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11月最大のアメリカのイベント「感謝祭」って?

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11月の第4木曜日は、感謝祭(Thanksgiving)の祝日です。自然の恵みやさまざまなことに感謝する日で、挨拶は “Happy Thanksgiving”。ここでは、感謝祭のお祝いの仕方から歴史までをまとめました。

もくじ

一般的な感謝祭の歴史

一般的に、感謝祭の由来は、「1620年にイギリスから現在のマサチューセッツ州プリマスに到着した入植者と、先住民のワンパノアグ族(Wampanoag)が、1621年に収穫を祝う夕食を共にしたことにちなんでいる」と、一般的に教えられてきました。今でも、多くの学校ではそのように教えられ、そのまま信じている人も少なくありません。

感謝祭がアメリカの祝日になったのは、アメリカの南北戦争の最中の1863年にリンカーン大統領が「11月の最終木曜日を感謝祭の祝日とする」と宣言したことが始まりです。

その後、1941年にルーズベルト大統領が署名し、正式な祝日となりました。

ホワイトハウスでの儀式は七面鳥が主役

©Purdue University photo/Tom Campbell
2021年にバイデン大統領に恩赦を与えられた七面鳥は、インディアナ州ラファイエットにあるパデュー大学農学部に送られました。

首都ワシントン DC にあるホワイトハウスでは、感謝祭の前に大統領に2羽の七面鳥が贈られる儀式 『National Thanksgiving Turkey Presentation』 と、その2羽の七面鳥を屠殺される運命から恩赦する 『Turkey Pardon』 という行事が行われます。

その由来は定かではありませんが、一説ではハリー・トルーマンが1947年に七面鳥に恩赦を与えたからとされていますが、トルーマン図書館ではこれを裏付ける証拠は見つかっていないそうです。アブラハム・リンカーンが息子テッドのペットだった七面鳥に恩赦を与えたことに由来しているという説もあります。

ホワイトハウスでは2003年から公式サイトで恩赦を受ける七面鳥の名前を公募し、2014年から「2羽の七面鳥のどちらに恩赦を与えるべきか」と、公式ツイッターで呼びかけるようになりました。よりたくさんの票を獲得した七面鳥は恩赦を受け、ディズニーワールドや動物園などに送られます。

感謝祭恒例のパレードやアメフトの試合も

ニューヨーク市の百貨店メイシーズ(Macy’s)が1924年から毎年(第2次世界大戦のために1942年から1944年まで中断)開催しているパレード 『Macy’s Thanksgiving Day Parade』 も有名です。

また、通常は日・月曜を中心に行われる NFL の試合が3試合が感謝祭の日に開催され、全米の注目を集めます。

感謝祭は祝日で、たいていの企業は休業となります。たいていは感謝祭の翌日も休日にして連休にするところが多いです。感謝祭の後は、クリスマスに向けたホリデー商戦が始まります。感謝祭翌日の金曜はこのホリデー商戦の初日として小売店が黒字になる傾向にあることから、”Black Friday” と呼ばれています。

先住民族にとっての感謝祭の歴史とは

でも、ヨーロッパから白人の入植者が来る前から、何千年にもわたりこの大陸に住んでいた先住民の多くにとって、この日は「入植者と先住民のワンパノアグ族が夕食を共にした」と祝う日ではありません。

ナショナル・ジオグラフィックによると、現在のアメリカのニューイングランドの沿岸地域はたくさんの先住民が住み繁栄していましたが、1610年代後半に何らかの伝染病が流行して人口が最大90%も減少する壊滅的な打撃を受け、イギリスをメイフラワー号で出発した入植者が現在のマサチューセッツ州プリマスに到着した1620年には、地域全体が放棄された状態になっていました。以前は天然痘、黄熱、ペストなどが流行したのではと考えられていましたが、最近では1600年代初期にヨーロッパから来た人々が持ち込んだ外来種のブラックラットを介したレプトスピラ症が原因だったのではないかと言われています。

この伝染病で弱体化したワンパノアグ族の酋長ムサソワは、プリマスの入植者と同盟を結んで貿易パートナーとなり、他の部族やフランスに共同で対抗するようになります。しかし、17世紀に入ると大量に押し寄せた入植者がワンパノアグ族をコントロールするようになり、ムサソワの息子メタコメットの代になると関係が悪化。1675年に勃発したワンパノアグ族とニューイングランド連合の戦争でメタコメットは戦死し、ネイティブ・アメリカンの人口は半減、イギリスからの入植者の人口は最大30%も減ったとされています。

その後も先住民と入植者の間で大小さまざまな戦闘が起き、先住民は不平等な条約で先祖代々の土地を奪われ、居住区に強制的に移住させられていきました。こうした歴史は広く知られていないことが多く、2012年の感謝祭に 『This American Life』 が現在のミネソタ州に住んでいたダコタ・インディアンが入植者に迫害された歴史を紐解く 『Little War on the Prairie』が放送され、注目を集めました。

現在のシアトルも、もともと先住民が住んでいた土地で、Seattle という名前もスコーミッシュ族とデュワミッシュ族の酋長の名前 “si?al’s”(シールス: 1780?-1866)を英語に置き換えたもの。シアトルでも1850年代に先住民と入植者の戦闘が勃発しています。

抗議活動 『National Day of Mourning』

こうした歴史を伝えるため、1970年から感謝祭の日にマサチューセッツ州プリマスのコールズ・ヒルで抗議活動 『National Day of Mourning』 が行われ続けています。

公共放送局 WBUR によると、先住民に対する差別や抑圧は現在も続いていることが、

メイフラワー号のプリマス到着350周年にあたる1970年、祝賀イベントを企画した入植者の子孫は、ワンパノアグ族のワムスッタ・フランク・ジェームズ氏にスピーチを依頼しました。しかし、ジェームズ氏がこのイベントに出席してスピーチをすることはありませんでした。と言うのも、ジェームズ氏が事前にイベントの主催者側から要求され提出したスピーチの原稿は、入植者を賞賛せず、先住民が受け続けている迫害を伝えるものだったからです。主催者側はこのスピーチを断り、別の原稿を提供すると提案しましたが、ジェームズ氏はこれを断り、その代わりにワンパノアグ族の酋長ムサソワの像のあるマサチューセッツ州プリマスのコールズ・ヒルで自身のスピーチを読み上げました

これが The United American Indians of New England による National Day of Mourning として、現在も続いています。

マサチューセッツ州プリマス市が設置した記念碑『National Day of Mourning』には「​1970年以来、ネイティブ・アメリカンは、感謝祭の祝日にNational Day of Mourningを記念して、正午にプリマスのコールズ・ヒルに集まってきた。​多くの先住民は、ピルグリムや他のヨーロッパからの入植者の到着を祝わない。​彼らにとって感謝祭は、何百万人もが虐殺され、土地が盗まれ、文化が容赦なく攻撃されていることを思い起こさせる日である。​National Day of Mourningの参加者は、先住民の祖先と、今日を生き延びるための先住民の奮闘を称える。​この日は、記憶と精神的なつながりの日であると同時に、先住民が今も経験している人種差別と抑圧に対する抗議の日でもある」といった内容が書かれています。

10月第2月曜日が Indigenous Peoples’ ​Day(先住民の日)に

2021年10月8日、バイデン大統領はアメリカ合衆国大統領として初めて10月第2月曜日を Indigenous Peoples’ Day(先住民の日)とすると宣言しました。

先住民の日は、後にアメリカ合衆国が建国される土地を含むアメリカ大陸の最初の住民は先住民であることを認める日です。

バイデン大統領はこの宣言書で、「何世代にもわたり、連邦政府は組織的に先住民を同化させ、追放し、先住民の文化を根絶しようとしてきた」「今日、私たちは先住民の回復力と強さ、そして彼らがアメリカ社会のあらゆる側面に与えてきた計り知れないポジティブな影響を認識する」と述べています。

また、バイデン大統領は、米国議会で定められたコロンブス・デーについての宣言も行いました。しかし、この宣言書では、イタリア系アメリカ人のアメリカ社会の伝統と文化を豊かにし、貢献し続けていることを称賛する一方で、コロンブスをはじめとする同時代の探検家たちがアメリカ大陸にもたらした害悪についても言及しています。

詳細は「Columbus Day / Indigenous Peoples’ Day コロンブス・デー / 先住民の日」をご一読ください。

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