MENU

第41回 お帰りなさい

  • URLをコピーしました!

著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

10月 X 日

プリンストンは秋の色に染まる。赤や黄土色の葉っぱたちが、ガラス越しにひらひらと舞い込みそうな気さえする。同じような葉にシアトルも彩られるのだろうか。日曜日の正午過ぎ、ニューヨークJFK空港を発ったタクシーは、郊外の街を駆け抜ける。3時間遅れの西海岸での生活へと想いを馳せる。まばたきをすれば、エバーグリーン・シティの週末の風景が眼前に拡がるようだ。キャリーは、バプテスト教会の日曜学校で、幼稚園児のおちびちゃん一同を前に賛美歌の指導にいそしむのだろうか。リアとジョーシュは、カフェの窓際で、エスプレッソの香りに包まれ、ジョギング後の静かなひと時を慈しんでいるのだろうか。ひとつ、またひとつ。懐かしい顔を心に描く。ああ、シアトル。今度はいつそこへ戻ることになるのだろう。

12時間以上ものフライトはつらい。成田―シアトル間の直行便を利用するのに馴れた身にとって、東海岸への旅行はことさら長く感じられる。その上、私は機上で眠るのが大の苦手ときている。睡眠不足のせいで、微熱でもあるかのように体がだるい。これが国内出張だと時差がないし、家族と離れていても不安が少ない。だが、海外出張ともなれば、さすがに緊張感が募る。留守中に震災でもあったら、どうしよう。いや、そこまでいかなくても、子供が怪我や病気でもしたら。心配事は尽きない。その反面、やはりアメリカに帰れるのは嬉しい。Welcome home. JFK 空港で入国管理を終えた後、自分に向かって呟いた。

10月 X 日

ひとり、また、ひとり。こんもりと食べ物が盛られた皿を手に、人が集まってくる。さっきまで静寂に包まれていた会議室が、たちまちにして活気に漲る。ターキーサンドにツナサンド。パスタのサラダ。ポテトチップス。そして、山のごとく積まれたダイエットコークの缶。デザートに、ブラウニーとチョコチップクッキー。これぞアメリカのオフィスにふさわしいランチメニューだ。従業員は、会議室横のキッチンで好きな物を紙皿に取り分ける。そう遠くない日々、私もこういった昼食を食べていたのだ。東京オフィスで、私のランチはパターンが決まっている。手製のお弁当(なんと、8歳の娘が作ってくれる。愛妻弁当ならぬ愛娘弁当である)か、市販のお弁当。たまに誰かと連れ立って外食をする時は、少しばかりお洒落なイタリアンやフレンチ。でも、アメリカン・スタイルを口にするのは数ヶ月ぶりだ。出張先の会社では、朝から夕方まで、息切れしそうな程に、ぎっしりと会議が詰まっている。そんな中にあって、ランチタイムは唯一リラックスできる貴重な時間だ。集まってきた人たちは、大盛りの具がはみ出そうなサンドイッチを頬張りながら、あるいはチップスをつまみながら、他愛ないお喋りに花を咲かせる。「3人、子供がいてね。一番下はもう13歳なのに、まだまだ甘えん坊で困るのよ。」一瞬、母親の顔を除かせるベテラン弁護士の言葉を耳にする時、よぎる思いがある。アメリカでは、専門職に就きながら、3人も4人もの子を育てる女性が珍しくない。少子化が深刻な社会問題に発展した日本では、たった2人(そう、「たった」なのである)の子しかいない私を前に、「お仕事をしながら2人の子育てとは。大変でしょうねえ」と、さも気の毒そうに口にする人がいる。いや、実は私自身、時として肩で息をついてみせ、「ワーキングマザーって、楽じゃないよね、やっぱり」と「大変ぶって」見せているのかもしれない。だが、私が知るアメリカ女性は、ことさら肩に力を入れるでもなく、また、「両立、両立」と声高に叫ぶでもなく、ごく自然に仕事と家庭を人生に組み込ませている。特許侵害訴訟の書類が詰まったブリーフケースを助手席に置き、鼻歌なんぞを歌いながらデイケアへと車を走らせるような女性は、珍しくも何ともない。いや、そもそもワーク・ライフ・バランスを、子育てに携わる女性の問題として位置づけること自体が不自然なのだ。弁護士として激務をこなす傍ら日々の練習時間を捻出し趣味のスポーツを極めた結果、大会に選出されるまでになった男性も私の知人にいる。既婚だろうが独身だろうが、子供がいようがいまいが、バランスのとれた人生を生きたいという願望は普遍的なものだろう。「働くことは」、「家庭とは」、そして「幸せとは」。懐かしい国の土を踏み、それらのことを新たに考えている自分に気がついた。

ニューヨーク市内の法律事務所から眺めた景色。

ニューヨーク市内の法律事務所から眺めた景色。

10月 X 日

眠らない街。使い古された表現を心で反芻する。けばけばしい巨大ネオンに照らし出される街を歩く。マンハッタンの夜空の下、路上の喧騒に包まれながら、どこか高揚した気分でカメラをバッグから取り出す。キティやスポンジボブ、ミニー。お馴染みのキャラクターのコスチュームをつけた人達が観光客と肩を並べ、写真撮影に応じる。カウボーイ・ハットをかぶり、裸体に近い姿をさらけ出してギターを奏でるアーティストもどきもいる。シアトル郊外の緑の街、ひいては東京都心の少々気どった街で暮らしてきた私にとって、このクレイジーさは疎ましくもあり、それでいてどこか新鮮にも感じられる。

前夜の散歩を振り返りながらタクシーに揺られ、市内の瀟洒な高層ビルにある大手弁護士事務所へと向かう。ニューヨークでも首位を争うファームで法律セミナーに参加するのだ。ホテルのロビーのように洗練されたオフィスに最初の一歩を踏み入れた途端、シアトルの法曹界との隔たりを体感した。見るからに高級そうなスーツに身を包んだ弁護士たちが、飲み物を手に談笑している。まるで映画の一シーンのようだ。「弁護士がスーツを着るなんて、当たり前じゃない。」人はそう思うかもしれない。私はシアトルでもこの手のセミナーには嫌と言うほど参加してきた。だが、超一流のファームで開催されたセミナーでさえ、ジーンズ姿で堂々と席につく出席者がなんと目立ったことか。大真面目にスーツなど着ようものなら場違いのあまり目立ちそうで、私自身も学生のような格好をして参加した。シアトルの風土とは、そんなものである。夏ともなれば、T シャツに短パンで出勤する人さえいる。私の上司もそうだった。それを誰が笑うでも指さすでもない。あの気楽さ。あの大らかさ。それがシアトルの魅力でもあったじゃないか。セミナーの休憩時間、オレンジジュースを飲んで一息つきながら、ガラス越しにエンパイア・ステート・ビルディングを眺め、今は遠くなった西海岸を脳裏に浮かべ遠い目をする。

サンディエゴのホテルのバルコニーから満喫した風景。

サンディエゴのホテルのバルコニーから満喫した風景。

11月 X 日

溢れんばかりの光をエプロンに包み込み、そのちっちゃな女の子は駆け抜ける。家で待つ寝たきりのおばあさんに、おひさまのぬくもりを贈ろうと胸を弾ませながら。あれは何年生の時だったろう。小学校の教科書で読んだ童話が、歳月の重みを超えて蘇る。ホテル21階のバルコニーから見下ろすブルーの世界に心を浸しながら。

立て続けに2回、アメリカへの出張が入った。プリンストン、そしてニューヨークへの旅から帰国した当日、今度はサンディエゴ行きが決まったのである。片付けもしないままゴロンとリビングの隅に投げ出されたままのスーツケースを前に、再度のパッキングに取りかかった。ロサンゼルス経由で到着したサンディエゴは、予想していた通り柔らかな陽光に満ち、シアトルの初夏を彷彿とさせる。ホテル内での研修が終了した後、次のイベントに参加するまでのひと時を部屋でくつろぐ。スペイン語の響きがよく似合う海のリゾートでバルコニーに立ち、魔法のエプロンがあったらと、半ば真剣に考える。そう、何もかも家族のために持って帰りたい。キラキラと無数の光の矢を放つ水面。そこにしなやかなラインを描き出すように軽やかに滑り出すヨット。マリーナに体を横たえ、静かに出番を待ち構えるクルーザー。ヘリコプターやセスナ機が奏でる音。ホテルのプールに飛び込む子供が放つ水しぶき。バルコニーの椅子に腰掛けルームサービスのピザを頬張る私の髪を散らす潮風。ああ、こんなものを丸ごとひっくるめてエプロンに丁寧に包み込み、東京へと持って帰れたら。いくらカメラを向けてみたところで、この美しさを伝えようもない。そんなもどかしさを感じながらも、のっぽのパームツリーたちがやさしく見守る南国の晩秋の昼下がりをじっくりと味わう。

夕焼け空の下、サンディエゴのホテルの外で

夕焼け空の下、サンディエゴのホテルの外で。

アメリカはいい、アメリカは。プリンストンの学生街の街路樹も、マンハッタンの馬鹿げた喧騒も、そしてサンディエゴの透明の光も、みんな、みんないい。「ママ、ずるいよね。じぶんだけ、アメリカにかえれてさあ。」シアトルの友達を恋しがる娘が、成田空港に向かう私を横目に口を尖らせた。そう、この国こそ私たちの心のふるさとなのだ。Welcome home。お帰りなさい。自分で自分の肩をポンと叩くかのように、何度も心で呟き続ける。ああ、南カリフォルニアの風はこんなにも暖かく、こんなにも切ない。

掲載:2012年11月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ