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第27回 涼風

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

重い。もったりと、重い。それでいて、ほのかに甘い匂いを含むような気がする。東京の空を仰ぎ見ながら、水無月の空気を吸い込む。永田町駅の出口から途切れなく続く人波にもまれながら。色濃い紫陽花がビル街に華を添える季節。かつて居を構えたこの街で、新たな生活が幕を切った。

6月 X 日

中華丼。牛乳。ばんさんすう煮。ウインナースープ。おかしなお菓子な目玉焼き。

明日の給食のメニューだ。 「おかしなお菓子な目玉焼きは、カルピスゼリーを白身に、あんずを黄身に見立てたデザートです。」 そんな説明が添えられている。いいな、いいな。 私も、食べてみたいな。壁の献立表を見ながら、思う。私の小学生時代は、給食といえばチキンカレーだのビーフシチューだのが繰り返し出された記憶がある。デザート、ましてや、"おかしなお菓子な" などという形容詞付きの洒落たおやつなど考えられなかった。

献立表の傍らには、「5年2組 時間割」と「2年2組 じかんわり」の二枚が貼ってある。明日はプールの日だっけ、と思い出しながら、いそいそとゴーグルを取り出し水着やタオルとともにバッグに入れる。アメリカの小学校にはないだけに、息子と娘は室内プールでの水泳の授業を心待ちにしていた。水泳の授業は、日本の夏の風物詩のひとつともいえる。ランドセルを背負い、プールバッグを提げて歩く小学生と道ですれ違う瞬間、濡れた髪を光らせ家路につく遠い日の自分の姿が蘇り、胸がしめつけられる。
火曜日の夕方、シアトルから成田に到着。 翌々日の木曜日から、子供たちは、前と同じ区立小学校に登校し始めた。「あれえ、戻って来たんだ。」「俺のこと、忘れてないよな。」かつての級友たちにもみくちゃにされた息子と娘は、照れ笑いを浮かべている。 放課後、仲良しに腕を引っ張られるようにして出かけた児童館では、エコゲーム大会なるイベントが盛況で、体育館に熱気が溢れている。瞬く間に友の輪に溶け込んだ彼らは、再び東京っ子の顔つきになった。

散歩道にある国会前庭。

散歩道にある国会前庭。

6月 X 日

滝から飛び散る白い飛沫に、しばしの涼を求めた後、国会前庭を後にする。午前6時過ぎ、国会議事堂前では、いつもながら、険しい表情をした警官が立つ。これから、日枝神社まで足を伸ばし、日比谷高校の脇を通って帰ろうか。いや、赤坂経由で弁慶橋を渡り、ホテルニューオータニ前の清水谷公園まで行こうか。それとも、隼町の最高裁判所から皇居へと歩き、千鳥ヶ淵で緑が薫り立つお壕を堪能しようか。こんな風に、早朝散歩の経路をあれこれと考えるのは楽しい。この界隈には見所が幾多あり、それぞれの地に歴史の断片を垣間見ながら歩を進めるのも、車社会アメリカでは味わい難い醍醐味といえる。何気なく通る道で、「そうだ、このあたりには永井荷風が住んでいたんだ」「この神社は、徳川家康が江戸に移ってから城内鎮守の社になったんだ」などと、思い返す。教科書でしか知らなかったモノクロームの世界が、色を帯びて目前に拡がる。

知りつくしたと思っていた街並みの中に新たな景色を見い出すのもまた、ささやかな幸せだ。かつて住んでいた時にも、さんざん歩き回ったから、今や馴染みの深い場所ばかりだが、それでも歩けば歩くほどに見えてくるものがある。たとえば、政治家が闊歩する街・永田町で出会った古い民家。この街は住民が極めて少なく、過疎化を反映して、自民党本部前の永田町小学校は閉校の憂き目をみた。だが、首相官邸や国会議事堂、そして有名議員が事務所を構え脚光を浴びる瀟洒なマンションなどが誇らしげに存在を示す中、こじんまりとした家がほんの数軒、ひっそりと軒を並べる。ガラガラと戸を開ければ、麦茶でも飲みつつテレビを観る老夫婦の背がある、そんな風景を彷彿とさせる家。似たような民家が、バーやレストランで埋めつくされる赤坂の繁華街にも、ぽつねんと立つ。夜ごとネオンに照らし出され、ネクタイを緩めた勤め人がひとときの安堵を求め彷徨う喧騒の中で、日常を紡ぐ人々もいるのだ。家の前の植木鉢や窓際のすだれが、不思議な存在感を湛え独特の空間を創造するような気がして、初夏の風の中、立ち止まる。

徳川家の崇敬が篤かった永田町・日枝神社

徳川家の崇敬が篤かった永田町・日枝神社

6月 X 日

「東京にいた時、図書館で書棚を見てね、あっ、日本語の本が並んでる、って思ったの。感動の瞬間だったよ。」 シアトルで、そう夫に話したことがある。案の定、夫は笑った。「日本語の本だって? そりゃ、そうだろうよ。」待ってましたとばかりに、私は言い返す。「でもね、自分の国に住むことに馴れている人には、その気持ちはわからないよ。本屋や図書館に行けば、母国語の本が並んでて、スーパーに行けば、自分の国の食べ物が並んでる。それを当たり前と思ってるからね。」日本語の本を求めて古本市に列を成し、和食の食材を求めて宇和島屋へと車を走らせる。シアトルの在米日本人なら誰もが経験することだ。今週末も、私たち親子は四番町図書館へと足を運ぶ。児童書コーナーで、私はひそかにほくそえむ。「からくり自由工作」「なぞなぞおばけポヨン」「空海さま」「たのしい森のそめものやさん」「ヘチマのかんさつ」「女の子のビーズはじめて絵本」題名を見て歩くだけでワクワクする。"当たり前のこと" に囲まれる、そんな贅沢を味わえる日常に心が躍る。通学路で立ち寄るスーパーには、こんにゃくも、お刺身パックも、ある。香ばしい匂いを放つベーカリーには、きなこ揚げパンも、マロンパンも、ある。「ああ、幸せ。」これしきのことでしみじみとそう呟く私は単純なのかもしれない。息子も娘も、「ガリガリくん(アイス)のコーラ味」(同じガリガリくんでも、ソーダ味なら、「シアトルにだって売ってるよ」と見向きもしない)を 堪能したり、テレビでサザエさんを見たりするだけで実に嬉々としているから、私たちはこぞって安上がりの人間なのだ。

6月 X 日

サプライズ! ドアを開くと、パパがいた。 「くれぐれも、秘密にしててくれよ。」夫は幾度となく釘をさしたものだ。その約束を律儀に守り、「パパとは暫く会えないねえ。寂しいけど、ママと3人でがんばろうねえ」と、陰鬱な表情を作っては下手な芝居を打ちもした。シアトルで働いていた筈の父親がひと足遅れて来日の運びとなり、予期せぬ訪問者を目のあたりに、子供たちは目を丸くする。見事、作戦大成功。前回の東京滞在中、フルタイム勤務を続ける傍ら単独で子育てに携わる日々を経験済みの私は、安堵感に包まれる。彼の来日直後に結婚記念日を迎えた私たち夫婦は、横浜へと繰り出して、中華街をそぞろ歩き、山下公園で船を眺めた。異国情緒溢れる佇まいに、青春と呼ばれる日々を刻んだ神戸を見た気がした。

7月 X 日

緑が薫り立つような千鳥ヶ淵

緑が薫り立つような千鳥ヶ淵

「お帰りなさい。」保護者会で顔を合わせる母親が、声をかけてくれる。帰る。かえる。カエル。この言葉の重みが心に染みわたる。前回は、未知の地で、生活をゼロから築き上げていく楽しみがあった。だが、今度は違う。第二のふるさととなった千代田区で、既に築いてきた土台の上に新たなものを積み上げていくという、別の楽しみがある。イギリス大使館へと続く交差点を、ピンヒールを履いた女性が、すっぽりと日傘に隠れるようにして、足早に渡る。平河天満宮の石段に腰を下ろした会社員が煙草に火をつける。社会科見学だろうか、国立劇場から一斉に吐き出される中学生の一群が、談笑しながら三宅坂に向かって歩く。以前と変わらない日常のドラマが息づき、その中へと私たちも溶け込んでいく。プールバッグを提げて歩く子供たちが性懲りもなく兄妹喧嘩を始め、仲裁役の母は苛立ちの声もあげながら、家路につく。

「お帰りなさい。」そっと心の中で、呟いてみる。「からすといっしょに帰りましょ。」午後5時、夕焼け小焼けのメロディが、永田町のビル街に響く。「さあ、暑さを吹き飛ばすために、今夜はおそうめんにでもしようか。」もったりと澱んだ空気の中、疲れ果てた子供たちにハッパをかけるべく、声を弾ませてみる。やがて、薄い夕闇が舞い降りる。千代田の空の下、心の中を涼風が吹き抜けた。

掲載:2011年7月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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