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第29回 歴史創り

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

お帰り、と誰かが囁いた。ポンと肩を叩きながら。そんな気がする。昔と変わらぬポートタワーの優美な姿が視界に入る。腕を絡ませて水際を歩き、無数のダイヤモンドを散りばめたかに映る夜景に溶け込むカップル。そんな姿を彷彿とさせるハーバーランド。だが、容赦なく照りつける真昼の陽を浴び、私はその場所を子連れで闊歩する。やれ遊園地だ、ソフトクリームだ、と性懲りもなく懇願する息子と娘にうんざりもしながら。それでも、神戸港で潮風に髪を揺らせ、船をぼんやりと眺める昼下がり、「お帰り」という囁きが確かに聞こえてくる気がしてならない。

ハーバーランドから見る風景。左が、ミナト神戸のシンボルでもあるポートタワー。

ハーバーランドから見る風景。左が、ミナト神戸のシンボルでもあるポートタワー。

六甲山。異人館街。須磨海岸。この港町を背景に、私の青春が始まった。いや、青春という言葉は、どこか重く、どこか気恥ずかしい。炎天下の校庭で雄々しくラグビーボールを追ったり、憧れの人と待ち合わせの公園で胸を躍らせたりと、テレビで展開する青春ドラマは、一様に華やいで映る。そのような華やぎとはまるで縁もなく、地味な女子校で凡庸な日常に埋もれる自分への苛立ちを、濃紺の制服の下で募らせていた。胸ポケットの定期入れ。好きな芸能人のブロマイド。脇に抱えたテニスラケット。どう見ても、ごく平凡な女学生でしかないくせに、それを認めようともせず、「自分には、何か大きなことができる筈だ。特別な未来が待ち受けている筈だ」と根拠のないプライドが心の奥底に渦巻いていた。「小市民的な生き方はしたくない。」夜ごとノートに向き合っては、饒舌に未来への想いを綴っていた。(ふん、何が「小市民なんて」だ。)今でこそ、鼻っ柱の強い少女を嘲笑したい気にもなる。あんた、何様だと思ってんのよ、と。

JR 神戸駅は、かつて私の最寄の駅でもあった。当時も大きくて立派な駅だと思っていたが、さらに洗練され、お洒落な街・神戸のイメージ作りに一役買っているようだ。ハーバーランドへと続く地下街には、若い女性の心をくすぐりそうな店が並ぶ。だが、ここは表参道とも丸の内とも違う。やはり、神戸は独自の町なのだ。通学電車で肩を並べるインターナショナルスクールの生徒たちが英語で談笑する姿に、いつしか私自身も海の彼方への憧憬を膨らませたのかもしれない。神戸の姉妹都市であるシアトルに居を構えたのも、考えてみればおもしろい偶然だ。ポートタワーの下、クルーズ船の到着を待ちながら、エリオット湾のベールのような水面に白い飛沫を散らして前進するシアトルのフェリーを思い浮かべる。

学生時代の思い出に溢れる元町商店街。

学生時代の思い出に溢れる元町商店街。

元町商店街へも繰り出した。よく放課後に友達とぶらついた場所だ。どこでも見られるアーケード商店街は、何ら個性がある訳でもなく、神戸最大のショッピング街・三宮の影に隠れがちだ。それでも、洋書専門店がさりげなくその存在を主張し、外国人が出入りしている様子などは神戸らしいと当時は思っていた。英語もわからないくせに、その店でアメリカのティーン向けの音楽雑誌を買い、辞書と首っ引きで拾い読みをしたものだ。アメリカがまだ遠く眩しい国だった頃だ。あの洋書店は、今もあるのだろうか。もっとも、あったとしても、どのあたりか、その場所さえ記憶から消えた。どこにいってしまったのだろう。あの店。あの友。あのざわめき。駆け抜けた日々への想いが募り、その重みが胸を締めつける。

商店街を歩くのに疲れた子供たちが、ゲーム店に入りたいだの、甚平を買ってくれないかだのと口を尖らせ出す。「あのさ、ママは、試験の最終日には必ずここに友達と来て、お祝いをしてたよ。」思い出話をする。「ふーん、どんなお祝い?」「ハンバーガーを食べたりとかさ。」息子と娘が顔を見合わせる。「えっ、それがお祝いなの?」そう、なけなしのお小遣いでハンバーガーやシェイクを買い、パーティの気分を盛り上げる。そして、二次会よろしく足を延ばす三宮でレコード店に立ち寄り、好きなアーティストのカセットテープを自分へのご褒美に買う。それだけのことが、たまらなく嬉しかった。私の「青春」はどこにある? 自問自答を繰り返していた当時の自分に、こう言ってやりたい。さりげない瞬間の蓄積こそが青春だよ。季節の移ろいを超えて、思い出という名のフィルターをすり抜ける時、その一瞬一瞬がきらきらと輝き出し、泣きたいほどの光を放つもんだよ、と。

子供たちを、近くのチャイナタウン・南京町へと連れ出した。ここも神戸の見所には違いないが、私にはこれといった思い入れはない。結婚記念日に夫と散策した横浜中華街に比べれば、こじんまりとして味気ないとさえ思う。それでも、溢れる異国情緒に子供達は嬉々とし、物珍しげに土産物屋をひやかし歩く。かつて愛した街を我が子らと闊歩するのは、確かに楽しい。(まさか、あの頃は、アメリカ帰りの子を二人連れて、この辺を歩くとは夢にも思わなかったのに。なんか、不思議よね。)そんな風に感慨深くなる一方で、気がつく。私にとっての神戸と、子供たちにとっての神戸は、当然ながら異なるのだと。私がこの地で築き上げた日々の重みなど、彼らにとっては深い意味など持たない。故郷・広島での思い出を語り胸を熱くする母の傍らで、「ふーん、そう」と生返事を返しつつ漫画本を読み耽っていた幼い自分を思い出す。そして、悟る。誰もが世界で唯一の歴史を携えて生きているのだと。夜ごと、カセットが擦り切れるまで聞いた歌。いつしか部屋の片隅に置き去りにされたテニスラケット。いっぱしの詩人気どりで日記帳に綴った散文もどき。目を泣き腫らしながら家路についた早春の午後。息を弾ませ図書館へと続く坂道を駆け上った8月の朝。来た道を振り返れば、想い出のかけらが、ひとつ、またひとつと静かにきらめく。誰のものでもない、私だけの道。愛しい家族でさえも共有できない歴史がそこにはある。そして、歴史創りという孤独な作業は、死ぬまで続くのだ。

元町商店街に隣接するチャイナタウン・南京町にて。

元町商店街に隣接するチャイナタウン・南京町にて。

赤い地に金魚が涼しげに泳ぐ、お気に入りの甚平が入った袋を後生大事に抱え、娘がスキップをする。その後ろで、息子は仏頂面だ。「ぼく、いつも言ってるじゃない。買い物なんて、時間のムダ。」そして、口癖が飛び出す。「どうして、女ってこうなの?」やれやれ。この手の表現を覚えたのは、東京の小学校だろうか。夏空の下、私達は三宮駅に向かって歩く。母校に立ち寄ろうかとも考えた。幾人もの恩師が今も教壇に立つ、あの学園に。「神尾、おまえも人並みに母親になったんだなあ。」そんな風に声をかけてくれるだろうか。口元がほころぶ。だが、結局、行かないことに決めた。夏休みの職員室は人もまばらだろうと思ったこともある。だが、それよりも、親の感傷に子をつきあわせまいとしたという方が適切だろう。「女の子だけの学校?うわっ、気持ち悪い。」息子はそうも言っていた。まあ、いいか。今度、神戸に来た時、一人で訪ねてみよう。子供たちもまた、彼らだけの歴史を創り上げていく。いや、その作業は既に始まっているのだ。六甲道。住吉。摂津本山。電車の窓越しに、懐かしい駅名を見つめる。港町に別れを告げた後で、ぼんやりと考えた。お帰りと肩を叩いたのは、ラケットを抱えたあの少女だったのかも知れないと。

掲載:2011年9月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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