MENU

第19回 東京ダイアリー(11)愛しい小石たち

  • URLをコピーしました!

著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

6月 X 日

夕闇が一番町に舞い降りる。半蔵門駅から吐き出される会社員の波にのまれながら、最高裁判所へと続く道を歩く。この界隈は通学路とは名ばかりで、ランドセルを背負う子の姿が場違いにさえ映る。スーツ姿で埋まる千代田区は勤め人の街だ。それでも、金曜日の夜は不思議な魔力を携える。週末の幕開けによせる開放感と躍動感に溢れ、日頃はお堅いビル街も表情を和らげたかのようだ。前を歩く女性の足元を彩るパンプスの踵が涼やかな音を響かせる。蕎麦屋の暖簾をくぐる中年サラリーマンの背が、安堵の色を滲ませる。ネオンが渦巻く街へ食事にでも繰り出すのだろう、若い会社員のグループがタクシーに乗り込み闇の中へと吸い込まれていく。

喧騒に包まれながら歩く帰路で思う。いつか私はシアトルへと帰る。そして私が発った後も、千代田の空の下では今日と変わり映えしない明日が繰り返されるのだ、と。あの角のコンビ二では、420円の海苔弁当をぶっきらぼうに差し出す客に、「お弁当、温めますか」と店員が抑揚のない声で尋ねるのだろう。丸の内では、大企業のブランドと引き換えに手放した時間の重みに気づきもしない戦士達が深夜のデスクに向かい、時にはひと時の休息を求め有楽町駅高架下に軒を並べる居酒屋あたりに足を運ぶのだろう。 社宅やマンションでは、妻たちが、鍋でぐつぐつと煮込まれる筑前煮の味をみたり、たたみ終えた洗濯物を片付け幼子に添い寝をしたりするのだろう。

ある事実が胸を打つ。この通りで私の前、後ろ、そして横を歩く人達は、この国で生きていくのだ、と。 むろん、例外はある。駐在だの留学だの国際結婚だので海外に移る人は、今どき珍しくもない。一方で、やはり大多数の日本人は、日本で働き、日本人と結婚し、日本語で子供を育て、日本で物語を紡いでいくのだ。脳裏に焼きついた日常のシーンが、浮かんでは消える。朝日の中、黄色の校帽をかぶり、新宿通りを渡る小学生。スーパー・ココスの前で自転車を停める買い物客。山下書店でファッション誌をめくるOL。黄昏時に児童館前にたむろしては嬌声を上げる中学生グループ。彼らの多くは、日本という器の中で生きていく。その器をあえて飛び出しアメリカで生きる選択をした、いわゆる在米日本人の私や友人達は、一種の異端児なのだろうか。我が子にどう日本語を教えるか苦肉の策を交換し合い、「アメリカのお正月は味気ないよね」と嘆き合い、どちらの国にも属さない根無し草の生き方を自嘲気味にとらえながらも、「やっぱり日本って肩が凝るもんね」とアメリカに居を構えた私達。「新天地を求めて海を越えた」といえば聞こえはいい。だが、それは、生まれ育った国の水底できらめく小石たちを拾い集めることができなかったということにもなり得る。手を伸ばせば、そして丹念に捜し求めれば、美しい石のひとつやふたつはポケットに眠っていたかもしれないのに。今からでも遅くはないのだろうか。内なる声に耳を澄ませ、金曜の夜のざわめきにはそぐわない遠い目をして歩く。

6月 X 日

喧騒の中、国立劇場に辿り着いた、子供達の引く山車

喧騒の中、国立劇場に辿り着いた、
子供達の引く山車

「ワッショイ。ワッショイ。」千代田の空の下、笛と太鼓が奏でる祭囃子を背景に、勇ましい掛け声が響く。江戸城の守護を司どり幕府の保護も手厚かった永田町の日枝神社で、2年に一度のお祭りが幕を切った。

千代田区には、皇居を中心に歴史の断片が溢れる。山王祭も395年の伝統の重みをずしりと感じさせる格調高いイベントだ。幕開けが近づくにつれ、色鮮やかなのぼりが風にはためき、お神酒などが並ぶ集会所が町会ごとに立てられ、街全体が今か今かと手ぐすねを引いてお祭りを待ちわびるようだった。江戸三大祭として名を馳せるこの祭典に、学校から息子の学年が代表として参加することになった。紫の半纏を羽織って赤い手ぬぐいを頭に巻き、ジャパニーズボーイのいでたちも板についた息子が、級友達と山車を引く。直前まで友達とふざけあっていた息子も、山車が到着した途端、「よし、出番だぞ」とでも言いたげに神妙な顔つきになった。一行は、新宿通りから皇居周辺そして国立劇場へと練り歩く。皇居のお濠沿いの遊歩道・千鳥が淵が視界に入ると、初夏の風に運ばれて届く夏草の匂いが鼻先をかすめる。全国からの花見客で埋まる桜の名所・千鳥が淵は、薄桃色の宴の終焉と同時に緑が濃厚になり、初夏の色彩を帯び始めた。

「ワッショイ。ワッショイ。」いつしか私までが一緒になって声を張り上げる。大勢の親がカメラ片手に応援に駆けつけ、それだけでも立派なお祭りとして盛り上がりを見せる。「ラッキーですよね、山王祭に参加できるなんて。この土地に住む私達だって2年に一回ですものね。」幾人もの人達が異口同音で声をかけてくれる。

日枝神社でお神輿の宮入を待ち構える人達

日枝神社でお神輿の宮入を待ち構える人達

6月 X 日

水色のコートを着て正面を凝視する少女がそこにいる。5歳だったか6歳だったかの自分の姿。珍しく父と手を繋いでいる。あれは、町会主催の日帰り旅行だった。古いアルバムに封印された遠い日の残骸を慈しむ。私も2年生あたりまでは、町会のイベントに嬉々として参加していた記憶がある。だが、成長するにつれ足も遠のき、遠地の中学に電車通学をするようになってからは「ご近所さん」との繋がりも消えた。以来、コミュニティとの接点を喪失したことを寂しいとも思わなかった。そして、「町会」はどこか野暮ったい言葉として私の語彙から消し去られた。だが、山王祭が契機となり、忘れていた言葉が新たな温もりを湛えて蘇る。学校からのお祭りへの参加に続き、週末も町会を通して息子と娘が山車を引いたり子供神輿を担いだりすることになったのだ。 町会の集会所に出向けば、これまで面識もなかった「ご近所さん」と会話が弾む。「そう、シアトルから来たんですか。」「イチローで有名ですよね。」「僕も、子供の頃はカリフォルニアに住んでたんですよ。」お昼ごはんに配られたお寿司をつまむうちに談笑の渦が拡がる。

水無月の陽光の中、政治家の街に、王朝絵巻さながらの雅の世界が展開する。日枝神社を後にしたお神輿が次から次へと、永田町に君臨する国会議事堂の前を通り過ぎる。伝統と現代が交差して織り成す独特の風景を目のあたりにするのは爽快だ。「ワッショイ。ワッショイ。」はにかみ屋の娘でさえ、威勢のいい声を張り上げ行進する。自民党本部前を過ぎ、青山通りへと繰り出す。平河町。隼町。紀尾井町。日常に溶け込んだ街並みでさえ歴史の息吹に包まれ、いつもとは異なる表情を覗かせる。からりと爽やかなシアトルの夏に馴れた人間にはもったりと重くのしかかる東京の空気でさえ、江戸の薫りを含めば心地良く感じられるから不思議だ。

1年2組の教室 (椅子の背にかけてあるのは、防災頭巾)

1年2組の教室(椅子の背にかけてあるのは、防災頭巾)

7月 X 日

どうぶつえんのなかは、みんなでいっしょに まわります。せんせいや、どうぶつえんのかたの おはなしはしっかりききます。でんしゃのなかでは、しずかにすごします。

いいなあ、いいなあ。心で幾度も繰り返す。小学校に入学してまもない娘が、初めての遠足で上野動物園に行く。彼女が学校から持ち帰った遠足のしおりにまじまじと見入る。ひらがなの世界って、いいなあ。こんなにやさしく、こんなに懐かしい。ひらがなの羅列にこれほど心を波立たされるとは、英語圏での生活が長くなった証拠だろうか。誰もいない1年2組の教室に立ち、同じ事を考える。「あさがおのたねをまきました。はやく、めがでてほしいです。」教室の後方に並ぶ「ぼくの わたしの あさがおにっき」に娘が綴った文だ。その下に先生が赤ペンでコメントを付けている。「めがでるのがたのしみですね。どんなめがでるでしょう。」ベランダでは、生徒が朝ごとに水やりをしている朝顔が育つ。独りで佇む教室の静寂に包まれ、うずくまりたいような衝動にかられた。 

水底に眠る小石たちを拾い集めようとはせず、何かに突き動かされるかのように、私はアメリカへと発った。「仕事だから」と淡々とした大義名分を携えて舞い戻る一年前までは、祖国への想いも希薄だった。だが、東京で幾つかの季節の移ろいを経た今、ふとポケットを覗き込むと、きらきら光る石たちが何か言いたげにその存在感を示す。思いがけず膨らんだポケットに手を伸ばせば、笑みがこぼれる。そして、心に染み入るその温もりは切ない余韻さえ残し、私の胸を刺す。

「いっせーの!」お馴染みの掛け声が、清水谷公園の水際で響く。友と輪を作り、性懲りもなくベイブレード(日本で大流行の現代版ベーゴマ)で闘いに挑む息子と娘。ホテルニューオータニと道を隔てて拡がるこの由緒ある公園は、都心とは信じ難い程に豊かな樹木が生い茂る。夏の昼下がりでさえ、緑色の涼風が心の中を吹き抜けるようだ。その美しさを堪能する余裕もないまま池のほとりでコマ遊びに没頭する子供達を眺める。器用にコマを操る息子と娘はすっかり日本の子だ。「また日本に住めますように。」七夕の短冊に託された息子の願いを思い返しながら、澄んだ空を仰ぎ見た。

掲載:2010年8月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ