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川田 修さん (AG Industries, Inc. Executive VP)

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今月は、紙飛行機 『ホワイトウイングス』 のアメリカ市場拡大を目指す、AG Industries の川田さんにお話を伺いました。
※この記事は2002年5月に掲載されたものです。

川田 修 (かわた・おさむ)

1965年 大阪生まれ。

1982年 ジョージア州の高校へ留学。

1990年 関西学院大学卒業。ゴールデン・ゲート大学でMBAコースを履修。

1992年 ハードフォード大学のMBAコースへ編入。

1993年 ハートフォード大学でMBAを終了。安治川鉄工建設株式会社へ。

1998年 安治川鉄工建設会社の子会社AG Industries, Inc(.レドモンド)へ。現在に至る。

二宮博士による紙飛行機の商品化

紙飛行機との出会いについて教えてください。

私が小学校2年生か3年生だった時、友だちが 『よく飛ぶ紙飛行機 第3集』(二宮康明著)という本を持って遊びにきたのが、出会いとなりました。二宮博士が設計されたいろいろな飛行機を紙に印刷し、1冊の本に綴じたこの本は、好きなページを切り取って、飛行機の各部品を切り取り組み立てるというものです。私がまず作ったのはセスナ210型センチュリオンというやつでした。ようやくできた紙飛行機を持って庭へ出て、パッと投げてみたところ、一投目で高さ15メートルほどの松の木にひっかかってしまった!これには驚きましたね。当時の私の目には100メートルぐらいに見えたのですが、小さな子供が投げたものが、そんなところへ飛んで行ってしまうなんて、そうあることではないですから。私はこの飛行機のことが一発で好きになり、本屋へ走って第1集から第3集まで買い揃え、それからはこの飛行機作りにはまっていきました。

その紙飛行機を、別の形で商品化することになったのは、なにがきっかけだったのですか?

ある日のことです。父親が、「修、おまえが最も尊敬する人は誰や?」と聞いて来ました。今から考えると、父親は「お父さん!」という答えを期待していたんだと思います。しかし、私はその頃既にこの紙飛行機に心酔しており、同じ本を何冊も買い揃え、友だちの飛行機の調整までするようになっていたものですから、もちろん「二宮博士!」と答えました。父親は、「いったい誰や、その人は?」(笑)。わたしが本を見せると、父親は非常に興味を示しました。父が2代目として経営する安治川鉄工建設株式会社(以下、AG)はもともとは送電線の鉄塔で始まりましたが、その他にも溶融亜鉛めっき、水道・ガス用鋼管などさまざまな鉄鋼製品を製造しています。その子会社として株式会社エージー(日本)を設立し全く新しいベンチャーとしてホビー商品を扱いはじめました。1972年に発売され、大ブームとなった 『ゲイラカイト』 をご存知でしょう?三角の形をしたビニール製の凧で、大きな目玉がついたものですが、あれは今も人気が高く、2,600万本以上売り上げています。そのおもちゃ部門のアウトドア・ホビー関係で、ちょうど新しい商品を探していたのが良いタイミングでした。

商品化までの流れを教えてください。

当時、電電公社のエンジニアとしてテヘランで勤務中だった二宮博士を、父が何度か訪ねました。二宮博士は非常にこだわりのある方です。したがって、すんなりと商品化は決定せず、父が博士を説得するには2~3年かかりましたが、ようやく博士が商品化を承諾してくださいまして、1982年に 『ホワイトウイングス』 として日本で発売が始まりました。私が高校生だった頃です。アメリカでの発売はその1~2年後だったと思います。AGは1970年代にレッドモンドにオフィス(AG Industries, Inc.)を設立し、日本からの鉄塔輸出の拠点としていました。この場所を選んだのは当時オレゴンのBPAという電力会社が取引先だったので、大阪から直行便のあったシアトルが1番アクセスが良かったからです。1980年代の円高により、鉄塔事業との入れ替わりでこの紙飛行機の販売事業が始まりました。

川田さんはその後も紙飛行機を作りつづけていたのですか?

高校生になってくると他のことに関心が高まり、紙飛行機作りからは遠ざかっていましたが、そのときでも本棚には楽しみに取っておいた好きなモデルが残っていました。高校2年生の時、1年間ジョージア州へ留学した当時、オフィスがあった関係でシアトルを訪れたことがありますが、キングドームで行われたシアトル・マリナーズの試合前に、特別イベントでなんとホワイト・ウイングスのデモンストレーションがあったのです。キングドームの端から端まで、すーっと紙飛行機が飛んだときの感動は今でも忘れません。

ホワイトウイングスが仕事に

最初の就職から、紙飛行機に携わるようになったのですか?

いえ、関西学院大学の法学部政治学科を卒業し、その後すぐにアメリカへMBAを取得しに来ました。1年目はサンフランシスコのゴールデン・ゲート大学、2年目はハートフォード大学で学びましたが、ハートフォード大学を選んだのは、1年目はパリで勉強できるというオプションがあったからです。当時は欧州連合条約(マースリヒト条約)が締結されようとしていたころで、ヨーロッパにいると何かおもしろいことがあるのではと思っていました。結局一般の生活では目立ったことは何もありませんでしたね。しかし、職務経験もなしにMBAのコースを取得するのは大変でした。やはり職務経験があってこそ、最大限に活用できるプログラムだと思います。

仕事として紙飛行機に携わるようになったのは、いつごろですか?

私が帰国した当時はバブル崩壊の後でした。他の企業への就職も考えましたが、最終的には安治川鉄工建設会社への就職しました。入社後1年目は本社経理部で働き、その後はマルチメディア部門でCD-ROMの作成に携わり、インターネットの到来と共に本社のウェブサイトを始め、さまざまな会社や団体のウェブサイト構築を3年間担当しました。その後、アメリカへ渡ってホワイトウイングスのアメリカ市場を担当しないかという話が浮上しました。アメリカにおけるホビー商品のマーケット戦略には非常に興味持っていましたし、アメリカで勉強してきたことを試せるいいチャンスと思いましたが、1つの会社を任されることの責任の重大さなどをよく考えた末に決心し、1998年7月7日に再び渡米しました。

現在のお仕事について教えてください。

わたしの仕事は、ホワイト・ウイングスをアメリカのホビー・おもちゃ市場で絶対的な商品として認知させ、安定したマーケットを作り上げることです。その実現に必要なことはいろいろあります。例えば、パッケージもその1つ。いくら良い商品でも、見せ方が悪ければダメです。また、お店の人に理解され、好まれる商品になることも大切です。でなければ、棚の目立つところに置いてもらえません。そうすると、消費者に届かないことになります。特にホワイト・ウイングスはその性能を見てもらうまで、「折り紙の飛行機とは違う」ということをイメージさせるのが難しく、小さなパッケージの中でいかにうまくそれを表現するかがポイントになります。1度でも実体験すれば、そのすばらしさに圧倒されるはずなんですけどね。また、作り方をアメリカ向けにさらに明確にすることが必要ですね。私自身は小さいころからこの飛行機に慣れ親しんでいますし、作ることにもまったく問題はありません。しかし、ホワイトウイングスの販売に携わるアメリカ人でさえ、「こんな手先の細かなことはアメリカ人にはできない」と言い切るほどですから、そういう視点から考えなければなりません。そのため、以前はすべて自分で切り取るようになっていましたが、現在は既にカット済み部品が入っています。

ホワイトウイングスのマーケティング戦略

パッケージの裏に、”Age 8 to 88″(8歳から88歳まで)とありますが、これはどういう意味があるのでしょう?

これは、小さい子供からシニアまでが一緒に楽しめるということを表そうとしています。つまり、飛行機そのものを売るのではなく、「楽しい時間」というコミュニケーションを売ることがマーケティングの焦点なのです。飛ばす体験をしてもらうと、必ず喜ばれますよ。だから、8歳から88歳までなのです。88歳にしたのは、ゴロがいいからという理由ですが・・・。事実、日本ではユーザーの60%以上が30歳以上となっています。もちろん88歳以上の方も大歓迎です(笑)。

アメリカで働くことで、何らかの違いを感じられますか?

文化の違いがありますね。よく言われることですが、かなり個人主義な面があります。私の会社でもかつて個人の利益を強く主張しすぎるため、その担当の責任、つまり会社が期待していた結果が得られないというようなこともありました。売上が横ばい状態の時に自己主張されても困ります。自己犠牲は求めませんが、相互協力で最良の方法を生み出さないと、事は解決しないでしょう。もちろん、これはアメリカ特有のものであるとは限りませんが、とにかくまとめるのが大変です。一方で、アメリカ人の集中力には感心します。業務時間内に仕事をこなすパワーはすごいですね。まかせられた範囲内で全力を尽くし、オンとオフの使い分けが上手です。残業で勝つ一般的な日本の文化とは大きな違いが見られます。

今後の展開として、どのようなことを計画されていますか?

私は自分で “Lighting Fire Strategy” と名づけたのですが、あちこちに小さな火をつけて、徐々にそれを大きな焚き火にしようということで、さまざまな小さなプロジェクトを実施しています。例えば、”Share With Friends Project” は、商品の中に入っているクーポンを友だちにあげて、その友だちがクーポンを送ると、弊社から飛行機が送られてくるので、一緒に遊ぶことができる・・・というものです。これに対する反応も意外に良い結果が出たので、今年はもう少し力を入れて取り組みたいと思っています。

また、日本では全日本紙飛行機大会を開催するようになってから8年。今ではたくさんの人々が参加し、交流を楽しんでいます。今年9月14日(土)にはリンドバーグ大西洋単独横断75周年を記念して、名古屋ドームで第9回ジャパンカップ全日本紙飛行機選手権大会を開催します。大会史上初のドーム開催では、オリジナルの機種による飛行からホワイトウイングスの機種まで、さまざまな飛行機を使った競争が繰り広げられます。今年は韓国からの参加者も予定しておりますし、来年にはアメリカも含めてより世界規模で展開していきたいと思います。

そして、来年2003年はライト兄弟の初飛行100周年です。ライト兄弟の初飛行は12秒と記録されていますが、距離にして36メートル。今のジャンボジェット機のエコノミー・クラスより短い距離ですよ。しかし、それがあったからこそ今があるんですね。ホワイトウイングスは12秒以上飛びますが、このライト兄弟の記録にちなんだ世界大会をインターネットを通じて開催し、世界中のホワイトウイングス愛好者と記録を競ってもらいます。

このようにして、より多くの人がホワイトウイングスを体験し、生活の中にこの商品が組み込まれていくようにしたいですね。例えばプラモデルやおもちゃの車のように、多くの人が「小さい頃にアレで遊んだ」というものがありますよね。その路線にこれを乗せたいのです。自分自身がとても楽しんでいますから、それを実現させる自信はありますよ。

【関連サイト】

White Wings
安治川鉄工建設株式会社

掲載:2002年5月

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