないくらいです。」「生きているだけで、何もいりません。」

自分は母国にいないのだという切なさが胸を突く。日本を去り自国へと飛び立つ外国人が続出する中、皮肉と言えるかもしれない。だが、こんな時だからこそ、私は帰りたくてたまらないのだ。それは、郷愁の念などというものを超えた強さを湛えて胸を突く。その内なる声が、たじろぐほどに膨らんでいく。そして、悟るのだ。やはり、私にとって、帰る国は日本なのだと。

3月 X 日

「希望の光ですね。」そう言った瞬間、彼女の口元がほころんだ。硬い表情を一刻として崩さずに原発事故について語っていた女性アナウンサーが、初めて柔らかな笑みを覗かせた。被災地に響く産声。震災直後に被災地で出産した女性のニュースだ。停電に見舞われた病院の真っ暗な分娩室で、懐中電灯の灯りを頼りに出産したという。「幸せだと思います。」乳飲み子の指に手を巻きつけながら、二十代の母親は呟く。化粧っ気のない顔が、大輪を咲かせた花のように晴れやかだ。「こんな時に生まれたんですから、強い子に育ちますよ、きっと。」心に水が注ぎこまれる瞬間。今、この映像に、どれだけの人が胸を熱くしていることだろう。国中が慟哭の叫びをあげる中で誕生した命の重みをかみしめながら。

いつか、母親は成長した子に語りかけるのだろう。あなたが生まれた時に、大震災があってね、津波やら原発事故やらで、日本は揺れていたんだよ。たくさんの命が失われたんだよ。でもね、日本は、がんばった。「がんばれ、日本」って、世界中の人達が声援を送ったの。そして、その声援に応えるように、日本はがんばってがんばって、強い国を作り上げたの。失われた命を無駄にしないって。だから、今、あなたはこんなに素晴らしい国に住んでいるんだよ。その国に新しい原動力を与えた時に誕生したあなたは、それを誇っていいんだよ。

3月 X 日

再建をめざして、被災地、いや日本全体が動き出した。

「今、僕にできることをして、人の役に立ちたい。」父親が行方不明のままだが、避難所でお年寄りの手助けをし、「むしろ、僕の方がこの人たちから励ましをもらっているんですよ」と語る15歳の少年。「肩もみに来ました。」避難所のお年寄りのために「肩もみ隊」を組み、ボランティアに訪れる小学生グループ。高校の合格発表で、胴上げをしたり、カメラに向かってVサインを掲げたりする学生たち。就職先が決定していた東京へ行くのを取りやめ、故郷・東北の復興に携わるのだと、がれきをかき分けて進みながら淡々と語る青年。それぞれの物語がある。
朽ち果てたかにみえる街で、人はうちひしがれ、うずくまる。この試練の中で、未来を見据える世代の澄んだ瞳が、何よりも雄弁に明日へのメッセージを発し、大人たちを奮い立たせているのかもしれない。

4月 X 日

さくら。娘にそう名づけた人たちを知っている。(なんとまあ、古風な名前だろう。)最初は、そう思いもした。エリカ。マリナ。ニーナ。ジュリア。漢字の組み合わせに技巧を凝らし(ニーナが仁伊菜だったりする)、あえて西洋風のおしゃれな名前を選ぶ親も多い時勢である。だが、結局は、私も古めかしい人間なのかもしれない。さくらという名は、実に美しいと思う。さくら。さおり。さやか。しおり。しほ。さ行の名前の響きがとても好きだ。(「さくら」ではないが、「さ行の古風な日本名」を娘のミドルネームに選んだ。) さいた、さいた、さくらが さいた。かつて一年生の国語の教科書に登場したこのフレーズも、さ行である。ちょうど一年前、春爛漫の季節に書いた記事(第16回:東京ダイアリー(8):さいた、さいた)を読み返すと、そのさ行のフレーズが背後に響く。みずみずしい息吹に包まれる4月は、さ行の語感が似合う季節だ。さわやか。しなやか。しんせん。すがすがしい。そんな言葉もまた、さ行である。

入学式後に、教室で先生のお話を聞く新1年生。

入学式後に、教室で先生のお話を聞く新1年生。

一年前のあの朝を、再び思い描く。「1年生、退場。」ブレザーやワンピースにコサージュを飾り、緊張した面持ちの新1年生が、拍手の渦の中、担任の先生に導かれて体育館をあとにする。華やいだ雰囲気に包まれた1年2組の教室で、真新しい教科書や道具箱が配られる。あの日、神妙な顔つきで席についていた子供たちも、この4月には2年生に進級したのだ。そして、入学式で「後輩」たちの前にずらりと並び、「給食は、おいしいよ」、「ゲーム集会もあるよ」と元気漲る声で、おにいさん、おねえさん振りを発揮したに違いない。1年分のくたびれを見せるランドセルや校帽も、彼らの成長の証なのだ。そして、学校に近い千鳥ヶ淵では、260本の桜の木が連なる緑道を埋め尽くす人が、皇居のお濠を背景に映し出される春模様を堪能するのだろう。

風が吹いてくる。刻々とイースターの足音が近づくシアトルに。柔らかな風のそよぎは、朽ち果てた北の街をも吹き抜けるのだろう。光の中、一人、また一人と、顔を上げて歩き出す。ぽっかりと深い空洞があいたのであれば、その空洞を埋めていく強靭さも、人は持ち合わせているのだ。さあ、新たな旅が始まる。だが、それは孤独な旅ではない、前にも後ろにも、そして横にも、同じように歩く人たちがいる。

さ行の季節に、私たちは、歩き出す。

掲載:2011年4月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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