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第17回 東京ダイアリー(9)はにかんだプレイボーイ

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

この原稿を書く前に、今年初めてペディキュアを塗った。素足にサンダルをひっかける季節が到来したことを告げる、どこか懐かしい匂いを含んだ風に頬を撫でられながら。「そして、東京に夏が来る。」そんなコピーを永田町駅のポスターで見かけた。ゴールデンウィークの最終日である今日、そのコピーを、「そして、東京に夏が来た」と現在完了形に書き換えたくもなる。気温は摂氏26度。開け放した窓の向こうには、新たな季節の予感に彩られたビル街が拡がる。バケーションも終わり、明日は日常へと戻る。お気に入りのサンダルで初夏の東京を闊歩する日が近いことに心を躍らせながら、明るめの色で爪を染めた。

4月 X 日

吉祥寺へ行こう、と思う。なぜ、吉祥寺なのか。よくわからない。「ここではない、どこか」へ行きたい。ただ、それだけだ。「ジョージ」は、「住みたい街ランキング」で、自由が丘や三軒茶屋と首位を争う人気の高い街だ。どこがそう魅力的なのか、私には不思議でならない。見る目がないということか。それでも、何かにせきたてられるように新宿通りを足早に歩き、四ッ谷駅で中央線のプラットホームに上る。乗り慣れない電車の車窓の外に流れる風景が新鮮だ。

吉祥寺駅周辺ではハーモニカ横丁なる商店街が賑わいをみせる。何を買うでもなく、ただ喧騒に身を沈めたくて、目的も無いままにそぞろ歩く。46パーセントの発想。このフレーズが脳裏に浮かぶ。人生が100パーセント上手くいくなんてことはあり得ない。誰もがそう悟るからこそ、ハードルを下げて、75パーセントなり、68パーセントなり、「ここまで達すれば、とりあえずは上出来」と思える基準を無意識のうちに設定するものである。私もそうしてきた。いや、そうしてきたつもりだった。だが、私が75パーセントとして追い求めるものが、身近な人には重くのしかかることもあるのだと気づかされた。そして私自身も実はその重さにたじろぎ、肩で息をしているのかもしれなということに。75パーセントが重いのであれば、50パーセントあたり、いや、もう少しばかり落として46パーセントぐらいで、「ま、いいか」と開き直りゴロンと大の字になって寝転んでしまえば楽になるのだろう。肩にのしかかる重荷をひとまとめに袋に詰め込み、ポーンと空高く放り投げた瞬間、視界に飛び込む風景はどんなに清々しいものか。遅めのランチをとろうと入った店で、「ロコモコ丼」を食べながら思案にふける。春風の中、ささやかな一人旅が幕を閉じる。

5月 X 日

その美しさにも関わらず人影が薄く、静寂の空間を楽しめる国会前庭。

国会議事堂に隣接する国立国会図書館へ散歩がてらに足を運ぶ。国内で出版される出版物が全て収納される図書館。18歳以上であれば誰でも利用可能である。目と鼻の先に住みながら、一度も活用してこなかった。もったいない話だ。入り口で警備員に促されるままに鞄をロッカーに入れ、筆記用具を B5サイズのビニール袋に入れ持ち歩く。こんな袋をぶら提げねばならないとは知らなかった。どこか高揚した気分で、厳粛な雰囲気に包まれる館内を興味深げに見て回る。有名議員に遭遇しないか、などとミーハーな気分にもなりながら。永田町の魅力については、コラムにさんざん書いてきた。いい加減、永田町観光推進協会(そんなもの、あるわけないか)から礼状のひとつも舞い込んでいいのではと思う程だ。この界隈には、子供達の大好きな遊び場もある。国会議事堂の正面にある国会前庭。私達は噴水公園と勝手に呼ぶ。お花見シーズンが過ぎても遅咲きの桜に彩られるこの庭園は意外と人影が薄く、しっとりと落ち着いた雰囲気を醸し出す。平日はダークスーツの男性が行き交う永田町も、週末の昼下がりともなればゴーストタウンのごとく静寂に包まれる。その静寂の中、前庭の時計台の下でお弁当を広げ、噴水が織り成す優美なショーを眺めつつ、ゆったりと流れる時間に心を浸す。こんな風に過ごす日曜日が私は大好きだ。

5月 X 日

ある家族の姿が脳裏を離れない。川の両岸に沿い整備された隅田川テラスで行き交う船を眺め、水辺を吹く風にシアトルの匂いを感じとりながら、少し前に近くの水天宮で目にした光景を思い描く。生後まもない赤ちゃんを抱く茶髪の妻。端正な顔に眼鏡が似合う夫。二人の間にちょこんと立つ男の子は3歳ぐらいだろうか。深緑のスーツに蝶ネクタイが絵になる小さな紳士だ。そして傍らには、おそらく夫の両親であろう二人が、カメラを構えたり、男の子に向かって「ショウくん」と呼びかけたりしている。

参拝客で賑わう水天宮。

安産の神がまつられ、戌の日には腹帯を授かる妊婦さんがこぞって繰り出す水天宮。この神社は江戸の薫りが漂う日本橋で名を馳せる。この街の駄菓子屋ではソースせんべいやばくだんあられ、そして玩具屋では糸電話やでんでん太鼓が店先に並び、都内唯一の「つづら店」の存在が目をひく。(ちなみに、昭和初期には全国で約250のつづら店があったらしい。)歴史の断片があちこちで顔を覗かせる街並みが興味をそそる。水天宮は、安産祈願をした家族が出産後に感謝の意を込めてお宮参りに訪れることも多い。境内を埋める参拝客の中、なぜこの家族に視線が止まるのか、自分でもわからない。日差しの中、サングラス越しに映る幸せの光景が心をとらえて放さない。安産祈願やお宮参りをするどころか、成人式の振袖に袖を通すこともなく、日本古来の伝統やしきたりから逃げるように、海外で少々変わった生き方をしてきた自分の姿が映し出されたような気もする。結婚後も子を持つことを長年にわたって拒絶したり、ロースクールに入学したり、挙句の果てには二児を引き連れての単身赴任で日本へ飛んできたりと、来た道を振り返れば、どこかフツウではない自分がいるような気がしてならない。

「おい、神尾。個性を発揮するのもいいけどさ、もっと勉強してくれよ。」 そう懇願した K 先生の顔が浮かぶ。校則を鋭い言葉で批判する記事を大手の新聞に掲載した結果、緊急職員会議で槍玉に挙げられたりと、青っぽいとしかいいようもない女子高生だった。自分は人と違う、個性派なのだと思い上がっていたのだろう。「自らを個性派と気取る人ほど嫌な人はない。」

何かの本で読んだ。その通りだ、と今でこそ私も頷く。半面、こうも思う。私にはやはりこんな生き方しかできないのだ、と。わざわざフツウを避けてきたのではない。自分のやりたいこと、心地よいことを優先してきた結果、他人から見れば「フツウじゃない」人生になったのだ。今も、東京の空の下、時には愚痴をこぼしたり、人に泣きついたりもするが、それでも私は心地よく暮らしている。「えっ、子供を二人連れて単独で日本へ?旦那をアメリカに残して?よく、やりますね。」

異口同音で、何人の人に言われてきただろう。「大変ですね。」 同情もされる。だが、「日本に来てよかった」と心から思えるし、そう思える自分が嬉しい。フツウか、フツウじゃないか。そんなことは、結局どうでもいい。隅田川の水面に目を落としたまま思う。スケートボードに興じる二人の少年の笑い声が背後で弾く。

5月 X 日

ゴールデンウィーク中に、海浜公園にて磯遊び。

ビニールバッグに水着とキャップを入れる。ゴールデンウィークが終わると同時に、子供達の学校ではプール開きだ。(言うまでもなく、室内プールである。)ゴールデンウィークは、都内での日帰り旅行に明け暮れた。永田町駅を最寄とする利点のひとつとして交通の便のよさが挙げられる。接続する赤阪見附駅を合わせ5つの地下鉄路線が乗り入れており、これは東京地下鉄の駅として最多といわれる。ディズニーリゾートだろうが、浅草だろうが、東京の見所はどこでも永田町から極めて簡単に辿り着く。それを最大限に活用すべく、私達親子も休みごとに東京散策を楽しんできた。「北区?ああ、飛鳥山公園や紙の博物館があるよね。都電荒川線のかわいらしい路面電車も走ってるし。」「世田谷?あそこの等々力渓谷は駅から近いし、緑に溢れてて最高!」

こんな風に受け答えができるようになり、東京出身の知人友人から「よく知ってるねえ」と目を丸くされるまでになった。「あそこはお薦めよ。渋谷経由で東急大井町線に乗り換えて行くの。」

私もいっぱしの東京人よろしく吹聴する。ゴールデンウィーク中も、友達の家族とディズニーシーで身の毛もよだつ乗り物に絶叫したり、海浜公園で磯遊びをしたり、はたまたリス園で愛らしい動物たちに目を細めたりと、思い出のアルバムが一杯になった。

「東京?そんなコンクリートジャングルじゃ、子供達が気の毒だね。」

シアトルでは幾人もの人から異口同音で言われた。けれど、東京は奥が深い。流行の最先端を行く世界有数の都市でありながら、実は樹林や水で潤う自然と歴史の宝庫であることを知らない人も多いのではないか。東京は、四季折々で、また見る角度によって、変化に富む表情を覗かせてくれる。お洒落で気取ったプレイボーイが、ひょんなきっかけで、素朴な田舎青年やら、凛とした日本男児やら、思いがけない一面を見せてくれるかのように。そんなプレイボーイのはにかんだ笑顔を見るのが嬉しくて、次の週末もまた永田町を起点にメトロに揺られ、小さな旅に発つことだろう。透明な光に初夏が薫り始めた東京で。

掲載:2010年5月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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