2025年10月10日、シアトルの T-Mobile Park で行われたア・リーグ地区シリーズ(ALDS)第5戦で、シアトル・マリナーズはデトロイト・タイガースを延長15回の末に3対2で破り、ア・リーグ優勝決定シリーズ(ALCS)進出を決めました。地区シリーズを突破するのは、イチロー氏が入団した2001年以来、実に24年ぶりです。
総力戦の投手陣 延長15回、ホルヘ・ポランコのサヨナラ打で決着
第5戦は、ポストシーズンのシリーズ突破を懸けた試合としては史上最長となる延長15回にもつれ込む大熱戦となりました。タイガースが1点をリードして迎えた7回裏、代打レオ・リバスのタイムリーで同点に。以降、両チームがたびたび走者を出しながらも得点に結びつけられず、緊張感の途切れない攻防が続きました。
タイガース先発は、昨シーズンのサイ・ヤング賞投手で今季も有力候補とされるタリク・スクーバル。シリーズ第2戦に続いて二度目の対戦でも圧巻の投球を見せ、マリナーズからポストシーズン新記録となる7者連続三振を奪いましたが、ジョシュ・ネイラーの二塁打と盗塁、そしてミッチ・ガーバーの犠牲フライで先制点を奪われます。
一方、マリナーズ先発のジョージ・カービーも5回を超えるイニングを1失点に抑える好投を披露。しかし、リリーフのゲーブ・スパイアーがカーペンターに2ランを浴び、逆転を許します。
延長戦に入ると、先発ローテーションのローガン・ギルバートとルイス・カスティーヨがリリーフとして登板するという総力戦に突入。MLB.com によると、この救援登板は両投手にとってメジャー初。特にギルバートの投球について「1995年のALDS第5戦でランディ・ジョンソンがリリーフ登板した伝説のシーンを彷彿とさせた」と報じています。
そして迎えた延長15回裏。JP・クロフォードのヒット、ランディ・アロサレーナの死球でチャンスを広げ、カル・ラレーの犠牲フライで二・三塁に。さらにフリオ・ロドリゲスが敬遠され、1死満塁の場面でホルヘ・ポランコがライトへ劇的なサヨナラタイムリーを放った瞬間、球場は割れんばかりの大歓声に包まれました。ベンチから飛び出したラレーとネイラーが生還したクロフォードと抱き合い、そして、ヒーローとなったポランコをチーム全員が囲んでシリーズ突破の瞬間を喜び合いました。
2001年以来、24年ぶりのア・リーグ優勝決定シリーズへ
この勝利で、マリナーズは2001年以来24年ぶり、球団史上4度目となるア・リーグ優勝決定シリーズ(ALCS)進出を決めました。対戦相手は、ヤンキースを3勝1敗で下したトロント・ブルージェイズ。疲労の色がにじむマリナーズに対し、ブルージェイズは休養十分の状態で臨む構図となります。それでも、この勝利はシアトルにとって何よりも大きな意味を持つ一勝となりました。
そして、このALCS進出は、2001年にも捕手としてチームの黄金期を支え、24年後の今、監督として再びチームを率いているダン・ウィルソンにとっても、特別な瞬間となったはずです。
アメリカでは、10月に行われる野球のプレーオフを“October Baseball(10月の野球)”と呼びます。しかしそれは、長い間マリナーズファンにとって「別世界」の話でした。24年という歳月はあまりにも長く、シアトルでは「野球は9月で終わるもの」とすら言われるようになっていたのです。
ただし、“October Baseball”がシアトルに戻ってきたのは今回が初めてではありません。2022年、マリナーズはトロント・ブルージェイズとのワイルドカードシリーズを制し、21年ぶりのポストシーズン進出を果たしました。しかし、その先のア・リーグ地区シリーズの壁は越えられませんでした。
そして2025年――シアトル・マリナーズは、ついに2001年以来24年ぶりにこの壁を突破。“October Baseball”をさらに先へと進めることになったのです。
球団史上6度目のポストシーズンとなる今シーズン、チームはリーグ優勝、そして悲願のワールドシリーズ初進出をかけた戦いに挑みます。シリーズは10月12日にトロントで開幕します。

1995年「The Double」ー 長年のファンの記憶がよみがえった夜
長年のファンは、今回の勝利で1995年10月8日の歴史的な試合を思い出したはずです。30年前、シアトル・マリナーズはニューヨーク・ヤンキースとのALDS第5戦で、延長11回裏にエドガー・マルティネスが放った伝説の二塁打――「The Double」で球団史上初のア・リーグ優勝決定シリーズ進出を決めました。ホームに滑り込んだケン・グリフィー・ジュニアの姿は、今も T-Mobile Park の内外に壁画として残されており、球団の歴史を象徴する瞬間として語り継がれています。
その年のALCSでは、クリーブランド・ガーディアンズ(当時:クリーブランド・インディアンス)と対戦し、2勝4敗で惜しくも敗退。しかし、このシーズンは球団にとって大きな転機となりました。新球場(現在のT-Mobile Park)建設の機運が一気に高まり、マリナーズはシアトルの「ホームタウン・チーム」として、さらにしっかりと根を下ろしたのです。
そしてこの球団の存続の裏には、任天堂の故・山内溥氏の決断がありました。1990年代初頭、経営危機で移転の可能性に直面していたマリナーズの株式を山内氏が購入して筆頭オーナーとなったことで、マリナーズの移転が阻止されたことは有名な話。それがなければ、1995年の「The Double」も、その先に続く現在の歴史も生まれていなかったかもしれません。


