恒岡淳一さん (グラフィック・アーティスト)

恒岡淳一さん (グラフィック・アーティスト)

シアトルのアート・スクール卒業後、ユニクロの T シャツをはじめ、B’z やドリカムのシアトル公演用ポスターのデザインを手がけるなど幅広い方面で活躍し、今春に自身のスタジオを立ち上げて独立した恒岡淳一さんにお話を伺いました。
※この記事は2006年8月に掲載されたものです。

恒岡淳一(つねおか じゅんいち)

1992年 コロラド州でホームステイを体験
1997年 オレゴン州のサザン・オレゴン・ユニバーシティに1年留学
1999年 早稲田大学卒業、アート・インスティチュート・オブ・シアトル入学
2000年 コーニッシュ・カレッジ・オブ・ザ・アーツ編入
2002年 コーニッシュ・カレッジ・オブ・ザ・アーツ卒業、モダン・ドッグ社入社
2006年 自身のスタジオ、Stubborn Sideburn を設立して独立、現在に至る

【公式サイト】 www.stubbornsideburn.com

高校・大学時代にも渡米

絵を描くこととの出会いについて教えてください。

幼いころから絵を描くことが好きだったようで、2~3歳の時の写真でも絵を描いていることが多く、親からも「絵を描くのが好きだった」という話を聞いています。美術の成績は良かったですが、特に絵を習いに行ったことはなく、両親も弟2人も近い親戚も絵に関係する人はいないので、特に誰かから影響を受けたということはなさそうですね。

早稲田大学在学中に1年間の留学をされたのはなぜですか。

高校時代に1ヶ月間の夏休みプログラムでコロラドにホームステイしたことが、「またアメリカに行きたい」と思うようになった理由だと思います。コロラドでの滞在先は人口2万人の小さな町で、ホストファミリーにも恵まれ、州内の国立公園でのラフティングやキャンピング、バックパッキングなどのアウトドアに連れて行ってもらいました。そのホストファミリーとは今でも連絡を取り合っていますよ。そのようにとても楽しい思いをさせてもらったことから、アメリカに対しては理由なしに憧れが生まれ、「もっと英語を勉強したい」と思うようになり、大学での専攻には英文学を選びました。そして、「早稲田大学では学べないことを学んでくる」という主旨の留学プログラムがあることを知り、筆記・面接試験を受け、オレゴン州のサザン・オレゴン・ユニバーシティに留学しました。

その留学で、「アートで食べていけるかも」と感じたそうですが。

新しいことを学ぶというプログラムの主旨に従って、グラフィック・アートを勉強しようと思い立ちました。実際にグラフィック・アートのクラスを履修する前にペインティングやドローイングなどの基礎的なクラスを履修し、それからグラフィックを含めたアート全般のクラスを履修しました。当初は「アートを勉強しても、絵描きになる以外にどうやって食べていくんだ?」という疑問がありましたが、そのプログラムで「こういうデザインをすれば、名刺やカタログを作ることができる」「こうすれば、自分が描いた絵がシャツやロゴになる」と、描いた作品が商品になる過程を学びました。グラフィック・デザインというのは、1+1=2のように、これをこうすればこうなる、というのが明確ですね。それで、「こうすればアートで食べていけるのか」と、なんだか手ごたえを感じたのです。

いったん日本に戻り、それからまた渡米したのはなぜですか。

帰国した当時は将来に対する明確なビジョンはなく、オレゴン州への留学でアートの可能性が見えてきたとは言え、英文学専攻でどういった仕事ができるのかもわかりませんでした。「就職活動をして企業に入社するのかな」と漠然とした気持ちだったのです。でも、OB訪問をし、会社説明会に行き、広告代理店やアート系の企業を訪ねていろいろ話を聞いてみた結果、4年制大学を卒業してもクリエイティブな仕事はやらせてもらうのは難しく、実際自分の実力のなさも実感していました。そこで、「このまま就職するのは自分にあっていない、後悔しそうだ、やはり一からアートを勉強してみよう」と思いたったのです。違う環境に身を置きたいと思っていたのと、1年と1ヶ月というアメリカ滞在は短すぎると考えていたので、再びアメリカで勉強することを選びました。幸い、両親もわかってくれ、「なんとかなるなら」と応援してくれました。

再渡米 今度はシアトルへ

最初にアート・インスティチュート・オブ・シアトル(AIS)を選んだのはなぜですか。

何人かの知り合いから「シアトルなら AIS がいいらしいよ」と聞いたので問い合わせてみたところ、対応がとても速かったのです。そして、すぐに入学でき、留学生の受け入れもしっかりしていることがわかりましたので、入学手続きをして渡米しました。しかし、AIS は2年制の学校です。本格的にデザインの勉強を始めるとさらに欲が出てきましたし、就職して就労ビザを取得することを考えるとやはり4年制の学校に行った方が有利なので、同じくシアトルにあるコ-ニッシュ・カレッジ・オブ・ザ・アーツに編入することにしました。コーニッシュでは AIS への入学時と同様の手続きに加え、作品を見せるという入学審査がありましたが、無事に合格。有名アーティストが先生をしていることもあり、そのうちの2人は僕が後にインターンシップをすることになるモダン・ドッグ社の経営者でもあるロビンとマイクでした。

どのようにしてモダン・ドッグ社でのインターンシップが決まったのですか。

ロビンとマイクには、3年生のクラスがきっかけで知り合いました。4年生ではインターンシップが単位の一部になっていたので、インターネットでいろいろな会社を見てみたところ、2人が経営しているモダン・ドッグ社が1番おもしろかったのです。そこで4年生になってからポートフォリオを見せ、ロビンとマイクに夏休みからのインターンシップを承諾してもらいました。その夏は3ヶ月間にわたり、フルタイムで働きました。仕事がおもしろかったというのもありますし、「学校が始まってもパートタイムで働いてくれたらいいね」と言われたので、そのまま仕事を続けました。

そしてそのままそこで就職したのですね。

卒業を控えて就職活動を始める段階になり、ロビンとマイクにも採用のことを打診してみようと決心しました。「採用してくれたらいいな」とは思いつつ「甘えちゃいけない」とも思っていましたが、「卒業後の就職のことだけど」と切り出したら、「ああ、いいよ」という返事がすんなりと返ってきたのです。ちょうどフルタイムだった人が独立して退社してしまったこともあり、タイミングも良かったのですね。

社員になってからはどのような仕事をされましたか。

当時のモダン・ドッグ社は、ロビンとマイク、そして僕の3人でやっていましたので、みんなが対等でした。例えば、ゴミ捨ても電話の応対も手のあいている人がやります。雑用は新人の僕がやる気でいましたが、僕にすべてを押し付けるなんてことはなく、とてもリラックスしていました。仕事の面では、ビジネス用のかたいロゴや名刺もあれば、B’zのシアトル公演のポスターなどのような楽しいものまでさまざま。プロジェクトを完全にまかされることも多く、アシスタントの立場で手伝うこともありました。プロジェクトを完全にまかされる場合は、クライアントが来社する時から納品まですべてをまかされることも多かったです。

いつから独立を考えておられたのですか。

独立することは最初から自分のゴールとして設定していました。でも、最初は「5~6年働いて日本に帰って独立する」とぼんやり考えていただけです。と言うのも、外国人の僕がアメリカで自分のビジネスをやっていくには移民法が関わってきますし、卒業後すぐにネットワークもないままアメリカで独立するのは無理。自信もありませんでした。ですから、モダン・ドッグのような小さい会社で経営面も間近で見られたこと、電話の応対からクライアントの見つけ方、マーケティングなどにも参加できたことはとても勉強になりました。

実際に独立するために、その他にどのようなことをされましたか。

2006年から独立しようと決め、その1年前にはデザインだけでなく、マーケティングや経営の仕方も本格的に吸収していこうと思い、コミュニティ・カレッジで開催されていた「スモール・ビジネスを始める人のために」というような無料コースを3ヶ月間にわたって毎週2回受講して準備を整えました。そしてそのコースを終えたころに「そろそろ独立したい」と、ロビンとマイクに伝えたのです。「辞めたい」という気持ちではなく、「経験を積んだら独立」というアメリカ的な考えでした。でも、ずっと仲良くやってきましたし、3人の中の1人が抜けるのは、50人の中の1人が抜けるのとは違い、経営の面でもカラーが変わってしまいますよね。ですから、いつかは僕が独立するという前提でもいざその時が来てしまうと少しショックだったようです。結果的に、実際に辞めたのはその半年後でしたので、2人とも十分な準備ができ、悪い意味での波紋にならず、ほっとしています。今でもモダン・ドッグとは一緒に仕事をすることはありますよ。つい先日にはTシャツのデザインをまかされ、コントラクターとして仕事をしました。会社をやめてからは、デザインよりもイラストが中心になっているので、競合にもならず、一緒に仕事がしやすいようです。

独立

シアトルのコミュニティ誌 『The Stranger』 7月6日号の表紙に採用された作品

シアトルのコミュニティ誌 『The Stranger』 7月6日号の表紙に採用された作品

独立する時はどういうお気持ちでしたか。

モダン・ドッグ社での仕事が忙しくなり、今年の1月で辞める予定だったのが3月まで延期になり、ようやく4月から本格的に独立しました。「とうとうこの日が来たか」という感じでしたね。妻もさまざまな面で僕を支えてくれていますが、最大の支えは僕の可能性を信じてくれているということ。自分でビジネスをするということは、自分で仕事を取ってこないと収入も何もないということですから、「独立しないで」と言われても不思議じゃない。でも、独立したいと話した時に妻は、「リスクは高いけど、やってみれば」と後押ししてくれました。最初の1~2ヶ月は「これから大丈夫か」という不安がありましたが、6月からようやく仕事が入り始め、「大丈夫そうだ」という可能性が見えてきたところです。会社員だった時は会社にいるだけで仕事も給料ももらえるという意味で安定していましたが、独立すると、まず仕事を取るためのマーケティングと売り込みという新しい分野に取り組まなければなりません。そうなると、自分のスタイルをよくわかっている必要があると実感しました。でも、マーケティングと売り込みを考える時点から既に創造性が必要とされていることが楽しくもあり、スリルでもあります。

今年7月に TK Building のギャラリーで作品を展示することはどのようにして決定したのですか。

6月にキャピトル・ヒルにあるスウェット・ショップというギャラリーのグループ・ショー(複数のアーティストが作品を展示する展示会)に参加した時、そこのオーナーが、「TK Building のギャラリーで7月に個展をやってみないか」と言ってくれたのです。それからとんとん拍子に初めての個展が実現しました。個人で作品を展示するのも、あれだけ大勢の人たちが作品を見に来てくれたのも初めてのことでしたが、みなさんの反応も一様にポジティブで、作品をいくつか購入してもらいました。僕はあまり社交的なタイプではないのに、自分も楽しめたのが意外なぐらい。今年9月24日にはバンバーシュートのポスター・コンベンションにブースを出し、自分がデザインしたスクリーン・プリント のポスターなどの販売、そして12月にはキャピトル・ヒルにあるバザー・ギャラリーで個展を予定しています。バザー・ギャラリーでの個展は自分で作品を売り込みに行って実現したのですが、スウェット・ショップのオーナーのコネクションのおかげで、少しずつですが名前が知られるようになってきているようです。

これからの抱負を教えてください。

独立するまではクライアントにあわせてシンプルでストレートなレイアウトが多かったのですが、独立してからはイラストのスタイルは変えずに自分の個性を出しつつあります。それが好評のようなので、今後はそのまま発展していければ嬉しいですね。また、たくさんの人に僕の作品を見ていただきたいと思います。イラストやデザインでなく、ギャラリーで見せるのもその方法の1つです。それがもっと大きなステップにつながるでしょう。この仕事を始めてから、シアトルがアート・シーンで大きく注目を浴びていること、ロバート・ハードグレーブ(Robert Hardgrave)やアンドリオ・アベロ(Andrio Abero)などシアトルからスタートして全米・世界で活躍しているアーティストもたくさんいることがわかってきました。アーティスト同士の横のつながりが強いのも、歴史の浅い、新しい町であるシアトルならでは。僕はこれからもシアトルを拠点に活動していこうと思っています。

【関連サイト】
Cornish College of the Arts
The Art Institute of Seattle
Andrio Abero
Robert Hardgrave
Modern Dog

掲載:2006年8月

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