著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
9月 X 日
秋空。うん、そうじゃない。あきぞら。心で呟く。仰ぎ見る時計塔さえもが、どこか温かな眼差しを注いでくれているような気がする。その塔の背景に拡がる空は、パステル画のように淡いブルーだ。秋空じゃなくて、あきぞら。平仮名のやさしさが似合う気がする。土曜日の朝、永田町は、ふんわりとした空気感に溢れている。いつもなら険しい顔つきで国会議事堂や自民党本部前に立つ警察官さえ、心なしか表情を和らげたかのように映る。「おはようございます。」前を通り過ぎる時、語尾まできっちりと挨拶をしてみた。ひと呼吸置いて、同じ言葉が返ってくる。いいなあ、こんな週末は。風の中にわだかまる夏の匂いを嗅ぎとり、七部袖のシャツの下で汗ばみながらも、いつもの散歩道を意気揚々と歩く。晩夏でもあり、初秋でもある、そんな中途半端な季節も悪くはない。じきにハロウィンの色に染まるシアトルでは、秋も深まる一方だろう。「寒いよ、今日は。」 スカイプ電話の際、スクリーンの向こう側で大袈裟にも震えてみせた夫の表情を思い返す。国会議事堂前の公園で、のっぽの時計の塔を仰ぎながら、ようやく足音を聞かせてくれた季節へと胸を高鳴らせた。
9月 X 日
有楽町の高架下の喧騒は相変わらずだ。今夜も闇が降りれば、幾多の居酒屋は、ひと時の休息を求め暖簾をくぐる企業戦士であふれかえるのだろう。そんな情景を思い浮かべつつ、仲通りへと向かう。今日の会議がある場所だ。高級ブランド店がずらりと両脇に軒を並べるこの通りは、どこかヨーロッパの石畳の街を彷彿ともさせ、洗練された薫りに満ちる。都心にして緑滴る空間が心地良い。有楽町駅周辺の下町風情はどこへやら、お洒落なOLや腕組むカップルが絵になる街並がそこにはある。どこか開放感が漂う金曜日の昼下がり、しばしの遠足気分を味わう。ひとつだけ、失敗をしでかした。お昼休みにスーパーで夢中になって豊富な食材を買い込んでしまい、そのお陰でパンパンに膨れ上がったズタ袋を片手にやって来たことだ。(「パンパンの袋」については、過去のコラムにも散々書いてきた。私の主婦としての日常が滲み出ているようで、我ながら滑稽でもある。この調子だから、到底キャリアウーマンとは呼ばれそうにもないのだ。)いや、ズタ袋と私が呼ぶのは、実は夫がシアトルの庶民スーパーで買った大型ショッピング・バッグである。「わぁ、大きいですねえ。」同僚が目を丸くしたシロモノだ。こんなジャンボ・バッグを後生大事に抱えティファニーの店の前を通り過ぎる女性もいないかもしれない。まあ、いいか。明日の運動会のお弁当に腕をふるおうと勇んで買い込んで来たんだもんね。ブロッコリーにプチトマト。レタス。パプリカ。マスカット。ネーブルオレンジ。まだまだある。会議終了後、自宅直帰となる以上、ズタ袋は手放せない。自分に言い聞かせ、瀟洒なビルへと足を踏み入れる。「お待ちしておりました。少々お待ちくださいませ。」会社のロビーで、美しい受付嬢が、ちらりとズタ袋に視線を落としながら言った。
9月 X 日
「フレー、フレー、しーろーぐーみー。ぼくらは、しろい いなずまだー。」 たすきをかけた息子が応援歌に合わせて太鼓を叩く。「ぼくさ、応援団に入ることにしたんだよ。」彼がそう教えてくれたのは3週間程前だったろうか。「ふーん、そう。」私は、生返事を返すだけだった。帰宅後、床につくまでの僅かな時間は、飛ぶように過ぎ去る。帰るやいなや洗濯機を廻し、食事をしながら連絡帳に目を通したりするのは日常茶飯事だ。子供の報告にいちいち耳を傾けている余裕はない。「あのね、扇子を持って踊るんだよ。ほうら、こうやって。」娘は娘で大はしゃぎ。時には踊りの一部を披露してくれる。「あのね、夜遅くドッスンドッスン飛び跳ねてると、近所迷惑になっちゃうよ。」つれない母親の一言に娘は肩を落とす。そんな夜が幾つも通り過ぎていった。そして、遂に本番の日が訪れた。秋の色が濃くなりつつあるとはいえ日差しが眩しい土曜日、ビル街の小学校で運動会が幕を切った。ドンドコ、ドンドコ。太鼓の音が校庭に鳴り響く。息子の真摯な表情に私は驚愕した。彼は、昨夜、「明日は雨が降っちゃえばいいな」とも呟いていた。騎馬戦で馬にまたがり闘う役に大張り切りだったものの、結局はその大役から降ろされ支える役に変わったのだ。息子なりに悔しい思いを味わいもしたらしい。だが今、応援団の一員として彼は、「なんとしても白組を勝たせるんだ」という想いがほとばしるようなパワーで、ばちを叩いている。運動会中、応援団は見るからに忙しく、他学年による競技の間も腰を落ち着けて見学などできない。随時、白組の席の前に立ち応援を率先する役目を果たすからだ。息子は、大きな白旗を風を切るかのように振り、こぶしを上げ叫ぶ。「フレー、フレー、しーろーぐーみー。」私は目を見張った。「雨が降ればいいのに」と呟き陰鬱な表情を覗かせていた彼とは別人のようだ。母親の遺伝子を受け継いだのだろう、息子は運動神経が発達しているとは言い難い。騎馬戦で、澄んだ空を背に馬上に立ち、雄々しく掴み取った敵の帽子を誇らしげに掲げてみせる勇士ではない。拍手喝采の渦が沸き起こる中、汗で額を光らせテープを切るリレーの花形選手でもない。「うちの子は、野球少年でね。顔を真っ黒にして練習に明け暮れてるのよ。」母親仲間のそんな言葉を耳にし、(同じように言えたら)と一抹の淋しさが胸をよぎったこともある。だが、どうだ。炎天下とまではいかずとも、まだ刺すような陽に照らされる中、息子はいわば縁の下の力持ちとして汗を滴らせ、精一杯の役目を果たしているではないか。「いいよ、いいよ。それでいいよ。」私は彼の背に無言のメッセージを贈り続けた。
娘は紫の法被を着て、両手に扇子を掲げ、お囃子の流れに合わせ軽やかに舞う。徒競走に組体操、大玉転がし。まだまだ見ものは尽きない。帽子の下で私自身も汗を流しつつ、思い出を逃すまいとばかり、スマートフォンにデジタルカメラ、キャムコーダーのそれぞれを駆使し、狭い校庭の随所から、そしてバルコニーから、他の親に混じって身を乗り出す。テクノロジーの発展は実にありがたい。踊る娘を、そして旗を振る息子をとらえた写真をアイフォンで撮影するやいなや、それをシアトルの夫宛にメール送信する。力一杯がんばっている子たちを見てやってよ。褒めてやってよ。そんな気持ちを込めながら。時差にも関わらず夫は朝方まで起き、メールへの返信を書いてくれる。ああ、親は結局、子供の応援団なんだ。我が子が10歳だろうが、34歳だろうが、57歳だろうが、懸命に、そして時には阿呆みたいに、旗を振り続けるものなんだ。我が子が気づいてくれるかどうかなんて関係ないんだ。白組優勝のアナウンスに沸き立ち小躍りする息子たちを、私はじっと見つめていた。秋空の下、万歳三唱が響き、華やいだ一日が終焉を迎えた。
10月 X 日
あっ、シアトルみたい。神無月の朝、窓を開けて、思わず声を上げた。グレーの空の下、今にもポツポツと小雨が降り出しそうだ。どこか懐かしい気持ちで窓際に立ち、息をひそめたビル街を見下ろした。そう、シアトルのこんな空の下、カフェの窓際でエスプレッソの香りに包まれる午後が好きだった、と遠い目をする。職場では、ニューヨーク行きチケット発券の通知が旅行代理店から届いたばかりだ。もうすぐ私はアメリカに戻る。いや、出張なので一時的な滞在なのだが、それでも私にとってアメリカは「帰る場所」であり、数ヶ月振りに足を踏み入れるのが楽しみでならない。「お母さんもさ、がんばってくるよ。」フレー、フレー、しーろーぐーみー。アイフォンの画像には、たすきをかけ、白旗を振りかざし、声がかれるまで叫んでいた息子の姿が残る。あの眩しい日へと想いを馳せながら、(さあ、旅の準備を始めなくちゃ)と自分に言い聞かせた。
掲載:2012年10月
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