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パシフィック・ノースウエスト・バレエ(PNB)プリンシパル・ダンサー 中村かおりさん

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1999年2月4日から14日に行われたパシフィック・ノースウェスト・バレエ(Pacific Northwest Ballet、PNB)の『シンデレラ』。シンデレラを踊るダンサーの中には、もちろん、プリンシパル・ダンサーである中村かおりさんがいます。カナダのロイヤル・ウィニペグ・バレエから移籍して1年半。今月は、その中村さんを訪ねました。
※この記事は1999年4月に掲載されたものです。

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©Angela Sterling

中村 かおり(なかむら かおり)

1975年 山本禮子バレエ研究所入門
1982年 埼玉バレエコンクール第1位、橘秋子賞
1984年 全国舞踊コンクール第1位、文部大臣賞、全日本バレエコンクール第1位、東京新聞賞
1985年 芦原英了賞受賞
1986年 ローザンヌ国際バレエコンクール優勝、スカラシップでスクール・オブ・アメリカン・バレエ留学
1987年 村松賞受賞
1988年 ヴァルナ国際バレエコンクール ジュニア部 第3位
1990年 カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ入団
1991年 ファースト・ソリストに昇格
1995年 プリンシパルに昇格
1997年 パシフィック・ノースウェスト・バレエ移籍

1998年 プリンシパルに昇格、現在に至る

【公式サイト】 www.pnb.org

シンデレラ公演について

2月4日からシンデレラが始まりますが、今回の公演ではどのような工夫をされていますか?

今回シンデレラを踊るダンサー6人はそれぞれ独自の解釈で踊りますが、その解釈の違いは喜怒哀楽の表現方法に出ています。例えば、体全身で喜びを表すダンサーもいれば、にっこりと笑うだけ、というダンサーもいるといった具合。私の場合は身長などの体型を考慮にいれて、ジェスチャーを工夫しています。

バレエとの出会い

中村さんがバレエを始められたきっかけを教えてください。

4才の頃、母親にバレエ教室へ連れていかれ、そこから始まりました。山本禮子バレエ団という所です。最初は嫌で、泣いていました(笑)。

でも、全国コンクールで賞を受賞し始めると、だんだんおもしろくなってきたんです。そして、小学校5年生ぐらいの時に、「ずっとバレエをやっていこう、そして、日本で1位になったら、世界の舞台へ」と決めました。

日本から海外へ

そして数々の賞を受賞し、海外へ。

中学3年生の時、スイスのローザンヌ国際バレエコンクールで優勝。その奨学金でニューヨークのスクール・オブ・アメリカン・バレエに1年留学しました。バランシンの作品を踊るニューヨーク・シティ・バレエ団の付属校で、バランシンの作品が大好きな私にとっては本当にすばらしい経験でした。

カナダからシアトルへ

留学を終えて日本に戻り、再度海外へ出られたんですね。

1990年に、カナダのロイヤル・ウィニペグ・バレエ団(RWB)に、セカンド・ソリストとして入団しました。きっかけは、RWB が来日した際、私がドン・キホ-テのパ・ド・ドゥを踊ったことです。その後、プリンシパル・ダンサーになり、合計6年半、RWB で踊りました。

日本、アメリカ、カナダのバレエ

日本、アメリカ、カナダのバレエ、ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団(RWB)とパシフィック・ノースウェスト・バレエ(PNB)の違いは何でしょうか。

RWB には PNB の半分の25人しかダンサーがいませんでしたが、1年のうち半年ぐらいはツアーをしていました。あまりにも小人数のため、すべての作品で1つ以上の役を毎日踊らなければならず、体にも良くありませんでした。そこで、PNB のクラスなどに何度か通った後、幸いな事に移籍することができたのです。PNB は大所帯なので、一つの公演では一つの役に専念することができます。その上、公演のほとんどがシアトルなので、休養することもできます。週末は一応休みなので、シアトルの生活を楽しんでいますよ。

日本とアメリカやカナダのバレエの違いは何でしょうか。

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©Angela Sterling

こちらでは社会的に芸術をサポートする体制ができています。そのおかげで、トウシューズなどの必需品だけでなく、さまざまな備品までもバレエ団が支給してくれます。ですからダンサーはバレエだけにうちこめる。

一方、日本ではそうはいかない場合がほとんどです。アルバイトをしたり、教室で教えたり、何千円もするトウシューズさえも自分で購入しなければなりません。今は国立バレエ団や国立劇場ができたりして少しずつ変わってはいるようですが、日本はまだまだ50年ほどは遅れていると言われています。

また、そういう物質的なハードの部分だけでなく、精神的なソフトの面でも、西洋を見習う事は多いと思います。こちらでは、新しいものをどんどん採り入れようとする姿勢がありますから、白鳥の湖やクルミ割り人形などのクラシックだけでなく、コンテンポラリなども含めた、広いレパートリーで踊ることができます。踊るために生まれてきたダンサーにとっては、素晴らしい環境と言えますね。

これからの抱負をお聞かせ下さい。

これからは、大好きなバランシンの作品をもっと踊っていきたいと思っています。ロミオとジュリエットなんかがいいですね。こちらでは日本と違い、バレエが身近にあります。みなさんにも映画を見に行くような気持ちで気軽に観に来ていただければと思います。

【関連サイト】
Pacific Northwest Ballet
School of American Ballet
山本禮子バレエ団

掲載:1999年4月

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