MENU

宮下祐子さん (ワシントン大学医学部皮膚科 上級研究員)

  • URLをコピーしました!

常に100人を超える日本人が研究員として滞在していると言われるシアトル。今月はその中の1人でワシントン大学皮膚科の研究室で研究に携わっている宮下祐子さんにお話を伺いました。
※この記事は2004年9月に掲載されたものです。

宮下祐子(みやした ゆうこ)

1995年3月 川崎医科大学卒業

1995年5月~1997年3月 同大学病院の皮膚科で研修医として勤務

1997年6月~1998年3月 Fred Hutchinson Cancer Research Center 細胞生物学 調査研究員

1998年4月 川崎医科大学大学院入学

2002年3月 同大学院卒業(博士号取得)

2001年4月~2002年3月 ワシントン大学皮膚科 客員研究員

2002年4~2002年9月 同大学 博士研究員

2002年10月~2004年3月 川崎医科大学 臨床助手

2003年10月 皮膚科専門医取得

2004年4月 ワシントン大学皮膚科 上級研究員

最初の渡米

渡米のきっかけを教えてください。

川崎医科大学を卒業し、同大学病院の皮膚科で約2年の研修を済ませた頃、同じく医師の夫がワシントン大学に研究留学することになったのが、最初の渡米のきっかけです。研究の経験もなく、アメリカでの労働許可も取得しなかった私はとりあえず専業主婦をしていましたが、1ヶ月ぐらいすると時間が余って仕方なくなり夫に相談したところ、夫の上司が知人の研究室を紹介してくれることになったのです。それが、シアトルにあるフレッド・ハッチンソン・キャンサー・リサーチ・センター(以下フレッド・ハッチンソン)の細胞生物学教室でした。

フレッド・ハッチンソンではどのようなことをされたのですか。

私のバックグラウンドが皮膚科だったことから、皮膚に関係するさまざまな研究のお手伝いをさせていただきました。

ここで少し皮膚についてご説明します。皮膚は体の中でも最も大きな臓器で、重さは8~9パウンドもありますが、もっとも大きな役割は外敵の侵入を防ぐことです。皮膚は大きく分けて、表皮・真皮(しんぴ)に分かれており、真皮と表皮の境目は基底膜(きていまく)という薄くて繊細な膜で仕切られています。基底膜には表皮と真皮をつないだり、皮膚が傷ついたときにシグナルをだして傷を治したり(創傷治癒・そうしょうちゆ)といった役割があります。これまでの研究から基底膜を構成するタンパクに異常があると、表皮と真皮の接着が緩んで水疱ができたり、シグナルの異常によって創傷治癒が遅れたりすることがわかっています。例えば、あるタンパクに遺伝学的に異常があった場合、重度の水疱を形成する先天性の遺伝疾患になるのです。

フレッド・ハッチンソンで、私が携わった研究では、ラミニン5という基底膜のタンパクの1つを生まれつき持たないマウスを人工的に作り(マウス・モデル)、そのタンパクが欠けると皮膚や内臓にどのような影響がでるのかということを研究していました。これが確認できると、その異常によってどういう病気が引き起こされるのかわかるわけです。私が研究に参加した時はそのマウス・モデルができたところで、皮膚のサンプルを作り標本を見て、どのような異常があるのか観察する部分を担当させていただきました。

初めての研究はいかがでしたか。

日本ではずっと臨床(患者の診察)のみをしてきましたので研究のことはまったくわからず、英語もそれほど勉強したわけではなかったので言葉が通じない時は絵を描いたり筆談をしたりと、毎日が苦労と新しい発見の連続でした。そして当初から1年の予定だった夫の留学も終わり、ようやく「楽しいな、大分慣れたな」という頃に日本へ帰国しなければならなかったのはとても残念でした。もちろん、当時はボランティアとして他の研究員のプロジェクトを手伝っていただけですが、いつか自分のプロジェクトを持って仕事をしたいと思いました。それが次の渡米につながったのです。

2度目の渡米

日本の戻られてから再び渡米されるまでのことを教えてください。

大学卒業時から博士号を取得したいと考えていたこと、研修医だった頃、もっと皮膚のことを理解し、患者さんにもっとうまく病気の説明ができるようになりたいと思っていたこと、フレッド・ハッチンソンで研究に参加したことがきっかけとなり、日本に帰国した翌月に母校である川崎医科大学の大学院に入学し、研究を続けました。その後、国際学会などで顔見知りのフレッド・ハッチの方に会うたびに「いつかまたシアトルに戻りたい」「皮膚科に関連する仕事をしたい」と話していたところ、現在の勤務先であるワシントン大学皮膚科の研究室を紹介してくれたのです。とは言え、研究室側もアメリカでいろいろ仕事をしていたわけではない私を有給で採用することには躊躇したようですが、母校の海外研修助成金(副島基金)がいただけることになり、研究室側も留学の希望を受け入れてくださいました。そして、大学院の最終学年である2001年4月から1年間の滞在予定で、今度は客員研究員として1人で渡米しました。

今度の研究はどういったものだったのですか。

この研究室では創傷治癒に関するプロジェクトに力を入れており、私が最初に参加したのは糖尿病性潰瘍についての複数のプロジェクトでした。糖尿病の患者さんは傷が治りにくい傾向があり、基底膜のタンパクの発現が一部少ないことから、糖尿病マウスを使って、足りないタンパクを追加した時の傷の治りに対する影響を調べるという研究を行っていました。そのうち、他の研究員から引き継いだプロジェクトも同時進行させることになったのですが、このプロジェクトで良い結果が出るようになったため、「給料も出すからもう少し研究を続けないか」と申し出があり、半年間滞在を延長。しかし、アメリカでは日本の医師免許が使えませんから、患者さんの診療をすることが出来ません。次第に「研究だけではなく臨床もしたい」と思うようになり、研究室の上司に相談。1年半経ったところで研究を切り上げ、日本に戻ることにしました。

皮膚科専門医に

日本帰国後に皮膚科専門医になられたのはなぜですか。

日本では、医師国家試験に合格した医師は、自由に標榜科目を選ぶことができますが、医師免許とは別に各科の学会などによって認定される専門医制度というものがあります。専門医になるには多くの専門分野における知識・技術・経験などが必要となり、結果として医療の水準を引き上げることが期待されています。私も申請資格を取得したため、昨年、専門医試験を受験し、資格を取得しました。ちなみに専門医の申請資格は科によってまちまちですが、皮膚科の場合は5年以上の診療・手術実績、学会や論文などの実績などが必要とされています。

日本ではどのような仕事をされていたのですか。

私のバックグラウンドが皮膚科だったことから、皮膚に関係するさまざまな研究のお手伝いをさせていただきました。

今度は川崎医科大学皮膚科の臨床助手として勤務を開始しましたが、午前中はほぼ毎日、外来で20人から40人の患者さんを診察、午後は入院患者さんの診察や検査、その後は後輩の指導や論文を書いたり調べ物をしたりと慌しく、毎日3食を病院で食べ、帰宅するのは早くても夜9時以降という生活を送っていました。大学病院なので臨床以外に研究や教育も求められますが、残念ながら臨床以外のことをする時間はほとんど取れませんでした。数ヶ月もすると毎日12時間以上も臨床を続けることに疲れを感じ、シアトルに戻りたいという気持ちも出てくるようになりました。そんな時、こちらの研究室の元同僚から、研究員の退職などで人手不足になり、プロジェクトが中座しているというメールを受け取ったのです。プロジェクトの途中で帰国したため、その後の結果を気にしていましたが、元同僚たちも私を採用するための研究費はないかもしれないと言っていましたし、臨床をやりたいといって日本に戻った私のことなど呼び戻そうとはしないだろうと思っていました。しかし、しばらくすると上司から「研究費を取るためにも研究員が欲しいのだけど、君はプロジェクトをよく知っているし、適任だと思うので戻って来ないか?」と言われたのです。この数年間で、私にとってシアトルは自然に恵まれ、サーモンなどの食べ物もおいしく、仕事に没頭することができる大好きな場所になっていましたので、このお誘いはとても嬉しかったですね。そのようなわけで、今年4月に上級研究員として3度目の渡米をしました。

上級研究員として

現在お勤めの研究室はとても明るい雰囲気ですね。

「戻って来よう」と思った大きな理由の1つに、この研究室がとてもいい雰囲気であることが挙げられます。皮膚科全体ではたくさんの研究員がいますが、私と同じ研究室にいるのは4~5人で、1人を除く全員が私の親ぐらいの年齢の方々。皆、その道のエキスパートで、大変尊敬でき、その上ユーモアを忘れず、いつも暖かい雰囲気を持っている人たちです。研究のことに限らず、毎日たくさんのことを学んでいます。研究室では基本的に毎日朝から晩まで実験やデータ解析を行っています。夜遅くや週末にも研究室に来て実験をすることもありますが、波に乗っている時は時間も忘れてしまいますね。研究というものは100%うまく行くわけではなく、むしろ失敗のほうが多いと言われていますが、「絶対にうまくいくぞ!」というイメージを描くこと、前向きに望むことが大切だと思います。

この4月に戻って来てからの仕事について教えてください。

皮膚を通って体内に到達するカテーテルやドレーン、人工関節のような皮膚と体内をつなぐ医療機器(transcutaneous medical device)に関する研究をしています。

注射針やカテーテルを体内に入れると、皮膚を傷つけていることになりますね。そうすると、傷ついた皮膚はいろいろな物質を出してその傷を治そうとします。これが一般的な傷であれば、皮膚が傷を塞いで終わりますが、そこにカテーテルのような機器が入っていると、皮膚はそれを避けるように、下へ下へ伸びてしまい、結果的に機器と皮膚の間に隙間ができてしまいます。この隙間に細菌が入ったり、機器の表面に細菌がついたりすると、敗血症(はいけつしょう)などの重症感染症を引き起こすことが多々あります。アメリカでは毎年25万人ぐらいの人がカテーテルによる敗血症にかかっており、そのうちの約12~25%の人が亡くなっています。また、この疾患にかかる医療コストは年間296万ドルから2,300万ドルと多額であることも、大きな問題となっています。現在の医療現場では機器の素材に抗菌物質を塗り込むなどの工夫がされていますが、私の研究では皮膚がくっついて隙間を物理的にシールするような機器を作ることを目標にしています。

今後の抱負を教えてください。

研究に携わってとても充実した生活を送っていますが、自分が医師(メディカル・ドクター)であることを常に意識しています。ですから、研究から得たものを患者さんに少しでも還元できるようにしたいですね。そして、臨床に戻ったときには、ここの研究室の人たちのように、専門的な知識を持つと同時に暖かい雰囲気を作り、患者さんが病気に対して、気軽に話せるような診療を行いたいと思います。

【関連サイト】
ワシントン大学皮膚科
日本皮膚科学会

掲載:2004年9月

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ