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「自分に嘘のない空間のクリエーターになれるよう、作品を作り続けていきたい」照明デザイナー・木下有理さん

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もくじ

物作りが好きだった幼少時代

私は幼い頃から物を作るのも絵を描くのも模様替えも大好きで、京都で呉服屋を営む実家にあった着物を保管する箱を使って、テーブルや机、椅子などを作り、常に部屋の模様替えをしていました。将来の家の絵も描いたり(笑)。

そんなことからも、中学の頃から学校の先生にはインテリアの勉強をしたいと伝えていましたが、「ちゃんと高校に行ってからにしなさい」と言われ続けていました。両親にも「高校を出てから」と言われましたので、高校には入学しましたが、エスカレーター式の高校から大学への面接で不合格になったことが、本当にやりたかったインテリアを学ぶことにつながりました。その面接で自分の将来の夢を聞かれた時、「あんなことがしたい」「こんなことがしたい」と語ったら、「あなたが行きたいのはここではないんでは」と言われ、前代未聞の不合格(笑)。

でも、それがきっかけとなり、「いったいどうしたいのか」と両親に聞かれたので、「大阪モード学園に行ってインテリアのほうに行きたい」と、初めて自分の気持ちを伝えました。そのようなわけで、遠回りになりましたが、本当に行きたかった大阪モード学園に行くことができ、本当にうれしかったです。

大阪モード学園

大阪モード学園に入学した私は、水を得た魚のよう(笑)。何をしても楽しく、学校も1日も休まず、課題も完璧にこなしました。課題が大変と聞いていましたが、私にとってはまったく大変ではなく、寝ることも忘れて作品を作ることに没頭できたことは、本当に良かったです。一番楽しかったのは、照明の授業です。在学中に小泉照明コンテストに入選したりしたことも、照明デザイナーにつながるきっかけのひとつでした。

また、もう一つのきっかけは、「作品が売れた」ということ。自分も気に入っていたある作品を京都の知人の喫茶店の人に見せたら、「ここに置いていい」と言われたのですが、2日後に「今すぐ欲しいという人がいたので、売っておいた」と電話がありました。材料代にもならない値段で売られてしまいましたが、「買いたい」と言ってくれる人がいたことがとても嬉しかったです。

大阪モード学園卒業時にはインテリア・モード大賞を受賞。その副賞でヨーロッパ旅行をさせてもらい、イギリスとかフランス、ドイツなどで美術館などを見に行きました。いい勉強になったと思います。

株式会社木下に入社、アジア・ブームの火付け役に

卒業してしばらくはシンガポールやワシントン DC、ニューヨークで短期語学留学をしましたが、実家の株式会社木下が呉服とは関係のない新規事業をということでトータル・インテリア・アート事業部 『Umbo』 を立ち上げ、その担当として入社しました。

入社した当時は一点もののような照明を作っていました。でも、会社はお金を稼いでこそなんぼです。周りからも「売れるものを作れ」と言われ、私は「好きなもの」ではなく、「売れるもの」を作らないといけませんでした。でも、日本では加工代がとても高いので、どうしても商品価格が高くなってしまいます。そこで他のアジアの国なら安かったことを思い出し、インドネシアなどまで行って、加工の拠点を作りました。それに伴い、日本で見たことのない商品を見つけて輸入するようになりました。

1994年頃と言えば、まだアジア・ブームや癒しブームが起きる前のバブル景気の頃。そんな時には癒しなどはいらず、ギラギラと明るい方が良かったようで、蛍光灯が多用され、白熱灯は少数でした。でも、東南アジアから輸入した竹の籠やコースター、お箸やランチョンマットなどの小物や照明の展示会をしたところよく売れましたので、今度はコンテナでアジア雑貨を輸入するようになりました。

世界の織物を訪ねて

また、それを機に、私はアジアの織物に興味を持つようになりました。呉服屋の実家に反物が転がっていたことに反発し、幼い頃から着物には興味がなかったのに、アジアの手作業で作られたちょっと不完全な織物には温かみを感じたのです。あの頃の私にとって、日本の着物は完成しすぎた美しさを持つものだったのですね。それをきっかけに、織物を求めて本当にいろいろな国を訪ねました。どんな国でも織物や染物があります。最もおもしろかったのはインド。織物の発祥地と言われるだけあり、本当に奥が深い。ウズベキスタンもおもしろいです。ロシアや中近東のデザインが入っていて、斬新な色使いなのに、なぜかそれが調和している。東南アジアでおもしろかったのはミャンマーやラオス、タイ。ミャンマーでは蓮の茎の繊維を使って作る貴重な織物を発注し、着物の材料として輸入しました。西アフリカのコートジボワールのバティックなどもユニークですね。模様は扇風機や携帯電話、ラジオ、顔、テレビなど、日々の生活で見たままを絵にしたものがおもしろく、浴衣にしたらよく売れました。

でも、日本の生地は着物用に考えてしっかり織ってありますが、他国の生地はそういう目的ではないので、もともと薄くて弱く、着物にしても座ったら破れてしまいます。そこで、久留米絣などの日本の織物は作る人が少なくなり値段が高くなっていますから、インドで絣(かすり)などを作り始めました。でも、同じ物が作れませんし、言ってるものとできあがったものが違いますし、最初は本当に大変でした。あまりにもサンプルと違うので、「これからは織った本人を紹介するために顔と名前を書いて」とお願いしたところ、品質が大幅に向上しました。

着物用の簡易帯で特許を取得

そういった仕事と同時に、着物用の簡易帯も考案しました。大人になるにつれ、幼い頃は嫌いだった着物がだんだん好きになってきたのですが、外国での出張先でもすぐに着物を着られるよう、自分のための簡易帯を考案しました。当時、モロッコにガラスのランプシェードや置物などの買い付けに行っていたのですが、フランスの植民地だったモロッコには民族衣装のベルトやカーテンのタッセルなどの職人さんがたくさんいました。それでサンプルをオーダーしてみて、商品が完成したのです。うちの会社は商売根性たくましく、「これは売れる!」と。

当初は着物を自分で着られない人に売れると思いましたが、着物を着られない人は着物を知り尽くしていないので、突拍子のないものよりも伝統的なものを着たいんですね。逆に、踊りやお茶をされている、日ごろから着物を着ている人が、喜んで買ってくれました。それをきっかけに、こういった日本の小物や雑貨などをアメリカに販売していこうという話になり、カリフォルニア州に子会社を設立し、私は営業担当としてアメリカにも来るようになりました。

独立

アメリカと違い、日本では流行の回転が速いですよね。次から次へと新しい物、売れる物を追い求めなければ、特に輸入関係はやっていけません。私自身は旅行が好きで、新しい物を見つけるのが好きですから、そういった仕事を11年にわたり続けましたが、少し疲れ始めました。要領を得てしまったので、「これとこれをくっつけたら売れる」というような考えになり、クリエイティブな部分が自分から抜けているような気がしてきたのです。

「このまま行ってしまったら、いや、このまま行きたくない、やはり自分の底から出る物を作りたい」「やはりここにいたらいけない、安定するが、甘えてしまう」と考えるようになりました。その頃で30代前半でしたから、「もう一度クリエイティブなことをするには今だ」とも思ったのです。会社という組織にいれば守ってもらえますが、独立してしまうと、なんでも自分で一からやることになります。今から考えてみると、会社という存在はありがたかったと思います。でも、その頃はそういったことは考えられず、「いったん外に出よう」と決心しました。

辞めると言い出した時、最初は父も同僚も驚いていましたが、切り替えの早い父は、「そうしたいならそうしろ」と言ってくれました。正直なところ、11年かけて創りあげてきたものを置いていくことに後ろ髪を引かれましたし、会社に悪いなという気持ちもしていました。でも、「今出なかったらもう出られない」と思い、わがままでしたが独立させてもらいました。

照明デザイナーとして活躍

独立するにあたり、「はて自分は何をやりたいのか」と考え、「自分らしさを最も表現できるのは照明だ」という結論になりました。株式会社木下で一点ものの照明を作っていた時にレストランの照明などを頼まれて作ったことがとても楽しかったんですね。レストランの人たちと空間を作り出すことにとてもやりがいを感じました。会社では、売り上げにつながる小ぶりの照明や雑貨を流通させるという方向に落ち着いてしまいました。でも、独立をきっかけに、自分の表現方法としてもう一度、照明をやっていこうと決めることができました。

独立してから感じたのは、会社というのは本当にありがたい存在だということです。細かい話ですが、毎月定期的に収入があるというのはありがたいです。当然ですが、独立したら、自分で営業して商品を売り、お金を作らないといけません。お金は沸いてくるものではなく、作るものですから。そういう意味で、株式会社木下で11年間にわたりやって来たと言っても、胡坐をかいていたところがあったと思います。また、会社という組織なら、個人ではすぐにできないこともできやすいですよね。個人でもスポンサーがいたら別ですが、何をするにも時間がかかります。

誰に辞めろといわれたわけでもないのに、自分でわざわざ大変な道を選んでしまったなと思うこともありました。また、独立当初は “作品” と言えども、「これは受けるか」といった視点で見てしまっていました。心の底から出てくるものを作ろうとしていたのに、人に受ける、人に好んでもらおうという意図が見える作品でした。一つでも受けると、同じようなものを作ってしまうんですね(笑)。11年間にわたり、売れるものを追い求めてきた結果でしょう。当時はそれにあまり気づいていませんでしたけどね。

営業力で販売先を開拓

日本で一から学んだことは、営業力です。トータル・インテリア・アート事業部 『Umbo』 を立ち上げた時、実家がずっとやってきた呉服の販売ルートではないルートを見つけるということで、各地に営業してまわりました。でも、京都は「どなたはんのご紹介ですか」という世界です。私は、「え、イエローページで見て来ました」(笑)。

日本では商品を売りに行く人は、なぜか立場が弱いですよね。下手に出てペコペコしないといけません。でも、買う方はその商品が売れると、コロッと態度が変わります(笑)。アメリカでも同じ調子でアポなしで突撃しましたが、アメリカのいいところは、とても歓迎されることです。周りからは「アポを取ったほうがいい」と言われましたが、私の場合は英語がつたないので、電話をしてもただ単に変な人と思われてしまうだけ。考えてみても、日本で怪しい日本語で電話がかかってきたら、「え?」と思いますよね。それで電話をするのをやめて、突撃することにしました。

でも、「バイヤーさんにお会いしたい」「1分だけ時間をください」「日本から売りに来ました」と言って商品を見せると、食いついてくれるんですね。そして、「来てくれてありがとう」と言われる。”Wow!” というように、表現が大きくて、反応が明確にある。アメリカでの営業は楽しかったです。お菓子も一緒ですが、アメリカは流行があまりないので、そうやって私が2003年に売り込んだ商品が今もずっと売れ続けています。

シアトルを拠点に

カリフォルニア州に子会社を設立してから、シアトルには友人を訪ねてたびたび来たことがあり、いいところだなと思っていました。特に、クイーン・アンのケリー・パークから見る、街と自然のコントラストがおもしろいです。また、アメリカではインテリアに関心がある人がもっと多いです。いろいろな国に営業に行った経験からして、日本では電化製品にはお金を使いますが、いくらお金持ちでもアメリカ人のお金持ちのように家具や照明をオーダーメイドしよう、すばらしいアートを飾ろうという人は少ないように思いました。また、ヨーロッパは古いものを大事にする文化があるので、入り込むのが難しい。でも、アメリカは購買意欲があり、物を消費するので、ビジネスの拠点に向いていると判断しました。そして、2008年にインターナショナル・ディストリクトの Kobo at Higo で作品展を行うことが決まり、アーティスト・ビザを取得して、シアトルに引っ越して来ました。

当初は「冬が長い」と言われてもそれがどういうことか想像できませんでしたが、毎日晴れている場所だったら物を作る気がしないと思っていましたし、1年目は楽しく過ごせました。でも、2年目になると、さすがに長い冬がこたえました。と言っても、そんなシアトルだからこそ、じっくりと考える機会に恵まれ、太陽があまり見られないシアトルにぴったりな 『サンライズ』 のような作品が生まれました。単純に自分の底から出るものを作りたいと思っていたので、シアトルの冬は私にとってちょうど良かったです。

今後の活動

シアトルに引っ越してからいろいろなところに営業に出向き、作品を展示・販売するようになりました。今ご覧いただけるのは、ジョージタウンの 『Corson Building』、ユニバーシティ・ビレッジの 『Boom Noodle』、イーストレイクの 『Sushi Kappo Tamura』、シアトル美術館のショップ、そしてオレゴン州ポートランド市の 『Ping Restaurant』 の照明ですね。

ジョージタウンの 『Corson Building』 とオレゴン州ポートランド市の 『Ping Restaurant』 のお仕事は、偶然が重なって受注することができました。念願のレストランの照明なので、とてもうれしかったです。私の照明は、店が開店した後に入れるのは難しいもの。さまざまな方面とのネットワークを通じてお店の開店前に話ができるようにするのがポイントです。

また、今年1月にバラードのギャラリーで行った展示会の反響が今来ています。今後はホテルのロビーや受け付け、各部屋に照明を卸す仕事もしたいので、5月にニューヨークで開催された ICFF インテリア・ショーにも参加しました。何かにつながるまでは時間がかかりますから、常に種まきをしていないといけません。また、今年11月にはワシントン州東部のワラワラ市にあるギャラリー 『Willow』 でのショーが決まっています。

これからはレストランや住宅、ホテルに加え、外用の照明なども手がけていきたい。そして、せっかくアメリカにいるので、心地良さの「和」と日本の「和」の心を遊び心も織り交ぜて表現していきたい。精神性の高い、つまり、自分に嘘のない空間のクリエーターになれるよう、作品を作り続けていきたいと思います。

木下 有理(きのした ゆり)
京都府京都市生まれ。大阪モード学園でインテリアを学び、卒業時にインテリア・モード大賞を受賞。その副賞でヨーロッパ旅行をし、その後、アメリカ東海岸・アジアをまわった後、1993年に家族が経営する株式会社木下に入社してトータル・インテリア・アート事業部 『Umbo』 を始動し、翌年から世界各地の小物の輸入販売や世界中の布を使用したオリジナルの着物や小物の販売を展開。2003年、アメリカ・カリフォルニア州にて Umbo USA を設立して販売網をアメリカに拡大。2006年、照明デザイナーとして独立し、日本・ドイツ・アメリカで個展の開催や展示会への出展を実現。2008年2月にシアトルに移住し、精力的に活動の場を広げている。
【公式サイト】 www.yurikinoshita.com

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