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靖代・ダネットさん Wizards of the Coast グラフィックデザイナー

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一般的なゲームから、マニアックなカードゲームまで、さまざまな世代の人たちが楽しく遊べるユニークなゲームを作成しているウィザード・オブ・ザ・コースト。今月は、シニア・グラフィック・デザイナーとして、さまざまなデザインを手がけている靖代・ダネットさんにお話を伺いました。
※この記事は2001年6月に掲載されたものです。

靖代・ダネット (やすよ・だねっと)

1970年 東京に生まれる。

1986年 カリフォルニアで2週間ホームステイ。

1987年 カリフォルニアで1年間ホームステイ。

1989年 オーストラリアでバックパッカー。

1990年 ヨーロッパや東南アジアでバックパッカー。

1992年12月 日本の大学を中退。

1993年3月 シアトルへ。

1995年3月 卒業。

1995年7月 Wizards of the Coast に就職。プロダクション部門へ。

1999年8月 社内のデザイン部門へ。現在に至る。

絵との出会い

靖代さんと絵の出会いはいつ頃のことですか?

父親が印刷関係に勤めていたので、留守番をしたご褒美にもらうものといえば絵本でした。どうやらそこに描かれた絵を見るのが好きだったようで、それが絵との出会いと言えるかもしれません。自分で描くようになったのはいつ頃からかわかりませんが、絵を習ったのは、近所のおばあさんがやっていた絵画教室ぐらいです。小学校や中学校では授業中にノートや机に落書きをしてばかりで、家でも電話の横のメモ帳に落書きをして怒られることもしょっちゅうでした。

高校生の時に海外へ

靖代さんの初めての海外経験はアメリカですか?

そうです。最初に海外へ行こうと思ったのは高校1年生の時。「将来何をやりたいか」という高校生エッセイコンテストで選ばれると無料ホームステイができるというので応募することにしたのです。しかし、締め切り前でも書き終わらず、母親に怒られてようやく終わらせましたが、結果はバツ。結局、このコンテストの主催者が送ってきた資料にあった『2週間のホームステイ』に参加して、カリフォルニアのサンノゼ近郊の小さな町へ行きました。

初めての海外はどうでしたか?

とても楽しかったの一言につきますね。ホストファミリーは8人も子供がいるモルモン教の家庭でした。渡米前に「子供は4人」と聞いていたのでビックリしましたが、子供もよくなついてくれました。また、私の英語でも通じたことが大きな収穫だったと言えます。それまで英語は得意科目ではなかったのですが、これからはもっとマジメに勉強しようという気持ちになりました。

それからまたアメリカへ留学されたとか。

その楽しいホームステイから帰国して約1年たった頃、「将来私がやりたいこと」という論文コンテストで選ばれ、カリフォルニアのベイエリアへ行きました。今度のホストファミリーは夫婦に娘が2人という家庭でしたが、娘さん達は既に独立していたので、専業主婦だったお母さんがあちこちに連れて行ってくれました。彼女自身も外に出るのが好きで、私をダシに使っていたという面も。スーパーへ買物に行くと必ず「靖代の好みはどの人?」と、私に店員さんを選ばせ、その人に荷物を運んでもらって喜んでいましたし・・・(笑)。 でも、私がソフトボールのピッチャーをやっていた時は毎回応援に来てくれるなど、とてもいい人たちでした。日本に帰る時、ホストファミリーの犬が産んだ子犬を1匹もらって帰りました。ホストマザーとは今でもメールで連絡しあっています。

やはりアメリカを選んだ

日本へ戻ってからは、どうでしたか?

カリフォルニアから戻り、高校3年生に編入しましたが、しばらく葛藤の時期が続きました。例えば、アメリカのハイスクールではクラスで自由に意見を言いあいますが、日本では異なる意見を言いにくい環境だったので、それが大きなストレスになりました。もともと意見を言う方でしたから、いい意味でも悪い意味でもその性格に磨きがかかったようです。それから日本の大学に入り、某英会話学校でのアルバイトで、いろいろな国から来た先生にたくさんのことを学びました。先生達がオススメしてくれたバックパッカー旅行も、オーストラリアやヨーロッパ、東南アジアで1人でやってみました。大学の授業がますますつまらなくなりだし たのがこの頃です。そして、アルバイト先の英会話学校で壁新聞や先生のプロフィールの作成に携わるようになり、絵を描くことや英語を話すことの楽しさを発見。「日本の大学での勉強は、私の本当にやりたいことではない」と、3年生の秋に中退し、アメリカの学校を探し始めました。

ご両親は靖代さんのチョイスをサポートしてくれましたか?

高校時代に留学を経験していたので、かなりすんなりと。両親共々、「英語の習得のために留学するのではなく、(英語を活かして、何かを身につけるなら)いい」と言ってくれました。特に母親は年代のわりにリベラルで、20代の時に1人で九州まで旅行したことを話してくれ、「若いうちにしか出来ない事があるからね」と励ましてくれました。

そして留学先を決定するわけですね。

大学時代の同級生のお父さんが横田基地にいたので、基地内の本屋で大学についての本を買ってきてもらい、約3ヶ月でシアトルのアート・インスティチュートに決定。理由は、資料を頼むとすぐに送ってきてくれたのと、質問に対する対応が速かったから。もちろんお金を出すわけですから、それぐらいするのが当たり前でしょうが、学校によっては対応が遅いところもたくさんありました。

ついにデザインの勉強を開始

初めてシアトルに来られた時はいかがでしたか。

丘や砂漠のカリフォルニアと比べ、緑の多いシアトルの街は日本に似ていると思いました。でも、最初のホームステイは電気代や水道代も滞納しているような家庭で、最悪でしたね。ある日、家に帰ると電気が止められており、ドアに「私達は隣の家にいる」という張り紙がしてあったり、水道が止められて水が出なくなり、絵の具を使う宿題ができなかったりしたこともありました。これではやっていけないと、1ヵ月後にはアパートへ引越ししました。

学校ではどのような勉強をされたか教えてください。

最初の1年は基礎的なデッサンや色についての勉強です。その後、デザイン、マルチメディア、イラストレーションと、専門が分かれていきます。私はイラストとグラフィックのどちらにしようか大変迷いましたが、ある先生に「シアトルで仕事をしたいなら、グラフィックの方が良い。イラストレーションはやはりニューヨークが中心だ」と言われ、グラフィックを選びました。残りの1年は自分でクライアントを想定し、マーケティングのプレゼンテーションをするようなプロジェクトをたくさんこなしました。私は、ウッドランドパーク動物園やSalty’sのロゴやポスター、マグカップ、新聞広告、Tシャツ、パッケージなどのデザインをしました。

なかなかおもしろそうですね。

とても楽しかったですが、大変な時期もありました。留学して2_3ヶ月たった頃、留学生活の中で、今の自分に絶対的な影響を与えた出来事が起こりました。宿題は山積み、その上、授業中に英語で自分の意見をうまく言えず、とても落ち込んだのです。第1次ホームシックでしょうか。そこで、優しい言葉を期待して両親に電話しました。「授業が大変だ。宿題もたくさんあって」と愚痴る私に、電話をとった母は、「留学するって決めた時、大変な事や辛い経験もあるのを覚悟で行ったんでしょ? 自分がやりたい事、好きな事を勉強しているのは幸せなことなんだから、それに伴う大変な事もありがたいと思ってどんどん経験しなさい。あ、じゃ、今出かけるところだったから、またね」と、優しい言葉どころか、あまりにもあっさりした対応。しばらく受話器を持ったままボーゼンとしてしまいました。しかし、その後に不思議と「よし、やってやるぅ!」という気持ちがムクムク湧いて来たのです。

それ以来、学校を卒業して仕事を始めてからも、「大変な事があったって、好きな事をやってる私は幸せなんだ」と、自分に言い聞かせた事が何度かありました。今思うと両親は、「叩かれて勢いづく」タイプの私の操縦法をよくわかった上で、ああいう事を言ったのですね。もし、あの時の電話で代わりに優しい言葉をかけられてたら、私の留学は中途半端な結果しか得られなかったかもしれません。留学を決めた時も、アメリカに残って仕事をするって決めた時も、私の決断をサポートしてくれて、その上さりげなく私の「やる気ボタン」まで押してくれた事に、とても感謝しています。

そして就職

そして卒業されるわけですが、就職までの経緯を教えてください。

ノースウェストのトップ20のグラフィック・スタジオのリストをもらい、すべての企業に電話をかけてアポを取りました。どの企業も快く時間を割いてくれたのが嬉しかったです。アート系の場合、良いポートフォリオを見せることはもちろんですが、その他にもいろいろクリエイティブな演出をするため、インターナショナル・ディストリクトでカスタムメイドのフォーチュン・クッキーを注文しました。あの、中華料理屋で最後に出てくる、お馴染みのメッセージ入りクッキーです。カスタムメイドにすると、中にいれるメッセージを指定できるのですが、”Call me.”、”Yasuyo has a great talent.”、”Yasuyo will be a big asset to your company.” など、自画自賛なメッセージをいれてもらい、面接が終わった時に相手にプレゼント。作りすぎて自分の夜食にもなっていましたが・・・(笑)。また、フロリダに住んでいる友達を訪ねた時も、その近辺のグラフィック・スタジオをリストアップして面接をしてもらったこともありました。自分の作品を人に見てもらうということがいい刺激になりましたが、今から考えると、恥ずかしいぐらいパワーがありましたね。そうこうするうち、面接もしていないのに、今の会社 Wizards of the Coast から電話がかかってきたのです。当時、たまたま日本語のゲームカードを作成しようとしていた時期で、私が面接をしてもらったグラフィック・スタジオが紹介してくれたというわけでした。

見事に就職できたわけですね。

でも、最初はデザインではなく、フィルムを出したり、タイプセッティングをしたりするプリント・プロダクションからスタートしました。デザイナーの下積みですね。初めてのプロジェクトはマジックカードの日本語版作成。翻訳家から来たテキストをタイプセッティングし、印刷できる状態に持っていくのですが、午前2時や3時まで残業ということもしょっちゅうでした。というのも、コンピュータとプリンターの日本語対応がままならなかったため、完璧にするのは至難の業。あちこちにヘンな字が印刷されてしまったこともあり、日本のクライアントが「海賊版みたいですね」と言ったのを覚えています(笑)。 でも、それから会社が成長して設備も整備されたので、製作もスムーズに進む様になりました。しかし、だんだんと韓国語やヘブライ語など7ヶ国語の製作も任されるようになり、クリエイティブな仕事というよりも、マネージメントの比率の方が大きい仕事になってしまったので、「自分のやりたいことと違う」と主張。つい数年前に、やっと今のデザイン部門に異動させてもらいました。

現在の仕事について教えてください。

最近まではショッピングモール内にある自社店舗のキャンペーンに使うポスターや、店内の壁画の作成など、主にリテールのマーケティングに携わっていました。1ヶ月前からは「ハリー・ポッター」のムービー・カードを作成するプロジェクトを任されています。これは、映画会社からもらった映画のシーンの写真を使っ て、カードのデザインを行うというもの。今までの仕事とはかなり異なるので、勉強しつつ、楽しく仕事しています。

アメリカで働くことについてご意見をお聞かせください。

各自の職務内容がはっきりしていて、チーム(ワーク)よりも個人主義だと思います。どんなにまどろっこしいやり方でも、それが職務内容になければ協力してもらえない場合が多いです。例えば隣にすわっている人に頼めば1分でできることでも、その人の担当範囲でなければ、時間が数倍かかっても、遠回しで進めるしかありません。裏を返せば、専門性分野を持ったプロフェッショナルな人間を作る上で役立っているのかもしれませんが・・・。

一方、これからもアメリカで働いて行く上で、謙虚なところ、細かいことに気を配るところ、責任感が強いところなど、日本人として失いたくない物もあります。特に責任感の面で言えば、仕事を期日までに終わらせることよりも、週40時間という規定の勤務時間しか働かないということに執着している人には驚かされる事があります。明日が締め切りなのに、「今週はもう40時間働いたから」と、プロジェクトを終わらせないまま帰宅してしまう人もいます。日本の会社のように「帰れるのに帰れない」のも問題ですが、「帰れないのに帰る」のも問題です。そんな無責任なことをするよりも、残業をしても締め切りを守り、後でその分の休みをもらえばいいのになぁと思うのですが。でも、その代わり、仕事が締め切り前に終わってしまえば、ランチを長く取ろうが、早く帰ろうが、誰も文句は言いません。全てにおいてマイぺースってことでしょうか。

また、私のアートディレクターは「ある程度エゴがないとダメだ」と言います。つまり「私の作品はすばらしい」という自信ですね。でも、仕事となると、対象となるマーケットに合うように、自分の作品を変更する必要が出てきます。そうなると、「私の作品はそのままですばらしいのだ」では伸びませんし、「はいはい」と、 言われたとおりだけでは自信もつきません。自己主張がうまいと言われるアメリカ人ですが、エゴと協調性のバランスがうまく取れている人が理想のようです。

靖代さんのような仕事をするには、どのような経験やスキルが必要ですか?

最低限のソフトウェアの知識があることはもちろんですが、面接の際には最低7種類から10種類の作品を見せることがポイント。私自身は、作品は多ければ多いほどいいと思います。また、コミュニケーションスキルやピープルスキルも必要ですね。フレンドリーさと礼儀のなさは紙一重ですから、そこのところをよく観察 して行動することが大切ではないでしょうか。また、アートを見る目を養う意味でも、学生時代は展示会やショーなどをできるだけたくさん見に行くことをおすすめします。先生の展示会の手伝いなども、良い経験となります。英語に関しては、本当の目的に到達するためのツールですから、できればできるほどチャンスが多くなると思います。また、アメリカ人でもわからない専門用語はありますので、気後れせずにどんどん質問しましょう。

また、うちの会社では新卒なら最初の3~4ヶ月はタイプセッティングやファイルのチェックなどのプロダクションに携わり、その後、少しずつデザインを任されるようになります。「なんでもやってやろう」という気持ちで始めて、その後チャンスをどのように自分の方に向けて行くかが大事だと思います。やってみなくてはわからない。「やりたくない」と言えば、そこで終わってしまう。仕事のタイトルだけで気に入る・気に入らないを決めないこと。そして、仕事をしていくうちに、どうやって自分を売り込むか、会議中にどうやって自分の意見を切り出すか、という方法が見えてきます。チャンスはいろいろなところに転がっています。それをうまく生かせるようになることが大事なのではないでしょうか。

これからの抱負をお聞かせください。

将来は絵本を作りたいと思っています。今はそのアイデアをスケッチブックに書き留めているところ。何年かかるかわかりませんが、今の自分のアイデアを、いつか形にしたいですね。

【関連サイト】
Wizards of the Coast

掲載:2001年6月

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