
何者かに汚されるという事件が発生
Courtesy Chinatown-International District Business Improvement Area
第二次世界大戦中まで栄えていたシアトル日本町は、現在はインターナショナル・ディストリクトのジャパンタウンとして知られています。去る1月20日、その一角にある小道の 『Nihonmachi Alley』に設置されている日本人と日系アメリカ人強制収容の歴史を伝えるパブリック・アートが、何者かに黒いインクで汚されているのが見つかりました。


コミュニティのボランティアがすぐにインクをきれいに除去しましたが、公民権運動の指導者だったキング牧師の生誕記念日で、トランプ大統領の就任式の日に起きたこの事件は、シアトルタイムズなどでも報じられました。
Nihonmachi Alley のパブリック・アート
Nihonmachi Alley は、シアトル日本町の歴史と文化を伝えるアート空間で、Jackson Street と交差する 6th Avenue と Maynard Avenue の間に、2019年に設置されたものです。

制作した作品には、強制収容後に営業を再開した日系ビジネスが描かれている
西側の壁には、戦時中の強制収容から帰還した日本人・日系アメリカ人の家族が営業を再開した国際劇場(Kokusai Theatre)、日本食レストラン『まねき』、相模屋(Sagamiya Confectionary)、宇和島屋の4つの日系ビジネスが描かれた壁画が、Friends of Japantown Seattle と日系人アーティストの故エイミー・ニカイタニさんが協力して制作されました。

また、東側の壁にある日系3世のアーティスト、エリン・シガキさんの作品は、ベインブリッジ・アイランドから強制収容されたフミコ・ニシナカ・ハヤシダさんと当時13ヶ月だった娘のナタリーさんの写真を大きく使い、強制収容されながらも母国アメリカのために従軍を志願した日系アメリカ人兵士の名前、そして強制収容を二度と繰り返させないという意味の “NEVER AGAIN IS NOW” というメッセージを掲げています。
一家で強制収容されたハヤシダさん(1911-2014)の両親は1890年代に日本からカリフォルニア州に移住し、後にシアトル沖のベインブリッジ・アイランドへ引っ越した日本人。ハヤシダさんは1911年にベインブリッジ・アイランドで生まれた日系アメリカ人でした。

シアトルに来るたびにこの地域や壁画を訪れています。
偶然ベルビューから訪れていた3年生のグループとナタリーさん。
写真提供:Albert Ong
シアトル日本町
1990年代から第二次世界大戦中まで、日本人と日系アメリカ人の重要なコミュニティとして栄えていた日本町。主に移民として日本からアメリカに渡ってきた日本人(日系一世)が中心となり、商店、飲食店、ホテル、劇場、銭湯、集会所などがひしめき、1930年代の最盛期には8500人が住む活気のあるエリアに発展していました。
しかし、1941年12月に旧日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したことで、状況が一変。約2ヶ月後の1942年2月19日、当時のアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトが大統領令9066号(Executive Order 9066)を発令し、軍隊に「軍事上必要」と判断した地域から特定の住民を排除する権限を与えました。
その結果、当時の西海岸に住んでいた日本人とその子孫の日系アメリカ人約12万人が自宅や学校を追われ、財産を失い、砂漠など自然環境が厳しい過疎地に短期間で建設された強制収容所に送られてしまいました。戦後、収容所から解放された人たちの中にはシアトルに戻らなかった人もおり、シアトル日本町は元通りにはなっていません。
大統領令9066号は戦時中の国家安全保障を理由に発令されましたが、戦後になって人種差別的な政策として批判され、1988年にはアメリカ政府が公式に謝罪し、生存者に対する補償が行われました。
エリン・シガキさん Q&A
今回被害を受けた作品の制作者エリン・シガキさんに、メールでお話を伺うことができました。
ジャングルシティ:How did you first hear about the news, and what was your initial reaction? How would you describe your own emotions after your initial reaction?
Erin: First, thank you for reaching out. Even though this act of violence is painful, I think people need to know about it.
I was traveling in Nihon when I heard about the defacement. Specifically, I was in Hiroshima, completing a personal task for a close family friend and also wishing to reflect on World War II. I wanted to investigate both the death and destruction that American forces rained down upon the Japanese people, beings and land in Hiroshima, Nagasaki, and elsewhere, while simultaneously, in the Americas, people of the Japanese diaspora were demonized, jailed indefinitely, and broken. It was a time when all of us with Japanese blood suffered and took on the lead role as “enemy” in America’s racist agenda.
So it was in that context that I heard from close friends and community members what had happened. And I thought, even though our message of “Stop Repeating History” is so logical, so clear to so many of us, some people are emboldened by our racist president and the supremacist structure that still forms this country’s core. Some people really think we’re unworthy of respect and a place in this country. I was angry, exhausted but not surprised. I thought, I guess dealing with these hateful reactions is part of my job, especially as my artwork had been censored and defaced before.
ジャングルシティ: どのようにして今回のニュースを知り、最初にどのような反応をしましたか? その後、ご自身の感情はどのように変化しましたか?
エリン・シガキ: まず、連絡をくださりありがとうございます。このような暴力的な行為は痛ましいことですが、それでも多くの人に知ってもらうべきだと思います。
私は日本を旅行中に、この壁画が損壊されたことを知りました。具体的には広島に滞在しており、家族ぐるみで親しくしている友人のための私用を済ませるとともに、第二次世界大戦について考える時間を過ごしていました。私は、広島や長崎、その他の場所でアメリカ軍が日本の人々、生命、土地にもたらした死と破壊について調べる一方で、アメリカでは日系移民が悪者扱いされ、無期限に投獄され、尊厳を奪われていたことを振り返っていました。私たち日本の血を引く者すべてが苦しみ、「敵」として扱われた時代でした。
そんな背景の中、親しい友人やコミュニティの人々から今回の出来事を知らされました。「歴史を繰り返すな」というメッセージは、私たちにとっては論理的で明確なものですが、それでも一部の人々は人種差別的な大統領と、この国の根幹に今なお残る白人至上主義の構造に力を得て、私たちを見下し、排除すべき存在と考えているのだと感じました。私は怒りを覚え、疲れ果てましたが、驚きはしませんでした。私の作品はこれまでも検閲され、破壊されてきたので、こうした憎悪に向き合うことも私の仕事の一部なのだと改めて思いました。
ジャングルシティ:Several individuals I texted with shared that they experienced a range of emotions, including shock, sadness, disappointment, anxiety, and fear. I imagine you’ve also been contacted by people who know you created the public art. How did they react, and what emotions did they express?
Erin: I’m so grateful to be part of a strong and caring community. I’ve had so many messages of support from friends and strangers alike. And that’s what keeps me balanced, moving forward.
When I had a chance to sit and reflect, I realized that this time around feels much different than the other times in Bellevue. This time, I feel centered and ready.
A couple of things come to mind in that regard. First, I think I have done quite a lot of healing work both with Tsuru for Solidarity and on my own since that time. Last year, I stepped back from my organizing work and rested, and focused on my art. I’ve had to know my limits. But through it all, the very act of continuing to make this work about our community is healing for me. The second thing is that in Bellevue, the perpetrator was a high level woman of color protecting the name of a white family who had been instrumental in anti-Japanese sentiment and actions – and that seemed to have so much more specificity and power, in a way. I was confused, scared, scattered, and extremely angry.
ジャングルシティ: メッセージをやり取りした何人かの方々は、ショック、悲しみ、失望、不安、恐怖といったさまざまな感情を抱いたと話していました。これがエリンさんの作品だと知っている方々からエリンさんにも連絡があったと思いますが、その方々はどのような反応をし、どのように感じていましたか?
エリン・シガキ:私は、強くて思いやりのあるコミュニティの一員であることにとても感謝しています。友人だけでなく、見ず知らずの人々からも多くの励ましのメッセージを受け取りました。それが私を支え、前に進む力になっています。
じっくりと考える時間を持ったとき、今回の出来事は、ベルビューで起きた過去の出来事とは異なる感覚があることに気づきました。今回は、私はより冷静で、心の準備ができていると感じています
その理由として、まず「Tsuru for Solidarity」での活動や個人的な取り組みを通じて、多くの癒しのプロセスを経てきたことが挙げられます。昨年、私は活動の最前線から少し距離を置き、休息をとり、自分のアートに集中しました。自分の限界を知ることも大切だと学びました。それでもなお、日系コミュニティに関する作品を作り続けること自体が、私にとっての癒しになっているのです。
また、ベルビューのケースでは、加害者が有色人種で高い地位にあった女性で、反日感情を煽り行動していた白人一家の名誉を守るために動いていたことが、非常に特異で強い力を持っていたように感じました。そのときは、混乱し、恐怖を感じ、気持ちが落ち着かず、極度の怒りを覚えました。
ジャングルシティ:What steps do you think we should take moving forward? Anything else you may want to add?
Erin: I am grounded in the knowledge that my purpose is to tell the Japanese American story in memory of my ancestors and in service of the liberation of all people. The reason I do my work is to hold up these stories – for education, for our healing, and to ask us to see how histories are link and repeat. I believe that a way out of this endless supremacist cycle is to take care of each other well, create and stand in solidarity, and resist complacency. There are lives at stake – let’s stand up and be strong together.
ジャングルシティ: これから私たちはどのような行動を取るべきだと思いますか? 最後に伝えたいことがあれば教えてください。
エリン・シガキ:私は、祖先の記憶を受け継ぎ、すべての人々の解放のために日系アメリカ人の歴史を伝えることが自分の使命だと確信しています。私の活動は、これらの物語を語り継ぐこと—それが教育のためであり、私たち自身の癒しのためであり、そして歴史がどのように繋がり、繰り返されるのかを見つめ直すためです。
この終わりなき白人至上主義のサイクルから抜け出すためには、お互いを大切にし、連帯し、現状に甘んじることなく抵抗することが必要だと信じています。私たちの命がかかっています — 共に立ち上がり、強くあろうではありませんか。
日本人・日系アメリカ人の強制収容の歴史を伝えるシガキさんのパブリックアートが損傷されたのは、今回が初めてではありません。2020年にベルビュー・カレッジに設置された壁画の説明書壁画が設置されて間もなく、同カレッジの副学長の一人だったゲイル・コルストン・バーグ氏が説明文の一文を白く塗りつぶしたことが判明。削除された文章は “After decades of anti-Japanese agitation, led by Eastside businessman Miller Freeman and others, the mass incarceration of Japanese Americans included the 60 families (300 individuals) who farmed Bellevue,” was the sentence that was defaced.”(数十年にわたる反日運動が、イーストサイドの実業家ミラー・フリーマンらによって主導され、その結果、ベルビューで農業を営んでいた60世帯(約300人)を含む日系アメリカ人が大量に強制収容された)でした。この副学長と当時の学長はこの件について謝罪し、引責辞任しています。また、この事件の半年前にも、ベルビュー市庁舎に展示されたシガキさんを含む3人のアーティストの作品から、ミラー・フリーマンと、その孫でイーストサイドの不動産業者ケンパー・フリーマン・ジュニア、ベルビュー市の反日の歴史、人種差別についての表現が削除されたことが報じられています。
聞き手:オオノタクミ