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シアトルの最初のネイバーフッド「パイオニア・スクエア」必見のパブリック・アート

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スクウォミッシュ族とドワミッシュ族の酋長チーフ・シアトルの胸像

パイオニア・スクエアにあるチーフ・シアトルの銅像

シアトルの街としての原点となるパイオニア・スクエア。その中心にあるパイオニア・プレースには、チーフ・シアトル(Chief Seattle: 1786?-1866)の胸像があります。米国北西部出身の彫刻家ジェームス・ウェーン氏の作品で、シアトルでアラスカ・ユーコン・太平洋博覧会(Alaska-Yukon-Pacific Exposition)が開催された1909年に設置されました。

Historylink.org によると、現在のワシントン州のキットサップ半島に生まれ、スクウォミッシュ族とドワミッシュ族の酋長を務めたチーフ・シアトルは、スクォミッシュ族の酋長を務めた父親と同様に白人の入植者と友好関係を結び、入植の手助けを行いました。そんなチーフ・シアトルに敬意を表した入植者たちはこの土地にその名前の発音 “Si al” と名づけました。それが現在は「Seattle」になったとされています。

チーフ・シアトルは1855年、ネイティブ・アメリカンに所有地のほとんどを放棄させたポート・エリオット条約(Point Elliott Treaty)に署名しましたが、その後、条約の内容が変更され、その結果に不満を持ったネイティブ・アメリカンらは白人を追い出そうとしました(インディアン戦争、1855~1856)。しかし、チーフ・シアトルはこれに反対し、和平交渉に努めたと言われています。チーフ・シアトルはチーフの座を退いた後、現在のポート・マディソンにあるスクォミッシュ居住区に住み、1866年6月7日に亡くなりました。

チーフ・シアトルの墓はベインブリッジ・アイランドのすぐ北に位置するスクウォミッシュ(suquamish)の 『Port Madison Reservation』 にあります。スクウォミッシュの小さなダウンタウンでは1911年から毎年8月中旬に 『Chief Seattle Days』 というフェスティバルが開催され、カヌー・レースやサーモン・ベイク、トラディショナル・ダンス、チーフ・シアトルの墓での式典が3日間にわたり開催されます。

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