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第46回 そして、シアトル

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

X 月 X 日

北カリフォルニアの風を切って、Caltrain は走る。通路を隔てた席では、野球帽を被る青年が、ビニール袋に詰まった艶やかな色のチェリーを食べている。後方では、老女が、娘であろう女性と中国語で話に花を咲かせている。初夏の薫りが漂い始めた昼下がり、列車の窓越しに流れる西海岸の風景をぼんやりと眺める。再度の出張でやって来たアメリカ。ああ、有楽町駅高架下の喧騒も、大手町の高層ビルへと吸い込まれるダークスーツの波も、あんなに遠くなってしまった。アメリカ出張自体は既にこの数ヶ月で2回あったが、いずれも駆け足旅行に終わった。今回は2ヶ月という長期滞在中、西から東まで多くの企業を訪問する予定である。どんな出会いが待ち受けているのだろう。胸を躍らせながら、サンフランシスコ市内を発ち、シリコンバレーへの汽車旅に出た。

X 月 X 日

“Hi, Kiyoko.” IT 企業のロビーで身を固くしていた私の背後から声がした。振り向くと、紺のポロシャツにジーンズという、まさに西海岸というスタイルが板についた重役 M 氏が握手の手を差し伸べた。”Nice to meet you.” 差し出された手を握り返しながら、大真面目にスーツを着込んだ挙句に汗ばんでいる自分の姿が滑稽に思えた。「さあてと、空いてる会議室を探そうか。」スマートフォンを器用に操りながら、彼は先を歩く。いいなあ。心で呟く。世界的な大企業であっても、背広にネクタイなんて格好がまるで不釣合いなシリコンバレー。気取らず開放的な風土が、私には心地良い。シアトルもそうだ。セミナー会場を埋め尽くす弁護士の多くがジーンズ姿であることに驚き、また安堵感を感じたこともある。夏の到来とともに、クールビズだの、スーパークールビズだのと、ノーネクタイに代表される軽装が提唱される日本。だが、声高に叫ばれるスローガンとは裏腹に、多くの日本人男性は、ポロシャツどころか、まだまだきちんとしたサラリーマン・ルックで通勤している。殺人的な通勤ラッシュで汗だくになり肩で息をしつつも、節電モードで室温も高いオフィスへと向かう。ただでさえ湿度が異様に高い日本の夏、もっとスマートにやれないものか。

西海岸のオープンなカルチャーは、カジュアルな服装に限定されない。会議室で向き合うM氏は、取り出した名刺に折り目がついていることに気づき、苦笑を漏らす。「あれ、こんなのしか手元にないんだけど。悪いなあ。」「結構ですよ。」私はありがたく受け取る。日本のように名刺に向かって丁重なお辞儀をすることもない。日本の企業社会には、こと細かな規律がある。名刺交換の際のお辞儀の仕方やら、会議室での座り方、タクシー内での座り方。何から何まで、こと細かなルールが存在する。それが日本の良さという見方もあるだろう。ルール自体を、私は否定しない。弁護士のハシクレとして、規律化の価値も理解しているからだ。だが、心に響くものがないルールの形骸化がどこか目立つのも、また日本であるのは否めない。

面談を終えて戻ったサンフランシスコ市内のホテルからは、ゴールデンゲートブリッジの雄大な姿が目前に拡がる。夜になれば灯りがつき、闇を照らし出す光の織り成すショーが満喫できる。名残惜しさは尽きないが、次に目指すのはオハイオ州・シンシナティだ。

X 月 X 日

こんなザーザー降りに見舞われ、びしょびしょになりながら走り出すのは、実に何年振りだろう。”It is raining cats and dogs.” まさに猫や犬が天から降ってくるような錯覚にとらわれる。会食を含む面談が終わり、「さあ、初めて訪れるシンシナティを探検してみようか」と意気込んでいた矢先、予想もしなかった大雨に見舞われた。パンプスに押し込められた足に走る痛みに顔をゆがめながら、ホテルへ向かって駆け出す。ようやく辿り着いた部屋で服を着替えた後、シアトルに電話を入れ、家族と話す。私の出張を機に、夫が同伴してアメリカに一時帰国した息子と娘は、元の学校へ短期間ながら復学する運びとなった。アメリカ在住の子供が夏休みを利用して日本の学校に短期間登校をする、いわば体験入学は、シアトルの日本人コミュニティでも市民権を得た。その点、息子と娘は「逆体験入学」をしているとも言えるだろう。旧友と抱き合って再会を歓び合う息子と娘は、アメリカの学校に戻れたのが嬉しくてならないようだ。「今日はさ、科学の授業で、こんなプロジェクトがあったんだよ。」「あのさあ、休み時間にこんなことをしたのよお。」「来週は、フィールドトリップだってさあ。」息を弾ませるように、矢継ぎ早に報告をする。彼らの口から流れ出すのは英語だ。ついこの間まで、「日本語の会話力が随分と上達したものだ。すっかりジャパニーズボーイ(ガール)じゃないか」と親はひそかに悦に入っていたものの、アメリカに戻れば戻ったで、瞬時にしてアメリカ人になる子供たち。給食のマーボーライスやカルピスゼリー。お習字やソロバン、プールの授業。休み時間のドッジビーや一輪車。そんなものがすっかり彼方へと遠ざかってしまったかのようだ。若さゆえの柔軟性か。逆カルチャーショックを味わうどころか、ずっとアメリカで生活していたかのごとく、「もうひとつの文化」へと、すんなり溶け込む。そんなわが子らの姿を頼もしくも思うと同時に、どこか取り残されたようで一抹の寂しさも感じながら受話器を置いた。

ワシントン DC の航空宇宙博物館で見たプロペラ機・スピリット・オブ・セントルイス号

X 月 X 日

ワシントン DC での週末が幕を切った。一足先に到着していた夫と子供が空港に出迎えてくれる。スミソニアンの航空宇宙博物館で、大西洋単独無着陸飛行という快挙で全世界を沸かせたパイロット・リンドバーグがその横断で操縦したプロペラ機・スピリット・オブ・セントルイス号の現物を見学することができた。この博物館を訪れるのは、大のリンドバーグ・ファンである私と息子のたっての願いでもあった。数年前になるだろうか、母子の共同プロジェクトとして、リンドバーグの飛行に関する「本」を書いたこともある。夫と娘が博物館の別の展示を見に行った後、息子と肩を並べ、私たちの英雄が操縦したシルバーの小型飛行機を、飽きずに眺め続けた。出張漬けで移動に追われる怒涛のような日々の中、子供たちの話をじっくりと聞いてやる余裕もないままだった。大企業の重役たちとの面談や会食は確かに貴重な体験であり、私の自己顕示欲を一時的ではあるが満たしてくれる。その傍ら、一日の終わりにパンプスを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、熱いシャワーに身を浸す時間に、心に浮かび続けるのは家族のことだ。特に思春期を迎えた息子は、日本での学校生活に上手く適応できず、言語や文化の壁と衝突しては、時として悔し涙もこぼしてきた。「やっぱり、僕はアメリカ人なんだよ。アメリカに帰りたい。」そう主張しては、私と夫を困惑もさせてきた。反面、いつしか彼なりに新しい友人関係を築き、本人は認めたくないようだが、ひそかに学校生活への歓びを見出しつつもある。そんな矢先にふってわいた私のアメリカ行きだった。「逆体験入学」の機会が与えられたのは、確かに幸運ではある。だが、アメリカでの生活が充実しているだけに、長年の友に再度の別れを告げ日本へ舞い戻るのが、悲しくてたまらないらしい。それは私にもよくわかる。「行ったり、来たり」。小学校の卒業文集に載った彼の作文には、そんなタイトルがつけられていた。母親の仕事の都合により、3年生の頃からシアトルと東京の間をまさに「行ったり、来たり」してきた息子が直面した試行錯誤が率直に表現されている。「いいわねえ、お宅は。両方の国で生活できて。」「子供にとって、いい経験になるわよね。」「バイリンガル、バイカルチャルで将来が楽しみじゃないの。」その手のコメントを頻繁に受け取る。私自身もそんな生き方を子供たちにプレゼントしてやりたいと真剣に考えていた時期があった。だが、実際に試してみれば、それはそれなりの苦労がつきものである。一箇所に落ち着いて生活し、同じ学校で馴染みの友達に囲まれ卒業したかった。そんな想いを息子にぶつけられたこともある。複雑な思いは残るが、ワシントン DC での休日、彼と二人で共有できるこの時間を存分に堪能しよう。共に敬愛するパイロットの辿った歴史の断片を目のあたりにできる幸運に感謝しよう。私は無言で息子の背を撫で続けた。

ダウンタウン・シアトルに遊びに行くたびに足を運ばずにいられないパイク・プレース・マーケット

シアトルっ子が世界に誇る企業・スターバックスの第一号店前で歌を披露する大道芸人

X 月 X 日

ニュージャージー州・プリンストンでの仕事が一段落した。アイビーリーグの一校として名を馳せる名門プリンストン大学を中心とする街は、こじんまりとしているが、お洒落な店やレストランに彩られ、どこか芸術的な雰囲気さえ醸し出す。大学の広大なキャンパスには、歴史の重みをずしりと感じさせる見事な建築の建物がこれでもかとばかりに建ち並び、初夏めいた風の中、のんびりと散策をするだけで、とびきり贅沢な気分が味わえる。その街にしばしの別れを告げ、家族が待つシアトルへと飛ぶ。実はシアトル界隈でも会社訪問が予定されており、結局は仕事がらみの滞在である。それでも、シアトルっ子である私にとっては、心弾む帰郷だ。名物の魚屋で魚が宙を舞う瞬間、歓声が沸き立つパイク・プレース・マーケット。ブレマートンやベインブリッジへ向かうフェリーが、白い泡で優雅な直線を描き出すエリオット湾。街全体に仄かに薫るエスプレッソの香り。そして、生まれたての夏の光を浴び、きらめきを増す緑。その地で、二人の子を授かり、子育てをしてきた。息子と娘にとっては、まぎれもなくシアトルこそが故郷であり、原点でもある。「息子夫婦がね、サマミッシュに住んでるのよ。もうじき、二人目の子が誕生の予定よ。」「そう、私はベルビューに姉夫婦がいてね。甥っ子の卒業祝いのパーティがあるから、それを楽しみに来たの。」通路を挟んで、懐かしい地名が聞こえてくる。たまたま隣同士となった見も知らぬ二人の女性たちが、長年の友人のように会話に花を咲かせている。なんだか、私まで便乗したくなってくる。もうじき、飛行機はシータック空港に着陸する。

夏に大賑わいを見せるウェスト・シアトルのアルカイ・ビーチにて

X 月 X 日

息子が、シアトルの学校の全校集会で、皆の前に立ち、バイオリンを演奏した。彼の弦から流れ出す軽やかな調べが心に染み入り、私は目頭が熱くなるのを感じた。集会で演奏することや、それに備えて日々の練習を積んでいたことなど、私は直前まで微塵も知らなかった。それだけ仕事に忙殺されていたのである。彼が発していた内面の叫びに気がつきもしない日が、幾多もあったに違いない。全校集会が終わって、校舎の外に出た。仰ぎ見るシアトルの空に、新しい季節の息吹が映し出されているようだ。これで友達や先生とも、お別れだ。シアトルっ子が待ち焦がれる夏の到来と同時に、私たちは日本へと帰る。どの地にも、それなりの美しさがある。優等生的な表現に聞こえるかもしれないが、それだけ私も年を重ねたということだろうか、心底からそう思えるようになった。東京には、東京にしかない輝きがある。いつか息子と娘にもそれに気づいて欲しいと願う。いや、本当は彼らなりに気づいているのかもしれない。「元気に日本に帰って来てね。待っているよ。」そんな手紙を、息子と娘はそれぞれに東京の友人たちから受け取っている。皇居のお壕の緑がより濃くなる街で、私たちの新しい友人たちが帰りを待ってくれているのだ。「だけどね、やっぱり、僕にとってはシアトルが一番なんだ。」そんな息子の声が私の心に届くのも、また否めない。(ごめんね。いつかは、「行ったり、来たり」にも終止符を打たなくちゃいけないよね。)そう心で呟きながら、水無月のシアトルの空をいつまでも眺めていた。

掲載:2013年7月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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