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ビル&メリンダ・ゲイツ財団 馬渕俊介さん「文化人類学のマインドセットを忘れずに、本当にインパクトのある途上国支援を実現したい」

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馬渕俊介さん

ルワンダでドローンを使って血液を医療施設に輸送する Zipline を訪問した馬渕俊介さん(右から2人目)。ビル&メリンダ・ゲイツ財団ではこのシステムへの投資と支援を行っています。

シアトルに本部を置く世界最大の非営利団体ビル&メリンダ・ゲイツ財団で、グローバル・デリバリー部門の副ディレクターを務める馬渕俊介さん。東京大学在学中に文化人類学に魅せられ、途上国でフィールドワークを重ねるうち、当事者の伝統や文化を尊重し、その知恵と力を最大限に引き出し、最大のインパクトを与える支援を実現するという大きな夢と目標を持つようになりました。以来、そのための知識と経験と語学力を身につけるため貪欲に行動し、文化人類学のマインドセットを持った馬渕さんオリジナルのキャリアを積んでいます。「常に自分のすべてで挑戦している」という馬渕さんに、文化人類学との出会いから途上国支援の現場での経験、リーダーシップなど、さまざまなトピックについてお話を伺いました。

やりたいことを自分で自由に決められる環境

私は生まれはアメリカのペンシルバニア州ですが、1歳の時に日本に戻り、それから20代後半までずっと日本に住んでいました。小学校は普通の公立学校で、中学受験をして中高一貫の学校で6年間を過ごしましたが、その頃はずっと野球に夢中で、勉強と野球をなんとか両立していたぐらい。それ以外の何かをする時間がなく、海外志向もなく、将来のことは何も考えていませんでした。大学受験の半年前の8月まで野球をしていたので卒業後は一浪して予備校に1年通いましたが、大変だった記憶はなく、そこから人生が開けていったという感じがします。

自分は何をしたらいいのかと考えるようになったのは、大学に入ってから。祖父は国文学者、父は生物学者、叔母は西洋美術学者という学者の多い家庭で、姉も絵がすごく好きで日本美術の学者になりましたから、最初は自分も学者になるという漠然としたイメージがあり、それならどういう分野が面白いかなと考えていましたね。ビジネスで成功するということに興味がなくて、それより自分が面白いと感じることを選んでそれを仕事にしたかった。何にせよ、すごく自由に、やりたいことを自分で考えて決めるんだろうなと思っていました。

親は勝手にやってくれという感じでした。母親によると、中学受験をする塾に行きたいと言い出したのは私だったらしいのですが、勉強にもつきあってくれて、受験の環境も整えてくれて、大学進学も普通にサポートしてくれました。大学時代の旅行もずっと一人旅でしたが、心配しながらもやらせてくれましたね。

「まったく違う世界に飛び込んでみたい」

大学の授業を受け、勉強しているうちに、文化人類学に出会いました。いわゆる先進国とは文化や社会の構造が異なる発展途上国に住み、生活と一体化しながら、その生活がどういう仕組みで動いているのか、その裏にある精神世界はどんなものなのか、どうやってできてきたのかを研究する学問です。「それぞれの社会に合理性があり、その歴史や状況に応じた方向で洗練されている。どの文化が上位というのはなく、それぞれの文化の合理性をひも解く」という文化相対主義という考え方、つまり、先進国の物質的に豊かなものがすべてではなく、例えば電気もないような生活形態もその状況の中でいろいろな工夫を重ね、いろいろな考えの中で構築されてきたものなのだという考え方にとても共鳴しました。そして、文化人類学者になろうと思い、さまざまな文献を読んで、大学1年からアフリカや南アジア、中米などに行ってフィールドワークをやったりバックパック旅行をするようになったのです。

いろいろなことに関心がありましたが、自分の中では一貫していました。「まったく違う文化に自分も染まってみたい、浸ってみたい、そういうところから学んでみたい」という好奇心と冒険心です。大学の時にやっていたキックボクシングもそうです。そのジムには、普段の私の生活では出会わないような人たちがいたこと、タイの世界チャンピオンにタイの国技であるムエタイを教わったことは貴重な体験になりました。ムエタイは軍隊の戦闘の技として始まって、国技となったもので、戦闘の前には戦いの踊りをする。それが文化人類学的にも面白かったのです。

インパクトを与えるサポートができるようになるために

馬渕俊介さん

政府政策担当者やパートナーとの会議にて

でも、フィールドワークでグアテマラのマム族の家庭に3週間ほどホームステイさせてもらった時、病気になった子どもがクリニックに行く方法がなく、そこでの生活の難しさというか、貧しさを目の当たりにしたことで、考えが変わりました。

その現状を見て見ぬ振りをして、その文化の美しさとか儀礼の面白さとかを考えていても何も意味がない。自分が文化人類学者として問題を解決しますというよりは、現地の人たちと一緒に働いて、彼らが問題解決力を発揮できるようにサポートする役割の方がインパクトが大きい。あるいは、文化人類学のマインドセットを持った人間が全体のプログラミングをするような立場にいて、現地の人にあった解決の仕方をサポートできる開発援助に変えていく。現地の人たちはその社会について一番わかっていて、問題も問題の根本原因もわかっていて、アイデアが出るのは現地の人からです。それで、文化人類学者になるより、文化人類学のマインドを忘れないようにして、開発プランナーよりも大きな途上国支援の枠組みを作る側になりたいと思いました。

同時に、日本人はユニークなポジションにいると感じました。私の経験では、そういった途上国では、日本人は欧米人よりなぜか近く見てもらえることがあったからです。親近感を持ってくれ、中に溶けこませてもらいやすく、とてもよくしてもらえた。なので、「その立場を有効に使ってサポートをすることには意味があるのかな、日本人という立場で開発という仕事をしたい」と、JICA 国際協力機構に入ったのです。まさに、日本のお金で、日本の看板を背負って支援をする、そういう組織。当時はそれが自分のやりたかったことだと思いました。

実際、4~5年間にわたり本当に面白い経験をさせてもらいましたが、焦りを感じました。「このままやっていても、開発業界は本当にアフリカを変えられるようなサポートができるのか。本当に役に立てるのか」。そういう疑問を持つようになったからです。

JICA だけでなく、開発業界全体があまりにも官僚的で、活動のインパクトへのこだわりが足りない。日々、結果を出すためのプレッシャーを感じながら仕事をしているかというとそうではない。結果が出なくても、プロジェクトが終わり、がんばったということで、また次のプロジェクトに行く。なので、「このままここにいても、国連のような組織に行っても、あまり効果が出せない業界の一部になってしまうだけで、それを変えられるような力にはなれない」と思いました。

また、私は日本のチームと日本語で仕事をしていくことは最初から結構できたので自信がありましたが、カンボジアの保健大臣や保健次官などと英語で仕事をし始めると、自分の英語力のなさや専門知識のなさから、コンサルタントにお願いして自分は裏でがんばるぐらいしかできないということに気づきました。そんなことでは、JICA でこのまま働き続けても、少しは良くなるけれども、そういう人たちをきちんとリードしたり、本当の意味でサポートしたりする人にはなれません。それで、ハーバード大学の公共政策大学院ケネディ・スクールに留学して、英語と専門知識を身につけることにしました。

自分の大きな目標や夢を達成するために挑戦すること

馬渕俊介さん

ルワンダの医療施設を訪問

ケネディ・スクールでは当時、民間のノウハウを取り入れた公的機関のベストプラクティスを、開発だけでなく、例えば都市や公営企業の改革などの事例から、どういう改革を進めているのかを勉強して途上国の発展に取り込もうとしていました。それを見ていると、ノウハウは民間の企業の改革から着想を得ているものですし、ケネディ・スクールの学生の一部は民間企業出身の経営コンサルタントや都市銀行などの人たちで、彼らは他の人たちより一段上のマネジメントスキルを持ち、上手に問題解決をしていました。それを見て、自分自身が民間に行って活躍していなければ、民間の効率性は語れないと気づいたんですね。そして、卒業後に民間コンサルティング企業のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社しました。

マッキンゼーでは、航空会社の空港オペレーションの改善、アジア成長戦略、インドネシアの地下鉄関連ビジネス、スーパーマーケットの利益向上など、これまでとはまったく異なる仕事をやりました。南アフリカのオフィスに移籍してからは、鉱山オペレーション、テレコムサービスのメンテナンスサービスの改善、ヘリコプターを作る会社の企業再生など全然知らない業界を担当し、ヘルスケアに関わったことはほとんどありません。でも、仕事を選ぶ時に一貫して考えていたのは、「企業のオペレーションの改善のノウハウを身につけられるかどうか」。当時はまだ途上国の何の分野に将来かかわりたいかは決めていませんでしたが、人の命や成長に関わる教育やヘルスなどの基本的なサービスのオペレーションの改善をする時にも企業のオペレーションの改善のノウハウが役立つと思っていたからです。また、ヘルスとはまったく関係のないことをやった方が、自分の懐も広がるし、ピュアなオペレーション改善のスキルも身につくだろうとも考えていました。

でも、チャレンジが思ったよりも大きくて、本当に大変でしたし、たくさん失敗しましたよ。学者家庭に育って、民間企業のことに興味もセンスもなく、途上国開発というさらに民間企業から遠いところに行って、そして英語も大したことがないという中で、民間のトップ企業の企業再生や企業改革の最前線で3週間や1ヶ月、最大でも2~3ヶ月で結果を出さなくてはならない。

例えば、「オーストラリアの新しいクライアントの鉱山のオペレーションを明日からやって」と言われて、南アフリカから飛んで行ったことがあります。私と同じように、スペイン、ドイツ、スウェーデン、トルコから送られてきた鉱山については初心者のコンサルタントたちが集まり、2週間にわたり一生懸命調べてまとめたことをプレゼンしましたが、その道30年の現場の方々は「そんなこと全部わかっている。当たり前のことをまとめただけじゃないか。なんの価値があるんだ」。多くの場合、コンサルタントは企業の CEO や COO が「コンサルタントを外から入れないといけない」と言って雇うわけなので、現場は修羅場です。

そこで、とにかく現場に行って、朝4時ぐらいから現場の問題や現場から見える洞察、教訓を吸い上げるようにし、現場への理解を示してまず信頼してもらいました。そして、マネジャーが本当に困っていることを理解し、社内で信頼できるチームを作り、一段下のレベルのチームが中間管理職として機能できるようにサポートしました。

さらに、さまざまな部署の機能を可視化する共通の尺度がなかったので、鉄鉱石の生産への貢献度で計測して分析した結果を可視化できるようにし、どこに問題があって、どうすれば改善できるのかをわかるようにしたのです。鉱山の知識はなくとも、ビジネスの動かし方の改善ならできる。そうするうちに、「こいつらはわかっていなかったし、まだわかっていないが、わかっている人の知識を使いながら問題解決をサポートできる」ことをわかってもらえました(笑)。

経営コンサルティングと文化人類学の共通点

馬渕俊介さん

世界銀行を離れる前に保健省長官が開催してくれた送別会にて

「経営コンサルティングは文化人類学と変わらない」と、当時もよく言っていました。途上国の開発もそうです。現場の人たちがどういうふうにやっていて、それの良さがどうで、どういう問題があって、それがどこから来ているのか。それを人レベルで考えて、問題解決していく。それはどこでも一緒なのです。

今のグローバルヘルスの仕事もそうです。例えば世界銀行で西アフリカで拡大したエボラ出血熱の対策チームを率いた時に、急激に広がる感染を早急に抑える対策ができたことの大きな理由は、現地の人たちに使ってもらえる感染予防の方法を現地の人たちと一緒に作れるようになったことでした。感染の主原因の一つは埋葬の仕方で、西アフリカは死者の遺体に触って別れを告げるという伝統がありますが、エボラは死者が一番感染力が高く、その体液、血液に触れると感染します。西側諸国の解決方法は、「遺体は速攻消毒して、安全な袋に入れて土葬するか火葬する」というものでしたが、それでは現地の人にはまったく受け入れられません。

そこで、宗教指導者たちとともに、どういうやり方だったら死者に威厳を持たせ、安全に埋葬できるかを考えて、新しい方法を作ったのです。宗教指導者が「この新しい方法であれば我々のしきたりにおいても問題ない」と告知し、それが一般に受けいられられ浸透したことで、感染の原因である人の行動を抑制できた。それは文化人類学なんですね。

さまざまな国や組織に通用するリーダーシップのスタイルとは

ゲイツ財団に来たのは2018年の9月ですが、もう3年ぐらいいるのではないかと思うような感じで仕事をしています。ゲイツ財団は、薬やワクチンの開発に投資する部署と、それを途上国に継続的に幅広く使ってもらい、国が保健の医療システムを作るサポートをする部署に大きく分かれていますが、私は後者の方で、戦略とチームの運営、ポートフォリオの管理、人事管理をする副ディレクターです。今回、そのチームが他のチームと統合され、年間5億ドルぐらいの資金を扱う「グローバル・デリバリー」という総勢75名の大きなチームができました。

なぜ新しいチームができたかというと、「デリバリー機能を圧倒的に強化しないと、必要な目標に達する貢献ができない」という危機感がゲイツ財団の共同創設者のビル・ゲイツとメリンダ・ゲイツにあり、そこを大きく作り直すことになったからです。

グローバル・デリバリーの目指すべき目標は何で、それを達成するための戦略はどういうものであるべきか、その戦略にあった組織はどういうものかを考えながら、組織の組み方を考えて実際に組織を変える。今年の末までにそれを完了するため、そのリーダーシップチームの一員として、戦略作りをしています。

「これがビジョンであり、リーダーはリーダーとしてそのビジョンを示して引っ張っていくのが欧米のやり方」と思われがちですが、実際そういうことはまったくない。特に発展途上国だといろいろな利害関係の中でいろいろな人が意思決定をしているので、そういうものをすべて抱き合わせてその人たちが取れる解決策を一緒に作っていくアプローチが一番効果があります。

私はそういった経験があるので、一緒に働く相手の考え、強みや弱み、やり方、利害関係などをはっきり理解した上で、そのすべてをうまく全体に反映し、問題を一緒に解決して、もっといい結果を出そうとするリーダーシップの取り方をしています。これは現場でやりながら身についたのだと思いますが、文化人類学にも関連していて、自分の根本にあるやり方に近い。そういうスタイルの考え方ができる人は意外と少なかったりするので、今のゲイツ財団でももちろんそういうスタイルが重宝されています。

複数の分野を組み合わせ、「オンリーワン」の人材に

私は「常に戦っている」という意識はありませんが、「常にその時の自分のすべてで挑戦している」という意識があります。優秀な人、自分にないものを持っている人たちに常に出会う環境ですから、「こういうふうになりたいな」と純粋に思い、「こういう人たちはどうしてこうなったんだろう」と考えたり、調べたり、聞いたりして、「では、そういうふうになるには、どういうオプションがあるか」と考えます。考えは変わっていきますが、考え続けることが大切で、そして実際にやり続けることに意味があると思います。

自分が成し遂げたい大きな目標や夢なりを達成できる力を持った人間になれるかどうか、それに関連する経験を短い人生の中で積めるかどうかが重要ですね。JICAにいた時は、そこに残り続けること自体がリスクに感じました。それよりも、新しい自分の成長の修羅場というか、難しい局面で自分を伸ばせることの方が重要です。今もそういう考えが一貫してありますね。仕事の安定については子供ができてから考えるようになりましたが、私は欲張りで、なんでもやってみたいし、躊躇しません(笑)。

私がゲイツ財団に採用された一番の理由は、私のキャリアについての考えともつながるのですが、ユニークなスキルセットを持った人が他にいなかったということだと思います。途上国のデリバリー・チームの戦略を作れる人というのは、途上国のデリバリーの現場に根付いたきちんとした知識や経験があり、かつマネジメントコンサルティングの戦略的な思考ができる必要があり、かつゲイツ財団が支援し協力するさまざまな開発パートナーに関する深い洞察がある必要がある。その三つが揃っている人はほとんどいないのです。

何か一つの分野で専門家になる場合、すでに序列があるところでナンバーワンを目指してがんばるということになります。でも、一つだけでなく、この分野とこの分野とこの分野での深い知識が必要となると、その組み合わせの人が途端にほとんどいなくなり、オリジナリティができます。ナンバーワンではありませんが、オンリーワンになれる。その組み合わせが問題の解決につながる組み合わせだと、求められる人材になるわけですね。

今、5歳になる娘と3歳になる双子の息子がいます。子どもたちには、自分がやれたように、やはり自分の人生を自分で考えて、どんどん挑戦して、人生を切り開いていけるようになってほしいですね。それがどんな分野でもいいですが、自分でやりたいことを見つけて、好奇心にそっていろいろな挑戦をして、それに向かって突き進んでいく。できる時もできない時もあるだろうけど、できる経験を重ねて自信を持ってもらえたら。そうなるための環境を作ってあげたいですね。自分で人生をコントロールできるようになるのが、人生の楽しさだと思うので。

掲載:2019年8月 聞き手:オオノタクミ



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