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「興味があるなら、”Go for it!”」 プロフェッショナル・ダンサー 櫻木空(さくらぎ・くう)

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Photo © Angela Sterling

2月4日から、シアトル最大のバレエ団パシフィック・ノースウエスト・バレエがジャン=クリストフ・マイヨーの振り付けによる全幕バレエ『ロミオとジュリエット』をマッコー・ホールで上演します。2008年の初演以来人気の高いレパートリーの一つで、昨シーズンもデジタル版が上演されましたが、生の舞台から得られる躍動感は何物にも代えがたいですね。そこで、キャピュレット家の一人とモンタギュー家のベンヴォーリオの二役を踊るワシントン州ベルビュー出身の櫻木空(さくらぎ・くう)さんに、バレエを始めたきっかけや新型コロナウイルスのパンデミックで再発見したバレエに対する思いなどについてお話を伺いました。
※インタビューは英語で行い、日本語に翻訳しました。

バレエとの出会いについて教えて下さい。

パシフィック・ノースウエスト・バレエ(以下、PNB)はバレエ教師を近隣の公立小学校に送り、3年生のPE(physical education:体育)のクラスでバレエの素質がありそうな子どもを見つける『Dance Chance』 というプログラムをやっています。

ストレッチや音楽にあわせた動きをやらせたり、まっすぐ立つことができるか、振り付けをどれだけ早く習得するかを見たりして、素質があると判断した子どもには2年間のスカラシップを提供します。その後、もしPNBがその子どもにバレエを続けてほしければ、またスカラシップを提供するという仕組みになっています。

僕はそこで選ばれたのですが、最初はとてもエキサイティングなことだと思いました。「ご両親に渡してください」と言われ、スカラシップの説明が入った封筒を渡されるなんて、特別ですよね。でも、バレエについてはあまり考えず、ただクールなことだと思い、上手にできたから何かご褒美がもらえたという感じに受け止めていました。当時はバレエの経験はまったくなく、バレエについて耳にしたことはありましたが、深く考えたことはなかったのです。

でも、芸術関係が好きな母はPNBを知っていました。スカラシップは大きなことですし、「これはとてもすばらしい」と言って、とても喜んでくれたのを覚えています。その時、PNBが公演のチケットもくれたので、僕も母に引きずられて観に行きましたが、公演を観ても特に何も感じませんでした。その時の作品はおそらくバランシンだったので、当時8、9歳だった僕には難しすぎたのでしょうね。

最初はクラスに行くのも抵抗していたとPNBのインタビュー記事で知りました。
スカラシップを申し込むには僕もサインしないといけなかったのですが、やりたくなかった。子どもでしたから、「サインしない」と抵抗しました。そんな感じで最初は楽しくない状態で始めましたが、PNBのベルビューにあるバレエ学校では男の子は僕一人だったのが、シアトルにあるバレエ学校ではバレエを習っている男の子たちがいたので、ようやく同じような話ができるようになりました。

そして、パフォーマンスをするようになると、楽しくなってきたのです。例えば、バレエ学校の子どもがたくさん出演する『The Nutcracker』(くるみ割り人形)のケント・ストウェル版の公演の時、僕は母に「早く行かないといけない!友達が待ってる!みんなが待ってるんだ!」と言っていて、そんな僕を見た母は僕がバレエを楽しみ始めたのだなと感じたそうでした。

※PNB は2014年まで31シーズンにわたりケント・ストウェル版の『The Nutcracker』を上演した後、2015年からジョージ・バランシン版の『The Nutcracker』を上演しています。

学校とバレエと両立するのはなかなか大変だったと思いますが、何かスポーツもやっていましたか。

もともと空手を習っていましたが、数年でバレエの上のクラスに昇級したので、空手を続けるのは難しくなりました。おそらく12歳の時だったと思います。母は「どちらを続けたい?」と聞いてくれ、僕は「わからない」と答えましたが、「バレエの方がいいと思う。スカラシップももらったし、あなたはバレエの才能があると思う」という母の言葉で、バレエを選ぶことに決めました。

当時はまだバレエをキャリアにするなどもちろん考えていませんでしたが、ミドルスクールからはバレエは日曜日しか休みがなく、もっとコミットしなくてはならなくなったのです。
とは言っても、ミドルスクールの友達はみんなサッカーをやっていたので、みんなと一緒に何かをやりたかった僕は、母に内緒でサッカークラブのトライアルを受けたこともありました。合格したので、母に「サッカーもやっていい?」と聞くと、「とてもじゃないけどムリ」と。確かに、そのトライアルが終わった時はヘトヘトで、その後すぐにあったバレエのレッスンでもとても疲れていましたから、サッカーとバレエの両立は無理でした。

バレエをやっていたら、他にいろいろなことをやるには時間が足りないのです。そんなふうに、バレエをやる子どもはいろいろなことを犠牲にしていると思いますが、両親も僕がバレエを続けるためにはものすごいコミットメントが必要で、大きな犠牲を払ってくれました。最初こそ母に「がんばって」と言われていましたが、途中からはもうそう言われる必要もなくなり、14歳になった頃、「僕はバレエをやりたい。成功できると思う」と考えたことを覚えています。

Pacific Northwest Ballet School professional division student Kuu Sakuragi in George Balanchine’s Valse Fantaisie
Photo © Lindsay Thomas (2017).

その後、プロフェッショナルになり、カナダのバレエ団を経て、PNBに入団するまでの経緯を教えてください。

ハイスクールに入ってからは、シアトルのバレエ学校でのクラスに間に合うために、学校を早退してバスでダウンダウンまで行き、シアトル・センターまで歩いていくという毎日でした。そして、ハイスクール卒業後、パシフィック・ノースウエスト・バレエのプロフェッショナル・ディビジョン・プログラムに入ることができ、フルタイムで踊るようになったのです。
プロフェッショナル・ディビジョン・プログラムでは、2年目にいろいろなバレエ・カンパニーの入団オーディションを受ける必要があります。これが、バレエダンサーとしてプロのキャリアをスタートするか、別の道に進む、例えば大学に進学するかの分かれ目になります。僕はいろいろなカンパニーの入団オーディションを受けましたが、最初にアプレンティスの契約オファーをくれたのが、カナダのアルバータ・バレエ(本拠地:カルガリー)でした。提示された給料も、カナダで家賃を払って自活するには十分な収入でした。
でも、僕にとって、PNBはホームですから、最優先でした。そこで芸術監督のピーター・ボウルと話をしましたが、ピーターは「今はポジションがない」と。僕は身長が低い方なので、身長が高いダンサーとは違って、ソロのパートを踊ることの多いダンサーなのですね。それでたまたまその時は空きがなかった。そこで、僕はアルバータ・バレエに入団しました。

アルバータには3年間にわたり在籍しましたが、今から振り返ってみても、とてもタフ(大変)な期間でした。最初の一年は特に。何しろ一人で入団しましたし、知っている人もおらず、新しいディレクター、エナジー、環境に置かれ、学生だった時は考えなくてもよかったことでプロに期待されていることがたくさんあります。でも、同時にとてもやりがいのある体験でした。そして3年後、PNBの入団オーディションを受けて合格し、Great! 2020~2021シーズンの前に、ホームに戻ってくることができました。

ダンサーは自分の感情、心の状態、身体の状態などと常に向き合っているわけですね。新型コロナウイルスのパンデミック宣言が出されたときは、そのすべてに大きな変化が起きたのではないでしょうか。

パンデミック宣言が出された時、僕はまだカナダのアルバータ・バレエにいたのですが、カナダでもすべての公演が完全に中止になったのと、ちょうどPNBに移籍する契約を結んだところだったので、すぐにカナダから米国に戻りました。戻ってこれて本当に良かったのですが、当時はPNBもどうなるかまったくわからず、公演をオンラインで提供するのも、いつになるかもわからない状態でした(※)。
※PNBは2020秋にオンラインで観賞できるデジタル版の公演を開始しました。

なので、バレエのことはすっぱり忘れることにしました。考えてしまったら、将来のことがわからなくて少し苦しくなると思ったからです。あの当時、バレエをやっている人は、みんな同じように感じていたと思います。気持ちを紛らわせるために、家族と時間を過ごし、ハイキングやキャンピングを楽しんで、4~5か月もダンスをせず、だらだら過ごしました。
で、結局、それは理想的ではなかったですね(笑)。ある時点でPNBが「スタジオを一人ずつなら使ってもいい」と連絡をくれたのでダンスを再開してみたら、本当に自分にイライラしました!以前はできていたことができない。例えば、足を上げるのも難しい。プリエをするだけでも、音楽にあわせて動くだけでも、体が痛い。すべてを元に戻すのに、とても時間がかかりました。

でも、そのおかげで、自分がバレエを恋しく思っていたことを実感でき、もう一度、バレエを大好きになったのです。以前とは違う、もっと成熟した形で。訓練をとてもがんばった翌日は、起きた時に筋肉が痛い。そう、この感覚が恋しかった。自分ががんばったことがわかる。「これを忘れていた。だから僕はバレエが好きなんだ」と再確認しました。

Pacific Northwest Ballet corps de ballet dancer Kuu Sakuragi.
Photo © Lindsay Thomas

今月開幕する公演『ロミオとジュリエット』に出演されますが、自分のパートをどのように準備をされますか?

いい質問ですね。『ロミオとジュリエット』では、キャピュレット家の一人と、モンタギュー公の甥のベンヴォーリオの二役を踊ります。僕にとっては初めて挑戦する大きなことで、プレッシャーがありますが、いいチャレンジです。僕はいいチャレンジが好きなんです。やったらやっただけのリワードがありますから。

練習の現場でも全力を出しますが、振り付けに疑問があれば帰宅してからビデオを見て復習しています。時々忘れられがちなのですが、『ロミオとジュリエット』はたくさんの踊りがあると同時に、演技もたくさんあるということ。特に幼い時はバレエをステップやターンやジャンプで考えてしまいますが、例えば、僕が今回踊るベンヴォーリオのようなリードパートの場合は、立った状態で演技をするシーンも多いのです。とても楽しいですよ。配役が発表されてからは特に、「ベンヴォーリオは何をするだろうか」と考え、話し合いました。そして、彼は13歳の子供で、兄のマーキューシオのようになりたいと思っているけれども絶対にマーキューシオのようにはなれない、そういう13歳の気持ちを想像するのです。面白いことに、僕には兄が二人がいて、特に6歳離れた一番上の兄のことをすごいと思っているので、ベンヴォーリオの気持ちが少し想像できます。

そんなふうにいろいろ考えながら、舞台まで激しいトレーニングを続けます。芸術監督などが言うことはすべて受け止める準備ができていますし、すべての修正を吸収し、開幕に向けて最終調整を行います。でも、公演の直前にはもうそれ以上に自分が考えられることはありません。無理せず、自分の体をいたわり、休んで、考えすぎないこと。開幕する時には身体面でも精神面でも100%でないといけないので、できるだけリラックスして、まったく関係のないことをします。例えば、アパートの掃除とか。もし舞台で自分が何か思うようにできなかった場合でも、掃除をしておけば、少なくともきれいなアパートに帰れますから(笑)。また、僕は音楽が好きで、いろいろな音楽を聴くのですが、気分を紛らわせたい時は公演とはまったく関係のないもの、まったく違うタイプの音楽を選びますね。でも、踊る作品によっては公演に関係のあるものを選ぶことがあります。例えば今シーズンの1回目の公演では、狂気に陥って自死した作曲家を描いた作品でソロのパートを踊ったので、悲しい曲を聴くことで気持ちを公演まで維持するようにしました。

公演日にはドレッシングルームで立って、振り付けを復習します。振り付けを変えるという意味ではなく、公演は毎回違うところがあり、それはやってみるまでわかりません。どのように自分が感じているのかも日によって異なるでしょう。自分にいら立っていたり、家での出来事に怒りや愛を感じていたり、自分の人生に何かが起きていたり・・・そういったことが踊りに出てきます。それは自分ではコントロールできないもので、計画的でもなく、意図的でもなく、自分からにじみ出てくるものなのです。その何かが出てきた時に、「わあ、何か感じたぞ」と思う。そして、それに乗ってみる。だから、僕は生のパフォーマンスが好きなんです。

バレエ団は世界各地からいろいろな人が来ていますが、アジア系はマイノリティです。日系アメリカ人としてのプレッシャーや期待を感じますか。

僕はいろいろな面で日本人のステレオタイプと違うことをしてきたと思います。例えば、学校の成績はそんなに良くなかったとか(笑)。でも、バレエをやったら、バレエ教師が “You are very smart.”(君は本当に賢いね)と言ってくれたので、驚きました。「あれ、これまで言われていたことと違うぞ」と(笑)。

僕の両親は日本生まれ育ちで、僕はアメリカ生まれ育ちの日系アメリカ人。幼いころから、「自分は自分」と考えていました。日本に住んだこともありませんが、身の回りにある文化に影響を受けていて、それが自分の態度に出ていると思います。例えば、僕は最初はあまり話さず、静かです。それは日本の文化にある「聞かれたら答える」ということなのかもしれないですね。そして、人には礼儀正しくして、親切心を持って対応します。クラスが終わったら、先生とピアノ奏者に “Thank you” とお辞儀をするのは、おそらく両親がそうするのを見てきたから。そんな僕を見て、他のダンサーもちょっとお辞儀をするようになったりしますが、みんな見た目が異なるように、自分に「日系アメリカ人」という一つのラベルを貼られている気はしないですね。

父親に「どうして僕に空(くう)という名前をつけたの?」と聞いたことがあります。父は「仏僧の空海から取ったんだ。空海の名前の意味はempty ocean」だと教えてくれました。僕は「そしたら僕の名前はemptinessという意味なの?」と聞いたら、父は「漢字だから、いろいろな意味がある」と。sky、nocturnal、void、emptiness、heaven など、「空」にはいろいろな意味があるのですね。僕はその中でemptinessが好きだと言うと、父は「emptiness はとてもパワフルだ」と言ったんですね。その理由は、”Everything starts from nothing.”(すべては何もないところから始まる)。僕は幼い子供でしたが、それをとても真剣に受け止め、「これが僕だ。僕はnothing だが、何者でもなれる。なりたいものがあれば何にでもなれる。自分をクリアにすれば、なんでもスポンジのように吸収できる。自分を変化させられる」と思いました。

僕がやっているバレエという芸術では、それぞれの作品で、異なるパートを踊ります。それと同じなんです。僕は何かのパートを踊る前に、まずはnothingでないといけないし、オープンになっていないといけない。まさに「空」(くう)なのです。

このシアトル地域で育つ子供たちへのメッセージをお願いします。

先日、PNBのプリンシパルダンサーのルシアン・ポストルワイトと、ちょうどこのようなことについて話をしました。ルシアンは引退したらバレエ教師になろうかと考えていたそうですが、今はバレエ界から完全に離れるつもりだそうです。彼曰く、「バレエダンサーである自分たちは、この一つの芸術の形にものすごい努力をして投資してきたわけだ。プロフェッショナルのダンサーとして成功するために注いできたすべてを新しいことに注ぎ込んだら、その自分の持てるエネルギーと情熱によって、新しいことでも開花する可能性がある」。彼の視点はとてもいいなと思いました。

全力を尽くしていれば、もしうまくいかなかったとしても、一つのことからとても多くのことを学ぶことができます。例えば希望していた大学に入れなかったとか、そういうことが起きても、そこから何か学ぶことができます。その大学がNoと言ったからといって、人生はNoではない。

もちろん、”Easier said than done.”(口で言うほど簡単ではない)。僕はいつもそう言っています。誰にとっても、新しいことにトライするのはとても難しいことですし、行き詰まっている時は特にそうでしょう。でも、そもそも人生はyes、yes、yes ではない。Yes、no、yes、no、maybe yes ぐらいだと思います(笑)。

だから、何をするにしても、興味があるなら、”Go for it!”(それを成し遂げるために、最大限の努力をしろ!)。80%で終わらない。これを40%やって、こっちを40%やってではなくて、本当に情熱があるなら、すべてのエネルギーを注ぐこと。そして、「自分を信じること。自分にも道があると信じて」と伝えたいです。

ありがとうございました。

櫻木空(さくらぎ・くう) 略歴: ワシントン州ベルビュー生まれ。シアトル最大のバレエ団パシフィック・ノースウエスト・バレエが1994年からシアトルの公立学校に提供している『ダンス・チャンス』プログラムで見い出され、スカラシップを得てバレエを始める。ヒューストンバレエ団、カナダ国立バレエ団、サンフランシスコバレエ団、スクール・オブ・アメリカン・バレエ、パシフィック・ノースウエスト・バレエのサマーコースに参加。デンマーク・ロイヤル・バレエ学校とのフレミング・ハルビー・エクスチェンジ受賞者。2017年にカナダのアルバータ・バレエにアプレンティスとして入団し、プロとしての一歩を踏み出した。2018年にカンパニー・ダンサーに昇進。2020年にパシフィック・ノースウエスト・バレエにコール・ド・バレエとして入団し、現在に至る。
【PNB 公式サイト】 Kuu Sakuragi | Corps de Ballet (pnb.org

聞き手:オオノタクミ

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