MENU

「行くんだったら、今が最後のチャンス」 30代で決めた留学 小林香織さん

  • URLをコピーしました!
職場の同僚と

社会人留学生:小林香織さん(こばやし・かおり)
東京都生まれ。日本で約10年の社会人生活を経て、2018年9月に短期留学プログラムでシアトルへ。現在は4つの仕事をこなしながら、アメリカ・シアトルならではの体験を楽しんでいます。

もくじ

留学するまでのキャリア

日本の大学を卒業した後、幼いころから働きたかった日系と外資系の航空会社でグランドスタッフとして約8年働きました。仕事内容はご想像していただけるとおり、チェックインカウンター、搭乗ゲート、手荷物サービスなど、空港の乗客サービスを受け持ちました。

その後、キャリアチェンジをし、スポーツの競技団体で約2年間働いていました。キャリアチェンジした理由は、8年間働いてきて違うことをやってみたくなったのが一番大きいです。もともとスポーツの競技団体に転職することを志望していたわけではなく、航空会社での仕事の最後の2年間にVIPのお客様の担当として秘書の方とお仕事をすることがあって興味がわき、ご縁があって競技団体の秘書職に転職しました。

小さい団体だったので、仕事は多岐にわたり、総務から大会の時のVIPのオペレーションなどを担当した後、最後の約1年はプロリーグに関わる仕事を担当しました。試合の運営、プロチームのライセンス、ソーシャルメディアなどに関わり、スポーツ業界の中でもガラッとキャリアチェンジをしました。

昔から留学したかったのですが、学生時代は部活もしていたので時間もなければ金銭的に余裕もなく、実現できなかったのです。でも、社会人を10数年経験して、「行くんだったら、今が最後のチャンス」と思って決めました。

「自分で自分を一番外国人扱いしていた」

アメリカに来て学校に行っていた9ヶ月は、あっという間でした。比較的積極的に行動していたと思いますが、来たばかりのときはシャイで、クラスでみんながしゃべっていると、入っていけなかったりすることがありました。

でも、アメリカは日本と全然違って、人種のダイバーシティがあります。中国系アメリカ人もいればラテン系アメリカ人もいます。外国人もいろいろな国から来ているので、英語がネイティブではない人も多く、アクセントがそれぞれ違います。特にシアトルはそうだと思いますが、誰も私を外国人扱いしていませんし、話をすればちゃんと聞いてくれます。

英語に自信がないとか思わず、高いお金をかけて来ているのですから、間違ってもいいから、もっと積極的に会話に入ったり、ミートアップに行ったり、英語を早く上達させて環境に慣れるという意味でも、もっと積極的にしておけばよかったです。社会人として来る人、大学生として来る人、短期留学で来る人、それぞれ異なると思いますし、今だからそう言えるのかもしれませんが、振り返ってみたら、自分で自分を一番外国人扱いしていました(苦笑)。でも、それに気づいてからは、「何でも経験だ」と、日本での自分にはなかったぐらい、積極的にいろいろやっています。

もうひとつ、こちらに来てからずっと実感していることに、年代が違っても友達になることができるということがあります。ランゲージパートナーとして英語を教えてくれた男性はお父さんぐらいの年齢で、今、日本に囲碁を習いに行っているのですが、その奥さんが刺繍を教えてくれたり、一緒に料理をしたりしてくれます。スポーツ施設では、年上のお客さんが気軽にホームパーティーに誘ってくれます。日本では勤務先の先輩後輩という付き合いはありましたが、プライベートで同年代以外の方と友達になったことがなかったので、とても新鮮です。

OPT で仕事を探す方法

私の場合、基本的には、9ヶ月の留学プログラムに参加して、学校を終えて、Optional Practical Training(OPT)で就職という流れです。このOPTは、学業の専攻分野で実地訓練を通算12ヶ月間受けることができるというものです。アメリカ留学中に働くには!? 「プラクティカル・トレーニング」

私の場合は、OPT取得見込みで許可が下りる前の段階(学校在籍時)から応募、面接し、許可がおりてすぐに働き始めました。ネットワーク(人脈)を広げておこうと、アメリカに来てすぐに動き始めましたのですが、最初はスポーツ業界を志していたので、まず、「Indeed」のような、スポーツ業界用の仕事検索サービスを利用してポジションを探しながら、シアトル、サクラメント、ニューヨーク、ワシントンDCのスポーツカンファレンスやキャリアフェアに参加しました。日本で仕事でカンファレンスなどに行くことはありましたが、個人としては初めての経験でした。また、「LinkedIn」で、その業界で実際に働いている日本人やアメリカ人の方を見つけて、近郊の方は実際にお会いして、遠くの方はオンラインでお話を伺ったりしました。

連絡をする際は自己紹介をつけ、日本での職歴を簡単に説明し、「アメリカに留学しており、労働許可をもらえる予定なので、よければいろいろお話を聞かせてもらいたい」というメッセージを送りました。返信をくださる方は少数ですが、そこから先につなげるには、めげずに続けることと、キャリアフェアやカンファレンスで実際にお会いしたことがある方にメッセージを送ることですね。キャリアフェアやカンファレンスに行ってもどのぐらいの収穫があるのかわかりませんが、大変でも行ってよかったです。アメリカに来てから「ネットワーキング」は大事という話を聞いていましたが、本当にそうなのだなと実感しています。

面接につながったところは、キャリアフェアなどで実際にお会いした会社でした。キャリアフェアでお会いし、募集が出ていたときに応募し、その後に「LinkedIn」でフォローアップしました。どこの誰だかわからない外国人が応募しても面接につながるというのはなかなか難しいと思うので、動いておいてよかったなと思います。

日本で経験した職場と異なる、多様な職場

今やっている仕事は全部で4つです。

  1. シアトル・タコマ国際空港で航空会社のハンドリングサービス
  2. カークランドのスポーツ施設で運営と顧客サービス業務
  3. ルイジアナ州のスポーツエージェントでマーケティング業務(リモートワーク)
  4. サンフランシスコのスポーツの統計システム製作会社でマーケティング、営業戦略業務(リモートワーク)

航空会社の仕事は接客の仕事なので、英語力を伸ばすのにとても効果があると思っています。日本語も使えますし、社会人経験者として忘れたくない敬語も維持できます。また、同僚との会話は英語ですし、フィリピン、インド、台湾と、いろいろな国の出身者がいる中で働くことで、働き方や時間の感覚の違いも見えてきました。おかげで、自分の常識についても考えさせられますね。私の常識は他の人の常識ではないですし、それがとても勉強になっています。日本では「こうでないといけない」という一つの価値観の中にいたので、相手を受け入れることの大切さを実感しています。

また、スポーツ施設の仕事では、オペレーションをしながら接客をしています。常連のお客さんがほとんどですし、会うと話をしたりできるので、英語力を伸ばして、オペレーションの仕方も学べます。そういったスポーツ施設での接客のスタイルはカジュアルですし、日本と全然違いますね。最初は自分がカジュアルすぎるんじゃないかと心配になったぐらいですが、フレンドリーな接客がいいので、それでいいと教えられました。

リモートでやっている仕事のうちの一つは日本人選手のサポートですから、私の経験も使えて、日本に関係していて、マーケティングという新しい分野も学べます。もうひとつのスポーツの統計システム製作会社ではマーケティングと営業戦略を学べています。国際的な会社で、最初は私を外国人扱いしないことに戸惑いましたが、平等に扱ってくれることがとてもうれしいです。

友人には仕事をしすぎではとか、遊んだほうがいいと言われているのですが、アメリカで働きたくて来たので、それぞれの分野で違うことを学んでいて、特に苦になっていません。

4つの仕事を責任をもってこなすために工夫し続けているのは、時間の管理です。日本ではひとつの会社のひとつのオフィスで仕事をしていましたから、私が忙しければ同僚は他の人に仕事を回してくれましたが、今は4つの仕事の場所が別々なので、自分で言わないと自分が何で忙しいのかわかってもらえません。「今日はできない」ということを正直に話し、どの仕事もきちんとできるように助けを求める。それが私にとってはチャレンジです。

また、調べ物にするのもすべて英語なので、どのように調べるのかというところから、わからないことがあったら常に聞く。

社会人経験があっても、アメリカでは外国人ですし、プロフェッショナルというより、わからないことはすべて聞く、思い込みで動かない、教えてもらう、という形が大事だと思っています。

アメリカで学生、社会人経験を通して思うことは、「年齢はただの数字」ということです。カレッジではさまざまな年齢のクラスメートがたくさんいました。また、航空会社の仕事は、日本では「若い人の仕事」というイメージですが、アメリカでは私より年上でも未経験で入社されている方がたくさんいます。私がホームステイをしていた家族のホストマザーも、最近フルタイムの仕事に戻ったそうです。働きながらスキルアップのためにオンラインや夜間で学んでいる方も多いですし、年齢に関係なくやりたいこと、好きなことに挑戦している人が多いです。アメリカでの学生生活、就職活動、仕事では苦労も多いですが、逆に成長を感じることも多く、すべての経験は日本にいたらできなかった人生で本当にかけがえのないもので、思い切って来てよかったと思っています。私も、これからもやりたいことに挑戦し続けたいと思います。

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ