新型コロナウイルスのパンデミックで、ワシントン州では2020年3月から経済活動・社交再開に規制のある生活が続いています。日々の生活はどのように変化しているのでしょうか。
第5回は、2008年から世界各地からの参加者を対象にグローバル人材育成プログラムを展開している「iLEAP」(アイリープ)のマネージング・ディレクターの恵・エリクセンさんにお話を伺いました。
– 自宅待機命令で、生活はどのように変わりましたか?
私は娘が生まれる前から今までずっと働いているので、約6年前に出産して3カ月の育児休暇を取って以来、平日にこんなに家にいることがありませんでした。なので、娘にはそれがとても新鮮で、自宅待機が始まってからしばらくは毎晩寝る前に「ママ、明日もいるの?」と嬉しそうに聞いてくれました。ママがいるのがうれしい、喜んでくれている、それを見てこちらもなんだかうれしくなりました。
出勤していた時は、時差のある日本とのやり取りが多い関係上、帰宅が遅く、夕飯の時間も遅くなり、食べ終わったらすぐお風呂というようにばたばたして、家族が夜型になっていました。今は昼間にあまり仕事に集中できないので、子どもが寝た後に仕事に集中するようになっています。私自身の寝る時間は変わらず、かえって一日がすごく長いです。
仕事以外では、料理や手間をかける料理をする時間ができました。夫が作るとピザやパスタなど小麦粉系になるので(笑)、週4~5日は私が食べたいものを作りますが、いつもは簡単に作っていたドレッシングにもっと手をかけてみようとか、肉料理に新しいソースを作ってみようとか、ちょっと踏み込む余裕があります。毎日家にいるわけですから、食べることも楽しみにしないと。それで、おかずが増えた気がします。
– お子さんは何をして過ごしていますか。
自宅待機では、子どもがキンダーガーテンに行ったりプレイデートをしたりすることができませんし、散歩に行っても、スーパーマーケットに行っても、ゆっくりできません。そういった、外から受ける刺激、あれこれゆっくり見て楽しむ喜びが取られてしまった感じがします。
娘は結構体力のある子なので、どうやって体力を消耗するかを考えさせられますが、外で一緒に遊んだり、庭でスクーターに乗ったりしています。庭のありがたみを感じますね。
キンダーガーテンに関しては、学区の先生方が作った動画をアップロードする形でのクラスをやっています。週1回ぐらいの頻度で先生とオンラインで話もしますが、まだキンダーガーテンなので、そんなに厳しいものではありません。自宅では英語の読み書きと日本語の読み書きさえやっていればいいと思っているので、英語と日本語の本を毎日自分で読む、アルファベット、ひらがな、カタカナをやります。たまに算数も自分たちで見つけてやりますが、勉強という感じではなく、手作りな感じです。
家では英語と日本語を話していますが、今は私が家にいますし、私の日本の両親と週2回スカイプして、本を読んでもらったり、娘が読んだりもしているので、また日本語の方が割合が多くなった気がしています。でも、キンダーガーテンで英語が伸びたので、アプリなどを使って英語をもっと聴くようにしたりしています。
でも、自宅待機の影響で、クリエイティビティというのは、限られたもので工夫する力、つまり、生きる力なんだなと改めて思いました。もともとアートやクラフトが好きなのですが、クラフトストアなどは営業していないので、ないものをすぐに買い足すことも簡単にはできなくなりました。そこで、「手元にあるもので料理を」というのと同じで、娘は手元にあるもので以前より工夫するようになっています。クリエイティビティが刺激されるんですね。先日も紙コップで小さな人形を乗せるエレベーターを作っていました。白い紙に完成図を描いて、それを自分で作って、「ほら、できた」と。
あとは、お友達とオンラインでプレイデートをしています。お友達とおもちゃを見せあったり、本を読みあったり、ごっこ遊びも多いですね。私がエルサ、あなたがアナ、次は交代、そんなふうに衣装替えを何度もして、2時間ぐらい遊んでいます(笑)。また、近所のお友達でも会えないので、お互いにお手紙を書きあって、散歩の途中にメールボックスに入れたりもしています。
外に行くとコロナウイルスがあるからねと娘も自分で言いますが、怖いとは感じてないみたいです。
– 仕事ではどんな変化がありましたか?
オンラインだけになっても、アイリープでの仕事の進め方は変わっていません。でも、この非常事態にこれまで「このプログラムはこうあるべきで、こういうふうにするべき」という自分の中にあったものを自分のエゴなんだと認識して手放したら、ほかのやり方が見つかり、手放すきっかけになりました。それしかないと思っていたりしても、実はそうじゃないこともある。それをこの状況が気づかせてくれました。
仕事柄、いろいろな人とオンラインで話しますが、やはり、人生やキャリアについて考えている人が多いです。「先が見えない」「近い将来があまり見えない」という言葉もよく聞きます。私自身、「団体や組織のことを考えないといけないのに、どうなっていくんだろう」「キャリアはどうするんだろう」といろいろ不安になりますが、今はまだわからないことがたくさんありますし、そこばかり考えるのではなく、もっと遠くの、5年や10年先のビジョンを考えるようになりました。
また、いるものといらないものが結構はっきり見えてきましたね。必要だと思っていたけど、別に必要じゃなかった。それは物だったり、こうすべきという行動だったり、いろいろありますが、別になくてもいい、しなくてもいい、そういう振り分けができるようになりました。
これまで、そういうことを考える時間がなかった、または、そういう時間がないことにしていたことがあるかもしれません。考えなくても、人生も仕事も生活もまわっていたわけですから。これは人間みんなに対する、地球からのメッセージだとも思っています。
アイリープの卒業生とも週2回、私が決めたテーマで話すセッションをやっています。「自分がやっていることはそもそも誰のためにやっているんだろう」「何のためにやっているのか」「自分はもっと何が必要だと思っていて、どういった新しい形でできるのか」などといったことは、このコロナウイルスがなくても投げかけて話し合い、一緒に考えてきたことです。でも、今、みんながふらついたり、ゆれたり、不安になっていますよね。順風満帆な人なんていない。みんなが自分を見る、立ち止まって考えることをしているので、卒業生とも良い話し合いができていると感じます。
たとえば、セッションのテーマは「つながり」にしました。自分にとっての「つながり」はなんだとか、「つながり」から何を得ているか、そういう話をしたのですが、それぞれが考える「つながり」の意味が全然違っていたのです。一つの言葉に対して思っていることは全然違っていても、これまではそれでも会話は成り立っていたのが、こういう機会に話すことで理解が深まるのですね。
– この状況になって改めて気づいたことはどんなことでしょう?
先日、ニューヨーク州のクオモ州知事も会見で言っていましたが、こういう非常事態だからこそ、その人の本当の部分が出ると思います("when the pressure is on is when you really get to see true colors of a person")
。3月に日本からの学生たちが参加した短期プログラムでは、自宅待機命令が出る前で学生も不安定で、私はどうあるべきか、どうふるまうべきかを普段以上に強く意識しました。窮地に立たされると出てくる本性、大変な時こそこの人の本当の部分、核の部分が出てきます。そういう核の部分を、人は絶対に覚えているし見ています。ですから、この事態に自分が試されているなとも思いますね。
でも、こうしてオンラインでしか会うことができなくなって、いろんなものがなくなったり不安になったりしていく中で、人とのつながり、対面で会うことの大切さを実感して、それこそ「つながり」に感謝しています。家族や友達をはじめ、人と築いてきた本当の信頼関係は影響を受けないんだなと。日ごろから積み上げてきたというか、しっかり構築できていた関係が見えてきて、一層大切に思うようになりました。
今、たくさんの人の中で、大きなシフトが起きている気がします。「これはしなくてはならない」というような、英語でも "I am supposed to do it." と言うことがたくさんある。でも何のため、誰のため、ということを、もっと問うようになるんじゃないかなと。そして、それぞれ自分のやりたかったこと、いかしたかったこと、家族とやりたかったことなど、そういうものに対してもう少し正直になるのではないかと思っています。アメリカは経済が不安定になっても会社が守ってくれたりすることはありません。だからこそ自分で自分は何をしたいのか、どう生きるのか考えていかないといけないですね。
今こうして考えている大事なこと、本質的なことについての問いを、この事態が収束してもそれぞれがずっと問いかけながら、「この人生をどう使おうか」と考え追求していけるような社会になる。それが、私の希望です。
– おっしゃるとおり、感染拡大を抑制するために、これまで考えなくてもまわっていた生活がいきなり変更させられる状態になり、たくさんの人が生活や仕事などにおいて、あらゆることの存在意義や社会的意義を問うようになっています。いろいろなものがふるいにかけられていますよね。そして、社会の維持に必要不可欠と指定された仕事をしている人が低賃金だったり十分に保護がなされなかったり、現場に行かないとできない仕事がなくなり十分な補償がないため生活ができなかったりと、これでいいわけがない社会問題も浮き彫りになっています。それぞれが誰かの物差しではない、自分が考える幸せややりたいことを追求できて、報われるべき人が報われる社会にしていくにはどうしたらいいのか。その方法は一つではないわけですが、本当にそうなるように、自分ができることを考えたいと改めて思います。
掲載:2020年5月 聞き手:オオノタクミ