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第23回 キング・ストリート駅とユニオン駅

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筆者プロフィール:松原 博(まつばら・ひろし)
GM STUDIO INC.主宰。東京理科大学理工学部建築科、カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築大学院卒。清水建設設計本部、リチャード・マイヤー設計事務所、ジンマー・ガンスル・フラスカ設計事務所を経て、2000年8月から GM STUDIO INC. の共同経営者として活動を開始。主なサービスは、住宅の新・改築及び商業空間の設計、インテリア・デザイン。2000年4月の 『ぶらぼおな人』 もご覧ください。

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写真1:キング・ストリート駅ジャクソン通り側からのアプローチと公園

先月、修復総工費5,600万ドルと10年の歳月をかけてキング・ストリート駅が再生された。

グレート・ノーザン鉄道とノーザン・パシフィック鉄道の終着駅として1906年にオープンしたこの駅舎はニューヨークのセントラル駅の設計に従事した Reed&Stem 事務所の設計によるもの。その後、1963年に経営を引き継いだアムトラック社はモダン化の名の下に、天井音響板で石膏で出来た天井装飾を隠し、ジャクソン通りから(3階部分)の入口を塞ぎ、前の広場は駐車場にしてしまった。これらの一連のリモデルは名実ともにこの駅舎の品格を落とし、20世紀初頭の秀作を誰も見向きもしない建物にしてしまった。しかし、2003年にワシントン州輸送局が修復を開始。その後、2008年にシアトル市が建物を買収、市の財政から修復費用を出し、2013年になってようやく107年前の姿を蘇らせた(写真1)。

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写真2:Compass Room

駅舎建物の様式は当時流行のボザール・スタイル、またはイタリア風駅舎デザインとも言える。建物全面に赤レンガがあしらわれ、建物基部(一階部分)は加工された花崗岩で窓枠が装飾されている。建物西側にある245フィートの高さの時計塔は、ベニスのサンマルコ広場にあるキャンパニレ・ディ・サンマルコ鐘楼の複製だ。サウス・キング・ストリート側、この時計塔の直下にある入口から駅舎内に入ると、Compass Room と呼ばれる風除け室がある。その床には大理石を加工した方位(Compass)が絵模様としてはめ込まれている。腰壁は大理石でできており、その上部にはとても細かい色とりどりのガラスのモザイクが施されている。腰壁の上部から天井までは、コリント様式の柱装飾と石膏でできた花柄模様が駅舎とは思えないほどの洗練した雰囲気を醸し出している。石膏で作られた格間天井には壁を超えた装飾がなされ、入ってきた利用客に一瞬イタリアのルネッサンスの建物に入ったかのような錯覚を覚えさせる(写真2)。壮大な3階分吹き抜けのある待合室の天井も、この同じ格間天井パターンが繰り返され、ここで汽車を待つ利用客の目を楽しませてくれるはずだ(写真3)。

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写真3:待合室全景

線路挟んで向かい側に現在はオフィスビルとして使用されているユニオン駅がある。この駅はユニオン・パシフィック鉄道とミルウォーキー鉄道の終着駅として、1911年にオープンした。残念ながら米国鉄道時代の終焉とともにこの建物は1971年をもってその役目を終え、以来無用の長物と化していたが、1990年代に民間の開発業者が隣接する広大な操作場跡地の開発権と引き換えに、この駅舎をオフィスビルとし再生することを承諾。総工費約2000万ドルで、1999年にサウンド・トランジットのオフィスとして再オープンした(写真4)。ちなみにこの建物は2000年に歴史的建築物保存賞を受賞している。

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写真4:ユニオン駅ジャクソン・ストリート側入口(後方にキング・ストリート駅)

建物の様式は、キング・ストリート駅と同様、ボザール・スタイルと言えるが、大きな違いはその明るいレンガの色だろう。地上4階建の靴箱型のこの建物の面白さは、外観ではなく、その内部に隠れた空間にある。ジャクソン・ストリート側にある車寄せから、タイル張りの床と金色に塗られた天井が美しい風除室を通ると、4階分吹き抜けの大待合室がある。現在夜間と除いて一般に開放されているこのスペースは、6角形のタイル張りの床、緑のタイル張りの腰壁、壮大なスケールのピラスターと呼ばれる大柱がアーチ上に天井まで連なり、その上に巨大な天窓がある。最初にこの空間を訪れた時の印象は、駅舎というより美術館か教会だった。建設当時は東側・西側の壁に沿って、手洗い所、チケット販売所、理容室、ラウンジが当時はあったようだが、現在は手洗いのみが利用できるようになっており、その他のスペースは事務所として使用されている(写真5)。

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写真5:待合室全景

20世紀初頭、大量輸送における花形だったこれらの駅舎は、単なる乗降場という目的だけでなく、ある意味で多くの人が利用する公共の建物であった。そしてそれらの公共の空間には、当時の技術を駆使した装飾と建設技術が取り入れられていた。格間天井に張られた一枚一枚の花びら模様、ガラスモザイクタイルの装飾、タイル張りの床仕上げ等を見るにつけ、当時の職人の水準がいかに高かったか想像できる。

残念なのは、これらの装飾がその後20世紀半ばに始まった近代化の波に飲まれて、徐々に公共の建物なかから消え去ってしまったことだ。空港や市庁舎などに代表される現代の公共の建物では、利用する人に温もりを感じさせることを忘れてしまったように思えてならない。

掲載:2013年6月



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