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第14回 東京ダイアリー(6) 永田町パステル模様

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

1月 X 日

「迎春」という旗がはためく。マリンバの軽快な音楽を背景に、人波にのまれそうになりながら歩く。中野サンプラザから道を隔てた所にあるアーケード商店街「中野サンモール」。「390円中華そば」の旗が立つ店。下駄や雪駄も顔を覗かせる傘と履物の店。マロンクリームやりんごクリーム入りのお焼きの店。ドラッグストア。回転寿司。土曜日の昼下がりのざわめきと開放感がこの商店街には似つかわしいと思う。イタリア語だの、フランス語だのと気取った片仮名の羅列が目立つ丸の内とはまるで違う。かといって、浅草や柴又のように、観光客相手に伝統だの下町情緒だのをアピールし団子や煎餅を売る場所とも違う。さりげなく、それでいて力強い。庶民の地に足がついた暮らしの断片が溢れるような空間が心地よい。いや、この心地よさは、似たような空気の流れる商店街に母と出かけた少女時代を彷彿とさせる地だからか。確かにこのアーケードはどこか郷愁の念を呼び覚ます。ひなゼリーやいちご大福が彩りの色を添える和菓子店で足を止める時、お雛様や桃の花が飾られた実家の居間が脳裏を掠め、今年の雛祭りはどう祝おうかと、年が明けたばかりなのに心は早くも3月に飛ぶ。長蛇の列ができた「銀だこ」から漂う匂いを嗅ぐ時、後生大事に小銭を握り締めて珠算教室をあとにし、たこ焼きの屋台へと小走りに急いだ黄昏時の空気に包まれる気がする。陽だまりのようにやさしく、はかない。あの世界にもう戻れないという事実が胸を刺しさえする。「底冷えしますよね。」立ち寄った八百屋で、おばあさんが富有柿を袋にくるみながら話しかける。春はまだ遠い。

1月 X 日

前のめりになって待ち合わせの場所へと足を早める。スーツ姿の会社員に混じり、ラフなセーターを着こなした長身の彼が手持ち無沙汰に立っている。小走りの私を見つけた途端、懐かしい笑みが口元に浮かぶ。学生時代の男友達 T が丸の内に来てくれた。何年振りの再会となるのだろう。行きつけのラウンジへと先に立って歩く。ガラス越しに臨む皇居外苑の木々の潤いが、無機質に見えがちなビル街に安らぎの色を与える。景色を眺めたまま、言葉を捜す。照れが先立つばかりで何から話してよいのやらわからない。「この前、家族で月島へ行ってね。もんじゃを作るのが楽しかった。」70軒ものもんじゃ焼きの店がひしめき競い合う月島の「もんじゃストリート」。危なっかしい手つきでドーナツ状のドテの中にだし汁を流し込もうとしていた息子のことを話す。T はあの界隈で育ったのだ。「子供なんて大嫌い。絶対に産まない。」そう豪語していた私を彼はもう覚えてはいないだろう。いわゆる脱サラを経て、独自のビジネスを立ち上げた T。かつては彼もこの丸の内で、日本を代表する有力企業に勤めていた。流れた歳月の重みを感じる。それでも、思いがけない再会に、どこかほっこりとした気持ちでオフィスへ戻る。

1月 X 日

小学校の朝会でバイオリンを演奏する息子

出勤前、息子の学校に立ち寄る。全校生が体育館に集まっての集会で、彼がバイオリンを演奏することになった。と書くと、いかにも自慢げに聞こえるが、そうではない。かくし芸の披露が行われることになり、彼が立候補しただけの話だ。聞き慣れた筈の音色を背景に、今日までの日々の断片がぽろり、またぽろりと零れ落ち、言葉にしがたい想いが溢れた。

「どうしてインターナショナル・スクールに入れなかったの!これ、ママのせ・き・に・ん!」息子が怒鳴る。冗談半分とはいえ級友から「ガイコクジン」と呼ばれ、時には機嫌の悪い5年生の女の子から、「あんたなんて、さっさとアメリカに帰りなさいよ」と罵声を浴びる。もっとも、私は息子が犠牲者だからと憤る立場にもない。時には彼自身が喧嘩を売った挙句、先生に呼び出されたりもするからだ。漢字テストの追試を課されつつ、準備をしようともしない彼を叱り飛ばし、挙句の果てには親子喧嘩が始まった。「漢字なんてさ、アメリカでは何の役にも立たないよ!」怒涛の日々の中で私も悩み、幾度も立ちすくんだ。「ママ、ぼく、やっぱり日本にもっと長くいたい。」そう息子がおずおずと切り出した夜、私は黙って彼の顔を見つめた。「だって、友達と別れたくないから。」どこか照れた表情で言う。本屋に連れて行けば、嬉々として「ドラえもん」シリーズを探しに行く。外出先でも「どらえもん」を手放さず、時には電車内で一人ケタケタと笑い出したりもする。(たかが、ドラえもんと言うなかれ。日本語の読書を頑として拒み、シアトルから持参した Hardy Boys シリーズばかりを貪り読んでいた彼にしてみれば、大きな進歩を遂げたものだと親馬鹿ながら悦に入っている。)シアトルでは3歳下の妹とも英語で話していたくせに、いつのまにやら、2人の会話は日本語中心となった。「日本語ばっかり喋ってたら、ママの英語も変になっちゃうからね。これから家では英語で喋ってよ。」そう懇願する私に言う。「ここは日本だからね。日本語で話すんだ。」私も負けてはいない。日本語が不得手な夫を引き合いに出し、「英語を忘れたら、パパとお話できなくなるよ」と脅かす。「通訳をつければいいんじゃない。」すずしい顔で言い、再び「ドラえもん」に視線を落とす。(さあ、困った。アメリカの学校に復帰したら、読み書きが遅れて苦労するだろうな。)身勝手にも今度はそれで頭を痛め、それでいながら、どこか嬉しくもある。

1月 X 日

アメリカ大使館周辺のものものしい警備。羽田空港へ向かうモノレール。車窓から眺める風景が新鮮だ。晴れ上がった土曜日の朝、友人の「お花屋さん」がドライブがてらに大田の花市場へと連れて行ってくれた。この卸売市場では、早朝に業者が集まっての競りも行われる。このハイテク時代、参加者はコンピュータで希望価格を入力し、競り価格が前に表示される仕組みになっている。こういう場所にはなかなか自ら足を運ぶチャンスなどないから、興味津々で巨大な倉庫のような市場を見てまわった。子供達が「お花屋さん」と呼ぶ M さんは、文字通りショップを切り盛りする傍ら、ホテルや店の要望に応えて花を生け、一方ではフラワーアレンジメントを教えもしている。小学生の頃は園芸係をしていたと笑う M さんは、天職に巡り合えたのだろう。子供達もお花屋さんが大好きで、水やりなどの「アルバイト」に興じては、パキラなどの草木についての話を聞き、私に聞かせてくれる。

前回のコラムにも書いたが、人とのちょっとしたふれあいが、無味乾燥になりかねないビルの狭間での暮らしに、温かな息吹を吹き込んでくれる。特に、両親が別居結婚を強いられている子供達にとって、母親一人とのべったりとした関係よりも、別の大人の人たちと交流を持つことは意義があるだろう。根気よく漢字の練習に付き合ってくれる同じ建物内のおじさんやおねえさん。キャッチボールの相手を務めてくれる級友のお父さん。勉強やバイオリンを教えてくれる上智大や東京芸大のおにいさん、おねえさん。駒や将棋など日本の遊びを紹介してくれる学童クラブの先生。保育園に移るため小1ヶ月で退園せざるを得なかった幼稚園の母親仲間からは今でも声がかかり、クリスマス・パーティに招待してもらったり、栃木でのイチゴ狩りに連れて行ってもらったりしている。日本に来て、日本文化を体験し、日本語が上達した。本当はそんなことよりも財産になるのが、日常で積み重ねてきたふれあいの重みだろう。

2月 X 日

手を伸ばせば届きそうだ。「三味線、教えます。」玄関横に貼られた手書きのポスター。ベランダにひしめく洗濯物。家の脇に立つスクーター。踏み切り前で自転車を停める高校生。「おでん」ののぼりが冷風にはためき、つゆの沁みた大根や厚揚げの匂いが漂いそうな「コンビ二」。かわいらしい2両編成の電車は、三軒茶屋を発ち、路面電車よろしくガタゴトと世田谷の住宅街の中を走っていく。初めて乗る東急世田谷線に、まるで遠足気分だ。山下駅で降り、弦楽器工房で娘のバイオリンの修理をしてもらう。工房のオーナー、中国人のガンさんはいかにも実直な職人といった風情で、手際よく直してくれた。再びミニ電車に揺られ三軒茶屋へと戻る。ここには、キャロットタワーなる奇異な名のビルがそびえる。(「にんじん色」の建物だからだそうだ。)26階の無料展望スペースへとエレベーターに乗る。これまでにも私達はいろいろな場所から大都会の眺望を堪能してきた。東京タワー。東京都庁。池袋サンシャインシティ。どれも観光客がこぞって押しかける場所ばかりだ。それにひきかえ、キャロットタワーの展望室はスケールが小さく影も薄い。雰囲気にしても、たとえばサンシャインシティとはまるで異なる。夜だったからだろうか、サンシャインシティには、幾組ものお洒落なカップルが密着せんばかりにピタリと寄り添い、ダイヤモンドを散りばめたかのような夜景を見下ろしつつ二人の世界に浸っていた。(夫が3度目の来日を果たした時に行ったので、私にも寄り添う相手がいなかった訳ではない。だが、とっくに古女房の域に達した今では変なプライドが邪魔するだけである。)ところが、どうだ。土曜日の昼下がり、にんじんタワーの最上階で目立つのは、もっさり(失礼)したおじさんか、「1個150円の神戸ドーナツ」を頬張る親子連れのどちらかだ。ここには、エフエム世田谷のサテライトスタジオが設置され、2人の DJ がリクエスト番組の公開放送をする最中でもあった。その名も「あの頃青春グラフィティ」。流れる曲に胸を熱くし、一方でそんな自分が滑稽でもある。バイオリンを抱え思いがけない寄り道を大いに満喫し帰路につく。

2月 X 日

霧吹き代わりにヘアスプレーのボトルを使って、娘がピンクのつぼみたちに水を吹きかける。「お花がふくらんできたよ、ママ!」歓声を上げながら。雛人形などある筈もない東京の我が家に、せめてもの季節感を添えようと買って来た桃の花。それに加え、スイートピー、パンジー、そしてパキラと窓際に並べると、機能一辺倒の部屋に少しは早春の匂いが香り立つようで気持ちが和む。「今朝のごはんはお外で食べよう。」私が促すと、いつになく子供達はテキパキと服を着替え出す。彼らは、近所のカフェでクロックムッシュとミルクのモーニングセットを注文したくてウズウズしているのだ。永田町駅のすぐ外にあるこの店は、いつもながら、経済新聞を読む勤め人で賑わう。ダークスーツの男性が闊歩する政治家の町、永田町。私達が最寄りとする永田町駅に加え、国会議事堂前という名の駅まで存在する。(全国で最も警備が厳しい駅だと読んだが頷ける。)永田町が如何にお堅い町であるか判っていただけるかもしれない。だが、その永田町でさえ、パステルの光に包まれ表情を和らげたかのように見えてならない。コートがまだ手放せないとはいえ、頬を撫でる風に新たな季節の予感が感じられるからだろうか。それとも、ここでの生活に溢れんばかりの愛着を感じ始めた私達母子の心模様を映し出しているのだろうか。

クロックムッシュをたいらげた息子が、今や板についた黄色の校帽をポンと頭にのせ、友達との待ち合わせ場所へと急ぐ。私は娘の手を引いて永田町駅の階段を下り、保育園へと向かう。さあ、今日もここから私達の一日が始まろうとしている。

掲載:2010年2月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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