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第26回 56歳の息子へ

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

鏡の前で仁王立ちになり、息子が薄くなった髪に手をやる。「あなた、どうしようもないわよ。もう50代でしょ。」彼の背後から妻がこともなげに呟く。息子はため息をつきながら、ネクタイを締める。キッチンから、トーストの香ばしい匂いが届く。「もう一枚、食べていく?」 妻の声に、「いや、もう出るよ。今日も忙しくなりそうだから。」くたびれたブリーフケースをひょいと持ち上げ、彼はドアのノブに手をかける。

そんなシーンを想定して、エッセイを書いたことがある。「50歳の息子へ」というタイトルだった。あれから、6年。「50歳の息子」は、「56歳」となった。リタイア後の人生がより現実味を帯びて胸に迫る年齢だろうか。いや、彼が56歳になる頃には、高齢化社会にも拍車がかかり、60代でも精力的にキャリアに磨きをかける人が増える一方かもしれない。アンチ・エイジングも発展し、ボトックスやフェイスリフトを超越する美容術が庶民の間に浸透し、美容院や散髪屋に行くような気軽さで、その恩恵を享受できるかもしれない。性別による固定観念も変化し、ブリーフケースを片手に職場へと急ぐのは妻の方で、息子は、「いってらっしゃい」と手を振るのかもしれない。だが、時を超えて変わらないものもあるだろう。恋人とのデートに夢中で帰りが深夜になる娘を叱り飛ばしたり、大学を中退後、フリーターよろしく職を転々とする息子を案じたり、子を思う親の悩みはいつの時代も変わらないに違いない。「まったく、あいつ、いつになったら親を安心させてくれるんだか。」性懲りもなく電話で小遣いをせびる息子を嘆きながら、背に悲哀の色を滲ませる56歳の父親の姿もあるかもしれない。46年後の息子は、どこでどんな風に暮らしているのだろう。いずれにせよ、その頃、私は亡き母として、部屋の隅で埃をかぶる写真立ての中で、ひそやかに微笑んでいるのかもしれない。

息子が母の日に作ってくれた得意料理、サーモンの照り焼きとサラダ

息子が母の日に作ってくれた得意料理、サーモンの照り焼きとサラダ

ひとり、またひとり。拍手の渦が拡がる中、観客が次々に立ち上がる。ベナロヤ・ホールで、シアトル・シンフォニーによる今シーズン最後のコンサートが幕を閉じた。ワイシャツにネクタイという一張羅に身を包んだ息子も、隣りで手をたたいている。彼自身も青少年オーケストラでバイオリンを弾き、このホールでのコンサートを終了したばかりだ。(こんな風に書くと、いかにも立派な弾き手のようで気がひけるが、日々の練習をサボることばかりしか考えない彼にハッパをかけ、時には叱り飛ばす日々に辟易している。)毎土曜日、彼は夫に連れられてオーケストラの練習に行く。土曜日の朝に行われるこの小学生向けのコンサートに当然ながら彼は来れず、普段は娘を連れて来る。だが、そのオーケストラも早めの夏休みに入ったお陰で、今年初めて息子を同伴し、母子のデートとしゃれ込んでみたのだ。彼は、拍手の渦が消えるやいなや満面の笑みを湛え、「パンケーキ、食べに行こうよ」と声を弾ませる。そう、行きつけの店でお気に入りのパンケーキを食べたくてウズウズしているのだ。やれやれ。相変わらず、花より団子か。モーツァルトの旋律が会場を包む中、バターやシロップがたっぷりと染みたパンケーキの山を脳裏に映し出していたのかと苦笑する。

ホールを出ると、水無月の光が降り注ぐ。この季節特有の甘い薫りを含んだ風がシアトルの街を吹き抜ける。うまれたての夏。眩しげに空を仰ぎ見ながら、思う。ようやく、この季節に巡り会えたのだ、と。ウエストレイク・センター前の広場では、何やらバンドが陽気な音楽を奏でる。その傍らの噴水から力強く吹き出る水が独自の世界を織り成す。行き交う人々が一様に頬を上気させているかのように見える。見慣れた筈の街の佇まいが異なった色を湛えて映る。こんな風景を眺めながら都会の喧騒に身を浸す午後が好きだ。

カフェの窓際に陣取り、できたてのパンケーキの一枚一枚に丹念にバターを落としシロップをからめる息子の傍らで、遠い日を振り返る。幼稚園児だった彼と、やはり土曜日に来ては平仮名の勉強をしたのもこの店だった。くまのプーさんのシャツを着て、マッシュルームカットの髪をゆらせ、とびきり大きな文字で「あひる」「きつね」「ぞう」などと練習帳に書き連ねていた姿が、まばたきをすれば目前に現れそうな気がするのに。わが子の成長が切ない。そう打ち明ければ、「よく言えるわね。あなたなんて、手抜きばかりの親じゃない」と、どこからか横槍が入りそうな気がする。

初夏の光に彩られたシアトルの街を窓越しに眺めながら、切り分けたパンケーキを口に運び、母と子は日本で共有した時間を辿る。朝日新聞社の見学、楽しかったよね。ほら、2人の写真を入れて世界にひとつしかない特製新聞をプレゼントしてくれたじゃない。あれは宝物よね。国会議事堂も、また行きたいね。天皇陛下のために作られた豪華なお部屋、覚えてる?よく、放課後になると、イギリス大使館の隣にある消防署に行って、消防士さん達がトレーニングするのを飽きもせずに見てたね。いろんな消防士さんが話しかけてくれたじゃない。皆、いい人ばっかりだった。今度、東京に行ったら、どこへ行こうか?また、2人でデートしようよ。霞ヶ関の裁判所に行ってみる?

ベンゴシにはならない。絶対にならない。そう豪語していた彼が、ある日、「ぼく、patent attorney(特許専門の弁護士)になる」と宣言した。特許侵害訴訟関連のプロジェクトに携わっていた私が、こんな風に説明してやったことが契機といえるかもしれない。「『きみ、ぼくのアイデアを勝手に盗んだな。まねしんぼ! 』って、言われたとするでしょ。それに対して、『やめてくれよ、まねしんぼなんてさ。ぼくは盗んでなんかないよ。ほら、ちゃんと証拠もあるよ』って反論したとするよね。その反論を助けるのが、ママのチームのお仕事なのよ。」

特許侵害なんぞという子供には難関な用語を避け、極めて簡略化して説明してやったのだ。息子は、「ふむふむ、これはおもしろそうだ」と興味をそそられたらしい。その彼を連れて特許専門の法律事務所を訪ね、友人の弁護士にインタビューをして作文にまとめる機会も作ってやった。それが良い刺激になったとみえる。やがて私が仕事で再来日する際、霞ヶ関の東京地裁で裁判の傍聴をすることを、彼は心待ちにしている。

(あれだけ、ベンゴシは嫌だって言い張ってたくせに。)いくばくかの寂しさが胸をよぎりもする。リンドバーグを英雄と仰ぎ、銀色の翼で碧空を遊泳する未来を信じて疑わなかった7歳の息子は、どこへいったのか。母子で空への憧憬を語り合い、図書館でリンドバーグの伝記を読みあさり、遂には、リンドバーグ家と関わりの深い飛行士に操縦シュミレーションの手ほどきを受ける機会まで与えられた。シアトル界隈には航空専門の高校があると聞き、そこに進学させてやれないものかと真剣に考えたこともある。息子が操縦する飛行機が滑走路を滑り、やがては空に吸い込まれるように飛翔する瞬間を、母は夢に見た。飛行士に比べれば、ベンゴシなんて、あまりにも無味乾燥な選択肢ではないか。パイロット。野球選手。探検家。芸術家。少年らしい夢を追いかけて欲しい。息子よ、10歳のうちから、ダークスーツにネクタイの世界を志すことはないよ。陽に映える大海原や青々と生い茂る草原に背を向け、コンクリートの世界をめざすようで、どこか寂しいよ。そう心で呟きつつ、どこかで安堵も感じている。それは、母と同じ道を歩んでくれれば嬉しいなどという気持ちとは別のものだ。私の後を着いて来て欲しいなんて、微塵たりとも思わない。親よりも、もっと高く、もっと遠くへ行って欲しい。弁護士という職業をことさら持ち上げる気もない。赤ちゃんからお年寄りまで万人が必要とする医者に比べれば、弁護士が庶民の日常生活に果たす役割は限られる。それでも、息子が法曹界に進むのも悪くないと思えるのは、「大きな成功はないかもしれないが、大きな失敗もおそらくはない」、いわば無難な選択だと思えるからだ。(なんだ、私って、わが子に公務員になって欲しいと願う親と大差ないじゃない。)冒険より安定を願う自らのあまりにも分別じみた考えに苦笑がもれる。

1920年代、リンドバーグはプロペラ機を単独で33時間半操縦し、襲いかかる睡魔との壮絶な闘いを続けながら大海原を超え、パリ北東にあるル・ブルジェ飛行場に到着した。ベルギーの国王から、ミズーリの酒場で賭けをする男たちまで、全世界が息を潜めて待ち構えた勝利の瞬間だった。新しい英雄の誕生に心躍らせた1万5千人の観衆が、飛行場を埋め尽くした。闇を照らす灯の中、天空を征服した飛行士が地を踏みしめると同時に、幾千にのぼる人、人、人が、全速力で駆け出した。狂ったように絶叫しながら。瞬時にして英雄の体はその波にのまれ、彼は肩車で半時間も担ぎ廻された。歴史に刻まれたその夜を息子と私は、本を読みながら、幾度も「体験」してきた。わが子がリンドバーグのような偉業を世界史に残すことは、あり得ない。興奮の坩堝と化した場で肩車をされることもないかもしれない。だが、無名だろうが、平凡だろうが、構わない。日々を着実に積み上げて生きて欲しい。道を切り拓くのは子ども自身だが、親として、幾つかの道しるべは築いてやりたい。

「もう、おなかいっぱい!」パンケーキの山が消えた皿を前に、満足そうに笑う息子の向こうに、37歳の、43歳の、そして56歳の彼を思い描く。43歳あたりまでは、まだ大丈夫かな。でも、56歳の彼を見ることはできないかもしれない。息子や娘が自分なりの人生を築き上げ、道しるべなど必要としなくなった時、私には親としての仕事がひとつ残る。それは、「逝く」という大仕事だ。親は、子より先に逝かねばならない。その逆であっては、絶対にならないのだ。56歳の息子が、妻や子供を前に、亡き母を語る。「おふくろは、コラムの連載をしてたことがあってさ。よく、俺や妹のことをエッセイのネタにしてたっけ。やめてくれって言ったこともあるんだけど、俺が漢字に弱くて読めないのを逆手にとったんだよな。」

カフェを後にし、日本に持参するお土産をパイク・プレース・マーケットあたりで買おうかと歩き出す。「もうすぐ東京地裁で裁判をするって、弁護士の S さんがメールに書いてたな」と思い出す。傍聴できるかどうか、聞いてみようか。ネクタイが板についた息子の肩に手をやりながら、心の中で計画を練る。うまれたての夏が匂い立つシアトルで。

掲載:2011年5月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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