著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
一線一線に力がみなぎる。大筆が和紙の上で創り出す世界に、観客は息を飲む。絶え間ないシャッター音の中、注がれる視線に臆することもなく、その小柄な書家は全身に力を込めて筆を動かし続ける。大筆は15キロを越えるともいうが、彼女の颯爽とした筆さばきはその重みを感じさせない。やがて筆の動きがぴたりと止み、拍手と歓声がその場を包む。緊張感がほぐれ、すがすがしい笑みが書家の顔に広がる。席上揮毫の映像だ。ダウン症の天才書家。そう賞賛される金澤翔子さんについて教えてくれたのは、子供達のバイオリンの先生だった。レッスン後の会話で NHK 大河ドラマ 『平清盛』 が話題に上り、番組の題字を担当したわずか26歳の書家を知らされたのだ。興味をかきたてられた私は、帰宅するやいなや、インターネットで検索を始めた。夕食の支度をするのも忘れたまま、子供達と PC に釘付けになり、翔子さんの鮮やかな筆使いに見入った。サイトでは、彼女の書のパフォーマンスに加え、カラオケボックスで歌ったりカレーライスを作ったりといった一女性の日常の断片も垣間見ることができる。「わたし、料理が大好きだから、コックさんになろうとも思ったの。」「玉ねぎにはカルシウムが入っているの。体が大きくなるのよ。」 台所で野菜の皮を剥きながら語る翔子さんの笑顔は天真爛漫で、見る側も微笑まずにいられない。だが、童女のような翔子さんがひとたび筆を握れば、キリッとした表情がうまれ、体全体から溢れ出すエネルギーが気迫さえ感じさせる。その彼女の傍らで筆の動きを目で追い、時には黒子よろしく半紙で余分な墨を丹念に拭き取るのが、60代の母親、泰子さんだ。「私は世界一幸せな母親です。」そう言い切る泰子さんの背景には、娘に寄り添い二人三脚で生きてきた歴史の重みがずしりと感じられた。
ベビーカーを坂の上から落とすか。ミルクを薄めて衰弱死させるか。この子を殺して私も死のう。そう思いつめた陰鬱な日々があった。泰子さんは振り返る。高齢出産でようやく授かった翔子さんがダウン症だと医師に宣告を受けたからだ。「お母さん、この子は知能がなく、一生寝たきりになりますよ。」ダウン症への理解が専門家の間でも不十分な時代だった。せめて我が子に友達を作ってやりたいと、母は書家としての経歴を活かし自宅で書道教室を開いた。5歳で書の世界に身を投じた娘の師として、ひと筆ごとに未来への希望を託すべく、泰子さんは翔子さんと共に歩んできた。書道の基本形である「右上がり」や「平行」の意味を教えようにも、翔子さんには理解できない。そこで泰子さんは、娘を外へ連れ出し坂道を幾度も上り下りしながら、「これが右上がりよ」と体で覚え込ませた。線路沿いに歩き、「これが平行よ」と教えた。普通学級への登校を学校側から拒否された10歳の春、母子は絶望感を昇華させるかのごとく、来る日も来る日も朝から夕方まで般若心経を書く生活に没頭した。遂に数ヵ月後、作品が完成した。「ありがとうございました。」最後の文字を書き上げた翔子さんは母親に向かって律儀に頭を垂れた。思わず母は娘を抱き締めたという。翔子さんはコンクールで賞を獲得するまでになり、20歳での個展の成功を契機として、メディアの脚光を浴びるようになった。以後、彼女の作品は鎌倉延長寺や京都建仁寺にも奉納された。翔子さんの筆が創り出す壮大な世界に心を揺すぶられ、涙を流す人もいるという。席上揮毫で巧みに大筆を操る翔子さんを脇で見守る母・泰子さんの姿が私の目をとらえて離さなかった。
母娘が手を取り合って築き上げてきた書の世界を知ると同時に、もう一組の親子の物語が私の脳裏を横切る。背後にバイオリンの音色が響く。「ほら、言っただろう。こう弾くんだよ。パパがやるから聞いてごらん。」そんな言葉にさえぎられバッハの曲が途切れる。極太マジックで大きな模造紙に書き写した楽譜が部屋の壁を埋めつくす。そんな光景を思い描く。戦場ながらの練習風景だった、と師であり父である川畠正雄さんは回想する。10歳の少年と父親は、放課後、8時間におよぶ練習を連日繰り返した。眼鏡の向こうで少年の目は僅かにしか見えない。8歳の時、観光旅行中のアメリカで、薬害が容赦なく彼の視力を破壊した。息子の将来に光を見出したい。その一心からバイオリニストであった父・川畠正雄さんは長男の成道さんにバイオリンの特訓を授け、ソリストとしての道を歩ませようと決意した。音楽家の家庭に育ったとはいえ、10歳という遅い出発。そして、オーケストラの一員や教師ではなくソリストという厳しい選択。だが、平日は8時間、週末は10時間におよんだ練習時間にさえ、小学生の成道さんは弱音を吐きはしなかった。父親にはそれなりの葛藤があった。オーケストラのコンサートマスターとして活躍していた彼は、息子との練習時間を増やそうと悩んだ挙句、コンサートマスターを断念し一団員となることを選んだ。自らの音楽の世界をさらに高めたいという願望を抱きつつも、視覚障碍を持つ我が子の将来に賭ける決断を下したのだ。自宅では息子と向き合う時間を少しでも編み出そうと、入浴も5分以内で切り上げ、そそくさと2階の練習室へ足を早めたという。成道さんは、英国王立音楽院を首席で卒業。デビュー公演で日本フィルハーモニーと共演し、ニューヨーク・カーネギーホールでのリサイタルを果たした。
大成した人物の背後には、往々にして、彼らのために道しるべを築き、時にはいばらの道を共に歩むことを選んだ親の姿が見え隠れするものだ。「人は、環境の子である。」 バイオリンの鈴木メソッドを世界に広めた教育者・鈴木慎一氏は、「どの子も環境次第で素晴らしい才能を発揮する可能性を秘める」と説いた。親としては、つい丸めがちな背をピンと伸ばさざるを得ない。半面、家庭環境ではなく持って生まれたものこそが人生を決定するという説も根強い。その論理を様々な角度から裏付けるべく幾多の実例を紹介する本も出版された。さらに一般的な見方は、環境と生まれついての才能、どちらか一つではなく、双方が融合してこそ成功を収めるというものだ。私自身も、そのような気がしてならない。金澤翔子さんや川畠成道さんの成功もそれを顕著に物語る。彼らの大成の影に親の愛情と熱意があった事実は言うまでもない。だが、遊びたい盛りの小学生が長時間の濃厚な練習を毎日こなしたという事実に驚愕し、それ自体がまさに生まれついての才能だと確信した。たとえば川畠成道さんは、反抗するでもなく、愚痴をこぼすでもなく、「周りの子が塾に通うのと同じように、日々の練習を当たり前のことと受け止めていた」と淡々と語るのだから、舌を巻く。私の息子や娘はまがりなりにもバイオリンを弾くが、悲しいかな、8時間どころか、30分、いや15分の練習時間を確保するのにさえ親子喧嘩が勃発しかねない時がある。「そりゃ、8時間から10時間も練習してりゃ、めきめき上達するでしょうよ。プロも夢じゃないでしょうよ。」やっかみ半分でそうも言いたくなるのが人情だが、実際にそれを実行に移すことができる子は氷山の一角に過ぎない。(いや、皆無に近いと言った方が正確だろう。)こればかりは親の努力で培われるものではないのだ。ちなみに成道さんは、音感や記憶力も群を抜いていたという。音楽家としての素質に恵まれ、そこに親の情熱が注ぎ込まれた結果、才能が大きく開花した稀有な例とも解釈できる。
一つの疑問が湧く。家庭環境が人生に深遠な影響をもたらすのであれば、その事実はあまりにも不公平で、残酷ともいえる側面を持ち合わせるではないか。子は親や環境を選んで生まれてくることなどできないのだ。その点、翔子さんや成道さんは恵まれていたといえよう。それは単に、「母が書家」、「父がバイオリニスト」という親の職業的背景だけではない。ハンディを背負う我が子の未来を少しでも明るいものにしてやりたいという悲願、苦しみも共有しつつ生きていくという決意、そして洞察力や感受性、芸術を愛する心など豊かな内面世界を携える親の元に生まれたという幸運である。翔子さんの母・泰子さんを見た私は、瞬時にして、「この人は知性豊かな女性に違いない」という印象を持った。実際、泰子さんは若かりし頃から書道のみならず短歌や能をたしなみ、日本の伝統文化への造詣が深く、それを次世代に伝承しようという目的意識が強い人だった。「男の子が生まれたら、日本一の能楽師に。女の子であれば、日本一の書道家に。いずれにせよ、日本一の子を育てる。」そう決めていたと言う。この親にして、この子あり。そう呟きたくもなるというものだ。
だが、当然といえば当然ながら、皆が皆、愛情溢れる親や知性高い親により手塩にかけて育てられる訳ではないのだ。いや、その逆に、我が子の人生をズタズタに切り裂くような親が存在するという現実も立ちはだかる。先日も、犯罪を犯した女性の家庭環境について読み、やるせない気持ちにおそわれた。風俗店勤務の母親が幼い二児を自宅に約50日間も放置し餓死させた事件である。異性との夜遊びに明け暮れていた母親は、猛暑の中、部屋の扉に粘着テープを貼って子供達を閉じ込め外出したという。3歳の女の子と1歳の男の子は泣き叫びながら息絶えた。飢餓の苦しみとは比べようもないとはいえ、犯人自身も暗黒といえる家庭で、おそらくは実の親を信じることもできず孤独と戦いもしながら生きてきたのだ。「どんなに過酷な環境で育とうが、それが罪を犯すことへの言い訳になどなり得ない。つらい幼少時代を送りながらも、そこから懸命に這い上がり、立派な社会人として、また家庭人として意義深い人生を送る人もいるじゃないか。結局は本人次第なんだよ。」そんな声がどこからか聞こえるような気がする。それは私自身の内なる声でもある。確かに、不幸な生い立ちが残忍極まりない犯行の正当化には繋がらないし、繋がるべきではない。そう悟りつつ、どこかやりきれない思いが尾を引くのは否めない。両親に愛されているという確信を持ち育っていれば、彼女の生き方も変わっていたのではないか。胸をえぐるような痛ましい事件を防ぐことも可能だったのではないか。何も、般若心経の書き方やユーモレスクの弾き方を手ほどきする親を持つ必要はない。だが、せめて、親子が笑い合って食卓を囲むような家庭だったのであれば・・・。「お父さん、お母さん、助けて。」そう訴える子に手を差し伸べる両親がいたのであれば・・・。繰り返すが、子は親を選べないのである。”Life isn’t fair.” 人生に不公平はつきもの。アメリカ人が口にする常套句を思い出し、もの哀しさがこみあげた。
「クッキング翔子でーす。」 エプロン姿の翔子さんが PC のスクリーンの向こうから笑いかける。馴れた手つきで、玉ねぎやマッシュルームを刻む。肉や野菜が詰まった鍋を火にかけ、アクを取る。書に取り組む彼女の颯爽とした姿にも見惚れるが、26歳の女性のさりげない日常を映し出すこんなビデオにも、陽だまりに照らされたような温もりを感じる。いずれ独りでも生きていけるようにとの願いを託し、母の泰子さんが料理の仕方や電車の乗り方を指導したという。その母と娘が手を繋ぎ歩く後姿を私は凝視した。「おかあさま、だいすき。あいしてます。」翔子さんの言葉が胸に響く。シンプルで美しいこの言葉は、彼女の筆先から放たれる重厚な漢字の世界とは対照をなし、ふんわりと柔らかな平仮名の世界を彷彿とさせる。翔子さんの笑顔はみずみずしい。天才書家と賞賛される彼女だが、実のところ、そのような肩書きは大切ではないのかもしれない。だいすき、あいしてます。母親にしてみれば、これだけで十分に幸せだろう。「ママ」という呼び名をいい加減に卒業させたいという私のひそかな願いを悟り、機嫌のいい時だけは「おかあさま」と呼んでくれるようになった息子と娘の顔を思い浮かべながら、(いいな、いいな)と私は心で繰り返す。おかあさま、だいすき。あいしてます。いい言葉だ。きらきらと光の輪が踊り出すような、とても、とても美しい言葉だ。一人でも多くの人がそう言える社会であって欲しい。イースターの昼下がり、窓を彩る春空に視線を泳がせながら、祈るように心で呟いた。
掲載:2012年5月
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