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大澤裕さん (ピンポイント・マーケティング・ ジャパン社代表)

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自らの経験や多数の日本企業の経験を生かし、日本企業がアメリカで販路を築くためのサービスを提供しているピンポイント・マーケティング・ジャパン社の大澤さんに、お話を伺いました。
※この記事は2003年7月に掲載されたものです。

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大澤 裕(おおさわ ゆたか)

1988年 慶応大学経済学部卒業、バンカーズ・トラスト銀行入行

1993年 カーネギーメロン大学 MBA 留学

1995年 カーネギーメロン大学 MBA 卒業

1997年 パネルレール社設立

1999年 ピンポイント・マーケティング・ジャパン社に社名変更

2000年 シアトルへ移転、現在に至る

【公式サイト】 www.ppmj.com

大学卒業後、銀行への就職を経て MBA 留学

大澤さんは日本の大学を卒業されて就職されてから、アメリカへ来られたそうですね。

大学卒業後、バンカーズ・トラストという銀行に就職。当時のバンカーズ・トラストは銀行と証券の間、つまり、投資銀行業務に携わっており、私はコーポレート・ファイナンス・グループという部署に配属されました。ちょうどバブル全盛期だったので、その部署では日本企業のアメリカ進出を手伝う業務が中心でした。アメリカ進出の代表的なものには M&A(Merger & Acquisition)、つまりアメリカ企業の合併・買収が挙げられますが、その他にも例えばアメリカの工場をリースする、アメリカの土地を買って工場を建てる、などといったさまざまなオプションがあり、各企業に適した戦略を提案するのです。基本的には日本企業とアメリカ企業をつなぐのが仕事でしたから、私自身はここに勤めた4年間で、英文契約書の作成の仕方などを含む、アメリカ進出の基礎を学びました。

アメリカの大学院へ入学されるきっかけはなんだったのでしょう。

バンカーズ・トラストを辞めた理由は2つあります。一つは、コーポレート・ファイナンスは学歴が大事で、先輩全員が MBA を持っていたため、入社後2~3年目には「お前も行って帰ってこい」というプレッシャーがあったこと。もう一つは、中小企業を経営している父がアメリカに特許を持っており、それを使ってビジネスを興す方法を勉強したいという思いがあったこと。そこで、MBA を取得を目指し、ピッツバーグのカーネギーメロン大学のビジネススクールに入学しました。

どのような特許なのですか。

父の特許はタイルの貼り付けに関するものでした。アルミニウムのパネルにある突起に、タイルの後ろに設置した引っ掛け用の窪みをカチャンとはめていくというはめ込み式タイルの特許なのです。今までのタイルは基本的に接着剤ですから、時間がたてば貼り付けも歪んでしまいますが、このはめ込み式タイルだとそういった心配はありません。しかし、父はタイル屋ではなく、材木屋ですし、アメリカで特許を取ったはいいですが英語は話せませんし、アメリカにつてもない。日本でもタイル屋ではないので、つてがなく、ビジネスも興せない。そういった状況で、この特許は私にはとても良く見えました。

大学院ではどのような勉強をされたのか教えてください。

普通、日本の会社から派遣されてくる人は銀行関係が多く、基本的にはファイナンスを勉強しますが、私の場合は「父の特許を商品化してアメリカに売り込むにはどうしたらいいか」ということが頭の中にあり、それに特化して勉強しました。つまり、独創的な製品を持っている日本の中小企業やベンチャー企業が、どうやってアメリカで販路を築いていくかに特化したのです。授業では、実際にある商品をアメリカでどう売り込むかという発表を常に行いましたが、私がそのタイルを題材に使ったところ、大学教授が「あなたのその商品はおもしろい。そのビジネスプランでやってみたら」と言ってくださったのです。

大学教授のアドバイスで、会社設立を決意

それが会社設立のきっかけとなったわけですね。

そうです。まずはこの特許をアメリカの企業にライセンスして収入を得ようと考え、卒業後に大学のすぐ近くに会社を設立しました。しかし、調査を進めたところ、このはめ込み式という精度の高いタイルを作ることができるタイルメーカーはアメリカには何社もないことがわかったのです。最終的に5社ぐらいをリストアップしたところで、そのうちの1社が興味を持ってくれました。しかし、その会社と交渉している時に、「このタイルを作ってくれと言われたら作るが、その広報や販売まで手がけることはできない」と言われ、結局、自分たちで販売網を作ることになりました。

実際の商品化はどうなったのですか。

販売網を作るには商品が必要です。まず、タイルメーカーにはめ込み式タイルを作ってもらうと同時に、アルミニウムのパネル製造会社にパネルを作ってもらいました。そして、全米に販路を作るため、販売代理店に「この商品を開発中なのですが、完成したら扱ってくれませんか」とかけあい、販路を形成します。また、タイルは建築資材ですから、建築基準法に従うためにさまざまな業務もしなければなりません。これらのすべてがうまく行きましたが、1つだけうまくいかないことがありました。それは肝心のタイルです。タイルは焼くとどうしても変形してしまい、我々が望む精度で製造できないのです。これでは建築基準法のテストもできませんし、販売代理店も待つだけの状態になります。しかしタイルの完成を待っている間に、自分たちがこれだけ苦労しているのだから、日本の中堅・独創企業で製品をアメリカで販売しようとして困っている会社は、非常に多いのではないかと思いました。

日本の中堅・独創企業を助ける、新しいビジネスを発案

そこから新しいアイデアが生まれたわけですね。

そこで私が始めたのは、アメリカに特許を持っている日本企業に「特許を有効利用されていますか、もしそうでなければ、我々が御社とアメリカの会社とライセンスの仲介をしますよ」と話に行ったことです。そこで数社に依頼を受けたのですが、そのうちに「我々はアメリカの会社に特許をライセンスするのではなく、アメリカにその商品を輸出したい。その販路を見つけてくれないか」というような相談を受けるようになりました。父と相談のうえ、はめ込み式タイルを中断し、日本企業のサポート事業に集中することに決定。そして、やはり日本の会社は直にあって話したいという希望が多いので、2000年の始めにシアトルに移って来ました。

今まで扱われた商品にはどういったものがありますか。

現在力を入れているものには、極薄のスピーカー(写真)があります。今までの家電の流れから見れば、あらゆるものが薄くなるのは当然なのですが、この極薄スピーカーはなぜか日本では売り込みが難しい。ヤマハ等の大手メーカーでも興味は持ってくれるのですが、最終的には「これはうちの音じゃない」と言われ、壁にぶち当たってしまいます。また、アメリカでは、反応はとてもよく、「こういうふうに仕様変更したら買うよ」と言われるのですが、日本側のベンチャー企業にはそれに対応できるだけの資金がない。ベンチャーキャピタルには気にいってもらるものの、アメリカで実績がない企業に資金を出すのは大変です。しかし、これは絶対に売れると私は思いますので、今はアメリカのコンピュータの周辺機器を製造している大手メーカーに、シアトルの販売代理店を通じて OEM の打診をしてもらっています。

その他には世界各地で美術やデザインを勉強している学生を対象に開催されたコンテストの優秀作品を商品化したメガネフレーム会社もあります。もともとこの会社はメガネフレームの加工会社だったのですが、中国や韓国からの安い輸入品との競争に生き残るには、アメリカのハイ・エンドの消費者と直結し、自分のブランドでやるしかないと考えています。また、今、実際に非常に引き合いが強いのが防寒用手袋です。これはマイナス摂氏60度まで使えるのですが、あまりハイテクでもなく、ぱっと見はユニークではない。しかし、エベレットにある手袋のディストリビューターをとおして実際に工場などに持って行ったところ、冷凍倉庫で魚を扱う会社などで「作業性が違う」と、非常にうけているのです。こういった商品は、実際アメリカにありそうでないそうです。

いろいろな商品がありますね。

ちょっとしたアイデアですが、なかなか真似できない、センスのよい商品をいろいろ扱っています。手袋のようにパッと見はたいした事がなくとも、米国で非常に反響のよい製品もあります。これは時代の流れです。我々は『グローバル・ニッチ企業への勧め』と呼んでいますが、これはどういうことかというと、ある1つの小さなニッチ市場に特化することによって、その世界市場の例えば10%から70%を占めてしまう企業になろう!ということです。ここ3~4年でそういった企業が急激に増えていますが、それは日本の中小企業でもアメリカ、そして世界に自社製品を売り込むことができるインフラストラクチャーが整いつつあるということなのです。

しかし、そういった成功企業はある意味で偶然にそうなっているところがあります。たまたまアメリカでいいパートナーが見つかった、たまたまうまくいった、という感じです。しかし、我々はそれを偶然ではなく、必然的に起こしたい。米国市場で成功している会社のノウハウには共通点がありますから、我々はそれをまとめていろいろな会社にあてはめていきたいのです。今の日本企業には閉塞感があります。これはまず「何を目指していいかわからない」「何をやればいいかわからない」「日本の経済は停滞している」「中国などが追い上げてくる」という日本経済全体が置かれている状況だと思います。日本は独創的なものを作れとよく言われていますが、系列がありますし、すぐに「実績はあるのか?」など、そんなことばかり聞かれ、閉鎖的です。「それなら、自由なアメリカ市場へ!」と考える訳ですが、つてがあるわけでも、それほど資金があるわけでもない・・・。私はそこに風穴をあけてあげたい。「アメリカでこうやれば売れますよ」とアドバイスを与えたいのです。

日本で商品を持っている人は、どのようにして大澤さんを見つけられるのですか?

リサーチャーが、ユニークな商品を持っている日本企業を常に調査してくれています。日本には中小企業が120万社ぐらいあり、我々の仕事はそのうちの10万社ぐらいには知ってもらっても良い内容だと思います。なぜかというと、多くの日本企業がアメリカ進出を目標としていると同時に、むちゃなやり方をする会社が多いからです。「アメリカにつてがない、ではどうしようか」と考えた時に、「自分たちで販売店を置くしかないだろう」と結論を出す。そして、「場所はどこだ」と言われ、「やはりカリフォルニアのロサンゼルスだろう」と決めてしまい、そして、「日本語と英語が話せる現地駐在員を置き、その他に秘書1人、セールスマン2人を置こう。よし、これでやってみよう」といきなり大金を投資して進んで行ってしまう。こんなやり方では人件費だけで年間2千万円はすぐに飛んでしまいますし、アメリカ市場向けの仕様・パッケージなどを製作するとなると、1億円や2億円などすぐになくなってしまいます。結局だめだったということになれば、その金銭的な負担は、中小企業の限界を超えてしまいます。しかし、経験のない中小企業からすると、そういった米国進出方法しか思い浮かばないのです。

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大澤さんのやり方はどういうものですか?

まず商品を見せないとわからないことがよくありますので、販売代理店や卸売りに出向いいて商品を見せます。アメリカ人は新しいもの好きですから、普通のアメリカ人に見せても「とってもいいね」といった軽い反応しか返ってこないことがほとんどですので、必ずその業界の販売のプロに聞くようにします。そうすれば、「これは厳しい」「問題はこことここだ」などのように、きちんとしたフィードバックをもらうことができます。それを日本企業に伝え、問題を修正してきちんとした商品にし、アメリカで実際に販売を始めるというのが基本的な流れです。

「コンピュータの前にすわって事業計画を練るな」

これはビジネススクールで大学教授が言っていた言葉です。「日本で1千億円の市場がある商品をアメリカで売る場合、GNP も人口も日本の2倍のアメリカでは、日本市場の2倍にあたる2千億円の市場があるだろう。さらに、この商品は非常にユニークなので、日本ではなかなか難しいけれど、アメリカでは1年目から1%ぐらいの市場シェアは取れるのではないか。そして、2年目には2%、3年目で爆発して5%となる・・・」これは、評論家の意見であり、販売プランではない。こんなビジネスプランがうまくいったためしがありません。でも最初は私も含めてみんなこういう販売計画を立ててしまいます。しかし教授には「実際に君のタイル製品を持って設計士やタイル屋のところへ行って話を聞き、それを持って次の授業で発表するべきだ。それをやらないと意味がない。コンピュータ上の市場予測なぞ聞きたくない」と言われていまいました。私は今もその方法をとっています。市場調査とは、街を歩いている人に「買うつもりはなくていいので、この商品についてどう思うか答えてください」と聞くことではありません。本当に厳しい目で見てくれる当該製品の販売会社や小売店やセールスマンのところに行って、「これは良い」または「これはここが問題だ」といった話をしてもらうのが、本当の市場調査です。これを履き違えてはいけません。

しかし、そうやってまともに答えてくれる人を探すのは難しいですね。日本の企業はそういった人が簡単に見つかると考えていますが、3人からまともな答えを引き出そうと思ったら、少なくとも20人から30人には話をしないといけないと思います。まったくブランド名がない新製品であれば、100社にコンタクトして5社が興味を示せば良いでしょう。

そういうギャップがある中でお仕事をされるにはいろいろ大変なことがあると思うのですが、どういった点が一番大変ですか。

日本の企業には、「アメリカに進出するなら、こういうふうに進出したい」という強いイメージがあり、それが私の提案や現実と食い違うことがあります。私が「この現実は悪いことではありません」と説明して担当者は納得してくださっても、その会社全体にはなかなか伝わりません。また、我々がこの商品を持って気軽に行くことができる範囲といえば車で3~4時間の距離としてシアトルとポートランドぐらいです。それ以外の都市には飛行機で行くことになり、そう簡単に行けるものではありません。ですから、ちょっと話を聞きたいというような5分のミーティングでも、飛行機で1日かけて行くなんてことになりかねない。日本では東京から3~4時間でかなりの範囲をカバーできてしまうので、そういう距離感にも少しギャップがあります。また、アメリカに住んでいて、英語がしゃべれて、英語のパンフレットさえ持てば、アメリカをカバーできてしまうという夢のような話をされることもあります。会社組織全体が持つそういう認識を変えるには、本当に苦労します。

今後の抱負を教えてください。

最初は手探りでしたが、2001年末頃から日本各地でアメリカ進出のためのセミナーを開催するようになりました。参加者は中堅独創企業の社長や一部上場企業の海外担当者で、本当に真剣に海外進出を考えている方々からは本当の意味での質問が次々と出てきます。また、日本にいる私の後輩と一緒にこれまでセミナーに参加してくれた方々を集めてグローバル・ニッチ企業の交流会を作り、こちらの企業で現場を見たり、弁護士などから話を聞いたりして勉強していただくためのシアトル訪問計画も検討中です。今はだんだんとお客様からの依頼も増えています。今後も本当の意味でのグローバル・ニッチ企業の成長の一端を担えればと思います。

掲載:2003年7月

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